中山陵は、「中国革命の父」、国父と呼ばれている
孫 中山(1886年11月12日-1925年3月12日)の墓です。
孫 中山は、日本では、孫文で知られています。
そして、中山と言う号は、日本への亡命時代、日比谷公園界隈に住んでいて、
中山と言う邸宅の表札が気に入り、「中山」と称するようになったと言う事です。
孫 中山は、1911年の辛亥革命の後、1912年に中華民国が成立し、初代大統領に就任した人です。
そして、1925年に、
「革命尚未成功、同志仍須努力(革命なお未だ成功せず、同志よって須く努力すべし)」
と遺言を残し、北京で客死し、南京に葬られました。
そのお墓は、南京の紫金山の南麓にあります。(下図、赤○印)
ホテルからタクシーで中山陵へ向かい、
中山陵の麓で、タクシーを下ります。
麓は、広い公園になっています。
麓から中山陵に向かいます。
正面に、牌坊が見えます。
牌坊とは、
中国の伝統的建築様式の門の
ひとつです。
近くにあった中山陵の説明です。
(この説明では、牌坊をアーチと訳しています。)
牌坊から墓室までの水平距離は、
700mとかなりあります。
実際の高低差と、真夏の暑さを考えると、
感じる距離は、もっとあるはずです。
参道は、人でいっぱいです。
先に陵門が見えて来ました。
陵門は、3つのアーチ門から成っています。
その陵門です。
陵門の説明です。
中央のアーチ門の上部には、「天下為公」の文字が彫られています。
「天下為公」とは、中国の古典「礼記」にある言葉で、
「天下をもって公となす」、すなわち、「天下は権力者の私物ではなく、
公(そこに暮らす全ての人々)の為のものである」と言う意味です。
陵門を抜けて進んで行くと、碑亭があります。
碑亭とは、墓碑を納める亭の事です。
その碑亭を過ぎると、祭堂が見えてきます。
広くて長い階段の上にあります。
その祭堂です。
この祭堂の内部には、孫 中山公の座像が
納められています。
更に奥には、墓室があります。
祭堂の内部は、歩いて回ることができますが、
写真撮影禁止でした。
祭堂の前から、
先程、登って来た参道を振り返って
見たところ。
階段を下りて行きます。
正面は、碑亭です。
本当にたくさんの人が参拝しています。
この後に、世界遺産の明孝陵を訪問しましたが、
明孝陵に比べると、圧倒的に中山陵の人の数が多いです。
世界遺産の明孝陵より、
多くの人々を集め崇められている中山陵を見て、
孫 中山は、本当に中国の人々の尊敬を得ている人
だったんだと実感しました。
中山陵から下りたところに、孝経鼎があった。
その説明です。
孝経鼎です。