いつも、普通に平和公園と言っていますが、正式には平和記念公園と言います。
1945年8月6日に広島に原爆が落とされ、広島の町は廃墟となり、
多くの人々が犠牲になりました。
それから51年後の1996年に、平和公園内にある原爆ドームは、
世界に核兵器の惨禍を伝える建築物として、世界文化遺産に登録されました。
私が初めて、平和公園に来たのは、5歳の頃の事、
広島へ夜に着いて、初めて原爆ドームを見た時、
子供心に怖いと言う印象を持った場所です。
それから、大人になり、広島に住むようになり、何度も平和公園を訪れています。
平和公園は、東に元安川、西に本川で挟まれた
州の中にあります。
平和公園の西側の本川橋を渡って
平和公園に入ります。
本川橋の上から、川上を見たところ。
右側が平和公園です。
本川橋からまっすぐ東に向かい
公園内に入ります。
平和公園に入り、南を見たところ。
建物は、広島平和記念資料館です。
原爆死没者慰霊碑を西から見たところ。
原爆死没者慰霊碑です。
「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」
と碑文があります。
そして、私が訪問したこの日、
2010年11月17日の慰霊碑前には、
イスラエルの副外務大臣のDanny Ayalonの花束が
供えられていました。
慰霊碑の前から、まっすぐ前を見ると、
その先には原爆ドームが見えます。
資料館の前から慰霊碑、
そして、その向こうの原爆ドームを
見たところ。
慰霊碑と、
その向こうの原爆ドームです。
この慰霊碑の形は、
原爆犠牲者の霊を雨露から
守りたいと言う思いから、
埴輪の家型を模しています。
そして、慰霊碑の石室には、
原爆死没者の名前を記した名簿が
納められています。
原爆の子の像です。
2歳の時に被爆した佐々木禎子さんは
元気に成長しましたが、
小学校6年の時、突然、白血病を発症し
入院しました。
回復を願って鶴を折り続けましたが、
12歳で亡くなってしまいます。
禎子さんの死をきっかけに、
原爆で亡くなった子ども達の霊を慰め、
平和を願って、像をつくる運動が起こり、
全国からの募金で、この像が完成
しました。
この像の周りには、世界各国から寄せられた
千羽鶴が捧げられてます。
原爆の子の像です。
多くの千羽鶴が捧げられている事から、
千羽鶴の塔とも呼ばれています。
広島記念公園レストハウスです。
1Fは、観光案内所になってます。
この建物は、かつて、
大正呉服店の店舗として建てられ、
原爆投下当時は、燃料配給統制組合の
燃料会館として使用されていました。
被爆建物として残る数少ない建物の
ひとつです。
元安川越しに原爆ドームを見たところ。
原爆ドームです。
元安川越しに、南から
原爆ドームを見たところ。
元安橋の上から、
原爆ドームを見たところ。
元安橋を渡り、川沿いを
原爆ドームへ向かいます。
南から原爆ドームを見たところ。
南西から見たところ。
北西から見たところ。
北から見たところ。
北から見たところ。
南東から見たところ。
平和公園は、広島のど真中にあります。
そして、その原爆ドームのすぐ北側には、
昔の広島市民球場がありました。
現在は、広島駅近くに新しい球場として
Mazda Zoom Zoomスタディアムが完成し、
旧広島市民球場は、取り壊されてしまいました。
その旧広島市民球場です。
また、その近くには、広島城があります。
原爆で焼失し、現在は復元されたお城です。