夫子廟 : Aug2011


南京は、北京、西安、洛陽と共に、中国四大古都のひとつです。
私の大好きな三国志に出てくる呉の都も、南京でした。

そして、中国四大火炉(カマド)と呼ばれて、重慶、武漢、南昌と並び、暑いので有名です。

夫子廟は、春秋時代(BC770年-BC403年)の思想家、儒教の創始者である
孔子(BC551-BC471)を祀った霊廟です。

孔子を祀った霊廟は、中国の各所をはじめ、日本にもあり、
一般的には、孔子廟とか、孔廟と呼ばれています。

孔子の敬称である夫子を使用して、夫子廟と呼ばれているのは、
南京の物を指します。

この夫子廟は、南京の下町繁華街にあります。

右写真は、夫子廟への北門です。
南京夫子廟と書かれています。










このエリア内には、こんな門もあります。
老街とあります。

どんな意味があるのか良くわかりませんが、
古い町なのだと思います。













一緒にいた中国人によると、孔子の像らしい。

貧乏で末っ子だった孔子は、
子供の頃から様々な職に就いたようですが、
どんな逸話があるのだろうか?

と書きましたが、本当にこの像が孔子か?
ちょっと怪しい。







これは、誰の像?

親子が、果実であろうか?買い物をしています。











ここは、江南貢院の明遠楼です。
表札には、中国古代最大科挙考場とあります。

宋朝により、県と府の科挙試験場として
建立されました。
その後、明の朱元璋が南京を都に定め、
国レベルの科挙試験場となりました。






この明遠楼の中には、科挙試験場の模型がありました。













明遠楼を通り抜けたところです。
正面の建物は、至公堂です。

足元には、通路を遮断するような
両側が龍の頭になった
置物?が。

その横に登龍門と説明がありました。

これが、国家の役人となる為の登龍門?
門と言えば
くぐる構造になっていると思っていましたが…

これは一跨ぎで越えられそう。
6回跨ぐと、人生で最大の幸福を得られるようです。

実際の試験は、相当難しく、簡単に越えられない難関だったのだと思います。

その登龍門の龍の顔です。
越えられるものなら越えて見ろと言う顔にも見えます。















至公堂の中です。

これは、魁星点斗の像です。

魁星とは、北斗七星の第1星から4星の事で、
文章を司る神です。
いわゆる受験の神様で、科挙を受験する者は、
この絵を飾って合格祈願をしたという事です。

右手に筆を持ち、左手に墨壺(この像は硯?)を
持っています。
そして、鰲と言うウミガメの上に右足で立ち、
左足で北斗を蹴り上げています。
これは、及第者を蹴り上げていると言う事?

合格したら星になれます。

これは、当時の科挙試験場を再現した建物です。













一人づつ仕切りで分かれており、
この中で試験を行なわれました。















江南貢院の前の通りの銅像です。

これは、林則徐と言う人で、
清代の官僚で、27歳の時に科挙に合格しました。
そして、不正官僚を処分したり、
イギリスのアヘン密輸を取り締まり没収を行いました。
これがアヘン戦争を引き起こす事になりました。










江南貢院前のお土産屋さんです。






























江南貢院の門です。













科挙の試験場だった江南貢院から、
秦淮河沿いの道に出て、
孔子が祀られている夫子廟に向かって
歩きます。










少し開けたところに出ました。

この広場の右手が夫子廟です。
左手が秦淮河です。

赤と白と黄色の葉っぱを持つ木?
おみくじだと思います。
でも、そこまで良く見て無かったので、
何か良くわかりません。





秦淮河に向かって立つ門です。

天下文樞と書かれています。
勉強不足の私には、意味不明です。










秦淮河です。













正面の石の鳥居のような門は、
櫺星門とあります。

この奥が、孔子が祀られている夫子廟です。










その櫺星門の奥に見えて来る門には、
夫子廟とあります。

両サイドには狛犬。
この門の扉の奥には、
孔子の像の孔子の顔が覗いて見えます。








その孔子の顔です。













狛犬です。

















門を入って中に進みます。

前方に大成殿が見えて来ます。











先程、見えていた孔子の像です。

















大成殿の中の絵です。

この絵の上部には、萬世師表とあります。

萬世師表とは、永遠に模範を示す先生を意味し、
儒教を開いた孔子を指しているようです。








大成殿を抜けて前に進むと、門があり、
大明國子学とあります。












その門を中に入ると、明徳堂があります。













明徳堂の左手前には、鼓楼があります。













明徳堂の右手前には、鐘楼があります。

屋根の反り返りが、日本には無い造りです。











明徳堂の内部です。

琴や鐘、太鼓等の楽器が並べられており、
定期的に演奏されているのかもしれません。










明徳堂を抜けて、更に奥に入ると、
尊経閣とあります。

経書を恭敬に保管する楼閣と言う意味で、
いわゆる図書館だったのだと思います。









その内部です。

経書ではなく
機織り機等が展示されています。










その機織り機で織った布だと思います。
緻密な模様が織り込まれています。










この展示を見終わった頃から、
夕立のような雨が降り出しました。




正面の門の向こうは大成殿の裏側です。













大成殿の手前の門の屋根の上には、
龍の顔のような模様が。
でも、良く見ると、
蓮の花とか葉っぱとか
植物の組合せのようにも見えます。









大成殿の屋根の上には、
龍の模様が。
口から火炎?
滝のような水?
何を出している
のだろう?

玉が流れ出ている
ように見えます。






夫子廟界隈のお土産屋さんです。

雨が降り出して、
一斉に観光客が通りから
いなくなっています。










What's New? | お勧め遺跡 | タイ クメール遺跡 | 古代・その他 | ドヴァラヴァティ遺跡 | スコータイ遺跡 | ランナータイ遺跡
アユタヤ遺跡 | チャクリ朝~現代 | 博物館 | ガンボジア クメールの旅 | 浮彫Gallery | 遺跡年表 | OTHERS
自己紹介 | LINK | 掲示板 | E-Mail | 遺跡BOOKS | 古墳の丘を歩く | 里山へ登ったよ!