姫路城:  02May2017


 
姫路城へ行って来ました。

新幹線で姫路駅に到着すると、駅の構内に松原八幡神社の
灘のけんか祭りで使用された松原屋台が展示されています。


















また、姫路城の模型もありました。
 














姫路駅の北口を出ると、正面に姫路城が見えます。

ちなみに、姫路駅の北口は、最近、姫路城口とも呼ばれる
ようになったようです。












 姫路駅から姫路城へ向かう大手前通りを北上します。






















この大手前通りには、彫刻の芸術作品が設置されてます。

別名、「彫刻のあるシンボルロード」とも呼ばれてます。



この彫刻は、

 想

日高頼子

です。










この彫刻は、

 梟家族’89

 手塚登久夫

です。

 







 大手前通りにあった姫路城のマップ。

























大天守鯱瓦

小林平一・義一 親子













この道(城南線)を渡ると、内堀脇に出ます。















姫路城の内堀。

東方向を見たところ。













前方の内堀に架かる橋は桜門橋。















桜門橋。

その右手には、大手門。













桜門橋。

その向こうには、姫路城の天守閣が見える。












大手門と桜門橋の説明板。




























2007年に復元された桜門橋。















 桜門橋上から西側、内堀を見たところ。















大手門。

昭和13年に完成したもので、江戸時代のものと
位置や大きさが異なります。












大手門横の石垣に開いた水路。















大手門。

本柱2本と、本柱の後ろへ控柱を立てる高麗門の形式を
とっている。

高麗門は、本柱が支える切妻屋根とは別に、これと直角に
控え柱の上に左右二個の切妻小屋根がかけられている。









大手門を抜けたすぐ目の前には、三の丸広場が広がって
ます。














そして正面には、姫路城の天守が見え、
思わず写真を撮りたくなります。














その天守。















今は広場になってますが、かつて、ここ三の丸には、
向御屋敷(むかいおやしき)と呼ばれた藩主の下屋敷、
御居屋敷(おいやしき)と呼ばれた藩主の日常の住まい、
兼、藩政を執り行う役所の上屋敷、そして、本多忠刻と
千姫の新婚夫婦の為の武蔵野御殿が立ち並んでいた。











かつて、屋敷が並んでいた三の丸広場を通って
入城口へ向かいます。














見る角度により、城の見え方が変化します。















入城口の手前に展示されていた旧西大柱。






















その旧西大柱の説明板。

 





















旧西大柱。

昭和大修理(昭和31年-昭和39年)の際に取り換えられ、築城以来、
天守を支えてきた柱として展示されている。



















 入城口へ向かいます。















 入城口を入ると、菱の門が見えてきます。















片側だけ石垣の上に乗る珍しい安土桃山様式の
城門であり、姫路城の中で最大の櫓門である。














その菱の門。















冠木に花菱の紋が施されており、名前の由来と
なっています。

正面二階には、黒漆塗りに金の飾り金具で装飾
された三連の格子窓、その両側に釣鐘型の窓、
そして、右側には白漆喰塗の出格子窓が並んで
いる。

釣鐘型の窓は、華燈窓(かとうまど)と言って、
金閣寺や銀閣寺等、格式の高い禅宗の寺で
良く見かける形式です。

豪華で格調高い門でとなっている。



菱の門を入ると三国掘があり、その向こうに天守が
見える。














三国掘。















菱の門をふり返ったところ。















菱の門の先に、いの門が見える。















いの門。

高麗門の形式をとっている。













いの門を入り、天守を見たところ。















いの門を入り、すぐ右手にある井戸。

そして、正面にろの門が見える。













ろの門へ向かって進みながら、天守を見たところ。















ろの門を抜けて、天守を見たところ。















ろの門を抜けると、道は二手に分かれます。

左へ行くと西の丸へ、右へ行くと天守へ向かう将軍坂です。

この将軍坂は、松平健主演の時代劇「暴れん坊将軍」のロケ地として
良く使われた事から、そう呼ばれるようになりました。

















将軍坂を登って行くと、はの門が見えてきます。






















そのはの門。















はの門を抜け、ふり返ってはの門を見たところ。
 
この門は、櫓門の形式をとっており、両側の石垣の上に、
櫓が乗っているように見えるが、実際はそうではなく、柱で
支えられている。

そして、敵が攻め込んで来た時は、門扉を閉め、両側の
石垣を崩し、扉を開けなくする工夫がされている。








はの門を抜け天守へ向かう道。

この道の先で、左右に道は分かれ、左に進むと、目の前の高い石垣に
阻まれる為、どうしても左に進みたくなります。
しかし、その先は徐々に狭くなり、左側の塀はなくなり、高い石垣の崖の
上に出ます。

もしも大勢で攻め込むと、押しかける味方に、誤って石垣の上から、突き
落とされる事になります。

よって、天守に向かうには、目の前に石垣が立ちはだかろうとも、左の
道を進みます。
そして、石垣に突き当たると、折り返すように道があり、その道を登って
行きます。









はの門を抜け天守へ向いながら、大天守西側の大千鳥破風の
鯱瓦を見たところ。





















その道の際に咲いていたアヤメ科のシャガ。
 
城内の美観維持の為に植えられたと思っていて
見ていたら、どうも違うらしい。

草鞋を履いた足で、この花を踏むと非常に滑りやすく、
また、転倒後、起き上がろうと、この花をつかむと抜け
やすい、城の防御の為に植えられた花である。








分かれ道を左にとり、高い城壁に突き当たり、そのまま折り返すように
道なりに登って行く。





















 次に見えてきたのが、にの門。






















 にの門。






















ふり返って、天守を見たところ。

右が西小天守。
その陰に隠れるように大天守が見える。












にの門。

門柱、冠木、大戸、くぐり戸、全て鉄板で覆われた櫓門である。




















にの門。

左は、鉄板に覆われた大戸。

門の中は、天井が低く、右に折れ曲がっている。











 にの門を抜けて、にの門をふり返って見たところ。















にの門を抜けると、北西腰曲輪に出る。

その先は、ほの門。













ほの門は、土塀の下の石垣を切り欠いて門とした
埋門(うずみもん)である。














ほの門の手前から、乾小天守を見上げたところ。

乾とは、北西を意味する。













ほの門を抜け、乾小天守の石垣を見上げたところ。






















その石垣には、金網で覆われた白い石がある。

その白い石は、姥が石。

羽柴秀吉が、この地へ城を建てる時、石が不足し困って
いたところ、城下で焼き餅を売る老婆が、店にあった
古い石臼を献上した。この話が城下で評判となり、
人々は競って石を寄進したと伝えられている。








ほの門を入り、折り返したところにある門が、水の一門。

ほの門と水の一門の間にある壁が、油壁。

姫路城の白い漆喰塗籠めの壁の中で、ここだけが
茶色い築地塀となってます。







 


水の一門。

両側の鏡柱に冠木を渡し、切妻屋根を掛けただけの
簡素な棟門である。

なぜ門の名前に水の文字が入っているのか?

天守北側の多聞櫓に井戸があり、いざ籠城となった
折りは、水の一門以降の六つの門を通って、水を天守へ
運ぶ事になります。






次に続く門は、水の二門。
水の一門と同様に棟門である。
 
水の二門の西側に櫓がある。
寄せ手の侵攻を遅らせる為に、櫓を通路側にせり出させ
門の幅を狭めている。










水の二門を抜けると、その向こうに、水の三門が見える。

土塀の下の石垣を切り欠いて門にした埋門である。













 水の三門。















水の三門から、水の二門をふり返ったところ。

右は、乾小天守。



















水の三門を出て、西小天守をふり仰いだところ。

西小天守の向こうに見えるのは、大天守。




















この階段を上り右に折れると、水の四門がある。






















水の四門。

この門も、埋門である。

水の四門を出ると、すぐに左へ折れ曲がり、上りの階段がある。


















水の四門を抜け、西小天守を見上げたところ。
 





















水の五門。

大天守と、西小天守を結ぶ渡櫓の下の櫓門である。













 水の五門を入ると、すぐに左へ折れ、水の六門がある。






















水の六門を入った正面。

この右手に厠がある。
 












西小天守と乾小天守を結ぶハの渡櫓へ階段を登る。






















ハの渡櫓内。
 














乾小天守から西を見たところ。

真下に見える屋根は、水の二門の西側の櫓の屋根。













乾小天守内に展示されている姫路城の模型。















 姫路城の模型。















乾小天守から北側、北腰曲輪を見たところ。















乾小天守と東小天守を結ぶロの渡櫓の内部。
 














ロの渡櫓の西側、水の一門を下に見たところ。

その横に油壁、及び、ほの門も見える。
 



















ロの渡櫓の中の展示物。




七三桐紋鬼瓦(大天守五重南中央降棟)、及び、
七三桐紋四半瓦(備前丸より出土)が展示されている。









波紋鬼瓦(大天守五重大棟西側)、及び、沢瀉紋鬼瓦の
展示。














東小天守の内部。

北側の武者走り。




















東小天守に展示されている軸組構造模型。

この模型は、昭和の大修理工事の折りに、大天守の解体修理の為に
実物の1/20サイズで制作された。



















東小天守の南側、イの渡櫓へ出てすぐの階段。






















イの渡櫓から、との一門を見下ろしたところ。

このとの一門を出ると、写真に写って無いが、
枡形があり、右に折れると、との二門がある。

また、右端に見える小さな門は、ちの門。










イの渡櫓。

前方の階段と扉は、大天守への入り口。

二重扉になっている。











大天守へ入る。

大天守一階、北側の武者走り。

左側の内陣との壁は、武具掛けとなっている。


















大天守一階、北西の内陣との壁際には、二階へ上がる
階段がある。














大天守一階、西側の武者走り。

右側(西側)には、二の渡櫓への出入り口があり、
ここも二重扉になっている。

左側の階段は、大天守地階へ下りる階段。










先ほどの二階への階段を上り、西側の武者走りを
見たところ。














 大天守二階、西側にある破風の間。















大天守二階、内陣の中。

わかりにくいが、三階へ上がる階段も見える。













大天守二階、南側の出格子窓。

その出格子窓の下面には、石落としの蓋がついている。




















 大天守二階、内陣の中にある武具庫。















大天守二階の説明板。
 
























階段を上り、大天守三階の内部を見たところ。

中央には、三階の説明があり、その横の大きな柱は、
東大柱。












東大柱。






















中央右の柱は、東大柱。

その向こうに、四階への階段がある。
その階段横に、西大柱がある。












大天守四階への階段を登りながら、三階を見下ろした
ところ。














大天守四階。

手前の柱が西大柱。
その向こうへ五階へ上がる階段があり、その横に東大柱がある。



















大天守四階の説明板。
 






















大天守四階、北側の石打棚。

東西に大千鳥破風があり、四階の窓の位置がく
なっている為、石打棚を設けて、監視や射撃のために
窓を使えるようにしている。











その石打棚の両側には、破風の間がある。

写真には、北西の破風の間が見える。













北側の石打棚へ上がる階段。






















大天守五階への階段を上がり、階段をふり返ったところ。






















大天守五階の北側を見たところ。















大天守五階、西側の軒唐破風の間。















大天守五階、南側の破風の間の窓。






















大天守六階へ上る。

大天守の外観は、五層であるが、実際は六層地下一階
の作りとなっている。

最上階の六階には、形部神社(長壁神社)が祀られて
いる。

この刑部神社は、姫路城が建てられる前から、姫山へ
祀られていたと言う事だ。






大天守六階、西側の窓から、百間廊下を見たところ。






















大天守六階、西側の窓から、乾小天守を見下ろしたところ。






















大天守六階、西側の窓から、下に見える堀は三国堀。
その向こうには、西の丸が見える。





















大天守六階、西側の窓から、下に三国堀、その向こうに
西の丸、その外周西側に百間廊下が見える。














大天守六階、南側の窓から、南西を見たところ。

写真右よりに三国堀、その向こうに菱の門が見える。













大天守六階、南側の窓から、鯱瓦を見たところ。






















大天守六階、南側の窓から、南を見たところ。

すぐい下の広場は、本丸(備前丸)、その下の広場は、
二の丸、更にその向こうの広場は、三の丸広場。












大天守六階、南側の窓から、鯱瓦を正面に見たところ。





















大天守六階、南側の窓から、鯱瓦を見たところ。

下に見える広場は、三の丸広場。




















大天守六階、南側の窓から、南東を見たところ。

正面、堀を挟んだ両側のエリアは、姫路市立動物園。




















大天守六階、南側の窓から、南東を見たところ。






















大天守六階、東側の窓から、東を見たところ。

堀を隔てたところに見える建物は、姫路市立美術館。













大天守六階、北側の窓から、北を見たところ。

シロトピア記念公園が見える。













眼下には、東小天守、その向こうに北腰曲輪の多聞櫓
が見える。














大天守六階、北側の窓から、鯱瓦を見たところ。






















大天守六階の内陣の中は、人でいっぱいだ。

中央には、先ほどの形部神社(長壁神社)が見える。













内陣の外側、廻縁も、人でいっぱいだ。






















大天守六階から五階へ下ります。

姫路城の外観からは五階建てに見えるが、実際は
六階建てである。

五階の部分が、隠し階のようになっており、攻め手を
混乱させる目的と考えられている。

大天守五階の東側の軒唐破風の間を見たところ。








大天守五階、西側を見たところ。

写真ではわかりにくいが、写真中央に西大柱があり
この五階が西大柱の最頂部となっている。

東大柱も同様に五階が最頂部となっている。





大天守五階から四階へ下りる。





大天守四階、西側の石打棚。
















大天守四階、南西の比翼千鳥破風内の窓から外を見たところ。






















大天守四階から三階へ下りる階段の踊り場から、
三階の内陣を見たところ。














大天守三階、北側の石打棚へ上がる階段。






















大天守三階の西側の窓。

姫路城には、スマホをかざすと姫路城の魅力を説明
するARアプリが起動するARマーカーサインが設置され
ている。

ARとは、Augmented Realityの略で、拡張現実の事。

この窓の前に、「宮本武蔵の妖怪退治」のARマーカー
サインがあった。






その「宮本武蔵の妖怪退治」の話は以下。

宮本武蔵が姫路城で足軽奉公していた時、腕の立つ武芸者と気づかれ、妖怪退治を命じられる。
天守に登ると三階ですさまじい炎に襲われ、太刀に手をかけると異変は収束する。
そして、4階でも同様の出来事に遭遇し、天守最上階まで登るが、誰もいなかった。
朝まで待つが何も起こらず、下りようとした時、天守に住むと伝わる長壁姫が現れ、妖怪を退治した
褒美として宝剣「郷義弘の名刀」が残された。


大天守三階の西側の窓から、西小天守を見たところ。






















大天守三階、南側の武者走り。

窓側には、石打棚がある。




















大天守三階、南東隅の武者隠しの扉。






















大天守三階、北東隅の武者隠し。

この武者隠しの下にも、武者隠しの部屋があり、
左下の小さな扉は、天守内を狙う鉄砲狭間になっている。



















大天守三階、北東隅の武者隠しの内部。





















大天守二階、北側の武者走り。

内陣の壁には、武具掛けが並んでいる。














大天守二階、内陣から南側の武者走りを見たところ。















大天守一階へ下りる。

イの渡櫓への二重扉。

今朝、この扉から大天守へ入って来た。











北東隅の筋交(すじかい)。






















南東隅の筋交(すじかい)。






















大天守一階、南東隅の石落し。






















六葉釘隠し。

六枚の葉をデザインした釘の頭を隠す装飾。













これは装飾の無いタイプの釘隠し。






















大天守一階、二の渡櫓への二重扉(中央右)。















大天守地階へ下りる。

中央左よりに西大柱。

その両隣には武具庫がある。











中央に西大柱。














東大柱。























武具庫の内部。















中央の扉の中は、厠。















ここは、流し。















大天守を出て、水の五門を抜ける。















そして、水の四門を抜ける。






















水の四門を出て、城壁の上から天守をふり返ったところ。















そして、本丸(備前丸)へ下りる階段から南を見たところ。















本丸(備前丸)へ下りながら南西を見たところ。

下に菱の門が見える。













西を見たところ。

百間廊下、その端に化粧櫓が見える。













本丸(備前丸)へ下り、南西から天守を見上げたところ。















本丸(備前丸)の西隅から、本丸の広場を見たところ。

池田輝政が姫路城を築城した時、ここに居館を建て、
住んでいた場所である。

後年、池田家が備前岡山を本拠とした事から、備前丸と
呼ばれているようだ。









正面から天守を見上げたところ。















本丸(備前丸)から南を見たところ。

三の丸広場が見える。













天守。















本丸(備前丸)の北東に位置する備前門。















大天守を下から見上げたところ。















備前門。















備前門を出て、北へ向いた通路がある。

右側に井郭櫓。
中に井戸が見える。

また写真では見えないが、突き当りを左に折れれば、
ちの門がある。

よって、突き当りは番所。
格子が横に入った窓は、与力窓と呼ばれ、監視用として
使われた。





備前門から外に抜けふり返って見たところ。

門の右側、石垣に大きな縦石が使用されているが、これは近隣の古墳の
石棺が転用されている。

また、写真左側、目の前の縦長の石も、石棺の転用石である。

















備前門を出て進むと、左手に帯の櫓がある。















帯の櫓。















その帯の櫓の手前に下へ降りる通路がある。






















その通路、階段を下りると、帯の櫓の下をくぐり抜る埋門
になっている。

ここを抜けると、帯郭櫓、通称、腹切丸がある。













帯の櫓と、右側の本丸の石垣の間を進む。

正面の突き当りを、折れ曲がると、りの門がある。




















本丸の石垣の下から大天守を見上げたところ。















本丸の石垣。

この石垣をよく見ると、きれいに加工された大きな
長方形の石が使われているのが見える。

これは、元々、石棺の転用石が、ここに使用されて
いたが、石棺は内部が刳り抜かれている為、強度が
弱く、昭和の大修理の際に、同じサイズの石に取替え
られている。

そして、元々あった石棺の転用石は、りの一渡櫓の
軒下へ展示されている。




りの門。















りの門を抜けると、二の丸に出る。















りの門をふり返ったところ。

中央は、太鼓櫓。













二の丸の真ん中あたりに、お菊井戸がある。

その説明板。













これがお菊井戸。

その向こうに見えるのは、チの櫓。
チの櫓の右側は、リの一渡櫓。












お菊井戸は、播州皿屋敷で有名な、お菊さんの
井戸です。

家宝の皿10枚の内、1枚を部下が隠し、この罪を
お菊さんに着せます。
お菊さんは責められ庭の松に吊るし上げられ、
井戸に投げ込まれ殺されます。
そして、「一枚、二枚、三枚、…、九枚、あゝ悲しや」と
お菊さんの声が屋敷へ響きます。







お菊井戸の中を覗いてみます。















お菊井戸の中。















二の丸から大天守を見上げたところ。















二の丸の西の端、リの一渡櫓(左端)、
その隣に、リの二渡櫓(中央)。

更にその隣に、ぬの門がある。













リの一渡櫓の軒下に、転用石として使用されていた
石棺が展示されている。

この石は、先ほど通って来る時に見た本丸(備前丸)
の東側の石垣に使用されていた石である。










リの一渡櫓の前から、大天守を見上げたところ。















左側は、リの二渡櫓。
修復工事が行われたばかりで白っぽく見える。

黒っぽく見える右側は、ぬの門。












リの二渡櫓の下には、大天守の鯱が展示されていた。















これは、昭和の大修理で交換された明治時代の鯱。

ちなみに、鯱とは、姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に空を向き
背中には幾重にも鋭いとげを持っている想像上の動物。

銘文には、万延元年(1860年)製作と記されている。


















明治時代の鯱。






















これは、平成の大修理で交換された昭和時代の鯱。

昭和の大修理の際に、大天守の二重の屋根に
貞享4年(1867年)の銘がある小型の鯱が発見され
ました。それが姫路城に現存する最も古い鯱と考え
られ、それに倣い復元された。











そして、平成時代の鯱。

生駒の山本瓦工業製の鯱瓦で、大天守最上層の2尾の鯱は取替えられましたが、ここにある鯱は寄贈を受けた同型の物。


















リの二渡櫓の隣は、ぬの門。























ぬの門。

櫓門になっている。













ぬの門を抜けて、ふり返ったところ。






















「扇の勾配」と呼ばれる石垣の角。

この石垣を横から見ると、開いた扇の曲線に似ている事から
こう呼ばれている。



















その「扇の勾配」と斜め反対側、リの二渡櫓の石垣の下に、階段があり、
この階段を下りると、るの門がある。





















るの門を抜けて、るの門をふり返ったところ。

るの門は、石垣を刳り抜く穴門である。













このるの門の横に、リの二渡櫓下の石垣があります。

この石垣をよく見ると、上から下まで、斜めに線が見えます。

石垣に向かって、この線より右側は秀吉時代の石垣で、
左側は輝政時代に拡張された石垣と言う事だ。

















るの門へ入り、もう一度元の場所、「扇の勾配」の前に
戻り、いの門へ向け進む。

南側の土塀。
土塀には、控え塀が付いている。

また、この土塀には狭間があるが、弓や鉄砲を撃つ
には、狭間の位置が低すぎる。
後の時代に盛り土されたためと言う事だ。







いの門へ向け進む。















いの門へ向かう途中に見た石垣。

この石垣は、元の石垣が外に膨らみ崩れるのを防ぐ為に設けられた
補強石垣。



















いの門へ向かう途中、正面に化粧櫓を見たところ。















いの門を出て、菱の門へ向かう途中、
三国堀越しに天守を見たところ。














三国堀越しの天守。






















菱の門の前にあった明治初期の姫路城の鳥瞰図。


























菱の門から西の丸へ向かう。

右は菱の門。



















西の丸へ向かう道。
















西の丸 南門跡。















武者溜り。















西の丸。

西の丸の南東角にあるカの櫓。













西の丸の南側の土塀。

途中に石落としが設けてある。













西の丸から天守を見たところ。















西の丸から天守を見たところ。















西の丸、南西角のワの櫓。

ワの櫓から右手に百間廊下が伸びる。













ワの櫓の横が百間廊下入口になっている。






















中に入って、西を見たところ。

正面に景福寺山が見える。




















百間廊下、レの渡櫓の内部。






















姫路城の変遷の展示。

































百間廊下の石落とし。

金具の取っ手を持って、蓋を開け、石を落とす。





















レの渡櫓への入口。

埋門の形式をとっている。




















レの渡櫓への入口。















百間廊下の石落とし。






















途中、ヲの櫓へ向けた仮設廊下がある。

元々、この辺りにあった隅櫓と石垣が崩壊し、
復旧が困難で、仮設廊下がつくられている。












仮設廊下。






















ヲの櫓の内部。















ヲの櫓から化粧櫓方向、そして、その向こう
天守方向を見たところ。














ヲの櫓から、ルの櫓を見たところ。

石垣に沿って、犬走りが走っている。













蓋付きの狭間。















その蓋を開けて見たところ。















ヲの櫓から景福寺山を見たところ。















ヲの櫓からタの渡櫓への大戸。

この扉より内側(手前側)は、女性の居住エリア、
長局であり、頑丈な作りの扉となっている。












タの渡櫓から天守を見たところ。















タの渡櫓には内部屋が並んでいる。

その部屋に入ったところ。













タの渡櫓の廊下。

右側に内部屋が並んでいる。




















タの渡櫓の内部屋。















ルの櫓の内部。
















武者窓。

八角形の断面の格子になってます。

また、写真ではわかりにくいけど、雨水抜きとして、金属の筒が窓の
下から、突き出ている。
















その雨水抜きの説明。












ルの櫓から、ヲの櫓を見たところ。






















ルの櫓から少し進むと
「忠刻との幸せを願い千姫が日々祈りを捧げた
男山千姫天満宮」の看板があった。

千姫は、徳川家康の孫娘。
7歳で豊臣秀頼に輿入れしたが、大坂夏の陣で
秀頼は自害し豊臣家は滅亡する。
その後、本多忠政の息子・忠刻と再婚し、姫路城の
三の丸に武蔵野御殿と呼ばれる屋敷があった。

その千姫が、本多家の繁栄を願い、男山千姫天満宮を
建立し、百間廊下の長局の窓から、朝夕遥拝したと
言われている。



その窓から見た景色。

頂上近くに見える屋根の建物は、男山八幡宮。
男山千姫天満宮は、今は木の陰になり見えないが、
男山八幡宮の左斜め下あたりにある。











ヲの櫓。















犬走りへ出る埋門。






















廊下の折れ曲がり箇所で、百間廊下の外側の壁が見える。

この角度で武者窓を見ると、窓の下に雨水抜きの筒が斜めに
突き出ているのがわかる。



















廊下の折れ曲がり箇所にある片開きの扉。





















ヨの渡櫓の内部屋。















ヨの渡櫓の折れ曲がり箇所。






















ヌの櫓を過ぎて、カの渡櫓の内部屋から、今通って来たヨの渡櫓の方を
見たところ。






















千姫の「信仰の日々」
の展示。



































百間廊下、カの渡櫓の女中の部屋。















女中の部屋から今通って来たヨの渡櫓の方を見たところ。






















正面の入り口が、化粧櫓への入り口。















その入り口を入ると、化粧櫓手前の三角部屋がある。

そして、観光客が、化粧櫓の内部を覗き込んでいる。




















化粧櫓手前の三角部屋から、天守を見たところ。















化粧櫓手前の三角部屋から、化粧櫓の内部を
見たところ。

中は、畳の部屋になっており、千姫と思われる人形が、
座している。











化粧櫓とは反対側の女中の部屋。















化粧櫓の手前の百間廊下出口から外に出て、
中央にヌの櫓、その手前に、カの渡櫓を見たところ。

カの渡櫓は、下段の石垣から柱を立て、土台を
組んでいる。











化粧櫓の前から、天守を見たところ。

目の前は、西の丸 北門跡。













正面から化粧櫓を見たところ。






















西の丸 北門跡。






















西の丸 北門跡から、天守を見たところ。















西の丸 北門跡から、化粧櫓を見上げたところ。

西の丸 北門跡から、ろの門への道は、工事中で
通る事はできなかった。













西の丸 南門跡から出る事に。

南門跡方向に歩く。













西の丸 ワの櫓。















西の丸から南門跡を通り、菱の門を出る。

入城口の東側に天守の庭がある。













その天守の庭。

6千トンある大天守の地盤沈下を防止する為に、
昭和の大修理の折りに地下の岩盤に鉄筋コンクリート
の人工地盤を築いている。

よって、不要になった礎石を、ここに再現展示している。









天守の庭の南側から天守を見たところ。















天守の庭の南側を通り、黒田官兵衛ゆかりの石垣の案内に従って、
進んで行く。

二の丸のチの櫓の下に出た。



















黒田官兵衛ゆかりの上山里下段の石垣。

お菊井戸のある二の丸は、上山里曲輪とも呼ばれて
おり、その二の丸の下段の石垣になる。













上山里下段の石垣の説明板。

羽柴秀吉の姫路城改築により積まれた古式な石垣と
説明有り。

































上山里下段の石垣。















上山里下段の石垣を見た後は、お城の東側、喜斎門跡に向けて歩く。

お城の中心(手前)に向け深く入り込む内堀。




















左側が帯郭櫓、右が帯の櫓。

この帯の櫓の石垣は、姫路城の中で一番高い。













帯郭櫓、帯の櫓を東側から見たところ。















この石垣を回ったところが喜斎門跡。















その石垣の横、東側から天守を見たところ。















喜斎門跡を出ると、すぐに内堀に架かる橋があり、
その橋を渡って、喜斎門跡と橋をふり返ったところ。














内堀。
右端は喜斎門跡。














東から天守を見たところ。

左に喜斎門跡。













内堀。















東から天守を見たところ。

姫路城の堀は、左回りの螺旋状に掘られており、
内堀は、この辺りで一周、そして、この当たりから、
中堀として螺旋状につながっている。


















中堀に沿って北上し、北東から天守を見たところ。















中堀を泳いでいたボラ。















中堀。

北東角から西を見たところ。




















北東角から天守を見たところ。





















北側の中堀に沿って、西へ歩く。















中堀沿いを西へ歩きながら、天守を見たところ。















北側から天守を見たところ。















中堀。

石垣に段がある。













お城の北側には、シロトピア記念公園がある。















シロトピア記念公園。

小学校の遠足だろうか?
子供達が遊んでいる












シロトピア記念公園から天守を見たところ。















大天守をズームUPしたところ。















天守を北西から見たところ。















天守を北西から見たところ。






















北側の中堀に沿って西へ進んで行くと、北勢隠門跡
がある。














北勢隠門の西側の中堀。















北勢隠門の北側に、鷺の清水がある。

その向こうに石垣と石垣の間が空いている箇所が
見えるが、そこは清水門跡。












鷺の清水。
南から見たところ。




















鷺の清水の説明板。































北勢隠門跡、その向こうの姫山の頂上に天守を
見たところ。















清水橋から船場川を見たところ。















北勢隠門跡。















北勢隠門跡を入る。

中に入ると、内堀がある。













ここにもボラがいた。















内堀に沿って、東に向け進んで行くと
池泉回遊式庭園がある。

姫路城の堀は、螺旋状で、その螺旋の起点が
この辺りにある。











その庭園の更に東に、姫路神社がある。






















姫路神社の境内。















姫路神社。

旧姫路藩主 酒井家の始祖、新田義貞の末裔、
酒井正親を祭神とし、明治12年の創祀である。












寸翁神社。

姫路神社と同じ境内にあり、昭和32年の造営。

江戸時代後期、播州の産業振興に功績のある
河合寸翁を祭祀している。

河合寸翁の銅像も見える。








左端は、寸翁神社の鳥居。

右は、姫路神社。

寸翁神社の鳥居の陰に見える赤い鳥居は、
岩倉稲荷神社。










岩倉稲荷神社の鳥居。






















姫路神社。

右が拝殿で、左が本殿。













そして、北勢隠門跡へ引き返し、次は男山へ向かう。

その男山の南側の麓にある石鳥居。

ここから入ったところに、千姫天満宮、男山八幡宮に
向かう階段がある。

この石鳥居は、1679年、当時の城主 松平直矩によって
寄進された物。

特に八幡宮は、軍(いくさ)の神で、代々の城主によって、
信仰されてきた。松平直矩も類にもれず、鳥居を寄進し
武運長久を祈った。



階段を登って行くと、千姫が、本多家の繁栄を願い、
百間廊下の長局の窓から、朝夕遥拝した千姫天満宮が
ある。













千姫天満宮から天守を見たところ。






















千姫天満宮から天守を見たところ。






















次に男山八幡宮へ向け、更に階段を登って行く。

途中、天守、姫山を見たところ。

ルの櫓、千姫が遥拝した百間廊下の長局も見える。











男山八幡宮へ向かう途中、千姫天満宮を見下ろした
ところ。














男山八幡宮。















男山八幡宮。















男山八幡宮。















男山八幡宮から天守、姫山を見たところ。

千姫が遥拝した百間廊下の長局も見える。













男山八幡宮から天守を見たところ。















男山八幡宮。















西の丸のルの櫓、百間廊下を見たところ。















男山八幡宮から男山の頂上へ向かう途中で、
南東を見たところ。

天守が見える。












天守に寄って見たところ。















北西から天守を見たところ。















南側、姫路市街を見たところ。















山頂の男山配水池公園。















男山の由来の説明板。


























西の丸のルの櫓、百間廊下が見える。















男山を下りて、姫路文学館へ。

姫路文学館前、西から天守を見たところ。













そして、船場川まで戻り、船場川沿いに歩く。

向こう岸に、千姫の小径が見える。

更にその向こう、山の上に、ルの櫓、百間廊下が
見える。










船場川沿いに歩いて行くと、橋がかかっており
千姫の小径へ渡る。














橋を渡ると、中堀と石垣を見が見える。















千姫の小径から、木陰に見えるルの櫓をふり返ったところ。

中堀の中には、花菖蒲園がある。




















千姫の小径から見た石垣。















千姫の小径から見た石垣。






















船場川の草陰にいた鯉。















姫路城の南を東西に走る城南線に出た。

船場川に架かる橋、市之橋の上から、先ほど歩いて来た千姫の小径を
ふり返って見る。

先ほどシロトピア記念公園で見けた小学生達だろうか、みんなで並んで
帰っている
















市之橋を東へ渡る。

市之橋を渡ったところが市之橋門跡。













左端が市之橋門跡、右に中堀が見える。















城南線を東へ進んで行くと、好古園の入口がある。

姫路城西御屋敷跡庭園 好古園は、市制百周年記念
として建造された。

また、好古園は、江戸時代最後の姫路藩主 酒井家の
前任地 上野国厩橋に開いた藩校 好古堂に由来する。


その好古堂が、この好古園入口近くにあった。






この好古園には、9つの名前の付いた庭がある。

ここは御屋敷の庭の入口。













御屋敷の庭。

姫路藩主の下屋敷である西御屋敷のあったこの庭は、
姫山原始林を借景とした池泉回遊式庭園である。

南側の大滝は、深山幽谷の趣にあふれている。










そして、その水が流れ込む池を配している。















御屋敷の庭の中に潮音斎と言う建物があり、ミニ着物展を実施していた。






















潮音斎のミニ着物展。















潮音斎から見る大池。

瀬戸内海をイメージして造られている。













大池の中には、錦鯉が泳いでいる。















次は、苗の庭。















木材で枠組された苗床では、江戸時代に栽培された
植物を中心に育成している。














次は、茶の庭を抜け、流れの平庭へ。

牡丹の花が咲いていた。













白い牡丹。















流れの平庭。

おだやかな水の流れを持つ明るく伸びやかな庭園
です。












流れの平庭。















次は夏木の庭へ。

夏木(落葉樹)を配し、新緑から紅葉までの季節感
あふれる庭園。


夏木の庭の藤棚。









そして、松の庭を抜けて、花の庭へ。

江戸時代から親しまれてきた山野草を植栽した庭園。



花の庭の花菖蒲。
















ユリ。































次は、田家の庭















築山池泉の庭。















池上にせり出した茅葺四阿「臨泉亭」。















好古園の説明板。





























好古園を出て、東へ行くと、内堀に出る。















北を見ると、西の丸のワの櫓が見える。















東を見たところ。















内堀に沿って東に向け進んで行くと、
大手門が見えてくる。














内堀越しに、天守を見たところ。






















桜門橋を東へ通り過ぎて、桜門橋をふり返ったところ。















そして、内堀に沿って北東へ目をやると、
姫路市立動物園の遊戯施設の飛行機が見える。














内堀を周遊するが、こちらへ向けやって来る。















観光和船が、桜橋の方向へ目の前を通り過ぎて行く。















更に東へ進んで行くと、姫路護国神社がある。















姫路護国神社。

拝殿の前に張られていたテントの後片づけが
行われていた。

調べて見ると、春季慰霊大祭が行われたようだ。










そして、更に東へ向け進むと、城見台公園がある。

公園には、復元された大天守の鯱瓦が設置されている。













鯱瓦と天守。






















城見台公園から見た天守。















城見台公園の中、内堀端から天守を見たところ。

赤い橋は、姫路市立動物園の中の内堀で隔てられた
敷地を結ぶ鶴見橋。












姫路市立動物園の北入口前から、天守を見たところ。















内堀に架かる橋の左側は、喜斎門跡。

天守を東から見たところ。




















姫路市立動物園の北入口。

動物園の中に入る。













北入口のすぐ隣にいたリスザル。
















動物園の中にあったモノレール。















ダチョウ。















アジアゾウの姫子。















動物園の中から見た天守。






















内堀を西側に渡ったところにいたラクダ。















ラクダと天守。






















ホッキョクグマ。















動物園の中の内堀で隔てられた敷地を結ぶ赤い橋、鶴見橋を東へ
渡りながら、天守を見たところ。





















内堀の中の噴水と、天守。















ヒグマ。















厩舎の中のキリン。















キリン。















キリン。






















鶴見橋を、再度、西へ渡る。

フラミンゴ。













カンガルー。















動物園の正面入口(出口)から出て、ふり返ったところ。

そして、帰途につく。













かなり歩き回ったので、姫路で有名なたこ焼きを食べて
帰ろう。

姫路駅近くの「FESTA」のフードコートにあるタコピアへ。













行列に並びながら、たこ焼きを焼いているのが見える。



















焼いたたこ焼き。





















赤いまな板に載せてたこ焼きが出てくる。
そして、お汁もついている。

このお汁、初めて食べる姫路のたこ焼き、
定食ついている味噌汁みたいなものかと思っていたら
違っていた。















たこ焼きのアップ。




















周りの人が食べている様子を見てみると、驚くべき事に、
ソースをつけて、更にお汁につけて食べている。

ここでは、汁につけて食べるのが普通のようだ。

仕方がないので、郷に入れば郷に従え、真似て食べる事に。

でも、食べてみて、本音で言えば、食べなれたソースで食べるのが
一番だと思った。


使い込まれたまな板なんだろう、たこ焼きを食べた後の赤色が
はげた跡が印象的だ。








たこ焼きでお腹は膨れたが、姫路に来たら、もうひとつ
食べておきたいものがある。

まねき食品の「えきそば」だ。
中華麺に和風だしのミスマッチ、でも、美味しいで有名だ。

本来なら、ホームで立ち食いすべきであったが、あまりにも
歩きすぎて疲れていたので、ホームと同じまねき食品が
やっている店舗で食べた。

ちょっと食べすぎたが、新幹線で家路に。







 

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