金閣寺: 17May2019



奈良・京都旅行の7日目は、北野天満宮、
平野神社、龍安寺、仁和寺、金閣寺、大徳寺、
清明神社、京都御所、元離宮 二条城を
訪ねました。

その一つ、金閣寺を紹介します。


仁和寺、龍安寺から、きぬかけの道を東へ
向かうと、青垣の中に金閣寺の文字が
見えてきました。








金閣寺 黒門の斜め前にあった神社。



















金閣寺の入口にあたる黒門です。

黒い柱が二本立っており、柱には、
鹿苑寺 通称 金閣寺とあります。

金閣寺は、正式名を鹿苑寺と言い、
相国寺の塔頭の一つです。














黒門を入ると、参道脇に定と書かれた
立札が立ってます。

境内での火器の使用や、鳥獣の捕獲、
植木の伐採の禁止が定められてます。















そして、参道を進んで行きます。


















 参道の先に、総門が見えます。



















総門へ向かう人々。


























参道の脇にあった金閣 鹿苑寺の境内図。





























中央が総門。



















総門。

写真右端は、世界遺産 金閣 鹿苑寺の
石碑です。
















総門の前の橋を渡り、総門へ向かいます。

そして、総門横の土塀を良く見ると、5本の線が
入っています。

この線は、寺格を表しており、格式が高い寺で
あることを示しています。













総門前の橋の上から下を見たところ。


























総門を抜け、参道を進みます。



















参道を進みます。

左側に鐘楼が見えます。

















その鐘楼。


鐘は西園寺家に由来し、鎌倉時代に
作られたと伝えられています。
また、黄鍾調の鐘として知られる「ラ」の音を
基準音としています。













京都市天然記念物の櫟樫(イチイガシ)。

樹高19.5m、幹周り4.93mと言う事です。
























その櫟樫(イチイガシ)の説明板。





















その反対側には、庫裏があります。

禅宗特有の様式の建物で、明応・文亀年間
(1492-1504)の建物と見られます。

















参道の正面にある唐門。

金閣寺の方丈(客殿)、本堂にあたる建物の門
です。

普段は締め切られており、使用できません。














唐門前から総門をふり返ったところ。




















唐門の横にある拝観受付で拝観料を払うと
金閣舎利殿 御守護のお札をもらいます。

























そのお札を見せて入門します。




















進んで行くと、目の前に鏡湖池(きょうこち)と、
舎利殿 金閣が現れます。

鏡湖池の渕には杜若が咲いていました。


舎利殿 金閣を南、少し東よりから見たところ。













舎利殿 金閣。

金閣寺は、鎌倉時代の公家、西園寺公経の
別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り
受け、山荘北山殿を造ったのが始まりです。















舎利殿 金閣。

金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世に
あらわしたと言われています。
そして、この時代の文化を北山文化と言われています。






















義満の死後、遺言により、1420年に、お寺となり、
無窓国師を開山とし、義満の法号鹿苑院殿から
二字をとって鹿苑寺と名づけられました。

















鏡湖池の周りに咲く杜若と、舎利殿 金閣。

現在の金閣は、1950年に徒弟僧の放火による焼失後、
1955年に再建されたものです。
























舎利殿 金閣。


















舎利殿 金閣。

金閣の手前、左側、鏡湖池に浮かぶ島は、
葦原島です。
















舎利殿 金閣。


















舎利殿 金閣。


















舎利殿 金閣。



















舎利殿 金閣。


















鏡湖池。



















鏡湖池の周りには杜若が咲いており、
その向こうには方丈が見えます。


















舎利殿 金閣。


















鏡湖池に沿って、舎利殿 金閣へ向け
進みます。

















舎利殿 金閣。

















舎利殿 金閣。


















鏡湖池。

















鏡湖池に浮かぶ葦原島。


















舎利殿 金閣。


























方丈。

方丈は応仁の乱で焼失しましたが、1678年に
後水尾天皇の寄進により再建されました。
















右に方丈。



















鏡湖池。

池の周りには多くの観光客がいます。


















方丈。

西から見たところ。

















方丈。

中央左より、方丈の庭に、陸舟の松が見えます。

この松は、義満公の盆栽で、地面に植え替えて、
舟の形に仕立てた松です。

この松の先は西を向いており、義満公は、この
舟に乗って、西方浄土を目指そうと考えたよう
です。











方丈。



















舎利殿 金閣。

南東から見たところ。
























舎利殿 金閣。

二層と三層は、漆の上から純金の箔が
貼られており、屋根は、椹(サワラ)の薄い板を
何枚も重ねた杮葺きです。















その屋根の上に飾られているのは、鳳凰です。

現在の鳳凰は4代目ですが、金閣焼失時、
屋根の上にいたのは2代目で、初代鳳凰は
焼失を免れました。現在は、相国寺に
保管されており、金閣寺創建当時から残る
唯一の遺物です。












一層は寝殿造で法水院(ホッスイイン)、
二層は武家造で潮音洞(チョウオンドウ)、
三層は中国風の禅宗仏殿造で
究竟頂(クッキョウチョウ)と呼ばれています。

三つの様式を見事に調和させた室町時代の
代表的な建物です。














高台の池の安民沢から鏡湖池へ流れる水路を
超えて進みます。
























鏡湖池と、舎利殿 金閣。




















舎利殿 金閣。

一層は寝殿造で法水院(ホッスイイン)と呼ばれ、
内部には、宝冠釈迦如来像と、足利義満像が
安置されています。





















鏡湖池。

中央は、葦原島。

この芦原島の右方には、三尊石組が
見られます。
また左側の斜めに据えられた石は、
有力大名の細川家より献上された石で、
細川石と呼ばれています。












鏡湖池。



















舎利殿 金閣。



















舎利殿 金閣。

二層は武家造で潮音洞(チョウオンドウ)と呼ばれ、
岩谷観音座像と四天王像が安置されています。























舎利殿 金閣。

東から見たところ。


三層は禅宗仏殿造で究竟頂(クッキョウチョウ)と
呼ばれ、仏舎利が安置されています。














舎利殿 金閣。

















舎利殿 金閣。
















下は、金閣内部の写真。
左上は、三層内部。仏舎利が安置されています。
右上は、二層内部。岩谷観音像と、四天王像が安置されています。
右下は、一層内部。宝冠釈迦如来像と、足利義満像が安置されています。












































舎利殿 金閣。

北東から見たところ。


















舎利殿 金閣。




















舎利殿 金閣と、鏡湖池。




















舎利殿 金閣。

北から見たところ。



















舎利殿 金閣。




















舎利殿 金閣。

金閣の西側、鏡湖池へはり出して建てられた
水上建築は、漱清亭(そうせいてい)。
または、釣殿と呼ばれている。

その漱清亭の右の島は、出亀島です。














舎利殿 金閣。

北西から見たところ。


















舎利殿 金閣。




















舎利殿 金閣。



















鏡湖池に浮かぶ入亀島。



















鏡湖池を離れ、鏡湖池の北側、園路に沿って
進んで行く。

途中、義満公がお茶の水に使用したと
伝えられる泉、銀河水があります。
















更に進んで行くと、義満公が手洗いに用いた
とされる泉、巖下水があります。


















巖下水。
























更に進むと、左側山肌に石段があります。

この石段は、中国の故事、虎渓三笑にちなんで、
虎渓橋と言います。

ちなみに虎渓三笑とは、晋の慧遠法師が廬山に隠棲し、
二度と虎渓の石橋を超えまいと誓ったが、訪ねてきた
陶淵明、陸修静を送って行きながら話に夢中になって
不覚にも石橋を渡ってしまい、三人で大笑いした故事です。

そして、その石段の両側に低い竹垣があり、右と左の
組み方が違っています。金閣寺垣と称されています。














その先には、龍門の瀧があります。




















龍門の瀧は、2.3mの高さを一段落としにした
ものです。



















また、龍門の瀧を鯉が登りきると龍に化するという
中国故事、登竜門に因んだ鯉魚石が置かれています。

滝壺に斜めに傾いた石が、今まさに跳ね上がらんとする
鯉の姿を表現しています。




















更に進むと、石仏があります。



















先へ進みながら、金閣を見たところ。


















高台の池、安民沢からの水を流す水路。

水は流れてませんでしたが、安民沢の水位調整で
水を流すのだと思う。





















その安民沢。

この安民沢は、金閣寺が建てられる以前、
西園寺家の別荘であった時代からの遺構で、
池の中央にある島には、西園寺家の鎮守の
白蛇の塚が建ってます。















その白蛇の塚の説明によると、
白蛇は弁財天の使いで、弁財天は智慧弁舌
芸能福徳を与えてくれる神で家運を盛んに
してくれるとあります。

















安民沢と白蛇の塚。




















高台から見た舎利殿 金閣。




















舎利殿 金閣。




















舎利殿 金閣。




















舎利殿 金閣。




















安民沢と白蛇の塚。




















安民沢の南東、高台に夕佳亭(せっかてい)が
あります。



















その夕佳亭の横に、貴人橸(きじんとう)が
あります。

貴人橸は、昔、高貴な人が座られた腰掛石で、
室町幕府より移設されたとの事。
















夕佳亭(せっかてい)。

江戸時代、傾きかけた金閣を復興し、池泉庭を
修復した鳳林承章が、茶道家の金森宗和に
造らせました。
現在の夕佳亭は、明治7年に再建されたもの
です。

夕佳亭は、宗和が好んだ数寄屋造りの茶席で、夕日に映える金閣が特に佳いと言う事で、
この名前がつけられました。










夕佳亭(せっかてい)。

三畳敷の床柱は、茶席としては珍しい
南天の木が用いられています。

土間の左端に見える竈は、羅生門の瓦を
塗り込んだと言われる飾竈になっています。













夕佳亭に隣接する青雲軒と言う茶室の門。



























夕佳亭を出て進むと、不動堂があります。





















不動堂。

本尊は、弘法大師が作られたと伝えられる
石不動明王です。


















不動堂。

金閣寺が建てられる以前、西園寺家の別荘であった時代に
建立されましたが、応仁の乱で焼失し、現在の建物は、
天正年間に宇喜田秀家によって再建されたものです。






















出口門。


























出口門を出て、石段を下り、入って来た黒門方向へ
向かいます。

























石段を下りながら、出口門をふり返ったところ。

















この後、大徳寺へ向かいました。







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