この遺跡は、Buriram県のA.Nang RongのBan Tapekにあります。
Phnom Rungと言う死火山の頂上にあります。
Phnom Rungとは、大きな山を意味し、
シヴァ神の住処、カイラーサ山を模しています。
よって、この遺跡は、シヴァ神が祀られた遺跡です。
駐車場に車を置き、お土産屋の通りを抜け、登りの階段を登って行くと、
左手に遺跡の案内場があります。
案内場内には、Phnom Rung山の周辺模型
(右の写真)がありました。
写真の丸印のところが、Prasat Phnom Rung。
山の向こうは、西。手前は、東。
Phnom Rung山を東に下ると、
大きなバライがあります。
上部写真の丸印の辺りの拡大図です。
右写真の下側が東。
よって、遺跡は、東向きです。
また、遺跡の北側にいくつかバライがありますが、
その昔は、火口でした。
案内場を出て、更に登って行くと、
道の脇には、ヨニが置いてありました。
最初の登りの階段を登り詰めると、
前方に祠堂が見えてきます。
更に進むと、下りの階段があり、
祠堂に向けた長い参道が見えます。
参道へ下りる手前の右側(北側)には、プラップラと言う建物があります。
そのプラップラの
説明です。
これが
プラップラ(Plab Pla Plueang Khrueng)です。
White Elephant Hallと言う意味らしい。
ここは、国王、及び、その随行者が、
礼拝前に服を着かえた控えの場所だった
と言うことです。
プラップラの基壇の3方(東、北、西)は、
回廊で囲われています。
プラップラの回廊の上部には、
ナーガのレリーフがありました。
祠堂へ向かう参道です。
参道の両側には、
上部が蓮の花の蕾の形になっている
境界石34本
が立っています。
注:
この34本と言う数字、昔のパンフレットには、
34本と確かに記載があるが、
2009年12月に訪問した時のパンフレットには
70本と記載あり。
そして、「地球の歩き方」にも、70基とあります。
しかし、Michael Freemanの
「KHMER TEMPLES IN THAILAND & LAOS」の
本には、67とあり、何が正しいのか?
自分で数えるしかありません。
その境界石です。
参道を突き当たると、最初のナーガのブリッジがあります。
参道右側(北側)のナーガです。
左側(南側)のナーガです。
最初のナーガのブリッジの中央には、
8枚の花びらの蓮の花のレリーフがあります。
レリーフは、摩滅により、見分けが難しい。
8枚の花びらは、
ヒンドゥー教の8つの方向の神を意味します。
そして、祠堂へ登って行く階段があります。
階段両脇の基壇には、柱の跡?
階段を登って振り返ると、最初のナーガのブリッジが見え、
その向こうに参道が見えます。
階段を登りきって、眺める景色。(南側の景色)
祠堂方向を東正面から見たところ。
祠堂は、回廊で囲われています。
東塔門の手前には、
沐浴用の聖池が4つあります。
東塔門の前には、
2番目のナーガのブリッジがあります。
東塔門の破風には、苦行するシヴァ神のレリーフがあります。
一方、Phnom Rungのパンフレットには、
病人を治療するシヴァ神と説明が有ります。
見ても私には判別不能です。
まぐさ石には、カーラに乗る神のレリーフがあります。
下の写真は、その拡大写真です。
東塔門の北側の入口上の破風。
ラーマヤナ物語の一場面と言う事です。
回廊の偽扉上のまぐさ石です。
回廊のピラスターのレリーフです。
東塔門の内部には、ヨニがありました。
塔門は、平面図で見ると、十字形状になっています。
また、回廊と書きましたが、
実際は、壁で区切られており、一周する事はできません。
塔門内部から、屋根を見たところ。
せり出し積み構造の屋根になっています。
東塔門を抜けると、
正面に主祠堂の拝殿の東入口が見えます。
東塔門と拝殿の間の狭いスペースに、
3番目のナーガのブリッジがあります。
入口の前には、2体の像があったが、
今は足首から下のみ残ってます。
また、入口下には、
3つの蓮の花のレリーフがあります。
何の像だったのか?
今は、足首から下しか残っていません。
拝殿の東正面入り口です。
破風のレリーフは、Siva Nataraja。
踊りの王シヴァ神です。
また、まぐさ石には、
蛇王アナンタの上に横たわるヴィシュヌ神の
レリーフが施されています。
破風のSiva Nataraja。
踊るシヴァ神のレリーフです。
蛇王アナンタの上に横たわるヴィシュヌ神のレリーフです。
このレリーフは、アメリカから、国を上げての返還運動で返還を勝ち取った事で有名です。
拝殿の東端です。
北東から見上げたところ。
拝殿の東入口のピラスターのレリーフです。
これは何の場面か?
女性の左には苦行者が何かを?
更にひざまづいた人が水瓶のような物を差し出しているが、
女性は要らないと言っているようにも見えます。
拝殿の更に西側には、主祠堂があります。
拝殿の東正面入口を入ると、レリーフが施された砂岩のブロックがあります。
聖象アイラーヴァタに乗るインドラ神のレリーフです。
手には、インドラ神の武器の金剛杵(ヴァジュラ)を持ってます。
インドラ神は、天空の神であると同時に、後世には東方を守る守護神にもなりました。
拝殿内部のまぐさ石です。
拝殿内部には、
シヴァ神の乗り物の聖牛ナンディン像が
ありました。
そのナンディン像です。
主祠堂内部のまぐさ石です。
主祠堂の直下には、男根を模したリンガが、
その下には、女性器を模したヨニがありました。
南側からリンガ越しに北側入口方向を見たところ。
リンガの北側には、窪みがあり、
説明板には、Somasutraとあります。
Somasutraとは、リンガに注がれたSoma酒と言う聖水を
祠堂外へ排水する為の設備です。
更に北側、祠堂外部に、聖水を流す排水溝(Somasutra)が
ありました。
上部写真の窪みから、この排水溝まで、
どのように聖水が流れていくのか、私には不明です。
主祠堂の北側入口には、方位神のレリーフのある
ブロックが置いてあります。
その排水溝を外から見たところ。
主祠堂の北側の入口にあったブロック。
このレリーフは、
「Kuvera on a Gajasimha, in the North」と
説明にあります。
ガジャシンハに乗るクヴェーラ神です。
クヴェーラ神は、財宝を司る神で、
北方の守護神でもあります。
そして、ガジャシンハは、象の頭を持つライオンで、
想像上の動物です。
主祠堂の西側の入口にあったブロックです。
このレリーフは、
「Varuna on a Naga, in the West」と
説明にあります。
ナーガに乗るヴァルナ神です。
司法神で、かつ、水の神、水天であると共に、
西方を守護する神でもあります。
このブロックは、どこにあったか覚えてないです。
拝殿内部にあったと思います。
聖鳥ハンサに乗るブラフマー神で、宇宙の創造神です。
4面の顔を持ちます。手に持っているのは、水壺?
ブラフマー神は、人気が無いとは言え、
方位の守護神にまで地位は落ちてないが、
各入口に置かれていたブロックが、なぜあるのか?
説明には、「Brahma
on a hamsa, in above」とあり、
このin aboveとは、上方、すなわち、宇宙の守護を
意味するのか?
主祠堂の東側の拝殿を、南側から見たところ。
主祠堂を南東側から見たところ。
主祠堂の右の建物が拝殿です。
更に右端のラテライトの建物の一部は、
南東の経蔵です。
拝殿の南側の入口のピラスターです。
レリーフが残っています。
反対のピラスター下部のシンハのレリーフです。
拝殿の南側入口上の破風です。
下の破風には、聖牛ナンディンのレリーフが
施されています。
拝殿の南側入口上の上の破風です。
その拡大写真です。
削り取られていますが、
シヴァ神とウマーが乗っていたのではないかと
思います。
主祠堂の南東角です。
この写真の下端中央部に、
主祠堂の南東に置いてあったブロックの一部が
写っています。
これが、そのブロックです。
このレリーフは、
「Agni on a Rhinoceros, in the Southeast」と
説明があります。
サイに乗るアグニ神です。
アグニ神は、火の神で、南東の守護神でもあります。
拝殿の南側入口の西側の破風とまぐさ石です。
主祠堂の南側です。
主祠堂の南側の屋蓋です。
上の写真の中央部拡大写真です。
軒鼻飾りには、
ナンディン牛に乗ったシヴァ神の
レリーフがあります。
また、屋蓋の装飾枠の中には、
象による戦闘シーンのレリーフが
あります。
これは、この遺跡を立てた
Mahindharapura家のNarendraditya王が、
クメール帝国の王Suryavaruman 2世の為に
戦ったシーンかもしれません。
その主祠堂の南側の入口上部のまぐさ石です。
主祠堂の南側の入口です。
主祠堂の南側入口の付柱下のレリーフです。
拝殿の北側入口のすぐ西隣の破風とまぐさ石です。
そのまぐさ石の拡大写真(下の写真)です。
クリシュナが象(左側)とシンハ(右側)を退治している場面。
破風には、ラーマヤナ物語の一場面
「魔王ラーヴァナに誘拐されるシータ姫」の
レリーフが施されています。
拝殿の北側入口上部です。
まぐさ石は、既に無くなっています。
その破風です。
ラーマヤナ物語の戦いの場面と言う事だが、
破損が激しい。
主祠堂を、北東から見たところ。
主祠堂の東側破風は、拝殿の屋根で見えにくいけど、
ゴーヴァルダナ山を持ち上げるクリシュナの
レリーフがあります。
そのクリシュナを反対側(南側)から見たところ。
主祠堂の北側の破風です。
主祠堂の北側の一番下の破風です。
ラーマヤナ物語の一場面と言う事ですが、
どの場面かは不明です。
猿の群れのレリーフです。
そして、その破風の上の破風と、
更にその上の破風です。
主祠堂を西側から見たところ。
主祠堂の西側入口上部の破風です。
ラーマヤナ物語の一場面
「猿達に運ばれるシータ姫」のレリーフです。
南西から主祠堂を見たところ。
南西から主祠堂を見たところ。
回廊内部の北東の遺構です。
回廊内部の北東隅から、
北側の回廊を眺めたところ。
回廊内部の南東隅の経蔵です。
ドアフレーム部を除いて、
ラテライトでできています。
回廊内部の南東隅から、主祠堂方向を見る。
右半分に見えているのは、経蔵の南側の壁です。
回廊内部の南西隅には、Prang Noiと言う建物があります。
Michael Freeman著の
「KHMER TEMPLES IN THAILAND & LAOS」の本の中で、
この建物の屋蓋構造の跡は、見つかって無く、
最初から完成してなかったのかもしれないとあります。
建物が完成した後、レリーフを施すと思っていたが、
こう言う例もあるのかもしれません。
そのPrang Noiの東側の破風とまぐさ石です。
そのまぐさ石の拡大写真です。
Prang Noiの南側の破風と、まぐさ石です。
扉は、偽扉です。
そのまぐさ石の拡大写真です。
Prang Noiの西側の破風と、まぐさ石です。
西塔門の窓です。
西塔門を出て、西側少し南よりから主祠堂方向を
見たところ。
西塔門から、まっすぐ西の端まで歩くと、
シンハのテラスがあります。
右写真は、シンハのテラスを下りて、
遺跡を西側から見たところ。
そのシンハです。
山の西の端から、眺めた景色です。
回廊の外壁に沿って、北西角まで歩き、
祠堂を見たところ。
祠堂を回廊外の北東から見たところ。
遺跡の北側には、バライ(貯水池)が
ありました。
死火山の火口湖に、手を加えバライに
なっています。
参道から、まっすぐバライに向け道が
伸びています。
貯水池の役目だけでなく、
祈りの場でもあったのかもしれません。
また、祠堂での礼拝前の沐浴にも
使用されたのではないかと思います。
基壇に上がる踏み石も、
美しく装飾が施されています。
また、基壇も繰型模様で装飾されている。
ナーガのブリッジで、疲れ果てて一休みです。
Michael Freeman著の「KHMER TEMPLES IN THAILAND & LAOS」の中で
「Mandpa(拝殿)へ入る時、後世追加された階段を1mくらい下りる。
おそらく、木のフロアや、木の天井があったのでは。」とあります。
但し、私は、「Mandpa内のフロアが、低かった。」と言う記憶はありません。
もしも、当時あった木のフロアや、木の天井が、今は無くなってしまっているとしたら残念です。
次回、再訪する機会があれば、木の構造物があった痕跡を、自分の目で確認をしてみたいと
思ってます。
と言う事で再訪をしてきました。
再訪記を読みたい方は、「
Prasat Phnom Rung / 大きな山の遺跡 第2弾
」へどうぞ!