この遺跡を訪問するのは、3度目です。
一番最初は、2000年でしたが、HDが破損して写真のデータを失いました。
2度目は、2005年、最初の訪問時の写真を失った腹出たしさで、
とにかく行った記録を残したいと思いました。
3度目は、遺跡に興味を持ちだすと、
この遺跡に、まぐさ石のレリーフが残っていた記憶があり、
もっと細かく見ておけば良かったと言う思いから、再訪しました。
この遺跡は、Sri Saket県のA.Uthumphon PhisaiのBan Khampaengにあります。
遺跡の名前のKhampaengは壁、Yaiは大きいと言う意味です。
よってKhampaeng Yaiは、大きな外壁を持つ遺跡と言う名前です。
以下は、遺跡の説明書きです。
この遺跡は、南北に並んだ3つの祠堂、
加えて、南側の祠堂の後ろ(西側)に、もう一つの小さな祠堂、
更に、3つの祠堂の東側の2つの経蔵から成ります。
東塔門の内部には、碑文が残っており、
11世紀にシヴァ神を祀ったヒンドゥー教寺院(Baphuon様式)として建立された事が
判明しています。
しかし、13世紀には、大乗仏教の寺院に変遷しています。
遺跡を、北東から見たところ。
■東塔門
写真の左端は、東塔門です。
東塔門を、東正面から見たところ。
東塔門の内部のまぐさ石です。
その拡大写真です。
2人の人物が、
棒のような物を
振り上げて、
戦っているように
見えます。
何の場面か、
私には
わかりません。
東塔門の内部には碑文が残っています。
この碑文には、
11世紀にシヴァ神を祀ったヒンドゥー教寺院として
建立された事が記載されているようです。
東塔門の南側入口のまぐさ石です。
西から見たところ。
その拡大写真です。
■主祠堂
東塔門を抜けると正面に、3基の祠堂が見えます。
主祠堂を中心に3基の祠堂を、北東から見たところ。
主祠堂の東入口前です。
柱の跡のホゾ穴のような穴が開いています。
主祠堂の東入口横の飾り柱(Pillarster)です。
主祠堂の東入口上部の破風です。
その拡大写真
です。
これは、
踊るシヴァ神
のレリーフです。
主祠堂の東入口を入ると、主祠堂の房室になっており、
その先に主祠堂その物への入口があります。
その上のまぐさ石です。
その拡大写真です。
象に乗るインドラ神のレリーフです。但し、悲しい事にインドラ神の顔は削り取られています。
主祠堂内部です。
基本、レンガでできていますが、
ところどころに砂岩が使用されています。
この修復は正しいのかな?
これは、主祠堂の北入口(偽扉)横の飾り柱(Pillarster)です。
北側のまぐさ石です。
その拡大写真です。
右側の方は、弓を持って狩猟している人のようにも見えます。
中央左よりには、両手に動物?を持った女性?
レリーフは、磨滅して見えにくくなっており、残念です。
何の場面か非常に興味深いです。
そのまぐさ石の上の破風です。
その拡大写真です。
これは、
ゴーヴァルダナ山を持ち上げるクリシュナ
のレリーフです。
主祠堂西側の偽扉です。
その偽扉上部のまぐさ石です。
その拡大写真です。
このレリーフも磨滅が激しいです。
左寄りには、追いかけっこしている人?中央には木?その下には2匹の猿?
何の場面か興味深い。
主祠堂南側のまぐさ石です。
その拡大写真です。
ラーマヤナ物語で、
白猿ハヌマーンが悪魔ラーバナに囚われたシータ姫を探しに、ランカ島へ渡り、
シータ姫を探しだします。
その時、疑うシータ姫にラーマ王子の指輪を差し出し、
ラーマ王子の使いを証明する場面のように見えます。
中央、右がシーター姫?左が白猿ハヌマーン?
そのまぐさ石上部の破風です。
その拡大写真
。
聖牛ナンディンに乗るシヴァ神とウマー
。
■北祠堂
主祠堂(左側)、北祠堂(中央)、北東の経蔵(右端)を、
南東から見たところ。
北側祠堂の内部です。
その北側祠堂のまぐさ石です。
その拡大写真です。
■南祠堂
南側祠堂のまぐさ石です。
その拡大写真です。
北祠堂も、南祠堂も、まぐさ石のレリーフは、同じモチーフです。
■南東の経蔵
東塔門から南東の経蔵を見たところ。
経蔵の西側の入口は偽扉になっています。
南東の経蔵を西側から見たところ。
その西側の入口上部のまぐさ石です。
その拡大写真です。
象が聖水を降り注ぎ身を清めているヴィシュヌ神の妻ラクシュミーのようにも見えます。
但し、胸のふくらみが無いようにも見えるので、定かではありません。
同じような構図のレリーフは、ガンボジアの
Banteay Srei
や、タイのKhon Kaenの
Puai Noi
にも
あります。
経蔵の入口を入ると、房室になっており、
その奥が経蔵になっています。
その入口上部のまぐさ石です。
その拡大写真です。
レリーフは、
聖牛ナンディンに乗るシヴァ神とウマー
です。
主祠堂の
南面の破風
にも、同じモチーフのレリーフがあります。
■北東の経蔵
東塔門から北東の経蔵を見たところ。
北東の経蔵を西側から見たところ。
北東経蔵の西側入口のまぐさ石です。
その拡大写真です。
馬と闘うクリシュナです。
西側入口を入ると経蔵の房室があり、
その奥が経蔵です。
その経蔵へ入る入口の上部のまぐさ石です。
その拡大写真です。
これは、
アナンタ竜の上に横たわるヴィシュヌ神です。
アナンタ竜の多頭の付け根が、丸く太く描かれているのが面白い。
■周壁
遺跡の南側周壁です。
南側の塔門です。内側から見たところ。
門と書いたが、本当に外に通じる門だったかどうか、
記憶が定かでありません。
周壁は、回廊になっています。
外に向かって、長方形の砂岩でできた窓が
残っています。
■南祠堂の裏側(西側)の小祠堂
南祠堂の裏側には、小祠堂がありました。
ちなみに、北祠堂の裏には、祠堂はありません。
南祠堂の裏側にだけ、祠堂があるのも、
かなり変則的だと思います。
後から追加する予定だったのかどうかは不明です。
(でも完成を記した碑文があるのではありますが。)
■遺跡の全景
主祠堂を中心に3基の祠堂を
南西から見たところ。
3基の祠堂を北西から見たところ。
周壁の外、北西から遺跡全体を見たところ。
北側、西側の周壁は、ほとんど無くなっています。
周壁の外、南西から遺跡を見たところ。
周壁の外、南東から遺跡を見たところ。