この遺跡はNakhon Ratchasima県のA.Sung Noen、T.Khoratにあります。
現在のNakhon Ratchasima(コラート)の町は、Sung Noenの町より、約30km東にあるが、
このSung Noenの町は、古代コラートの町として栄えたと考えられている。
この遺跡の名前のPrasatは祠堂を持つ寺院、Muangは町、
Khaekはお客で、インドから来た人達を指すようになりました。
よってPrasat Muang Khaekは、インド人の町の寺院、ヒンドゥー教の町の寺院とでも
訳せば良いのだろうか?
右の説明板によると、
この遺跡は、
10世紀初めに
建造されたヒンドゥー教
寺院とあります。
主祠堂、2つの経蔵、
回廊、周壁、環濠、
そして、2つのレンガの
建造物から成っていると
記載されています。
この遺跡は、良くあるクメールの遺跡と異なり、北が正面になっています。
北が正面となっている数少ない例としては、その他に
Khao Phra Viharn
があります。
遺跡を北西から見たところ。
この遺跡の第1周壁の外側、北側に
2基の遺構があります。
その2基の内の西側の遺構です。
西側から見たところ。
西側の遺構を、今度は東側から見たところ。
東から近づいて見たところ。
その基壇の上にあがって見たところ。
中央にはヨニがありました。
西側の遺構の上から、東側の遺構を見たところ。
西側の遺構から、遺跡の第1塔門を見たところ。
遺跡を北正面から見たところ。
正面は、第1塔門です。
次に遺跡の第1周壁の外側、東側の遺構に
向かいます。
東側の遺構を西から見たところ。
更に近づいて見たところ。
その遺構の上に登って見たところ。
東側の遺構の上に上がって、振り返って見たところ。
向こうに見えるのは、西側の遺構です。
東側の遺構の上から、
遺跡の北側、第1塔門を見たところ。
この塔門から第1周壁が遺跡を囲っていたはずだが、
周壁は崩れて、低く跡が残っているだけです。
更に東に向かい、北東角から第1周壁越しに、
周壁内部を覗いて見たところ。
第1周壁の内側には、環濠が残っています。
その向こうに、主祠堂等の遺構が見えます。
東側から、第1周壁と、更に向こうに、
第1塔門を見たところ。
この遺跡は、北側が正面で、北側に塔門があります。
第1塔門を、北東から見たところ。
第1塔門のドアフレームです。
1番手前が、第1塔門の北側のドアフレームで、
2番目が、第1塔門の南側のドアフレームです。
更に奥は、第2塔門のドアフレームです。
第1塔門は、十字型をしており、塔門に上がって、
塔門十字形の東側を見たところ。
その向こうに第1周壁が続いています。
第1塔門から、内部の遺構を見たところ。
正面は、第2塔門、そして、主祠堂です。
北東から、第2塔門、
そして、その奥に主祠堂を見たところ。
第2塔門への階段と入口です。
入口の右側の柱は無くなっていますが、
ほぞ穴が開いています。
その入口の左側の八角形の付柱です。
主祠堂を北東よりから見たところ。
右端は、第2塔門です。
主祠堂を北東から見たところ。
第2周壁の北東隅に、写真のような遺構が
ありました。
北西隅にも同様の遺構があります。
これが経蔵?
第2周壁の東側のみ、壁では無く
細長い部屋のようになっています。
後世、他の遺跡で見られるように、
これが回廊に発展して行ったと
考えられています。
主祠堂のまぐさ石です。
その拡大写真です。
これは、
アナンタ竜の上に横たわるヴィシュヌ神
。
レリーフは、かなり磨滅していますが、左端はアナンタ竜の一部が見え、
その横には、欠落していますが、ヴィシュヌ神が肩肘ついて頭を支えている様子が伺えます。
そして、右端には、ヴィシュヌ神の妻ラクシュミーが、足をさすっています。
主祠堂へ上がって見たところ。
ドアフレームのみ、残っています。
ソアフレームの下のステップ部に、
レリーフが残っています。
主祠堂の横(東側、西側共に)には、
写真のような遺構がります。
奥は主祠堂です。
こっちは何だろう?
これが経蔵?
主祠堂の南側部を西から見たところ。
ここに主塔が立っていたのではないかと想像します。
その内部です。
その主祠堂の東西に小さな祠堂があったのだ
と思います。
東側の小祠堂跡です。
主祠堂の西側の遺構です。
どちらかが経蔵だったのではないかと思います。
主祠堂の東側の小祠堂跡です。
その向こうは、西側と同様に主祠堂横の遺構が
あります。
どちらかが経蔵だと思います。
主祠堂を北西から見たところ。
第1塔門を南西から見たところ。
北西から遺跡を見たところ。
手前は、第一周壁の跡です。
北西から遺跡を見たところ。
第一周壁内部の環濠が見えます。