毎年1月20日は、厳島神社の摂社、
大元神社で百手祭が行われます。
朝起きた時は、小ぶりの雨でしたが、
昼前には、雨はあがると言う予報でしたので
百手祭に出かけて来ました。
宮島口からフェリーに乗り、宮島へ向かいます。
宮島は、雲に覆われてます。
フェリーから
南西方向、大野瀬戸方向を見たところ。
西から晴れて来ているように見えます。
本土側を見たところ。
雲に覆われた宮島です。
牡蠣筏が見えます。
宮島です。
靄の中に、朱の大鳥居が見えます。
その大鳥居です。
満潮で、大鳥居の高さが低く見えます。
灰色の世界に、朱の鳥居が目を引きます。
後ろに浮かび上がる山は、弥山です。
海上には、カモメが飛んでいます。
黒い大きな屋根は千畳閣で、
その隣に五重塔が見えます。
宮島のフェリー桟橋に到着し、
厳島神社へ向かう海岸沿いの道を進みます。
途中、大鳥居を見たところ。
石灯篭が、海岸に沿って並んでいます。
その向こうに大鳥居を見たところ。
その大鳥居です。
大鳥居です。
厳島神社です。
推古天皇元年(593年)、
佐伯鞍職により、創建されました。
厳島神社です。
そして、仁安元年(1166年)頃、平清盛により、
現在の寝殿造りの姿に造営されました。
この日は、厳島神社へは寄らず、
直接、大元神社へ向かいます。
写真は、厳島神社入口近くの神馬舎です。
かつては、神社に馬を奉納され、
ここで飼われていましたが、
今では木製の白い馬が置かれています。
実際に馬の奉納は大変で、絵馬を奉納するように
時代は変わってきています。
厳島神社の境内に沿った道を進みながら、
厳島神社の客神社本殿を見たところ。
潮が満ちているのがわかります。
厳島神社と反対側、塔の岡を見上げれば、五重塔が見えます。
厳島神社です。
右が客神社本殿、左に朝座屋、その間に東廻廊が
見えます。
回廊の床下まで、潮が満ちています。
右側が、厳島神社の客神社です。
厳島神社です。
厳島神社の境内に沿った道を進んで行くと、
尻上がりの狛犬がいます。
この尻上がりの狛犬の間を抜けて進むと
行き止まりです。
行き止まりの前から、厳島神社御本社本殿を
見たところ。
更に、厳島神社の境内に沿った道を進んで行くと、
二本の注連柱が張られています。
ここを下りる事はできませんが、
もし、下りって進むと長橋があります。
その長橋です。
かつて、厳島神社御本社裏の御供所から
神饌が運ばれる時に使用されていました。
別の角度から見た長橋です。
中央は大国神社です。
左から天神社、大国神社、御本社本殿です。
そして、右は天神社、左は反橋です。
厳島神社の境内の外から、反橋を見たところ。
厳島神社の境内に沿った道を進んで行き、
御手洗川を渡って、厳島神社の出口方向に
歩いて行きます。
正面に、大願寺の仁王門が見えます。
左は大願寺の仁王門、右は護摩堂です。
正面は、伊藤博文が植えた九本松です。
その向こうに、本堂があります。
厳島神社の出口横から五重塔を見たところ。
その出口の反対側の横から五重塔を見たところ。
そして、海岸へ出て、
厳島神社、五重塔を見たところ。
そして、南西の高台にある多宝塔を見上げたところ。
御手洗川を歩いている鹿です。
一月の川の水は、冷たいと思うけど、なぜ?
厳島神社から、経ノ尾を超えて、大元神社へ続く道です。
途中、宮島歴史民俗資料館があります。
宮島歴史民俗資料館です。
江戸時代後期から明治期にかけて
醤油の醸造を営み、
豪商と言われた旧江上家の母屋と土蔵を
展示施設として利用しています。
経ノ尾を超えて大元神社へ向かう道です。
朝早くから百手祭の準備をされていたのでしょうか、
神職の方々が、歩いて来られてます。
途中、宮島水族館 みやじマリンを過ぎて、
大元神社の手前までやって来ました。
道端には石灯篭がたってます。
大元神社は、大元公園の中に有り、
鳥居がたっているのが見えます。
公園には、紅い梅が咲いてました。
大元神社の鳥居です。
鳥居を過ぎて、ふり返ったところ。
大元神社の拝殿です。
そして、木の陰で見えにくいけど、
本殿が見えてきます。
拝殿横の狛犬です。
阿形の狛犬で、股間を見ると、
男性器が彫られており、めずらしい。
その反対側の狛犬です。
吽形の狛犬です。
股間には何も掘られて無いので、女性と言う事かな?
大元神社には、百手祭の準備の為に
既に多くの人達が集まっています。
拝殿の手前では、破魔矢が売られています。
その破魔矢です。
自宅へ帰って撮影しました。
大元神社の拝殿です。
そして、木の陰で見えにくいですが
本殿も見えます。
大元神社の拝殿です。
大元神社の創建は不明ですが、
厳島神社よりも古いとされています。
御祭神は、以下です。
・佐伯鞍職…厳島神社を創建した人物です。
・国之常立神…全ての存在の根源で、
「混沌」から生まれた最高神です。
・大山祇神 …山の神です。
そして、瀬戸内海の鎮守として
海の神としての側面も持ちます。
拝殿の内部です。
大元宮の扁額が掛かっています。
拝殿を通して、その向こうに見えるのが本殿です。
拝殿には、「御島廻」とか「御島回」とか
書かれた奉納額が、たくさん掛かっています。
御島廻とは、佐伯鞍職が厳島神社を創建した
伝承の神事です。
厳島神社に伝わる伝記によると、
厳島神社の御祭神、伊都岐島神は、
自らが鎮座する場所を探していました。
その時、一羽のカラスが現れて
伊都岐島神が乗る船を先導し、
現在の厳島神社の場所へ案内をしました。
その時、宮島内の9ヶ所を回ったとされる事から
毎年5月15日に厳島神社の神職の方々が、
御師船と呼ばれる船へ乗船し、
その9ヶ所を巡拝します。
拝殿内には、奉納された木製の馬が置かれています。
歴史を感じる釣太鼓もあります。
百手祭の的を準備する人達です。
準備する人達の暖を取る為に、
焚き木がたかれています。
餝飯(ほうはん)が準備されています。
この大元神社がある大元公園の鹿です。
宮島の鹿には、野性を保つ為、
餌やりが禁止されています。
大元公園にある大元神社です。
百手祭の的が準備されました。
百手祭は、
かつて、厳島神社の境内にあった輪蔵(経を納めていた蔵)で、
御弓始(おゆみはじめ)と言う儀式があり、
また、大元神社では百手射る儀式が行われていました。
その二つの儀式を一体化し、現在の百手祭になっています。
ちなみに、矢を射る時の一手は、最初に射る甲矢(はや)と
次に射る乙矢(おとや)の2本を指します。
よって、百手祭は、百手200本の矢を射る儀式でした。
しかし、今日では、省略され4手8本の矢を射て終わってます。
百手祭の的の裏の文字です。
鬼に似てますが少し違います。
この文字は、
「甲」、「乙」、「ム(無)」の三つの文字を
組み合わせた謎文字で、「甲乙無し」、
すなわち、「年初めから争わない」と言う
意味を込めたものです。
そして、拝殿の前には、神様にお供えする
神饌の説明がありました。
百手祭の神饌は、煮炊きした熟饌が供えられ
めずらしいと言う事です。
次は、客人、及び、一般膳の展示と、説明です。
客人、及び、一般膳の展示です。
客人、及び、一般膳の説明です。
先ほどの神饌と比較すると、
並べ方は異なりますが、
内容は、ほぼ同じようです。
材料や料理方法は、
昔から定められていて餝飯といい、
戦国時代の兵糧食だとも言われてます。
神職をはじめ、関係者が拝殿につき、
百手祭の儀式が始まります。
地域関係者だけでなく、人数に限りがありますが、
拝殿に入って儀式に参加する事もできます。
まずは、修祓(しゅうばつ)と言って、
祭事に先立って行う清めの儀礼が始まりました。
拝殿の中に入れなかった人も、
本殿に向かい参加します。
拝殿内部は、外から見にくいですが、
神饌を本殿に供える献饌(けんせん)が
始まりました。
神職により、神饌が手送りされます。
そして、神饌を目通りに上げ、
本殿へ。
更に手送りされ、本殿の神様へ供えられます。
ちなみに、手送りする事を、デンクと言います。
献饌(けんせん)の次は、祝詞(のりと)が
奏上されます。
拝殿の前で参加する人達です。
いよいよ鬼射が始まります。
一般の人は、ロープが張られたエリアまで下がり、
弓を射る神職の方が、拝殿から出て来られます。
神職の方が、弓を持たれています。
弓を手に神職の方が、拝殿から出て来られました。
そして、鬼射の前に、一礼します。
介添えより、矢を受け取ります。
最初は、「天」「地」を射る型をし、
次に「天」を射ます。
足踏み
足を開き、正しい姿勢を作ります。
胴造り
弓を左膝に置き、右手は右の腰にとります。
弓構え
右手を弦にかけ、左手を整えてから的を見ます。
打起し
弓構えの位置から、静かに両拳を
同じ高さに持ち上げます。
「天」を射る型をし、
「地」を射る型をし、
そして、「天」を
射ます。
次に、「左」「右」を射る型をし、
そして「左」を射ます。
まず、足踏みから、胴造りに移行します。
胴造り
弓を左膝に置き、右手は右の腰にとります。
打起して、
「左」を射る型をします。
次は、右を向き
「右」を射る型をします。
そして、再び、左を向き、打起し、
引分け
会
離れ、
残心。
「左」を射ました。
次は、的に向けて、2手(4本)の矢を射ます。
2本の矢を受け取ります。
最初は甲矢(はや)です。
足踏み
足を開き、正しい姿勢を作ります。
胴造り
弓を左膝に置き、右手は右の腰にとります。
弓構え
右手を弦にかけ、左手を整えてから的を見ます。
打起し
弓構えの位置から、静かに両拳を
同じ高さに持ち上げます。
引分け
打起した弓を、左右均等に引分けます。
会
引分けが完成し、心身が一つになり、
発射のタイミングが熟すのを待ちます。
離れ
胸廓を広く開いて、矢を放ちます。
残心
矢が放たれた時の姿勢をしばらく保ちます。
そして、次は乙矢(おとや)です。
足踏み
足を開き、正しい姿勢を作ります。
胴造りを行い、
弓構えし、的を見ます。
そして、打起し、
引分け、
心身が一つになり、
発射のタイミングが熟すのを待ちます。
それを、会と言います。
矢を放ちます。離れです。
しばらく、矢が離れた時の姿勢を保ちます。
残心と言います。
そして、二手目に入ります。
二手目の甲矢(はや)です。
足踏みをし、
胴造りをします。
弓構え
打起し
引分け
会
離れ
次は二手目の乙矢(おとや)です。
足踏みをし
胴造りへ
そして、弓構えし
打ち起こします。
引分け
会
離れ
カメラのシャッターのタイミングが合い
飛んで行く矢を捉える事ができました。
次は、「地」「天」を射る型をし、
「左」を射ます。
足踏み
胴造り
弓構え
打起し
引分け
「地」を射る型をします。
引分けた弓を戻します。
そして、「天」を射る型をします。
弓を引き
引分け
弓を戻します。
そして、次は「地」を射ます。
弓を引き、
地に向け矢を放ちます。
最後に、「右」「左」を射る型をし、
「右」を射ます。
胴造りし、弓構えします。
打起し、
弓を引き、
引分け、弓を戻します。
次は、「左」を射る型です。
引分け、
弓を戻します。
最後に、「右」に向き矢を射ます。
打ち起こし、
弓を引き、
引分け、
弓を戻しながら、
矢を放ちます。
鬼射が終わり、礼をし、
拝殿へ戻ります。
鬼射の後は、玉串奉典です。
ちなみに、玉串とは、神様が宿るとされる榊の枝に
紙垂(しで)を結びつけたものです。
その後は、撤饌(てっせん)です。
撤饌(てっせん)とは、
お供えした神饌を下げる事です。
献饌(けんせん)の時と同様に、手送りです。
撤饌は、目通りの高さで、受け渡しします。
撤饌を持っている人は、礼をしないのが作法に
なってます。
そして、最後に、御幣(ごへい)を戴きます。
御幣(ごへい)とは、白色、金、銀などの紙を
細長く切った紙垂(しで)を幣串(へいぐし)に
挟んだものを言います。
頭を下げ、頭の上に御幣(ごへい)を戴きます。
拝殿へ入れなかった参列者も御幣(ごへい)を
戴きます。
また、御神酒(おみき)も振舞われておりました。
これは、頂いた御神酒です。
鬼射の的です。
よく見ると、矢が当たった痕がわかります。
伝統のある的なのでしょう。
補修を行い毎年使用されているようです。
大元神社の本殿です。
中国地方最古の三間社流造りと考えられてます。
また、本殿の屋根は、六枚重三段葺きと言う
現存する建物の中でめずらしい柿葺屋根が特徴で
大元葺きと呼ばれてます。
そして、国の重要文化財に指定されています。
百手祭が終わり、大元神社では、直会(なおらい)が
行われます。
一般の参拝者も抽選で当たれば、参加できますが
外れたので帰る事にします。
大元神社から海岸に出て、東を見たところ。
厳島神社裏から流れてくる御手洗川の河口が
見えます。
御手洗川の左側の陸地は、過去の土石流で
流れ出た土砂で埋め立てられ、
今では西の松原となってます。
ヒヨドリガモ(♂)が、一匹だけ、泳いでます。
仲間はどうしたのだろうと思って歩いていたら、
御手洗川の河口に、たくさん仲間がいました。
ヒヨドリガモ(♂&♀)が群れてました。
ヒヨドリガモです。
御手洗川を、西の松原に渡ると、
清盛神社があります。
その清盛神社です。
1954年(昭和29年)の創建です。
西の松原を厳島神社方向へ歩きながら
海岸から大鳥居を見たところ。
西の松原の石灯籠です。
1743年に広島城下の商人4人によって
108の石灯籠が建てられ、現在の西の松原の
原型となったとの事です。
西の松原から見た厳島神社です。
西の松原から見た五重塔です。
西の松原から見た厳島神社と五重塔です。
厳島神社境内に沿った外周路を進んで行きます。
反橋です。
今朝、見た時は満潮でしたが、今は、潮が引いています。
厳島神社 天神社です。
厳島神社境内の大木です。
右側に客神社本殿、正面に東廻廊が見えます。
宮島フェリー桟橋へ向かいながら
宮島の対岸を見たところ。
山腹の白い建物は、海の見える杜美術館です。
フェリーに乗り、宮島対岸の宮島口へ
到着しました。
今日1月20日は、1月の第3日曜日、
天皇杯 ひろしま男子駅伝の日です。
ここ宮島口ロータリーは、第3中継所になっており、
約30分後には先頭ランナーがやって来ます。
先導の白バイがやって来ました。
トップは群馬県です。
2位は神奈川県で、3位は地元、広島県です。
広島県の3区走者は、世羅高校出身、
青山学院大の吉田圭太選手です。
2019年箱根駅伝では9区を走り、
区間賞を獲得しています。
ひろしま駅伝では、12人抜きで
順位を3位に押し上げる大活躍です。
そして、広電の電車に乗って、ひろしま駅伝の
最終区を見に、広島市街へ向かいます。
最終区の沿道で、トップを待ち受けます。
1位は福島県、ランナーは東洋大学の相沢晃です。
2019年箱根駅伝では4区を走り、
区間新記録の活躍をしています。
ひろしま駅伝では、区間賞の走りで、
福島県を東北勢初の優勝に導いてます。
4位の広島県です。
ランナーは、中国電力の藤川拓也です。
踏ん張って、5位から4位に順位を
押し上げました。
7位の愛知県です。
ランナーは、服部勇馬です。
第72回 福岡国際マラソンで、
2時間7分27秒の記録で優勝しました。
日本人としては14年ぶりの優勝を果たしてます。
今年は、広島県の活躍や、国内有力選手の
走りを見る事ができ、良かったです。