2018年の福山鞆の浦、観光鯛網の
最終日に
鯛網を見に行って来ました。
鞆の仙酔島渡船場前から、
対潮楼を見上げたところ。
対潮楼は、福禅寺の客殿で、
座敷からの眺めは素晴らしく、
1711年、
朝鮮通信使の従事官・李邦彦により、
「日東第一形勝」と賞賛されました。
仙酔島渡船場横の海岸から、
これから向かう仙酔島を
見たところ。
仙酔島の手前の島は弁天島です。
その弁天島です。
1617年に鞆の津を訪れた朝鮮通信使の
日記には「明秀奇絶」と記されています。
朱塗りの弁天堂(福寿堂)が建っている事から
弁天島と呼ばれています。
弁天島の弁天堂です。
この弁天島には、弁天島卒塔婆が残っており、
以下の話が伝えられています。
ある航海者が海中に家宝の太刀を落し、
それを取って来るように浦人に頼みます。
ある若者が名乗りを上げますが、
鱶に襲われ落命します。
銭百貫でその亡骸を弔い、
その時建てられたのが弁天島卒塔婆です。
仙酔島行きの渡船「平成いろは丸」へ
乗り込みます。
渡船「平成いろは丸」から、
仙水島を見たところ。
船内は、鯛網を見に行くのだろう、
子供達でいっぱいです。
出港した渡船「平成いろは丸」から
南西を見たところ。
黒屋根は、圓福寺です。
ここは、かつて南北朝時代には
大可島城があり、その跡地です。
渡船場をふり返ったところ。
弁天島です。
右が弁天島、左が仙酔島です。
弁天島です。
北から見たところ。
弁天島です。
弁天島です。
仙酔島の渡船場が見えてきました。
仙酔島へ到着です。
乗って来た平成いろは丸が見えます。
観光鯛網のスタート地点の田の浦へ向けて歩きます。
途中、海食門がありました。
田の浦へ到着です。
浜には、鯛網の船が出そろってます。
鞆の浦アイヤ節保存会の踊り手さん達に
よるアイヤ節が始まりました。
アイヤ節です。
アイヤ節です。
アイヤ節です。
アイヤ節です。
アイヤ節が終わると、
樽太鼓が始まりました。
船首で樽太鼓が打ち鳴らされます。
そして、乙姫様の登場です。
乙姫様が乗船されます。
乙姫様が、大漁を祈願し、
弁天竜宮の舞が始まります。
最初に大漁を祈願します。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞です。
弁天竜宮の舞が終わると、
餅投げが始まります。
乙姫様や、船に乗る男衆が餅をまきます。
餅投げの後は、いよいよ出航です。
これは、乙姫様が乗られる船です。
我々、観客も、観覧船へ乗り込みます。
出航の準備をする船です。
島の西の端です。
ここには、眼鏡岩と呼ばれる海食門が
ありましたが、
眼鏡の上部が崩落し、
その跡が残っています。
いよいよ出航です。
前に錨船、後ろに網船が進みます。
先頭の錨船です。
錨船は、網をおろして引き上げる網船の
錨の役目をする船です。
網船は、
真網、逆網と呼ばれる二艘の船からなり、
それぞれの錨船が、前を進みます。
眼鏡岩の跡です。
真網、逆網と呼ばれる二艘の網船です。
その後ろを、観覧船が進みます。
右端に二艘の網船がおり、
その前に二艘の錨船がいます。
その前方、左に指揮船がいます。
指揮船の後ろに、錨船、網船が続き、
旋回を開始します。
左端が指揮船で、船首は右を向いてます。
中央が錨船で、その後ろに網船が続きます。
左回りに旋回をしているので、
海面に左回りの航跡が見えます。
漕出式が始まりました。
手前が錨船で、中央が網船です。
右が錨船で、左が網船です。
中央が網船、右端に錨船です。
その向こうに指揮船がいます。
左端に乙姫様の船がついて回ってます。
左端が指揮船です。
中央が網船で、
右端が乙姫様の船です。
漕出式は、左回りに3回まわります。
漕出式が終わりました。
バックには、仙酔島が見えます。
仙酔島は、仙人も酔ってしまうほど美しい島
と言う事で名付けられた。
鯛網漁へ出発です。
錨船と網船です。
まず、弁天島を、左に見ながら、
北へ向かいます。
西には、大きな黒屋根の圓福寺が見えます。
ここは、かつて南北朝時代には大可島城が
ありました。
その跡地に圓福寺が建ってます。
弁天島を左に見ながら北へ進みます。
弁天島の北端を回る鯛網の漁団です。
弁天島の北端を見たところ。
北から弁天島を見たところ。
弁天島の北端を回りながら、
仙水島の眼鏡岩の跡を見たところ。
弁天島の北端を回り、
南下し漁場に向かいます。
仙水島です。
弁天島を左に見ながら南下します。
観覧船の前方を行く鯛網の漁団です。
先頭を行くのは警戒船です。
その後ろに、錨船と網船、
一番後ろに、乙姫様の船がいます。
先頭を警戒船、その後ろに錨船、網船、
一番後に乙姫様が乗った船が続きます。
その船団です。
網船の後ろを行く乙姫様の船です。
弁天島を南からふり返ったところ。
漁場へ向かう船団です。
仙水島をふり返ったところ。
錨船、網船、乙姫様の船と続きます。
そして旋回が始まりました。
漁場に到着です。
指揮船からの合図で、
網入れが始まりました。
2隻の網船が左右に分かれながら、
網をおろしていきます。
2隻の網船の内、右が真網、左が逆網と
呼ばれてます。
おろしている網は、
長さ1500m、深さ100mの
大きなものです。
二隻の網船の間、正面に見える船は、
大きい方が指揮船、
その手前の小さな船は生船です。
網入れの全景です。
右が真網、左が逆網です。
2隻の網船が網を広げていきます。
観覧船からの景色です。
正面が鞆の町、海を挟んで右が仙水島です。
鞆の町がある沼隈半島の南端の景色です。
沼隈半島、阿伏兎岬方向を見たところ。
先ほど網入れを開始した場所には
浮きが浮かんでおり、
生船が浮きに向かってます。
生船です。
何をしているのかわかりませんが、
何かチェックをしているように見えます。
生船と乙姫様の船です。
二隻の網船が円を描くように網をおろし
交わります。
右が真網で、正面が逆網です。
網しばりです。
網で囲った網を引き、網を絞っていきます。
網を引く網船(逆網)です。
網を引く網船(逆網)です。
右奥に見える船は、生船です。
徐々に網が絞り込まれていきます。
網を引く網船(逆網)です。
網を引く網船(逆網)です。
網を引く網船(逆網)です。
網を引く網船(逆網)です。
左前方の船は錨船です。
網を引く網船(真網)です。
網を引く網船(真網)です。
網を引く網船です。
右が真網で、左が逆網です。
逆網です。
真網です。
二隻の網船が網を引きます。
右が真網で、左が逆網です。
逆網です。
二隻の網船の距離が縮まります。
網船です。
手前が真網です。
男達が網を引いているのが見えます。
二隻の網船が徐々に近づいてきます。
奥右が逆網です。
その手前が真網です。
正面は、真網の錨船です。
真網と錨船は、ロープで繋がっています。
二隻の網船の距離が縮まります。
網の輪が、かなり縮まっています。
右が逆網で、左が真網です。
これから、交叉した網を戻す
ちがい戻しが始まります。
右が逆網で、左が真網です。
交叉した網を戻す為に
二隻の船が移動します。
右が真網で、左が逆網です。
船の位置が入れ替わります。
右が真網で、左が逆網です。
右が真網で、左が逆網です。
真網と逆網の位置が入れ替わりました。
右が真網で、左が逆網です。
ちがい戻し完了です。
船首と船首を向き合わせてた状態で
網を引きます。
網しぼりです。
大きな輪だった網が、小さくなっています。
船首をつけた状態で網を引きます。
網しぼりです。
男達が網を引き揚げます。
網しぼりです。
あれ、ここでビクが…?
毎日2回の開催では、
毎回大漁と言うわけには
いかないと思います。
網しぼりです。
網しぼりです。
網の範囲が狭まって行きます。
漁が終わったようです。
観覧船の客は、網船へ乗り移って
捕れた鯛を確認できます。
既に多くの観覧客が網船へ
乗り移っています。
網船へ乗り移るのは、順番待ちです。
網船で捕れた鯛を確認する観覧客です。
たくさんの鯛が、網の中で跳びはねています。
生きのいい鯛が玉網ですくわれて、
船の上へ、
そして、その場で、即売が始まります。
玉網にすくわれた鯛を
品定めする観覧客です。
網の中で跳ねる鯛です、
生きがいい!
すいあげられた鯛です。
観覧客がその場で次々と買って行きます。
鯛の即売の風景です。
2隻の網船の間に張られた網です。
船と船の間には緩衝材として黄色いブイを挟んでいます。
網の中で跳ねる鯛です。
観覧船の上から、網船を見たところ。
鯛が踊っています。
品定めする観覧客です。
鯛の即売会も終わりました。
片づけが始まりました。
網の中の鯛が、船の生簀へ移されます。
船の生簀へ移される鯛です。
次々と鯛をすくい生簀へ移します。
鯛網が終わり、観覧船は、網船から離れます。
網船です。
鯛網の船団が引き上げていきます。
引き上げていく鯛網の船団です。
観覧船は鞆港へ向かいます。
大きな黒屋根は、圓福寺です。
ここは、かつて南北朝時代には
大可島城がありました。
その跡地です。
弁天島です。
鞆港の大可島から延びる波止(はと)です。
1791年に大可島から
90mの波止をつくり、
その後1824年には、
現在見るように
総長144mの波止になりました。
大可島から延びる波止の先端です。
昔からの石積みが残っています。
大波止先端に大岩があります。
波止の構造上、波にさらわれにくいと言う
意味があると思うし、
城壁に使われる鏡石のような意味も
あるのかもしれません。
観覧船は、大波止の中に入り、
鞆港桟橋へ向かいます。
鞆のシンボルの常夜灯が見えます。
安政六年己未七月(1859年)に
建造されました。
桟橋に到着です。
鯛網観光には、
鞆の観光ボランティアによる
無料の史跡めぐりツアーがついており、
それに参加します。
ガイドをしてくださったのは、
鞆一番のベテランガイドの宮本さんです。
まずは、鞆の仙酔島渡船場へ行き、
トイレ休憩です。
朝来た時も見上げた
福禅寺の対潮楼です。
対潮楼の石垣の下には、
万葉集の大友家持の歌碑があります。
吾妹子が見し鞆の浦のむろの木は
とこ世にあれど見し人ぞなき
妻と一緒に見た鞆の浦のむろの木は
今も変わらず存在しているが、その妻はもういない
と言う意味です。
そのむろの木の歌碑の説明です。
先ほど見上げた対潮楼がある福禅寺です。
対潮楼は、福禅寺の客殿で、
座敷からの眺めは素晴らしく、
1711年、朝鮮通信使の
従事官、李邦彦により、
「日東第一形勝」
と賞賛されました。
この日は対潮楼へ上がりませんでしたが、別の日に撮影した日東第一形勝が以下です。
坂本竜馬率いる亀山社中のいろは丸が
紀州藩の明光丸と鞆沖合いで衝突し
沈没しました。
その談判に使用されたのが対潮楼と、
対潮楼以外の場所として、旧魚屋萬蔵宅です。
その旧魚屋萬蔵宅が、今は、御舟宿いろは
として、改装されオープンしています。
鞆港です。
雁木に腰掛けて休む観光客がいます。
そして、海を隔てた正面に、
常夜灯や雁木が見えます。
雁木のすぐ後ろにある住吉神社です。
住吉神社に残る力石です。
かつては船積荷物の陸揚げや積み込み
などに従事していた多くの仲仕がいました。
その仲仕達は祭礼の場などで、力石を使って
その力と技を競い合いました。
その重さは、重い物で
61貫(230kg)もあります。
その住吉神社の近くには、ドラマ「流星ワゴン」で
丸忠総業として登場した建物があり、
門には今でも丸忠総業の看板が掛かっています。
鞆港を見たところ。
雁木が残っています。
細い路地へ入ると、
屋根際の辺りで壁が反り返っている古い建物があります。
これは、ネズミの侵入を防ぐネズミ返しと言う事です。
ネズミ返しです。
この道をまっすぐ進んだ山の斜面にある
赤い三角屋根の家は、崖の上のポニョが好きになった
宗介の家のモデルになった楢村美術館です。
古民家を利用したカフェです。
国の重要文化財の太田家住宅です。
この建物は、旧保命酒屋の中村屋が、
拡張・増築しましたが、
明治に入り廻船業を営んでいた
太田家に継承され、今に至っています。
玄関には、杉玉掛けも残っています。
隣の屋根から屋根伝いに
泥棒の侵入を防止する為でしょうか、
建物の境に放射状の柵が
施されています。
鞆のシンボルの常夜灯です。
常夜灯の手前には、いろは丸展示館が
あります。
江戸時代に造られた太田家所有の大蔵を
展示館として利用しています。
1867年、鞆沖合で坂本竜馬率いる
亀山社中のいろは丸が、紀州藩の明光丸と
衝突し沈没しました。
そのいろは丸の沈没に関する
展示がされています。
鞆の町を案内して下さった
ガイドさんと別れ
いろは丸展示館へ入ってみました。
中には、いろは丸沈没現場を
70%スケールでジオラマ展示
されています。
ジオラマ展示の説明です。
いろは丸沈没現場のジオラマ展示です。
いろは丸沈没の説明です。
潜水調査で引き揚げられた遺物です。
沈没船がいろは丸と特定した決め手は、ドアノブの握玉の先の丸座が金属製で、
そこに「WHITEHOUSE'S PATENT BIRMINGHAM」と英文字で刻まれていた事です。
これが決め手の
ドアノブ???
2階には、竜馬が鞆に滞在していた際に
隠れていた隠れ部屋が再現されています。
再現された隠れ部屋には、
竜馬の精巧な人形が
設置されていました。
右端に隠れ部屋が再現されています。
いろは丸模型です。
観光鯛網は、鯛網だけでなく、鞆の史跡めぐりツアーもついてて、大満足で帰途につきました。