姫路城へ行って来ました。
新幹線で姫路駅に到着すると、駅の構内に松原八幡神社の
灘のけんか祭りで使用された松原屋台が展示されています。
また、姫路城の模型もあります。
姫路駅の北口を出ると、
正面に姫路城が見えます。
ちなみに、姫路駅の北口は、
最近、姫路城口とも呼ばれる
ようになったようです。
姫路駅から姫路城へ向かう大手前通りを北上します。
この大手前通りには、彫刻の芸術作品が設置されてます。
別名、「彫刻のあるシンボルロード」とも呼ばれてます。
この彫刻は、
想
日高頼子
です。
この彫刻は、
梟家族’89
手塚登久夫
です。
大手前通りにあった姫路城のマップです。
大天守鯱瓦です。
小林平一・義一 親子
この道(城南線)を渡ると、内堀脇に出ます。
姫路城の内堀です。
東方向を見たところ。
前方の内堀に架かる橋は桜門橋です。
桜門橋です。
その右手には、大手門が見えます。
桜門橋です。
その向こうには、姫路城の天守閣が見えます。
大手門と桜門橋の説明です。
2007年に復元された桜門橋です。
桜門橋上から西側、内堀を見たところ。
大手門です。
昭和13年に完成したもので、江戸時代のものと
位置や大きさが異なります。
大手門横の石垣に開いた水路です。
大手門です。
本柱2本と、本柱の後ろへ控柱を立てる
高麗門の形式をとっています。
高麗門は、本柱が支える切妻屋根とは別に、
これと直角に、控え柱の上に
左右二個の切妻小屋根がかけられています。
大手門を抜けたすぐ目の前には、
三の丸広場が広がっています。
そして正面には、姫路城の天守が見え、
思わず写真を撮りたくなります。
その天守です。
今は広場になってますが、
かつて、ここ三の丸には、
向御屋敷(むかいおやしき)と呼ばれた
藩主の下屋敷、
御居屋敷(おいやしき)と呼ばれた
藩主の日常の住まい、兼、藩政を執り行う
役所の上屋敷、
そして、本多忠刻と千姫の新婚夫婦の為の
武蔵野御殿が立ち並んでいました。
かつて、屋敷が並んでいた三の丸広場を通って
入城口へ向かいます。
見る角度により、城の見え方が変化します。
入城口の手前に展示されていた旧西大柱です。
その旧西大柱の説明です。
旧西大柱です。
昭和大修理(昭和31年-昭和39年)の際に取り換えられ、
築城以来、天守を支えてきた柱として展示されています。
入城口へ向かいます。
入城口を入ると、菱の門が見えてきます。
片側だけ石垣の上に乗る
珍しい安土桃山様式の城門であり、
姫路城の中で最大の櫓門です。
その菱の門です。
冠木に花菱の紋が施されており、
名前の由来となっています。
正面二階には、黒漆塗りに金の飾り金具で
装飾された三連の格子窓、その両側に釣鐘型の窓、
そして、右側には白漆喰塗の出格子窓が
並んでいます。
釣鐘型の窓は、華燈窓(かとうまど)と言って、
金閣寺や銀閣寺、等、格式の高い禅宗の寺で
良く見かける形式です。
豪華で格調高い門でとなっています。
菱の門を入ると三国掘があり、
その向こうに天守が見えます。
三国掘です。
菱の門をふり返ったところ。
菱の門の先に、いの門が見えます。
いの門です。
高麗門の形式をとっています。
いの門を入り、
天守を見たところ。
いの門を入り、すぐ右手にある井戸です。
そして、正面にろの門が見えます。
ろの門へ向かって進みながら、
天守を東から見たところ。
ろの門を抜けて、天守を見たところ。
ろの門を抜けると、道は二手に分かれます。
左へ行くと西の丸へ、右へ行くと天守へ向かう将軍坂です。
この将軍坂は、
松平健主演の時代劇「暴れん坊将軍」のロケ地として
良く使われた事から、そう呼ばれるようになりました。
将軍坂を登って行くと、はの門が見えてきます。
そのはの門です。
はの門を抜け、ふり返ってはの門を見たところ。
この門は、櫓門の形式をとっており、
両側の石垣の上に、
櫓が乗っているように見えますが、
実際はそうではなく、
柱で支えられています。
そして、敵が攻め込んで来た時は、
門扉を閉め、両側の石垣を崩し、
扉を開けなくする工夫がされています。
はの門を抜け天守へ向かう道です。
この道の先で、左右に道は分かれ、
左に進むと、目の前の高い石垣に阻まれる為、
どうしても右に進みたくなります。
しかし、その先は徐々に狭くなり、
右側の塀はなくなり、高い石垣の崖の上に出ます。
もしも大勢で攻め込むと、
押しかける味方に、誤って石垣の上から、
突き落とされる事になります。
よって、天守に向かうには、
目の前に石垣が立ちはだかろうとも、左の道を進みます。
そして、石垣に突き当たると、折り返すように道があり、
その道を登って行きます。
はの門を抜け天守へ向いながら、
大天守西側の大千鳥破風の鯱瓦を見たところ。
その道の際に咲いていたアヤメ科のシャガです。
城内の美観維持の為に植えられたと
思って見ていたら、どうも違うようです。
草鞋を履いた足で、この花を踏むと
非常に滑りやすく、
また、転倒後、起き上がろうと、
この花をつかむと抜けやすい、
城の防御の為に植えられた花と言う事です。
分かれ道を左にとり、
高い城壁に突き当たり、
そのまま折り返すように
道なりに登って行きます。
次に見えてきたのが、にの門です。
にの門です。
ふり返って、天守を見たところ。
右が西小天守です。
その陰に隠れるように大天守が見えます。
にの門です。
門柱、冠木、大戸、くぐり戸、全て鉄板で覆われた櫓門です。
にの門です。
左は、鉄板に覆われた大戸です。
門の中は、天井が低く、右に折れ曲がっています。
にの門を抜けて、
にの門をふり返って見たところ。
にの門を抜けると、北西腰曲輪に出ます。
その先は、ほの門です。
ほの門は、土塀の下の石垣を切り欠いて門とした
埋門(うずみもん)です。
ほの門の手前から、乾小天守を見上げたところ。
乾とは、北西を意味します。
ほの門を抜け、乾小天守の石垣を見上げたところ。
その石垣には、金網で覆われた白い石があります。
その白い石は、姥が石です。
羽柴秀吉が、この地へ城を建てる時、
石が不足し困っていたところ、
城下で焼き餅を売る老婆が、
店にあった古い石臼を献上しました。
この話が城下で評判となり、
人々は競って石を寄進したと伝えられています。
ほの門を入り、
折り返したところにある門が、水の一門です。
ほの門と水の一門の間にある壁が、油壁です。
姫路城の白い漆喰塗籠めの壁の中で、
ここだけが茶色い築地塀となっています。
水の一門です。
両側の鏡柱に冠木を渡し、
切妻屋根を掛けただけの簡素な棟門です。
なぜ門の名前に水の文字が入っているのか?
天守北側の多聞櫓に井戸があり、
いざ籠城となった折りは、
水の一門以降の六つの門を通って、
水を天守へ運ぶ事になります。
次に続く門は、水の二門です。
水の一門と同様に棟門です。
水の二門の西側に櫓があります。
寄せ手の侵攻を遅らせる為に、
櫓を通路側にせり出させ
門の幅を狭めています。
水の二門を抜けると、その向こうに、
水の三門が見えます。
土塀の下の石垣を切り欠いて門にした
埋門です。
水の三門です。
水の三門から、水の二門をふり返ったところ。
右は、乾小天守です。
水の三門を出て、西小天守をふり仰いだところ。
西小天守の向こうに見えるのは、大天守です。
この階段を上り、右に折れると、
水の四門があります。
水の四門です。
この門も、埋門です。
水の四門を出ると、
すぐに左へ折れ曲がり、上りの階段があります。
水の四門を抜け、西小天守を見上げたところ。
水の五門です。
大天守と、西小天守を結ぶ渡櫓の下の櫓門です。
水の五門を入ると、
すぐに左へ折れ、水の六門があります。
水の六門を入った正面です。
この右手に厠があります
西小天守と乾小天守を結ぶ
ハの渡櫓へ階段を登ります。
ハの渡櫓の内部です。
乾小天守から西を見たところ。
真下に見える屋根は、
水の二門の西側の櫓の屋根です。
乾小天守内に展示されている姫路城の模型です。
姫路城の模型です。
乾小天守から北側、北腰曲輪を見たところ。
乾小天守と東小天守を結ぶロの渡櫓の内部です。
ロの渡櫓の西側、水の一門を下に見たところ。
その横に油壁、及び、ほの門も見えます。
ロの渡櫓の中の展示物です。
七三桐紋鬼瓦(大天守五重南中央降棟)、
及び、七三桐紋四半瓦(備前丸より出土)が
展示されています。
波紋鬼瓦(大天守五重大棟西側)、
及び、沢瀉紋鬼瓦の展示です。
東小天守の内部です。
北側の武者走りです。
東小天守に展示されている軸組構造模型です。
この模型は、昭和の大修理工事の折りに、
大天守の解体修理の為に
実物の1/20サイズで制作されました。
東小天守の南側、イの渡櫓へ出てすぐの階段です。
イの渡櫓から、との一門を見下ろしたところ。
このとの一門を出ると、
写真に写ってませんが、枡形があり、
右に折れると、との二門があります。
また、右端に見える小さな門は、ちの門です。
イの渡櫓です。
前方の階段と扉は、大天守への入り口です。
二重扉になっています。
大天守へ入ります。
大天守一階、北側の武者走りです。
左側の内陣との壁は、武具掛けとなっています。
大天守一階、北西の内陣との壁際には、
二階へ上がる階段があります。
大天守一階、西側の武者走りです。
右側(西側)には、二の渡櫓への出入り口があり、
ここも二重扉になっています。
左側の階段は、大天守地階へ下りる階段です。
先ほどの二階への階段を上り、
西側の武者走りを見たところ。
大天守二階、西側にある破風の間です。
大天守二階、内陣の中です。
わかりにくいですが、
三階へ上がる階段も見えます。
大天守二階、南側の出格子窓です。
その出格子窓の下面には、石落としの蓋がついています。
大天守二階、内陣の中にある武具庫です。
大天守二階の説明です。
階段を上り、大天守三階の内部を見たところ。
中央には、三階の説明があり、
その横の大きな柱は、
東大柱です。
東大柱です。
中央右の柱は、東大柱です。
その向こうに、四階への階段があります。
その階段横に、西大柱があります。
大天守四階への階段を登りながら、
三階を見下ろしたところ。
大天守四階です。
手前の柱が西大柱です。
その向こうに、五階へ上がる階段があり、
その横に東大柱があります。
大天守四階の説明です。
大天守四階、北側の石打棚です。
東西に大千鳥破風があり、
四階の窓の位置が髙くなっている為、
石打棚を設けて、監視や射撃できるように
窓を使えるようにしています。
その石打棚の両側には、破風の間があります。
写真には、北西の破風の間が見えます。
北側の石打棚へ上がる階段です。
大天守五階への階段を上がり、
階段をふり返ったところ。
大天守五階の北側を見たところ。
大天守五階、西側の軒唐破風の間です。
大天守五階、南側の破風の間の窓です。
大天守六階へ上ります。
大天守の外観は、五層ですが、
実際は六層地下一階の作りとなっています。
最上階の六階には、形部神社(長壁神社)が
祀られています。
この刑部神社は、姫路城が建てられる前から、
姫山へ祀られていた神社です。
大天守六階、西側の窓から、
百間廊下を見たところ。
大天守六階、西側の窓から、
乾小天守を見下ろしたところ。
大天守六階、西側の窓から、下に見える堀は、
三国堀です。
その向こうには、西の丸が見えます。
大天守六階、西側の窓から、下に三国堀、
その向こうに西の丸、
その外周西側に百間廊下が見えます。
大天守六階、南側の窓から、
南西を見たところ。
写真右よりに三国堀、
その向こうに菱の門が見えます。
大天守六階、南側の窓から、
鯱瓦を見たところ。
大天守六階、南側の窓から、南を見たところ。
すぐ下の広場は、本丸(備前丸)、
その下の広場は、二の丸、
更にその向こうの広場は、三の丸広場です。
大天守六階、南側の窓から、鯱瓦を正面に見たところ。
大天守六階、南側の窓から、鯱瓦を見たところ。
下に見える広場は、三の丸広場です。
大天守六階、南側の窓から、南東を見たところ。
正面、堀を挟んだ両側のエリアは、
姫路市立動物園です。
大天守六階、南側の窓から、南東を見たところ。
大天守六階、東側の窓から、東を見たところ。
堀を隔てて見える建物は、姫路市立美術館です。
大天守六階、北側の窓から、北を見たところ。
シロトピア記念公園が見えます。
眼下には、東小天守、
その向こうに北腰曲輪の多聞櫓が見えます。
大天守六階、北側の窓から、鯱瓦を見たところ。
大天守六階の内陣の中は、人でいっぱいです。
中央には、
先ほどの形部神社(長壁神社)が見えます。
内陣の外側、廻縁も、人でいっぱいです。
大天守六階から五階へ下ります。
姫路城の外観は五階建てに見えますが、
実際は六階建てです。
五階が、隠し階のようになっており、
攻め手を混乱させる目的と考えられています。
大天守五階の東側の軒唐破風の間を見たところ。
大天守五階、西側を見たところ。
写真ではわかりにくいが、写真中央に西大柱があり
この五階が西大柱の最頂部となっています。
東大柱も同様に五階が最頂部となっています。
大天守五階から四階へ下ります。
大天守四階、西側の石打棚です。
大天守四階、南西の比翼千鳥破風内の窓から外を見たところ。
大天守四階から三階へ下りる階段の踊り場から、
三階の内陣を見たところ。
大天守三階、北側の石打棚へ上がる階段です。
大天守三階の西側の窓です。
姫路城には、スマホをかざすと
姫路城の魅力を説明するARアプリが起動する
ARマーカーサインが設置されています。
ARとは、Augmented Realityの略で、
拡張現実の事です。
この窓の前に、
「宮本武蔵の妖怪退治」の
ARマーカーサインがありました。
その「宮本武蔵の妖怪退治」の話は以下。
宮本武蔵が姫路城で足軽奉公していた時、腕の立つ武芸者と気づかれ、妖怪退治を命じられます。
天守に登ると三階ですさまじい炎に襲われ、太刀に手をかけると異変は収束します。
そして、4階でも同様の出来事に遭遇し、天守最上階まで登りますが、誰もいません。
朝まで待ちますが何も起こらず、下りようとした時、
天守に住むと伝わる長壁姫が現れ、妖怪を退治した褒美として宝剣「郷義弘の名刀」が残されました。
大天守三階の西側の窓から、西小天守を見たところ。
大天守三階、南側の武者走りです。
窓側には、石打棚があります。
大天守三階、南東隅の武者隠しの扉です。
大天守三階、北東隅の武者隠しです。
この武者隠しの下にも、武者隠しの部屋があり、
左下の小さな扉は、天守内を狙う鉄砲狭間になっています。
大天守三階、北東隅の武者隠しの内部です。
大天守二階、北側の武者走りです。
内陣の壁には、武具掛けが並んでいます。
大天守二階、内陣から
南側の武者走りを見たところ。
大天守一階へ下ります。
イの渡櫓への二重扉です。
今朝、この扉から大天守へ入って来ました。
北東隅の筋交(すじかい)です。
南東隅の筋交(すじかい)です。
大天守一階、南東隅の石落しです。
六葉釘隠しです。
六枚の葉をデザインした釘の頭を隠す装飾です。
これは装飾の無いタイプの釘隠しです。
大天守一階、二の渡櫓への二重扉(中央右)です。
大天守地階へ下ります。
中央、左よりに西大柱があります。
その両隣には武具庫があります。
中央に西大柱があります。
東大柱です。
武具庫の内部です。
中央の扉の中は、厠です。
ここは、流しです。
大天守を出て、水の五門を抜けます。
そして、水の四門を抜けます。
水の四門を出て、
城壁の上から天守をふり返ったところ。
そして、本丸(備前丸)へ下りる階段から
南を見たところ。
本丸(備前丸)へ下りながら南西を見たところ。
下に菱の門が見えます。
西を見たところ。
百間廊下、その端に化粧櫓が見えます。
本丸(備前丸)へ下り、
南西から天守を見上げたところ。
本丸(備前丸)の西隅から、
本丸の広場を見たところ。
池田輝政が姫路城を築城した時、
ここに居館を建て、住んでいた場所です。
後年、池田家が、備前岡山を本拠とした事から、
備前丸と呼ばれています。
正面から天守を見上げたところ。
本丸(備前丸)から南を見たところ。
三の丸広場が見えます。
天守です。
本丸(備前丸)の北東に位置する備前門です。
大天守を下から見上げたところ。
備前門です。
備前門を出ると、
北へ向いた通路があります。
右側は、井郭櫓です。
中に井戸が見えます。
また写真では見えませんが、
突き当りを左に折れれば、
ちの門があります。
よって、突き当りは番所です。
格子が横に入った窓は、
与力窓と呼ばれ、監視用として使われました。
備前門から外に抜け、ふり返って見たところ。
門の右側、石垣に大きな縦石が使用されていますが、
これは近隣の古墳の石棺が転用されています。
また、写真左側、目の前の縦長の石も、石棺の転用石です。
備前門を出て進むと、
左手に帯の櫓があります。
帯の櫓です。
その帯の櫓の手前に下へ降りる通路があります。
その通路、階段を下りると、
帯の櫓の下をくぐり抜る埋門になっています。
ここを抜けると、
帯郭櫓、通称、腹切丸があります。
帯の櫓と、右側の本丸の石垣の間を進みます。
正面の突き当りを、折れ曲がると、りの門があります。
本丸の石垣の下から大天守を見上げたところ。
本丸の石垣です。
この石垣をよく見ると、
きれいに加工された大きな長方形の石が
使われているのが見えます。
これは、元々、石棺の転用石が、
ここに使用されていましたが、
石棺は内部が刳り抜かれている為、
強度が弱く、昭和の大修理の際に、
同じサイズの石に取替えられています。
そして、元々あった石棺の転用石は、
りの一渡櫓の軒下へ展示されています。
りの門です。
りの門を抜けると、二の丸に出ます。
りの門をふり返ったところ。
中央は、太鼓櫓です。
二の丸の真ん中あたりに、お菊井戸があります。
その説明です。
これがお菊井戸です。
その向こうに見えるのは、チの櫓です。
チの櫓の右側は、リの一渡櫓です。
お菊井戸は、
播州皿屋敷で有名な、お菊さんの井戸です。
家宝の皿10枚の内、1枚を部下が隠し、
この罪を、お菊さんに着せます。
お菊さんは責められ庭の松に吊るし上げられ、
井戸に投げ込まれ殺されます。
そして、「一枚、二枚、三枚、…、九枚、あゝ悲しや」と
お菊さんの声が屋敷へ響きます。
お菊井戸の中を覗いてみます。
お菊井戸の中です。
二の丸から大天守を見上げたところ。
二の丸の西の端、リの一渡櫓(左端)、
その隣に、リの二渡櫓(中央)が見えます。
更にその隣に、ぬの門があります。
リの一渡櫓の軒下に、
転用石として使用されていた
石棺が展示されています。
この石は、
先ほど通って来る時に見た本丸(備前丸)
の東側の石垣に使用されていた石です。
リの一渡櫓の前から、
大天守を見上げたところ。
左側は、リの二渡櫓です。
修復工事が行われたばかりで白っぽく見えます。
黒っぽく見える右側は、ぬの門です。
リの二渡櫓の下には、
大天守の鯱が展示されています。
これは、昭和の大修理で交換された明治時代の鯱です。
ちなみに、鯱とは、姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に空を向き
背中には幾重にも鋭いとげを持っている想像上の動物です。
銘文には、万延元年(1860年)製作と記されています。
明治時代の鯱です。
これは、平成の大修理で交換された
昭和時代の鯱です。
昭和の大修理の際に、大天守の二重の屋根に
貞享4年(1867年)の銘がある小型の鯱が
発見されました。
それが姫路城に現存する最も古い鯱と考えられ、
それに倣い復元されています。
そして、平成時代の鯱です。
生駒の山本瓦工業製の鯱瓦で、
大天守最上層の2尾の鯱は取替えられましたが、
ここにある鯱は寄贈を受けた同型の鯱です。
リの二渡櫓の隣は、ぬの門です。
ぬの門です。
櫓門になっています。
ぬの門を抜けて、ふり返ったところ。
「扇の勾配」と呼ばれる石垣の角です。
この石垣を横から見ると、
開いた扇の曲線に似ている事から
呼ばれています。
その「扇の勾配」と斜め反対側、
リの二渡櫓の石垣の下に、階段があり、
この階段を下りると、るの門があります。
るの門を抜けて、るの門をふり返ったところ。
るの門は、石垣を刳り抜く穴門です。
このるの門の横に、リの二渡櫓下の石垣があります。
この石垣をよく見ると、上から下まで、斜めに線が見えます。
石垣に向かって、この線より右側は秀吉時代の石垣で、
左側は輝政時代に拡張された石垣と言う事です。
るの門を入り、
もう一度元の場所、「扇の勾配」の前に戻り、
いの門へ向け進みます。
南側の土塀です。
土塀には、控え塀が付いています。
また、この土塀には狭間がありますが、
弓や鉄砲を撃つには、狭間の位置が低すぎます。
後の時代に盛り土されたためと言う事です。
いの門へ向け進みます。
いの門へ向かう途中に見た石垣です。
この石垣は、
元の石垣が外に膨らみ崩れるのを防ぐ為に設けられた
補強石垣です。
いの門へ向かう途中、
正面に化粧櫓を見たところ。
いの門を出て、菱の門へ向かう途中、
三国堀越しに天守を見たところ。
三国堀越しに見た天守です。
菱の門の前にあった明治初期の姫路城の鳥瞰図です。
菱の門から西の丸へ向かいます。
右は菱の門です。
西の丸へ向かう道です。
西の丸 南門跡です。
武者溜りです。
西の丸です。
西の丸の南東角にあるカの櫓です。
西の丸の南側の土塀です。
途中に石落としが設けられています。
西の丸から天守を見たところ。
西の丸から天守を見たところ。
西の丸、南西角のワの櫓です。
ワの櫓から右手に百間廊下が伸びています。
ワの櫓の横が百間廊下入口になっています。
中に入って、西を見たところ。
正面に景福寺山が見えます。
百間廊下、レの渡櫓の内部です。
姫路城の変遷の展示です。
百間廊下の石落としです。
金具の取っ手を持って、蓋を開け、石を落とします。
レの渡櫓への入口です。
埋門の形式をとっています。
レの渡櫓への入口です。
百間廊下の石落としです。
途中、ヲの櫓へ向けた仮設廊下があります。
元々、この辺りにあった隅櫓と石垣が崩壊し、
復旧が困難で、仮設廊下がつくられています。
仮設廊下です。
ヲの櫓の内部です。
ヲの櫓から化粧櫓方向、
そして、その向こう、天守方向を見たところ。
ヲの櫓から、ルの櫓を見たところ。
石垣に沿って、犬走りが走っています。
蓋付きの狭間です。
その蓋を開けて見たところ。
ヲの櫓から景福寺山を見たところ。
ヲの櫓からタの渡櫓への大戸です。
この扉より内側(手前側)は、女性の居住エリア、
長局であり、頑丈な作りの扉となっています。
タの渡櫓から天守を見たところ。
タの渡櫓には、内部屋が並んでいます。
その部屋に入ったところ。
タの渡櫓の廊下です。
右側に内部屋が並んでいます。
タの渡櫓の内部屋です。
ルの櫓の内部です。
武者窓です。
八角形の断面の格子になってます。
また、写真ではわかりにくいですが、
雨水抜きとして、金属の筒が窓の下から、
突き出ています。
その雨水抜きの説明です。
ルの櫓から、ヲの櫓を見たところ。
ルの櫓から少し進むと
「忠刻との幸せを願い千姫が日々祈りを捧げた
男山千姫天満宮」の看板があります。
千姫は、徳川家康の孫娘です。
7歳で豊臣秀頼に輿入れしましたが、
大坂夏の陣で秀頼は自害し豊臣家は滅亡します。
その後、本多忠政の息子、忠刻と再婚します。
その千姫が、本多家の繁栄を願い、
男山千姫天満宮を建立し、
百間廊下の長局の窓から、朝夕遥拝したと
言われています。
その窓から見た景色です。
頂上近くに見える屋根が、男山八幡宮です。
男山千姫天満宮は、今は木の陰になり見えませんが、
男山八幡宮の左斜め下あたりにあります。
ヲの櫓です。
犬走りへ出る埋門です。
廊下の折れ曲がり箇所で、百間廊下の外側の壁が見えます。
この角度で武者窓を見ると、
窓の下に雨水抜きの筒が斜めに突き出ているのが
わかります。
廊下の折れ曲がり箇所にある片開きの扉です。
ヨの渡櫓の内部屋です。
ヨの渡櫓の折れ曲がり箇所です。
ヌの櫓を過ぎて、カの渡櫓の内部屋から、
今通って来たヨの渡櫓の方を見たところ。
千姫の
「信仰の日々」
の展示です。
百間廊下、カの渡櫓の女中の部屋です。
女中の部屋から今通って来たヨの渡櫓の方を見たところ。
正面の入り口が、化粧櫓への入り口です。
その入り口を入ると、化粧櫓手前の三角部屋があります。
そして、観光客が、化粧櫓の内部を覗き込んでいます。
化粧櫓手前の三角部屋から、天守を見たところ。
化粧櫓手前の三角部屋から、
化粧櫓の内部を見たところ。
中は、畳の部屋になっており、
千姫と思われる人形が、座しています。
化粧櫓とは反対側の女中の部屋です。
化粧櫓の手前の百間廊下出口から外に出て、
中央にヌの櫓、その手前に、カの渡櫓を見たところ。
カの渡櫓は、下段の石垣から柱を立て、
土台を組んでいます。
化粧櫓の前から、天守を見たところ。
目の前は、西の丸 北門跡です。
正面から化粧櫓を見たところ。
西の丸 北門跡です。
西の丸 北門跡から、天守を見たところ。
西の丸 北門跡から、化粧櫓を見上げたところ。
西の丸 北門跡から、
ろの門へ向かう道は、
工事中で通る事はできませんでした。
西の丸 南門跡から出る事にします。
南門跡方向に歩きます。
西の丸 ワの櫓です。
西の丸から南門跡を通り、菱の門を出ます。
入城口の東側に天守の庭があります。
その天守の庭です。
6千トンある大天守の地盤沈下を防止する為に、
昭和の大修理の折りに
地下の岩盤に鉄筋コンクリートの人工地盤を
築いています。
よって、不要になった礎石が、
ここに再現展示されています。
天守の庭の南側から天守を見たところ。
天守の庭の南側を通り、
黒田官兵衛ゆかりの石垣の案内に従って、
進んで行くと、
二の丸のチの櫓の下に出ます。
黒田官兵衛ゆかりの上山里下段の石垣です。
お菊井戸のある二の丸は、
上山里曲輪とも呼ばれており、
その二の丸の下段の石垣を指します。
上山里下段の石垣の説明です。
羽柴秀吉の姫路城改築により積まれた
古式な石垣です。
上山里下段の石垣です。
上山里下段の石垣を見た後は、
お城の東側、喜斎門跡に向けて歩きます。
お城の中心(手前)に向け深く入り込む内堀です。
左側が帯郭櫓、右が帯の櫓です。
この帯の櫓の石垣は、
姫路城の中で一番高い石垣です。
帯郭櫓、帯の櫓を東側から見たところ。
この石垣を回ったところが喜斎門跡です。
その石垣の横、東側から天守を見たところ。
喜斎門跡を出ると、すぐに内堀に架かる橋があり、
その橋を渡って、喜斎門跡と橋をふり返ったところ。
内堀です。
右端は喜斎門跡です。
東から天守を見たところ。
左に喜斎門跡があります。
内堀です。
東から天守を見たところ。
姫路城の堀は、左回りの螺旋状に掘られており、
内堀は、この辺りで一周し、そして、この当たりから、
中堀として螺旋状につながっています。
中堀に沿って北上し、北東から天守を見たところ。
中堀を泳いでいたボラです。
中堀です。
北東角から西を見たところ。
北東角から天守を見たところ。
北側の中堀に沿って、西へ歩きます。
中堀沿いを西へ歩きながら、天守を見たところ。
北側から天守を見たところ。
中堀です。
石垣に段があります。
お城の北側には、
シロトピア記念公園があります。
シロトピア記念公園です。
小学校の遠足でしょうか?
子供達が遊んでいます。
シロトピア記念公園から、天守を見たところ。
大天守をズームUPしたところ。
天守を北西から見たところ。
天守を北西から見たところ。
北側の中堀に沿って西へ進んで行くと、
北勢隠門跡があります。
北勢隠門の西側の中堀です。
北勢隠門の北側に、鷺の清水があります。
その向こうに
石垣と石垣の間が空いている箇所が
見えますが、そこは清水門跡です。
鷺の清水です。
南から見たところ。
鷺の清水の説明です。
北勢隠門跡、そして、
その向こうの姫山の頂上に天守を
見たところ。
清水橋から船場川を見たところ。
北勢隠門跡です。
北勢隠門跡を入ります。
中に入ると、内堀があります。
ここにもボラがいます。
内堀に沿って、東に向け進んで行くと
池泉回遊式庭園があります。
姫路城の堀は、螺旋状で、その螺旋の起点が
この辺りです。
その庭園の更に東に、姫路神社があります。
姫路神社の境内です。
姫路神社です。
旧姫路藩主 酒井家の始祖、新田義貞の末裔、
酒井正親を祭神とした明治12年の創祀です。
寸翁神社です。
姫路神社と同じ境内にあり、
昭和32年の造営です。
江戸時代後期、播州の産業振興に功績のあった
河合寸翁を祭祀しています。
河合寸翁の銅像も見えます。
左端は、寸翁神社の鳥居です。
右は、姫路神社です。
寸翁神社の鳥居の陰に見える赤い鳥居は、
岩倉稲荷神社です。
岩倉稲荷神社の鳥居です。
姫路神社です。
右が拝殿で、左が本殿です。
そして、北勢隠門跡へ引き返し、
次は男山へ向かいます。
その男山の南側の麓にある石鳥居です。
ここから入ったところに、
千姫天満宮、男山八幡宮に向かう階段が
あります。
この石鳥居は、1679年、
当時の城主 松平直矩によって寄進された物です。
特に八幡宮は、軍(いくさ)の神で、
代々の城主によって、信仰されてきました。
松平直矩も類にもれず、鳥居を寄進し
武運長久を祈っています。
階段を登って行くと、
千姫が、本多家の繁栄を願い、
百間廊下の長局の窓から、
朝夕遥拝した千姫天満宮があります。
千姫天満宮から天守を見たところ。
千姫天満宮から天守を見たところ。
次に男山八幡宮へ向け、
更に階段を登って行きます。
途中、天守、姫山を見たところ。
ルの櫓、千姫が遥拝した
百間廊下の長局も見えます。
男山八幡宮へ向かう途中、千姫天満宮を
見下ろしたところ。
男山八幡宮です。
男山八幡宮。
男山八幡宮。
男山八幡宮から天守、姫山を見たところ。
千姫が遥拝した百間廊下の長局も見えます。
男山八幡宮から天守を見たところ。
男山八幡宮です。
西の丸のルの櫓、百間廊下を見たところ。
男山八幡宮から男山の頂上へ向かう途中で、
南東を見たところ。
天守が見えます。
天守に寄って見たところ。
北西から天守を見たところ。
南側、姫路市街を見たところ。
山頂の男山配水池公園です。
男山の由来の説明です。
西の丸のルの櫓、百間廊下が見えます。
男山を下りて、姫路文学館へ行きます。
姫路文学館前、西から天守を見たところ。
そして、船場川まで戻り、
船場川沿いに歩きます。
向こう岸に、千姫の小径が見えます。
更にその向こう、山の上に、
ルの櫓、百間廊下が見えます。
船場川沿いに歩いて行くと、
橋がかかっており
千姫の小径へ渡ります。
橋を渡ると、中堀と石垣が見えます。
千姫の小径から、木陰に見えるルの櫓をふり返ったところ。
中堀の中には、花菖蒲園があります。
千姫の小径から見た石垣です。
千姫の小径から見た石垣。
船場川の草陰にいた鯉です。
姫路城の南を東西に走る城南線に出ます。
船場川に架かる橋、市之橋の上から、
先ほど歩いて来た千姫の小径を
ふり返って見たところ。
先ほどシロトピア記念公園で見かけた小学生達でしょうか、
みんなで並んで帰っていきます。
市之橋を東へ渡ります。
市之橋を渡ったところが市之橋門跡です。
左端が市之橋門跡、右に中堀が見えます。
城南線を東へ進んで行くと、
好古園の入口があります。
姫路城西御屋敷跡庭園 好古園は、
市制百周年記念として建造されてます。
また、好古園は、
江戸時代最後の姫路藩主 酒井家の
前任地 上野国厩橋に開いた
藩校 好古堂に由来します。
その好古堂は、
この好古園入口近くにありました。
好古園には、
9つの名前の付いた庭があります。
ここは、御屋敷の庭の入口です。
御屋敷の庭です。
姫路藩主の下屋敷の西御屋敷があったこの庭は、
姫山原始林を借景とした池泉回遊式庭園です。
南側の大滝は、深山幽谷の趣にあふれています。
そして、その水が流れ込む池を配しています。
御屋敷の庭の中に潮音斎と言う建物があり、
ミニ着物展を実施していました。
潮音斎のミニ着物展です。
潮音斎から見た大池です。
瀬戸内海をイメージして造られています。
大池の中には、錦鯉が泳いでいます。
次は、苗の庭です。
木材で枠組された苗床では、
江戸時代に栽培された植物を中心に
育成されています。
次は、茶の庭を抜け、流れの平庭へ向かいます。
牡丹の花が咲いていました。
白い牡丹です。
流れの平庭です。
おだやかな水の流れを持つ
明るく伸びやかな庭園です。
流れの平庭です。
次は、夏木の庭へ向かいます。
夏木(落葉樹)を配し、
新緑から紅葉までの季節感あふれる庭園です。
夏木の庭の藤棚です。
そして、松の庭を抜けて、花の庭へ向かいます。
江戸時代から親しまれてきた山野草を植栽した庭園です。
花の庭の花菖蒲です。
ユリです。
次は、田家の庭です。
築山池泉の庭です。
池上にせり出した
茅葺四阿「臨泉亭」です。
好古園の説明です。
好古園を出て、東へ行くと、内堀に出ます。
北を見ると、西の丸のワの櫓が見えます。
東を見たところ。
内堀に沿って東に向け進んで行くと、
大手門が見えてきます。
内堀越しに、天守を見たところ。
桜門橋を東へ通り過ぎて、
桜門橋をふり返ったところ。
そして、内堀に沿って北東へ目をやると、
姫路市立動物園の遊戯施設の飛行機が見えます。
内堀を周遊する観光和船が、
こちらへ向けやって来ます。
観光和船が、桜橋の方向へ
目の前を通り過ぎて行きます。
更に東へ進んで行くと、
姫路護国神社があります。
姫路護国神社です。
拝殿の前に張られていたテントの後片づけが
行われています。
調べて見ると、春季慰霊大祭が行われたようです。
そして、更に東へ向け進むと、
城見台公園があります。
公園には、復元された大天守の鯱瓦が
設置されています。
鯱瓦と天守です。
城見台公園から見た天守です。
城見台公園の中、内堀端から天守を見たところ。
赤い橋は、
姫路市立動物園の中の内堀で隔てられた
敷地を結ぶ鶴見橋です。
姫路市立動物園の北入口前から、
天守を見たところ。
内堀に架かる橋の左側は、喜斎門跡です。
天守を東から見たところ。
姫路市立動物園の北入口です。
動物園の中に入ります。
北入口のすぐ隣にいたリスザルです。
動物園の中にあったモノレールです。
ダチョウです。
アジアゾウの姫子です。
動物園の中から見た天守です。
内堀を西側に渡ったところにいたラクダです。
ラクダと天守です。
ホッキョクグマです。
動物園の中の内堀で隔てられた敷地を結ぶ
赤い橋、鶴見橋を東へ渡りながら、
天守を見たところ。
内堀の中の噴水と、天守です。
ヒグマです。
厩舎の中のキリンです。
キリンです。
キリン。
鶴見橋を、再度、西へ渡ります。
フラミンゴです。
カンガルーです。
動物園の正面入口(出口)から出て、
ふり返ったところ。
そして、帰途につきます。
かなり歩き回ったので、
姫路で有名なたこ焼きを食べて帰る事にします。
姫路駅近くの「FESTA」のフードコートにある
タコピアへ行きました。
行列に並んでいると、
たこ焼きを焼いているのが見えます。
焼かれたたこ焼きです。
赤いまな板に載せて、たこ焼きが出てきます。
そして、お汁もついています。
このお汁、初めて食べる姫路のたこ焼き、
定食ついている味噌汁みたいなものかと思っていたら
違っていました。
たこ焼きのアップです。
周りの人が食べている様子を見てみると、
驚くべき事に、
ソースをつけて、更にお汁につけて食べています。
ここでは、汁につけて食べるのが普通のようです。
仕方がないので、郷に入れば郷に従え、
真似て食べる事にします。
でも、食べてみて、本音で言えば、
食べなれたソースで食べるのが一番だと思いました。
使い込まれたまな板なんだろう、
たこ焼きを食べた後の赤色がはげた跡が印象的でした。
たこ焼きでお腹は膨れましたが、
姫路に来たら、
もうひとつ食べておきたいものがあります。
まねき食品の「えきそば」です。
中華麺に和風だしのミスマッチ、
でも、美味しい事で有名です。
本来なら、ホームで立ち食いすべきでしたが、
あまりにも、歩きすぎて疲れていたので、
ホームと同じまねき食品がやっている店舗で食べました。
ちょっと食べすぎましたが、新幹線で家路につきました。