明孝陵:Aug2011


ここは、明の初代皇帝、
朱元璋(1328-1398)と馬皇后の
陵墓です。

1381年に建造をスタートし、
32年掛けて、1413年に
完成しました。

この陵墓の様式は、
明、清の皇帝の陵墓のモデルと
なりました。

2003年7月3日に世界遺産に
登録されています。

明孝陵の
全景図です。

南京市街の東側、
紫金山の中腹に
位置しています。

















これは金水橋です。












明孝陵の配置図です。





















金水橋から入って行くと、
以下で構成されています。

②文武方門
③東井亭
④西井亭
⑤御厨
⑥具服殿
⑦碑殿
⑧東配殿
⑨西配殿
⑩亨殿
⑪内紅門
⑫升仙橋
⑬明楼
⑭宝頂

この様式が、今後の明、清の皇帝の陵墓のモデルとなりました。



その金水橋から入って行くと、
文武方門が見えてきます。












文武方門です。













文武方門の
説明です。


明孝陵を
保護する
為の
「特別告示」
碑が
設置されて
いるとの事。











その「特別告示」碑です。

日本語、ドイツ語、イタリア語、英語、フランス語、ロシア語の
6ヶ国語で彫られています。

写真の黒っぽくなっている辺りが日本語文の記載です。











門の扉です。
















更に進むと、碑殿が見えて来ます。













碑殿です。
清代に再建されたと言う事です。












これも、文武方門にあった「特別告示」と同じ碑が
立っていました。
日本語もあります。














碑殿内部の竜のレリーフです。













碑殿内部中央には、「治降唐宋」の碑が設置されています。

これは、清の第4代皇帝、康熙帝(1654-1722)が、
明の朱元璋の統治は、
唐太宗の李世民、宋太祖の趙匡胤を越えたと称えた
碑文です。

碑文の下には亀がいます。









その拡大写真です。













その裏側です。
壁を境に、亀の体の後ろ半分がありました。












そして、進んで行くと、亨殿が見えて来ます。













その亨殿です。












亨殿の説明です。


























亨殿前の階段です。
中央には、人が入れないように柵があり、
その柵の中にはレリーフが施されています。

但し、何のレリーフか不明です。
皇帝の通り道だったのでしょうか?











亨殿です。

説明には、朱元璋とその皇后、側室の
妃の位牌を祀る木造殿宇とありましたが、
実際には、りっぱな基壇の上には、
小ぶりの殿堂が立っているだけで、
少し拍子抜けします。

どうも清代に戦火にみまわれ焼失し、
小ぶりの殿堂として再建されたようです。

この立派な基壇を見る限りでは、
焼失前は、かなりりっぱな殿堂が
建っていたものと想像します。

ちなみに、この基壇は、須弥山を模した
3層の石造りの基壇で、
須弥座土台と呼ばれているようです。

その亨殿の内部です。

















亨殿のすぐ裏には、内紅門があります。













その内紅門です。
その先に参道が続いています。
















明楼が見えてきました。

















明楼の手前には、升仙橋があります。
欄干は雲の模様になっています。

升仙橋とは、不老不死の仙人が住む仙境へ
昇る橋と言う意味でしょうか?








明楼の説明です。






















説明には、明楼は「方城の頂きに建てられ…」とあります。
と言う事は、方城は巨大な石垣部を指すのだと思います。



明楼に上がるには、方城の中央にある入口から入り、
登りになっているトンネルを抜けます。
















そのトンネル内部です。

















トンネルを抜けた正面の壁には、
「此山明太祖之墓」とあります。
でも最初の文字は、此ではなく
部首が山のようにも見えます。

いずれにせよ、この明楼の後の山には、
宝頂と呼ばれる
皇帝と皇后が眠る円墳があります。






そして、その石垣には、
このような装飾が施された
水抜きの穴があります。
石垣が崩れるのを防止する為の
穴だと思います。









そして、トンネルを抜け、方城の両サイドには、
明楼に続く階段があります。















頂上へ登ったところ。



























方城の端には銃眼があります。
そして、方城の下には、今通って来た参道が見えます。















明楼の内部です。
















明楼の裏には、宝頂があります。
うっそうとした森になっています。












引き返す途中に、
先程通った亨殿の須弥座土台を良く見てみます。












この動物は何?
竜のような、ちょっと違うような?












これは竜かな?

何の為にこんなものが?水を抜く為?











参道を金水橋まで戻り、右に折れ
翁仲路、明陵神道へ向かいます。

翁仲路にあった文官像です。
翁仲とは、銅像、石像を意味するらしい。












武官像です。
















続いて明陵神道へ入ります。

この神道には、
12対6種の石獣が並んでいます。










これは、馬の像です。

死後の皇帝が乗り物として使う馬です。











これは、麒麟の像です。

麒麟は、元々は中国の伝説上の動物で、
王が、仁のある政治を行う時、
現れる神聖な動物と言う事です。









反対側の麒麟の像です。













象の像です。

象は南方の動物であり、
王の権力が広くおよんでいる様を
表しています。









駱駝の像です。

駱駝は北方の砂漠に生きており、
これも王の権力が広くおよんでいる様を
表しています。









箋豸(カイチ)の像です。

中国の伝説上の生き物で、
正義や公正を象徴しています。










獅子の像です。

王の威厳を表しています。











と明孝陵から参道を帰りながら、参道って、直線的に陵へ続いているように思いますが、
なぜ、ここは、大きく回った道になっているのだろうか?
ずっと不思議に感じてます。

このエリアには、私は行ってませんが、三国志で有名な呉の孫権(182-252)の墓があります。
朱元璋が、この地の英雄、孫権の墓の上に参道を通すと言う横暴を避け、
迂回をさせたと言う説があるようです。





帰りは、南京市街まで、歩いて帰りました。
南京は、中国四大竈のひとつ、特別暑いので有名です。
真夏のこの時期、歩くとクタクタになりました。

帰りに道路脇にあった南京の城壁です。








中山門です。
明孝陵と同様に、紫金山には、中山陵があります。
中山陵は、孫文(孫中山)(1866-1925)のお墓です。

ここには、元々、朝陽門がありましたが、
孫中山の国葬の為に封鎖され、
1929年に新たな門として建立されました。
名前は、孫中山に由来し、
中山門と名づけられています。






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