鞆の浦 鯛網: 27May2018



2018年の福山鞆の浦、観光鯛網の最終日に
鯛網を見に行って来ました。

鞆の仙酔島渡船場前から、対潮楼を見上げた
ところ。

対潮楼は、福禅寺の客殿で、座敷からの眺めは
素晴らしく、1711年、朝鮮通信使の従事官・
李邦彦により、「日東第一形勝」と賞賛された。







仙酔島渡船場横の海岸から、これから向かう
仙酔島を見たところ。

仙酔島の手前の島は弁天島。













その弁天島。

1617年に鞆の津を訪れた朝鮮通信使の
日記には「明秀奇絶」と記されている。

朱塗りの弁天堂(福寿堂)が建っている事から
弁天島と呼ばれている。









弁天島の弁天堂。

この弁天島には、弁天島卒塔婆が残っており、
以下の話が伝えられている。

ある航海者が海中に家宝の太刀を落し、
それを取って来るように浦人に頼みます。
ある若者が名乗りを上げますが、鱶に襲われ
落命します。
銭百貫でその亡骸を弔った。
その時建てられたのが弁天島卒塔婆。





仙酔島行きの渡船「平成いろは丸」へ
乗り込みます。














渡船「平成いろは丸」から、仙水島を
見たところ。














船内は、鯛網を見に行くのだろう。
子供達でいっぱいだ。





















出港した渡船「平成いろは丸」から
南西を見たところ。

黒屋根は、圓福寺。
ここは、かつて南北朝時代には大可島城が
あり、その跡地です。










渡船場をふり返ったところ。















弁天島。















右が弁天島、左が仙酔島。















弁天島。

北から見たところ。













弁天島。















弁天島。















仙酔島の渡船場が見えてきました。















仙酔島へ到着です。

乗って来た平成いろは丸が見えます。













観光鯛網のスタート地点の田の浦へ向けて歩きます。

途中、海食門がありました。




















 田の浦へ到着です。















浜には、鯛網の船が出そろってます。















鞆の浦アイヤ節保存会の踊り手さん達に
よるアイヤ節が始まりました。














 アイヤ節。















 アイヤ節。
















 アイヤ節。















 アイヤ節。















 アイヤ節が終わると、樽太鼓が始まりました。















 船首で樽太鼓が打ち鳴らされます。















そして、乙姫様の登場です。















 乙姫様が乗船されます。















乙姫様が、大漁を祈願し、弁天竜宮の舞が
始まります。









 




最初に大漁を祈願します。















弁天竜宮の舞。















弁天竜宮の舞。















弁天竜宮の舞。















弁天竜宮の舞。















弁天竜宮の舞。















弁天竜宮の舞。















弁天竜宮の舞。















弁天竜宮の舞。















弁天竜宮の舞。















弁天竜宮の舞。















弁天竜宮の舞。















 弁天竜宮の舞。















 弁天竜宮の舞。















 弁天竜宮の舞。















 弁天竜宮の舞。















 弁天竜宮の舞。















 弁天竜宮の舞。















弁天竜宮の舞。















弁天竜宮の舞。















弁天竜宮の舞。















弁天竜宮の舞。















弁天竜宮の舞。















弁天竜宮の舞が終わると、餅投げが始まり
ます。














乙姫様や、船に乗る男衆が餅をまきます。















餅投げの後は、いよいよ出航です。

これは、乙姫様が乗られる船です。













我々、観客も、観覧船へ乗り込みます。















出航の準備をする船。















島の西の端。















ここには、眼鏡岩と呼ばれる海食門が
あったが、眼鏡の上部が崩落し、その跡が
残っている。













いよいよ出航です。

前に錨船、後ろに網船が進みます。













先頭の錨船。

錨船は、網をおろして引き上げる網船の
錨の役目をする船です。












網船は、真網、逆網と呼ばれる二艘の船から
なり、それぞれの錨船が、前を進みます。















眼鏡岩の跡。















真網、逆網と呼ばれる二艘の網船。

その後ろを、観覧船が進みます。













右端に二艘の網船。
その前に二艘の錨船。

その前方、左に指揮船がいる。












指揮船の後ろに、錨船、網船に続き、
旋回を開始します。


左端が指揮船で、船首は右を向いてます。

中央が錨船で、その後ろに網船が続きます。









左回りに旋回をしているので、
海面に左回りの航跡が見えます。


漕出式が始まりました。











手前が錨船で、中央が網船。















右が錨船で、左が網船。















中央が網船、右端に錨船。

その向こうに指揮船。

左端に乙姫様の船がついて回ってます。











左端が指揮船。

中央に網船。

右端が乙姫様の船。










漕出式は、左回りに3回まわります。















漕出式が終わりました。

バックには、仙酔島が見えます。

仙酔島は、仙人も酔ってしまうほど美しい島
と言う事で名付けられた。










鯛網漁へ出発です。

錨船と網船。













まず、弁天島を、左に見ながら、北へ向かい
ます。














西には、大きな黒屋根の圓福寺。
ここは、かつて南北朝時代には大可島城が
あった、その跡地です。













弁天島を左に見ながら北へ。















弁天島の北端を回る鯛網の漁団。















弁天島の北端を見たところ。















北から弁天島を見たところ。















弁天島の北端を回りながら、仙水島の
眼鏡岩の跡を見たところ。














弁天島の北端を回り、南下し漁場に向かい
ます。














仙水島。















弁天島を左に見ながら南下します。















観覧船の前方を行く、鯛網の漁団。






















先頭を行くのは警戒船。

その後ろに、錨船と網船、
一番後ろに、乙姫様の船がいます。



















先頭を警戒船、その後ろに錨船、網船、
一番後に乙姫様が乗った船が続きます。














その船団。















網船の後ろを行く乙姫様の船。















弁天島を南からふり返ったところ。















漁場へ向かう船団。















仙水島をふり返ったところ。















錨船、網船、乙姫様の船と続きます。















そして旋回が始まりました。















漁場に到着です。















指揮船からの合図で、網入れが始まり
ました。














2隻の網船が左右に分かれながら、網を
おろしていきます。

2隻の網船の内、右が真網、左が逆網と
呼ばれてます。












おろしている網は、長さ1500m、深さ100m
の大きなもの。














二隻の網船の間、正面に見える船は、
大きい方が指揮船、その手前の小さな船は
生船。













網入れの全景。















右が真網、左が逆網。

2隻の網船が網を広げていきます。













観覧船からの景色。

正面が鞆の町、海を挟んで右が仙水島。













鞆の町がある沼隈半島の南端の景色。















沼隈半島、阿伏兎岬方向を見たところ。















先ほど網入れを開始した場所には浮きが
浮かんでおり、生船が浮きに向かってます。














生船。

何をしているのかわかりませんが、
何かチェックをしているように見えます。












生船と乙姫様の船。















二隻の網船が円を描くように網をおろし
交わります。

右が真網で、正面が逆網。












網しばりです。















網で囲った網を引き、網を絞っていきます。















網を引く網船(逆網)。















網を引く網船(逆網)。

右奥に見える船は、生船。

徐々に網が絞り込まれていきます。











網を引く網船(逆網)。















網を引く網船(逆網)。















網を引く網船(逆網)。















網を引く網船(逆網)。

左前方の船は錨船。













 網を引く網船(真網)。















 網を引く網船(真網)。















網を引く網船。

右が真網、左が逆網。













逆網。















真網。






















二隻の網船が網を引きます。

右が真網、左が逆網。













 逆網。















 二隻の網船の距離が縮まります。















網船。















手前が真網。















男達が網を引いているのが見えます。

 













二隻の網船が徐々に近づいてきます。















奥右が逆網。
その手前が真網。
正面は、真網の錨船。

真網と錨船は、ロープで繋がっている。











 二隻の網船の距離が縮まります。















網の輪が、かなり縮まっています。















右が逆網、左が真網。















これから、交叉した網を戻す
ちがい戻しが始まります。














右が逆網、左が真網。















交叉した網を戻す為に二隻の船が移動
します。














右が真網、左が逆網。

船の位置が入れ替わります。













右が真網、左が逆網。















右が真網、左が逆網。















真網と逆網の位置が入れ替わりました。

右が真網、左が逆網。













ちがい戻し完了です。















船首と船首を向き合わせてた状態で
網を引きます。














網しぼりです。

大きな輪だった網が、小さくなってます。













船首をつけた状態で網を引きます。















網しぼり。















男達が網を引き揚げます。















網しぼり。















あれ、ここでビクが…?















毎日2回の開催では、毎回大漁と言うわけには
いかないと思う。














網しぼり。















網しぼり。















網の範囲が狭まって行く。















漁が終わったようだ。















観覧船の客は、網船へ乗り移って
捕れた鯛を確認できます。














既に多くの観覧客が網船へ乗り移っている。















網船へ乗り移るのは、順番待ちです。















網船で捕れた鯛を確認する観覧客。















たくさんの鯛が、網の中で跳びはねている。





















生きのいい鯛が玉網ですくわれて、















船の上へ、そして、その場で、即売が始まります。















玉網にすくわれた鯛を品定めする観覧客。















網の中で跳ねる鯛、















生きが良い!















すいあげられた鯛。















観覧客がその場で次々と買って行く。















鯛の即売の風景。






















2隻の網船の間に張られた網。

船と船の間には緩衝材として黄色いブイを挟んでいる。




















網の中で跳ねる鯛。






















観覧船の上から、網船を見たところ。















鯛が踊っている。















品定めする観覧客。















鯛の即売会も終わりました。















片づけが始まりました。















網の中の鯛が、船の生簀へ移されます。















船の生簀へ移される鯛。















次々と鯛をすくい生簀へ移します。






















































鯛網が終わり、観覧船は、網船から離れます。






















網船。















鯛網の船団が引き上げていきます。















引き上げていく鯛網の船団。















観覧船は鞆港へ向かいます。

大きな黒屋根は、圓福寺。

ここは、かつて南北朝時代には大可島城が
あった、その跡地です。










弁天島。















鞆港の大可島から延びる波止(はと)。

1791年に大可島から90mの波止をつくり、
その後1824年には、現在見るように
総長144mの波止になりました。











大可島から延びる波止の先端。

昔からの石積みが残っている。













大波止先端の大岩がある。

波止の構造上、波にさらわれにくいと言う
意味もあると思うし、城壁に使われる鏡石の
ような意味もあるのかもしれない。











観覧船は、大波止の中に入り、鞆港桟橋へ
向かう。














鞆のシンボルの常夜灯が見える。

安政六年己未七月(1859年)に建造された。













桟橋に到着です。

鯛網観光には、鞆の観光ボランティアによる
無料の史跡めぐりツアーがついており、
それに参加します。

ガイドをしてくださったのは、鞆一番のベテラン
ガイドの宮本さん。









まずは、鞆の仙酔島渡船場へ行き、トイレ休憩。

朝来た時も見上げた福禅寺の対潮楼。













対潮楼の石垣の下には、万葉集の大友家持の歌碑がある。

「吾妹子が見し鞆の浦のむろの木はとこ世にあれど見し人
ぞなき」

妻と一緒に見た鞆の浦のむろの木は今も変わらず存在して
いるが、その妻はもういないと言う意味。

















そのむろの木の歌碑の説明板。























先ほど見上げた対潮楼がある福禅寺。

対潮楼は、福禅寺の客殿で、座敷からの
眺めは素晴らしく、1711年、朝鮮通信使の
従事官 李邦彦により、「日東第一形勝」と
賞賛されました。










この日は対潮楼へ上がりませんでしたが、別の日に撮影した日東第一形勝が以下。






















坂本竜馬率いる亀山社中のいろは丸が
紀州藩の明光丸と鞆沖合いで衝突し沈没した。
その談判に使用されたのが対潮楼と、
対潮楼以外の場所として、旧魚屋萬蔵宅が
ある。

その旧魚屋萬蔵宅が、今は、御舟宿いろは
として、改装されオープンしている。








鞆港。

雁木に腰掛けて休む観光客。

そして、海を隔てた正面に、常夜灯や雁木が
見える。










雁木のすぐ後ろにある住吉神社。















住吉神社に残る力石。

かつては船積荷物の陸揚げや積み込み
などに従事していた多くの仲仕がいました。

その仲仕達は祭礼の場などで、力石を使って
その力と技を競い合った。

その重さは、重い物で61貫(230kg)もある。







その住吉神社の近くには、ドラマ「流星ワゴン」で丸忠総業
として登場した建物があり、門には今でも丸忠総業の看板が
掛かっている。




















鞆港を見たところ。

雁木が残っている。













細い路地へ入ると、屋根際の辺りで壁が反り返っている
古い建物がある。

これは、ネズミの侵入を防ぐネズミ返しと言う事だ。



















ネズミ返し。






















この道をまっすぐ進んだ山の斜面にある赤い三角屋根の家は
崖の上の一軒家、ポニョが好きになった宗介の家のモデルに
なった楢村美術館です。




















古民家を利用したカフェ。















国の重要文化財の太田家住宅です。

この建物は、旧保命酒屋の中村屋が、拡張・
増築したが、明治に入り廻船業を営んでいた
太田家に継承され今に至っている。











玄関には、杉玉掛けも残っている。















隣の屋根から屋根伝いに泥棒の侵入を防止
する為でしょうか、建物の境に放射状の柵が
施されてます。













鞆のシンボルの常夜灯。















常夜灯の手前には、いろは丸展示館が
ある。

江戸時代に造られた太田家所有の大蔵を
展示館として利用している。

1867年、鞆沖合で坂本竜馬率いる
亀山社中のいろは丸が、紀州藩の明光丸と
衝突し沈没した。
そのいろは丸の沈没に関する展示がされて
いる。





鞆の町を案内して下さったガイドさんと別れ
いろは丸展示館へ入ってみた。

中には、いろは丸沈没現場を
70%スケールでジオラマ展示されてる。












ジオラマ展示の説明。




























いろは丸沈没現場のジオラマ展示。



















いろは丸沈没の説明。















潜水調査で引き揚げられた遺物。

沈没船がいろは丸と特定した決め手は、ドアノブの握玉の先の丸座が金属製で、
そこに「WHITEHOUSE'S PATENT BIRMINGHAM」と英文字で刻まれていた事。

これが決め手の
ドアノブ???


















2階には、竜馬が鞆に滞在していた際に
隠れていた隠れ部屋が再現されている。





















再現された隠れ部屋には、竜馬の精巧な
人形が設置されている。














右端に隠れ部屋が再現されている。















いろは丸模型。















観光鯛網は、鯛網だけでなく、鞆の史跡めぐりツアーもついてて、大満足で帰途につきました。





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