总統府は、総統府の事。中には煦園があります。
元々、明の皇族の庭園でしたが、清代に地方行政区府となりました。
そして、辛亥革命の後、孫文(孫中山)により、ここへ総統府が置かれました。
その後、幾度の戦いを経て、蒋介石が国民党を掲げ、ここを総統府としましたが、共産党に敗れ、
1年ともつ事はありませんでした。
宿泊しているホテルのある新街口から歩いて、総統府へ向かいます。
途中、通りに面して設置された
女性の像です。
南京1912街区へ着きました。
総統府は、このすぐ隣にあります。
1912と言う数字は、
孫文(孫中山)による
辛亥革命の年に由来しているのだと
思います。
辛亥革命の後、このエリアに総統府が
置かれることになりました。
総統府へ入る前に、
南京1912街区を歩いて
みました。
この街は、
古いレンガ造りの建物を模した
新しい建物が多く、
おしゃれな雰囲気を
醸し出しています。
レストラン、飲食店がメインの
街のようです。
朝の時間帯は閉まっていますが、
夜は賑やかになるのだと思います。
ケンタッキーもあります。
でも、この建物は古そうです。
建物の横のプレートには、
南京重要近現代建築と書いてあります。
このエリアの
地図です。
総統府の
西と北の二辺を
南京1912街区が
囲んでいます。
太平北路と長江路の交差点の角に
スタバとCOSTA COFFEEがあります。
その前に置かれていた
テーブルとベンチです。
今は雨が降っているので、
誰も座っていません。
そして、総統府へ行こうと思ったら、
雨降りにもかかわらず、
すごい行列ができていました。
この行列を見たら、
雨の中、並ぶ元気がでなくなります。
明日の日曜日に出直そう!と思い、
今日は、道路の向かいから行列を眺めて
ホテルへ帰る事にしました。
道路の向かい側から、
総統府の出口の前を横切る大行列です。
ここも総統府の出口のようです。
長い行列になっています。
総統府の門です。
明日は雨が上がるだろうか?
ちょっと心配です。
さて、翌日の天気は?
雨でした。
でも、今日は絶対に入って見るぞと思い、開園前の行列ができる前に並ぼうと、
早めに出かけました。
南京1912街区と総統府の地図です。
早く来たのに、
もうスタバの前まで行列ができています。
行列の進む速度も、遅い…。
総統府門楼の前です。
門の前は、人であふれています。
門を抜けると、意外にスカスカです。
雨もやんだかな?!
中はかなり広いです。
大堂です。
大堂の屋根の下です。
天下為公の額が掲げてあります。
天下は私物ではなく公の為のものであると言う意味です。
孫文が好んで使用した言葉と言う事です。
みんな写真を撮っています。
大堂に飾られていた絵です。
絵のタイトルは、勅治両江とあります。
両江とは、
清朝の江南省(現在の江蘇省・安徽省)・江西省を
指します。
勅とは、天使の詔の事であり、
両江を治める詔を受けた両江総督の絵です。
大堂を出て右側の建物に
みんなが入っていきます。
清両江総督署史料展がありました。
展示されていた両江総督の衣服です。
先ほど、見た絵の人達が来ている服と同じようです。
多くの人が写真を撮っています。
恵洽両江の額と、鶴、波、太陽の絵です。
恵洽両江の両江とは、
江南省(現在の江蘇省・安徽省)・江西省を
指します。
よって、江南、江西を
恵みうるおすと言う意味かな?
建物と建物の間は廊下で結ばれており、
かなり広くできています。
中庭の景色です。
大堂から二堂、
二堂から総統府会客庁へ
続く廊下です。
麒麟門の抱鼓石です。
太鼓を模した石の上に、
かわいい獅子の像が乗っています。
そして次の建物は、
総統府文物史料陳列と
国民党関連の文物の展示が
されています。
国民党の参謀本部の
ナンバープレートが
展示されていました。
次は総統府办公楼(子超楼)へ向かいます。
総統府办公楼(子超楼)です。
総統府办公楼(子超楼)の前から、
来た方向をふり返ったところ。
すごい人です。
総統府办公楼の中の文書局办公室です。
办公室とは、
オフィス、執務室と言う意味です。
秘書長办公室です。
李宗仁の办公室です。
李宗仁は、1948年に副総統となった人です。
蒋介石の办公室の説明です。
南に面する3つの部屋は、元々、国民党の林森(子超)の事務室でした。
そして、1948年に蒋介石が総統となり、総統室と呼ばれるようになりました。
しかし、その1年後には共産党に敗れ、台湾へ追われる事になってしまいました。
蒋介石の办公室です。
総統府办公楼を東側に出ると
噴水池があります。
総統府办公楼の裏庭から、
総統府办公楼を見たところ。
桜の種類でしょうか?
白い花が咲いていました。
総統府办公楼の裏庭を東から西へ進んで行くと、
博愛湖へ出ます。
北側から南を見たところ。
フジの花です。
博愛湖から見た総統府図書館です。
博愛湖です。
南から北を見たところ。
博愛湖越しに総統府図書館を見たところ。
総統府図書館を南西から見たところ。
国民政府参謀本部です。
北側から北側の棟を見たところ。
内部は、
孫中山与南京臨時政府史料展に
なっています。
国民政府参謀本部の南側の棟です。
孫中山与南京臨時政府史料展の展示です。
1912年1月1日、
孫文が臨時政府大総統の
就任宣誓を行った場面の蝋人形です。
中央が孫文(孫中山)です。
この中には、日本人が二人います。
国民政府参謀本部を
南正面から見たところ。
入り口の上には、
孫中山与臨時政府の文字が
あります。
国民政府参謀本部の南側には、
孫中山臨時大総統办公室があり、
中へ入ります。
ここは、総長会議室です。
ここで1912年1月1日に
孫文(孫中山)が臨時政府大総統の
就任宣誓を行ないました。
孫中山办公室です。
孫中山办公室です。
壁には、孫文(孫中山)直筆の
奮闘の書が飾られています。
臨時休息室です。
同じ部屋を別の角度から見たところ。
孫中山臨時大総統办公室を出ると
正面に孫文の銅像の後姿が見えます。
その向こうの建物は、
臨時大総統府秘書処です。
そして、後ろをふり返ると、
先ほど中を見学した
孫中山臨時大総統办公室が見えます。
そして、孫文の銅像の正面に回って
見たところ。
その向こうは、
孫中山臨時大総統办公室です。
総統府の中には、
塀に囲まれた中国風庭園の
一角があります。
煦園です。
元々、ここは明初に歸徳候府でしたが、
第3代皇帝 永楽帝の
第2子、漢王 朱高煦に
下賜された庭です。
煦園の名前は、この朱高煦に
由来しています。
写真は、煦園の中にある太平湖と、
太平湖に浮かぶ漪瀾閣です。
太平湖は、南北に長い池で、
漪瀾閣の横を過ぎ
北へ向け進んで行きます。
太平湖の北の端です。
その北側には、
総統府図書館があります。
太平湖の北東角に、
孫中山起居室があります。
その孫中山起居室の説明です。
元々、清の宣統元年(1909年)に建てられた真の両江総督の高級幕僚の住居でした。
そして、中華民国の総督となった孫文(孫中山)が、
1912年の1月から3月の間、ここを住居としました。
孫中山起居室前の庭です。
孫中山起居室です。
会客室です。
会客室とは、日本で言う応接室の事です。
侍卫室(侍衛室)。
ここにボデーガードが控えていたのだ
と思います。
孫中山起居室の横には、
衛士室があります。
その衛士室の中です。
孫中山起居室を出て、
太平湖の北の端から
南を見たところ。
正面が漪瀾閣です。
漪瀾閣の横を過ぎ、
表(南側)に回ります。
漪瀾閣へ渡る橋の横の獅子の像です。
日本の狛犬と、少し雰囲気が違います。
ポーズが少しずつ異なります。
漪瀾閣です。
漪瀾閣の内部です。
漪瀾閣から南を見たところ。
正面、左寄りに見えるのは、石舫です。
獅子の像です。
それぞれのポーズを見るだけで面白い。
太平湖の東の岸を南に進みます。
門には石琢軒の文字があります。
その門を入って見ます。
雨花石珍品館とあります。
雨花石とは、
南京の雨花台から産出する
美しい色彩と模様のある
観賞用の小さい卵形の石です。
更に太平湖の東の岸を南へ進みます。
おおきな太湖石があります。
太湖石とは、
中国蘇州の太湖周辺の丘陵から
切り出される穴の多い複雑な形の
奇石の事です。
石灰岩が、
太湖の水による長年の浸食によって
複雑な形となりました。
太湖石です。
桐音館です。
左の門の上には、
「綸音」の文字があります。
「綸音」とは、
天子の発言を意味します。
右に見える建物は、六角亭です。
喣園から大堂方向に抜ける門にあった抱鼓石です。
太平湖へ戻ります。
東の岸から見た夕佳楼です。
太平湖の南側には、石舫があります。
舫とは、船の形の石造建設を指します。
石舫への道を渡りながら、
石舫を撮ったところ。
石舫の前で、
自撮り棒で写真撮影をしています。
石舫の内部へは、
扉が閉まって入れません。
太平湖の西側の岸へ渡り、
石舫の南西から
石舫を見たところ。
夕佳楼の手前から北側を見たところ。
左側に夕佳楼、
前方には、漪瀾閣が見えます。
夕佳楼を通り過ぎ、
ふり返って、夕佳楼を見たところ。
左側が、夕佳楼です。
喣園を出て、
臨時大総統府秘書処へ入って
見たところ。
江苏(蘇)警察博物館です。
中には入りませんでした。
門を出て、ホテルへ帰ります。
かなり歩いた気になっていましたが、
まだ、見てないエリアが、
たくさんある事に
後から気が付きました。
もしも、機会があれば、
また来てみたいと思います。