西本願寺、東本願寺: 18May2019


奈良・京都旅行の8日目は、西本願寺、東本願寺、東寺、三十三間堂、豊国神社、方広寺、清水寺を
周りました。

四条大宮から大宮通りを南下して行くと、
左手に石垣で囲われたエリアが現れます。












その石垣の角から、石垣に沿って東を見たところ。

この通りが、花屋町通りで、本願寺に花を手向ける生花商が多かったと
言われています。

この石垣で囲われた内側が、西本願寺の境内になります。













西本願寺境内西側を南へ進んで行くと、大宮門があります。













その大宮門です。













大宮門から続く築地塀です。


















築地塀に沿って南へ歩いて行くと、龍谷大学 図書館の西門があります。













龍谷大学 図書館の南側の北小路通りです。













その図書館の南側に龍谷大学 大宮学舎があり、
その大宮学舎の西側を南に進み七条通りに出ます。

そして、七条通りを東へ進んで行くと、猪熊通りがあり、
七条通りに面して、猪熊門があります。











猪熊門を入ると、正面に西本願寺の大玄関門が見えます。













猪熊門をふり返って見たところ。













猪熊通りを北へ進んで行くと、龍谷大学の正門があります。

正門を通して見える建物は、明治12年(1879)に竣工した本館です。
洋風建築の技術が日本に浸透する以前の建物で、
木造部分は、ほぼ日本の伝統的な技術を使った疑洋風建築です。









西本願寺の大玄関門です。

この門から正面、南に延びる道が猪熊通りで、
門の前を東西に走る道が、北小路通りです。










西本願寺の大玄関門。

門の左右に唐破風付の番所を持つ薬医門の
形式をとってます。











こ大玄関門の東には、国宝の唐門があります。

唐門は、桃山時代の豪華な装飾彫刻を持ち、
入母屋造、檜皮葺き、前後に軒唐破風付の四脚門です。

しかし、私が訪問した時は修復工事で覆屋に覆われており、
見る事はできませんでした。







唐門の前から、唐門の西側、大玄関門を見たところ。

大玄関門の更に西には台所門が見えます。











唐門の前から東側、両側に築地塀が続く北小路通りを見たところ。













北小路門を東へ進むと、北小路門があります。













北小路門を東へくぐりながら、北西上部をふり仰ぐと、
西本願寺、飛雲閣の三層の一部が見えます。

飛雲閣は、国宝で、京都三名閣の一つです。











北小路門を東へ出ると堀川通りが南北に走っており、
その堀川通りから北小路門をふり返ったところ。

北小路門の左、南側は本山興正寺です。










北小路門の前から、本山興正寺を見たところ。

興正寺は、親鸞聖人を開祖とする真宗興正派の本山です。











西本願寺の東側には、今は水は流れていませんが、堀川があります。

北小路門の前、堀川に架かる橋の上から北側、堀川を見たところ。
















そして、南側、興正寺の東側にも堀川が続いています。













その堀川に沿って北に進みながら、北小路門をふり返ったところ。













北に進んで行くと御影堂門が見えてきます。













御影堂門です。

御影堂門は、正保2年(1645)に建てられた
入母屋造、本瓦葺の四脚門です。










堀川通りを挟んで、御影堂門の前、反対側には、総門があります。













総門です。

江戸後期に建てられた切妻造、本瓦葺の高麗門です。

現在地までに3度の移築が繰り返され、最後は昭和34年(1959)に
堀川通りの交通量の増加に伴った拡張が計画され、
東へ約6m移設されています。







御影堂門です。

西本願寺は、親鸞聖人(1173-1263)を宗祖とし、
浄土真宗本願寺派の本山で、
正式名称を龍谷山本願寺といいます。
また、親しみを込めて、お西さんとも呼ばれています。









御影堂門の前から北を見たところ。

御影堂門の北側にある阿弥陀堂門が見えます。











御影堂門の軒下を見上げたところ。













御影堂門を入ると、正面に目隠塀があり、
その横から御影堂が見えます。

目隠塀は、切妻造、本瓦葺、真壁造の塀です。










御影堂です。

元和3年(1617)の火災で焼失しましたが、
寛永13年(1636)に再建されたもので、
平成21年(2009)に大修復をしています。

東西48m、南北62m、高さ29mです。







御影堂門を入った場所から、南を見たところ。

中央、白壁の塀の向こう、木の陰に、
飛雲閣が見えます。

また、左よりの木の陰には鐘楼が見えます。








飛雲閣です。

豊臣秀吉が建てた聚楽第の一部と言われており、
金閣、銀閣と共に京都三名閣と呼ばれています。










鐘楼です。













鐘楼の説明です。

現在の梵鐘は二代目ですが、初代の梵鐘は、
1150年頃の鋳造で、1600年頃に太秦の広隆寺から
譲り受けたと伝えられます。

その初代の梵鐘は、本願寺内の安穏殿玄関横に
保存されています。





















鐘楼。













梵鐘を見上げたところ。


















りっぱな彫刻が施されています。













鐘楼の前、南東から御影堂を見たところ。













正面、東側から御影堂を見たところ。













御影堂正面です。













御影堂の前から、御影堂の北側に位置する
阿弥陀堂方向を見たところ。












御影堂の正面にあった蓮華の噴水鉢です。

水は出てませんでした。

そして、その向こうには大銀杏が見えます。









大銀杏です。

植栽時からの剪定で低い位置から枝が横に伸びた
特徴的な形状をしており、根っこを天に広げたような形から
逆さ銀杏と呼ばれています。









大銀杏の説明です。

天明の大火や、元治元年の大火の際には、
木から水を吹き出して耐えた事から水吹き銀杏とも
呼ばれています。









御影堂門の前に戻って、北西を見たところ。

右側はお茶所で、お茶所の前には手水舎があり、
その向こうには阿弥陀堂が見えます。










お茶所に展示されていた御影堂の南留蓋瓦と、北留蓋瓦です。

留蓋瓦とは、棟隅の端で瓦の合するところを覆う瓦で、
雨水の侵入や、台風で先端部の瓦が飛ばされるのを防ぐ役割を
持っています。
また、魔除けの役割も持ってます。

この留蓋瓦には、阿吽の獅子像がのっています。







御影堂門をふり返って見たところ。













お茶所の前、西側の手水舎です。













手水舎の向こう、北西に阿弥陀堂があります。













阿弥陀堂です。













阿弥陀堂。

宝暦10年(1760)に再建され、昭和60年(1985)に
修復されたものです。

東西42m、南北45m、高さ25mです。








阿弥陀堂の向かい、東側には阿弥陀堂門があります。

阿弥陀堂門は、享和2年(1802)に建てられた
切妻造、前後に軒唐破が風付く四脚門です。










阿弥陀堂の前から、阿弥陀堂の南に位置する
御影堂を見たところ。












左が御影堂で、右が阿弥陀堂です。













阿弥陀堂を正面、東から見たところ。













境内の北側、阿弥陀堂の北東に経蔵があります。













経蔵です。

この経蔵には、天海僧正が寛永12年(1635)に江戸の寛永寺で発起し
12年をかけて完成させた大蔵経(一切経)が納められています。










阿弥陀堂の前から御影堂を見たところ。













阿弥陀堂の説明書きです。

内陣中央に阿弥陀如来の木造が、
両脇にインド、中国、日本の七高層の内、龍樹菩薩、
天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、源信和尚の六師を、
両余間に法然上人と聖徳太子の彫像を安置しています。






















御影堂や、阿弥陀堂の縁側や廊下にある埋め木の説明です。

木材の補強、修復や、再利用する為に、
亀裂や穴を木片で繕う事を埋め木と言います。
動物や植物、とっくりや軍配など、大工さんの遊び心が伺える
埋め木があるようです。




















阿弥陀堂へ上がる階段から、南、御影堂方向を見たところ。


















阿弥陀堂の軒下を見たところ。

鶴に乗った老人の彫刻が施された蟇股があります。











阿弥陀堂の中へ入って見ると、
阿弥陀堂内陣は修復工事中で、阿弥陀仏像等、
お参りはできませんでした。











阿弥陀堂の縁側から、東を見たところ。

左に阿弥陀堂門、その横、柱の陰にお茶所、
そして、更にその横に御影堂門が見えます。










阿弥陀堂の縁側を、南へ、御影堂に向け進むと、
御影堂と阿弥陀堂をつなぐ渡り廊下があります。












その渡り廊下です。

この渡り廊下の先に、御影堂があります。











渡り廊下を御影堂へ向け進みます。













御影堂へ渡り、縁側を南に向いて見たところ。













御影堂の縁側を南まで進み、飛雲閣を見たところ。

木の陰で見えにくいけど、
飛雲閣二層目の板戸に描かれた三十六歌仙図が見えます。










御影堂の縁側の南から北、阿弥陀堂方向を見たところ。













御影堂の縁側から、東を見たところ。

正面に御影堂門が見えます。











御影堂の縁側に、木材を修復した跡の埋め木がありました。


















一つ発見すると、他にもないかと探してしまって、
たくさん見つけました。












とっくりの形の埋め木もありました。


















埋め木です。


















そして、御影堂の中です。













中央に、親鸞聖人の木造が安置されています。


















親鸞聖人像の両脇には、本願寺歴代宗主の影像が
安置されています。












そして、両余間には十字名号(帰命尽十方無碍光如来)と
九字名号(南無不可思議光如来)が安置されています。












北三の間の襖絵、雪松図。

作者は、円山派の吉村孝敬(1769-1836)です。











御影堂を出て、北側、阿弥陀堂方向を見たところ。













渡り廊下を阿弥陀堂へ戻りながら、東を見たところ。

右側がお茶所、その左に阿弥陀堂門が見えます。











渡り廊下を進み、正面に阿弥陀堂の南面が見えます。













阿弥陀堂の縁側から東側、阿弥陀堂門を見たところ。













阿弥陀堂から下りて、南を見たところ。

右側に阿弥陀堂、その向こうに御影堂が見えます。











境内の北東角にある太鼓楼を、境内の内側、南西から見たところ。













境内の外へ出て、境内の東側を北へ進みながら、
太鼓楼を見たところ。












太鼓楼を南東から見たところ。

内部には、大きな太鼓が残っており、
江戸時代には周囲に時刻を告げる合図となっていました。
また、幕末に本願寺を一時的に屯所としていた
新選組による刀傷が今も残っていると伝えられています。








太鼓楼、
新選組ゆかりの地
の説明です。



















太鼓楼。

太鼓楼の横の門は、御成門です。

御成門は、切妻造、本瓦葺の高麗門で、江戸後期の建築と
言われています。








また、別の太鼓楼の説明です。



























太鼓楼を東から見たところ。













太鼓楼を北東から見たところ。













太鼓楼の前から南を見たところ。













西本願寺の東を南北に走る堀川通りを渡り、
堀川通りを南へ進みながら、西本願寺を見たところ。

中央に見える門は、阿弥陀堂門で、
その向こうに見える門が阿弥陀堂門です。









阿弥陀堂門です。













そして、御影堂門です。













そして、御影堂門と堀川通りを挟んで向かいにある総門です。

総門を北から見たところ。

高麗門としての控柱は右側、堀川通り側、すなわち境内側に建っています。














総門を北東から見たところ。


















左側が総門で、堀川通りを挟んで右端に御影堂門が見えます。













そして、東側、正面から総門を見たところ。













総門を通して、向こうに見える門は、御影堂門です。


















総門から東へのびる通りを正面通りと言い、その正面通りを東へ進みます。

正面通りを東へ進んで行くと、右手に本願寺伝道院があります。
















本願寺伝道院です。

明治28年(1895)に真宗信徒生命保険会社の社屋として、
東京帝国大学教授伊藤忠太の設計で建築されました。










本願寺伝道院の説明です。

















伝道院の入口の前には、一風変わった狛犬?













よく見ると、伝道院の周りには、少し変わった動物達の像が
並んでいます。












本願寺伝道院の前から、総門をふり返ったところ。


















正面通りから、正面通りと平行に東本願寺の北を東西に走る
新花屋町通りへ出ます。

その新花屋町通りを東へ進んで行くと、
東本願寺境内の北側の石垣と堀があります。









その堀に沿って東へ進んで行くと、東本願寺の内事門があります。













内事門の両側に唐破風付きの番所が配されています。













内事門です。

参拝客は、境内の東側にある表門の御影堂門へ回るように
案内が出ています。










門の前にあった東本願寺の案内図です。




























内事門の中をのぞいたところ。













内事門の前から、御影堂門へ向かいます。

向かいながら内事門をふり返ったところ。











内事門から堀に沿って、東へ進みます。













東へ進んで行くと、宗務所門があります。













宗務所門です。













東本願寺の北東角。

北東角から、東本願寺の東側の塀、及び、堀を見たところ。

そして、北東は、鬼門にあたる為、鬼除けとして、
北東に角をつくらないように缺け(かけ)が設けられています。








北東角から、東本願寺の北側の塀、及び、堀を見たところ。













東本願寺の東側を堀に沿って、南へ進んで行きます。













東門願寺の玄関門が見えてきました。

玄関門は、切妻造、本瓦葺の薬医門です。











右端が、玄関門。

その先に菊門、そして、御影堂門が見えます。











菊門です。













菊門。

東本願寺の大宸殿への表門として、
宗祖650年遠忌事業で明治44年(1911)に
亀岡末吉の設計で建設されました。









菊門。

切妻造、檜皮葺、前後に軒唐破風が付く四脚門です。











菊門。

門扉に菊の紋があしらわれており、菊門と呼ばれています。











菊門の前から、南を見ると御影堂門が見えます。

更に、その先には、京都タワーが見えます。
















御影堂門へ向かいます。













東本願寺、御影堂門です。













御影堂門。

東本願寺は、真宗大谷派の本山で、正式には真宗本廟と言います。

宗祖は、西本願寺と同じく親鸞聖人(1173-1262)とし、
門弟らが宗祖の遺骨を大谷から吉水の北に移し、
廟堂を建て宗祖の影像を安置したことに起源します。







しかし、織田信長が石山本願寺を10年以上攻めた後、
和睦派の顕如、その三男の准如と、
抗戦派の顕如の長男、教如が対立します。

そして、豊臣秀吉の寄進を受けた顕如、准如の西本願寺、
徳川家康の寄進を受けた教如の東本願寺に分かれました。








東本願寺の御影堂門の前には道を隔てて、
緑地帯があり、蓮華の噴水があります。

御影堂門を、その蓮華の噴水横、正面から、見たところ。










御影堂門を見たところ。













御影堂門。

東本願寺は、慶長7年(1602)に徳川家康の寄進を受け、
慶長8年に阿弥陀堂、慶長9年に御影堂が建立されました。
しかし、幕末の禁門の変(蛤御門の変)によるどんどん焼けで
焼失し、明治44年(1911)に再建されました。

現在の御影堂門も、明治44年に再建されたものです。






御影堂門。

御影堂門は、三門形式の二重門で、真宗本廟の扁額を
掲げています。










御影堂門の前から、御影堂門の南に位置する
阿弥陀堂門を見たところ。












御影堂門を通して、境内を見たところ。













東本願寺境内案内図です。
























御影堂門を入り、正面に御影堂を見たところ。













御影堂に向かって、左側にある手水舎です。













そして、東本願寺境内の南側を見ると鐘楼堂があります。

その鐘楼堂の向こうには、京都タワーが見えます。
















境内の中から、御影堂門をふり返って見たところ。













御影堂前の灯籠です。

その灯籠の向こうには、手水舎が見えます。











御影堂です。

御影堂の右、北側には、高廊下が見えます。











その高廊下が折れ曲がり続いて行く先に、参拝接待所があります。

参拝接待所は、御影堂の北東に位置し、参拝接待所の前にあった境内図です。

























参拝接待所の前から御影堂を見たところ。













参拝接待所の前から御影堂門を見たところ。













御影堂です。

その御影堂の向こう、南側に見えるのは、阿弥陀堂です。











御影堂です。













御影堂の縁側に上がり、
縁側の上にあった
御影堂の説明です。










御影堂の縁側です。


















御影堂の縁側の上から、御影堂門を見たところ。













御影堂の南東の角から、南東の境内内部を見たところ。













御影堂の南には、阿弥陀堂があり、
阿弥陀堂と御影堂は、渡り廊下でつながっています。












御影堂の縁側、南側から、阿弥陀堂を見たところ。












東本願寺の御影堂と阿弥陀堂の両堂は、
慶長9年(1604)に完成して以来、4度の火災にあい、
その都度、再建されてきました。

その両堂再建の説明です。










その両堂再建の為に、全国から多くの用材が寄進されました。
黒姫神社の大きな欅の木を献木する為に、切った木を大橇に載せ尾神嶽山腹の吹切にさしかかった時、
雪崩が襲い、多くの人々が犠牲となりました。

その尾神嶽殉難の
説明です。





















渡り廊下へ展示されていた尾神嶽殉難を再現したジオラマです。













そして、当時、実際に使用されていた大橇です。

但し、尾神嶽殉難事故時に使用されていた橇ではありません。











大橇の説明です。
















大橇です。













阿弥陀堂へ渡り廊下を渡り、御影堂をふり返ったところ。

右側の建物は、御影堂門です。











阿弥陀堂の東側には、弥陀堂門があります。

その阿弥陀堂門の左側の建物には、
東本願寺慶長撞鐘が展示されています。










阿弥陀堂です。

阿弥陀堂の縁側、北から南を見たところ。











阿弥陀堂から下へ降りて、
阿弥陀堂の前から、御影堂門方向を見たところ。












阿弥陀堂の前から、鐘楼堂を見たところ。

鐘楼の左手間に見えるのは、蓮華の噴水鉢です。











鐘楼堂を北西から見たところ。


















鐘楼堂を北から見たところ。













鐘楼堂の前から北を見たところ。

左端に一部見える建物は阿弥陀堂で、
その向こうに御影堂があります。

右端に総合案内所、その向こうに御影堂門が見えます。








阿弥陀堂の東に位置する阿弥陀堂門です。













阿弥陀堂門を境内の中、西から見たところ。

切妻造、檜皮葺、前後に軒唐破風が付く四脚門です。











その阿弥陀堂門のすぐ横、北西に東本願寺慶長撞鐘が展示されています。

慶長7年(1602)に徳川家康から寺地の寄進を得た教如上人が
慶長9年(1604)の御影堂の造営に合わせて鋳造されたものです。















撞鐘の池の間の鳳凰図です。

その鳳凰図の下には、「慶長九 甲 辰 暦」の銘文が入ってます。











池の間の飛天図です。

飛天図の下には、「信浄院」の銘文が入ってます。

信浄院は、教如上人をさします。









別の飛天図です。

飛天図の下に、「五月廿八日」の銘文があります。

この撞鐘を鋳造した日が、慶長9年5月28日のようです。









撞鐘の竜頭です。

竜頭の方向が撞座に直行する古式の洪鐘です。











撞鐘の縦帯と横帯の交わったところ。


















東本願寺慶長撞鐘の前から御影堂を見たところ。













東本願寺慶長撞鐘の前から阿弥陀堂門を見たところ。













その阿弥陀堂門の扉です。

菊の紋と、五七桐の紋の飾り金具がついています。

十六弁の菊の紋は天皇家の紋ですが、かつては、
桐の紋も天皇家の紋として使用されており、
時の有力者へ天皇より下賜されていました。

そして、豊臣秀吉も、天皇より下賜された五七桐を使用していた事は有名です。

しかし、東本願寺は、徳川家康の寄進で寺地を与えられており、
なぜ、五七桐の紋が門扉に使用されているのか?
調べましたが不明です。






阿弥陀堂門を出て、北側を見たところ。

前方に見える建物は、御影堂門で、堀と築地塀が続いています。
















阿弥陀堂門を出て、阿弥陀堂門をふり返ったところ。













阿弥陀堂門を正面、東側から見たところ。













阿弥陀堂門です。













左が阿弥陀堂門で、右が御影堂門です。













阿弥陀堂門から南へ進んで行くと、
東本願寺の説明があります。


























東本願寺の南東角から、西を見たところ。


















東本願寺の南東角から、北を見たところ。














東本願寺の東側を南北に走る烏丸通りを南へ進んで行きます。


















南へ進んで行くと、正面にホテルグランヴィア京都が見え、
その右側にJR京都駅があります。













JR京都駅の前から北を見ると、京都タワーがあります。

京都タワーは、1964年の東京オリンピックが開催された年に完成しました。

高さは131mで、展望室は100mの高さにあります。














JR京都駅です。

現在の駅ビルは、平成9年(1997)に完成した四代目のビルです。












京都駅構内です。


















南北自由通路から西側、在来線の線路を眺めたところ。












京都駅ビルを南へ抜けて、次は東寺へ向かいます。




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