石头城:Nov,Dec2013、Jan2014


南京へ出張時は、いつも宿泊するホテルから歩いて行ける観光地として、
いつも、石头城が気になっていました。
そして、今回の出張中の休日に行って来ました。
しかも、3回も!

何で、3回も行ったかって?
一度目は、途中で、カメラの電池切れ。出直す事に。
二度目は、石头城だと思っていたところが、石头城ではなく、途中までだった事に気が付いた。
三度目に、やっと、石头城を見る事ができました。

ちなみに、この石头城は、秦淮河が長江へ流れ込む場所を見下ろす要害の地に、
三国志に出てくる呉の孫権が築いたと言われています。



■一度目の訪問(24.Nov.2013(Sun))

秦淮河を横切る清涼門大街(通りの名前)の
橋からの眺めです。

橋の下を流れる川が、秦淮河です。

川の右岸に見える櫓には、
石头城の看板が見えます。







橋の上から、城壁と門が見えます。













橋の下から、城壁と門を見たところ。













橋の反対側にも城壁は続いています。













城門へ近づいてみます。













清涼門と説明がありました。

日本語併記は、嬉しですが、
説明文の長さが、中文、英文に比べて
少し短いのが気になります。



この門は、明朝末期に閉じられていましたが、
2003年に、再び、開門されたとあります。




と、ここまで、見たところで、カメラの電池切れになりました。
予備の電池を持ってくるのも、忘れてしまいました。



後日、出直しする事としました。




■二度目の訪問(01.Dec.2013(Sun))

休みの午後に南京に入ると、
夕方の時間が、空きます。

日が暮れるまでに、
急いで再訪する事にしました。

ここは、汉中門路と言う通りです。
道には、バナナ売りの屋台が出ていました。





秦淮河を西へ渡りながら、
これから行く石头城方向(北側)を
見たところ。

今回は、秦淮河の西岸(写真の左側)を
北へ進んで行きます。








秦淮河の岸は、遊歩道が整備されており、
土手には、柳の木が植えられています。

これで、空気がきれいであれば、言う事ないのですが…。















これも、柳です。













東岸に、立派な城壁が見えて来ました。













一回目の訪問で、渡った橋まで、
かなり距離があります。












城壁が大きく見えて来ました。













かなり、りっぱな城壁です。













来た道を(南を)振り返ります。

対岸には、先程見た城壁が見えます。











秦淮河を横切る清涼門大街(通りの名前)の
橋まで来ました。
橋の西詰めのマンション群です。











橋から石头城と書かれた
櫓の方向(北)を見たところ。












橋を渡って行きます。(北東へ渡ります。)

写真の中央辺りに、
木陰になって見えませんが、
第一回目の訪問時に見た清涼門があります。









橋越しに、橋の南側の城壁を見たところ。













橋の上から、階段を下りて、
清涼門へ向かいます。












その清涼門です。













さっき渡って来た橋の下です。

城壁の上部を、貫いています。











秦淮河の東岸は、公園になっています。

橋の上から見た石头城と書かれた
櫓が見えます。










清涼門です。













清涼門を正面から見たところ。


















清涼門の内部の壁です。


















清涼門のトンネルの天井部分です。













清涼門を通り抜け、城壁の中に入って、
清涼門を振り返って見たところ。












そして、城壁の上に上がって、城壁の外を見たところ。

秦淮河が見えます。
石头城と書かれた櫓も見えます。















城壁の上を、北に進んで行きます。
そして、来た方向を振り返って見たところ。

右に秦淮河が見えます。
石头城と書かれた櫓も見えます。
その向こうには、
先程、渡って来た橋も見えます。







更に先に進んで、振り返ったところ。

城壁と言っても、
この辺りは、山の岩肌がむき出ています。

石头城は、この辺りのはず。








この城壁の先は、更にどこまでも続いています。

実は、石头城は、この城壁の先にあったのですが、
この辺りに不案内な私は、
この辺りだと思いこんでしまいました。














そして、城壁の横のこの小高い山が、
石头城と思い込んでました。












その小山の頂上です。

何もありません。
でも、ここが石头城と思い込んだ私は、
満足して、ホテルに帰る事にしました。









城壁の上を、清涼門へ向けて、
引き返します。












城壁の上から、清涼門へ向けて、階段を下ります。


















清涼門です。


















清涼門を後にします。













帰りは、秦淮河の東岸を
ホテルに向け(南へ)歩きます。












立派な城壁がそびえています。

この城壁の下に、
何かの説明板が立っています。










城壁拜仏の説明です。









この辺りから南へ300mの間に、
ひさしの付いたたくさんの石碑が、
城壁に嵌め込まれていました。

その石碑の上部には、雲の模様が、下部には、蓮の花が、そして、
中央には、「南無阿弥陀仏」の文字が彫られていました。

しかし、今では、7つの石碑しか残っていないようです。





そして、これが城壁拜仏です。


















その石碑の拡大写真。

ひさしは、残って無いけど、
南無阿弥陀仏の文字が見えます。


















ここにも、城壁拜仏が残ってます。













城壁の所々に、山肌がのぞいています。













城壁です。


















こんな高い城壁が、どこまでも続いてます。


















これじゃ、攻めようにも、攻められないね!


















城壁に向かって、照明も設置されています。

夜は、城壁をライトUPしているのかな?











紅葉した葉っぱです。












川岸の公園の出口にあった地図です。
今、私が立っている場所は、右端の 印部です。
清涼門は⑫で、
石头城は⑥と言う事は、肝心な石头城まで行ってない事に気が付きました。
今日は、もう、日が暮れるので、
機会があれば、次の機会に石头城へ行って見ようと思います。少し残念です。


















川岸の景色です。

歩いて来た道を、振り返ったところ。











川岸のビルのネオンも灯り出しました。













柳の木の下を歩けるようになっています。


















柳の葉の下から、対岸を見たところ。













汉中門 まで帰って来ました。













ここは汉中門路です。

通りには、こんな店も。
焼き芋屋さん?










私が泊っているホテルが見えます。


















汉中門へ寄って見ます。

これは、 汉中門 の月城です。











これは、 汉中門 の城壁側の門です。













その城壁の門を抜けて振り返ったところ。












そして、ホテルへ帰りました。




■三度目の訪問(19.Jan.2014(Sun))

二度目の訪問では、石头城へ行ったつもりが、思い込みで行ってませんでした。
年明け早々に、南京出張が決まり、移動日の日曜日の夕方に、三度目の訪問を行ないました。

これは、宿泊しているホテルの近くの
汉中門 です。

城壁の門に向かって進んで行きます。










城壁の門の内部です。













城壁の門を抜けると、月城があります。













汉中門 を出て、秦淮河に架かる橋を渡ります。

その橋から南を見たところ。











秦淮河の西岸を、石头城へ向け北上します。













秦淮河の東岸に、高い城壁が見えてきました。













その城壁です。

二度目の訪問時、城壁拜仏を見た城壁です。











石头城と書かれた櫓も見えて来ました。

二度目の訪問時に渡った橋を渡らず、
秦淮河の西岸を更に北上します。










石头城と書かれた櫓の向こうに
小山が見えます。

二度目の訪問では、この小山を
石头城と勘違いしてしまいました。









川べりで、魚を採っている人がいます。













2本の竹の先から網をぶら下げて、
その網を川に沈めています。
頃合いを見て、
網を引き上げ、魚を採るようです。

しばらく見ていましたが、
いっこうに採れそうもありません。

日没まで、時間が無いので
先を急ぐ事にします。




先に、もう一つ小山が見えてきます。
川に面した側は、
切り立った崖のように見えます。

ここが、石头城かな?









石头城と書かれた櫓を振り返って見たところ。













どうも、これが石头城のようだ。

三度目の訪問の前には、
同じ失敗を繰り返さないように、
WEBで調べて来ました。

ここに間違いないようです。







再度、来た方向を振り返って見たところ。

石头城と書かれた櫓が小さく見えます。
かなり距離があります。










この先に、歩行者専用の橋があります。

この橋を渡って、石头城へ渡る事になります。











対岸正面に、石头城を見たところ。

石头城の头と言う字は、
中国の簡体字で、従来の漢字で書くと、
頭と言う字です。
よって、石头城とは、石頭城の事です。

また、別名「鬼脸城」とも呼ばれています。
脸とは、顔かたちを意味します。

赤い山肌は、でこぼこした崖になっており、
この凹凸の様子が、鬼の顔に見えなくもない。


秦淮河に架かった橋を渡って、
石头城へ向かいます。

橋の上では、凧揚げをしている人がいます。










その橋の上から、更に北を見たところ。

この先は、長江につづいています。











橋の上から見た石头城です。













石头城の辺りは、公園になっています。













石头城を正面から見たところ。

石头城の下の池は、
鬼脸照鏡と呼ばれています。

意味は、鬼の顔を照らす鏡と言う意味かな?








石头城周辺の地図です。
























燕王河です。

燕王とは、
後の明の第3代皇帝・永楽帝(1402-1424年)
の事です。

川の名前は、永楽帝が燕王時代に、
この川を使って 逃げた事に由来します。

燕王は、朱元璋(後の洪武帝)の四男です。

朱元璋の死後、その長男の子、燕王の甥が
建文帝として帝位継ぎました。
その際、粛清を避ける為に逃げるのに
使用した川です。

城壁から、流れ出る燕王河です。

燕王河は、小さな川ですが、
秦淮河から長江につながっています。















石头城の北側の城壁です。













石头城です。

北側から西へ周り込んでます。
















石头城の別名「鬼脸城」は、
この岩の形から
来ているのだと思います。











石头城です。

三国志時代に、呉の孫権が築いたとされ、
この地を訪れた諸葛孔明が、
石頭虎踞と評しました。

石頭虎踞とは、
「石頭に虎がうずくまる」と言う意味です。











西から南へ周り込んで、進みます。













来た道を、振り返ったところ。


















どこまでも城壁が続きます。

城壁の上への上り口が見当たりません。

そうだ。上り口があったら、城壁にならない!

と言う事は、もしかして、
清涼門から城壁内に入らないと、
上り口は、無いと言う事かな!

と言う事で、清涼門へ向けて歩く事にしました。




途中、城壁の前の岩に、
なにやら説明があります。












その説明です。

この大きな岩は、亀石群と言うらしい。

昔は、ここは川辺で、長年にわたり、岩が浸食され、
岩が水面に出た様が、亀の甲羅に見えたと言う事です。













確かに、この岩は、左が頭で、中央が胴体で、
なんとなく、手足も出ているように、
見えなくもない。











来た道を振り返ります。













行く手を見たところ。
清涼門は、まだ見えません。












途中、「石城霁雪」の説明がありました。

諸葛孔明は、東から南にかけ、紫金山(鍾山)、
そして丘陵に囲まれ、かつ、
北と南を長江に面し天然の要害をなしている
金陵(南京)の地形を見て、
「鍾山龍盤、石頭虎踞、此帝王之宅。」と評しました。

日本語では、
「鍾山(紫金山)には竜がとぐろを巻き、
石城(石頭山)には虎がうずくまる。
これは真に帝王の住処である。」と言う意味です。

この地に雪が降り積もった後の晴れ渡った景色は、すばらしく、
金陵四十八景の一つとなっています。


城壁に沿って、清涼門へ向け、歩いて行きます。

途中、竹林がありました。











やっと、清涼門に着きました。













清涼門から、城壁の中に入り、
城壁の上を石头城へ向かいます。

















城壁が、どこまでも、続きます。













城壁の内側は、山になっています。













この先が石头城です。













歩いて来た方向を振り返ったところ。













やっと、石头城へ着きました。

下の池は、鬼脸照鏡です。











城壁から、秦淮河を見たところ。













城壁の後の小山には、狼煙台があります。













狼煙台へ登って見ます。


















狼煙台です。













狼煙台を正面から見たところ。













裏に、入口があります。


















入口から内部を見たところ。
2階へ上がる階段があります。

















狼煙台の上から、秦淮河を見たところ。

中央の橋は、
ここへ来る時に渡って来た橋です。










狼煙台を下りて、城壁に戻ります。













城壁からの景色です。













振り返って見たところ。













鬼脸照鏡です。













石头城から先へも、城壁は伸びています。

更に城壁の上を進んで行きます。

どこまで続いているのだろうか?














城壁の上から見た燕王河です。


















進んで行くと、また、登りがあります。


















そして、まだ、城壁はつづきます。

前方に、薄っすら紫金塔が見えます。
















ついに行き止まりです。

でも、昔は、城壁は、
ずっとつながっていたんでしょうね!










来た道(城壁)を振り返ったところ。


















来た道を引き返しながら、
途中、城壁内へ下りる階段を下ります。

さっき登った狼煙台が見えます。















城壁内に降りたら、そこは、国防园です。

国防意識を高める為に建設された公園で、
兵器等の展示がされています。






































古い兵器だろうから問題ないと思うけど、日本人がカメラを持ってうろつくのは、ちょっと怖い。
早々に立ち去りました。




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