この遺跡は、2006年9月にも訪問した事があります。
この遺跡を再訪した理由は、「東南アジアの遺跡を歩く」の著者 高杉等氏より、
メールで以下(黄色文字部)の情報を頂いたので、
機会があれば、ぜひ、再訪したいと考えていました。
私が、まぐさ石(リンテル)が3本と紹介した事に対して
Wat Pho Yoiのトタン屋根のぼろ小屋には5本のリンテルがあります。
仏陀像を安置している基壇の裏側にも2本はめ込まれています。
多分この地にはムアン・タムが作られたころ複数のクメールの祠堂が建っていたと
思います。
本体が崩壊してまぐさ石が転がっていたのを、
小乗仏教のお寺を建てるにあたり仏像の基壇にはめ込んだのでしょう。
しかし、現状を見るとこの仏陀像にあきちゃったのか、
霊験あらたかではないのか(宝くじが当たらないとか)ひどい掘っ立て小屋に
放置されてますね。
ここのメインはシヴァ神とその家族のまぐさ石だと思います。
ご指摘のようにムアン・タムの崩壊して今はない中央祠堂の正面まぐさ石が
同じモチーフです。
私が初めてWat Pho Yoiを訪れた時は、一番見たかったこのまぐさ石の前に、
摩滅したインドラ神のまぐさ石が置いてあって写真が撮れませんでした。
なんとかしてどかしたかったのですが、重すぎて、、、
真正面からは取れませんでした。
その後、布団でも持って行ってそこに倒してお目当ての写真をとろうかと
まで考えましたが、
誰か写真を撮りたい人(タイのお偉いさん?)がインドラ神のまぐさ石を
脇に置いたようです。
この遺跡は、Buriram県のPakhamの
Wat Pho Yoiの中にあります。
東からUbosot(本堂)を見たところ。
確かに高杉氏のコメントのように、
今にも壊れそうな、ぼろ小屋です。
しかし、周囲にはSema石で囲まれており、
本堂として建てられたものではないかと
考えています。
その本堂の前に置かれた象の彫物です。
2006年9月訪問時の紹介には、
インドラ神の遺跡とサブタイトルを
付けましたが、この象の彫物が頭に残り、
インドラをイメージしました。
この彫物は、古い物では無いと思います。
しかし、大きな無垢の砂岩から彫り出した
物です。
南東のSama石です。
Rishi(苦行者)の顔は、磨滅しています。
これも南東にありました。
これも南東にありました。
遺跡の南東の角には、
Sema石がまとめて建てられていました。
これは、本堂を西から見たところ。
周囲にラテライト石が転がっていますが、
中央当たりに、分かりにくいですが、
Sema石が置かれています。
その本堂西面中央のSema石です。
南西のSema石です。
このRishi(苦行者)は、少し頭でっかちで、小ぶりです。
北西のSema石です。
北東のSema石です。
こうやって見ると、Rishi(苦行者)の姿形は、まちまちです。
本堂の内部です。
左端にSema石。そしてまぐさ石が3本。
正面の基壇の上には、2006年9月訪問時には、
仏陀像が祀られていましたが、今はありません。
新しい本堂に移されたのだと思います。
そして、かなり散らかっており、
まさに単なる物置きになりつつあります。
高杉氏の指摘では、
あと2本のまぐさ石が、仏像があった基壇の裏側に
あるはずです。
本堂内部に置かれたSema石です。
3つ頭の象アイラーヴァタに乗るインドラ神をモチーフとしたまぐさ石です。
シヴァ神の結婚式
をモチーフとしたまぐさ石です。
これも、3つ頭の象アイラーヴァタに乗るインドラ神をモチーフとしたまぐさ石です。
そして、仏像があった基壇の裏に回りこむと、まぐさ石が2本ありました。
2006年9月訪問時には見落としていたまぐさ石です。
本堂の壁とまぐさ石の間が狭く、まぐさ石を正面から撮影する事はできません。
これは、ナンディン牛に乗るシヴァ神です。
3つ頭の象アイラーヴァタに乗るインドラ神です。
それを別の角度から撮影したところ。
2本まとめて撮影したところ。
こんな風にセメントで固められると、せっかくのレリーフが台無しだと思います。
その2本のまぐさ石の間に置かれていた付柱です。
祠堂の入口の両脇に立てられた装飾用の柱です。
本堂の基壇部のラテライトです。
後で、2006年9月訪問時に撮影した写真と見比べていたら、木に抱かれるように埋め込まれたSema石を、今回の訪問(2009年12月)では撮影を漏らしていました。
どこかにあったのに気がつかなかったのか、無くなってしまったのか?
見落としであれば、残念です。