南禅寺、青蓮院門跡: 16May2019


奈良・京都旅行の6日目は、上加茂神社、下加茂神社、銀閣寺、そして、哲学の道を通って、
南禅寺、青蓮院門跡、知恩院、八坂神社を周りました。

哲学の道から、鹿ヶ谷通りへ出て、南へ向け進んで行くと、
左手に禅林寺の総門が見えてきます。

その総門の前を南へ、道なりに進んで行きます。









鹿ヶ谷通りを進んで行くと、鹿ヶ谷通りに門があります。

南禅寺の大寂門です。

南禅寺は、臨済宗南禅寺派の大本山。
正応4年(1291)、亀山法皇が
大明国師を開山に迎え開創されました。

亀山法皇の離宮が禅寺に改められたのが始まりです。




ゆるやかに西へ曲がっている鹿ヶ谷通りを進んで行くと、
南禅寺境内の中へ、南に向け入って行く道があります。

その道の奥、木立の間から、日本三大門のひとつ、南禅寺三門が見えます。

但し、この道を行かずに、正面に回ります。












南禅寺正面に回ると、手前が重要文化財の勅使門、
その向こう、南側に中門があります。

中門は、慶長6年(1601)に、松井康之より、
伏見城松井邸の門を、勅使門として、寄進されています。

その後、寛永18年(1641)に、明正天皇より、
御所にあった「日の御門」を、勅使門として、拝領しています。

そして、それまで勅使門であった中門は、現在の地に移建され、
幕末まで脇門と呼ばれていました。


そして、勅使門から、南禅寺の境内奥、東へ向け進むと、
正面に南禅寺三門があります。











その三門です。

三門とは、仏道修行で悟りに至る為に透過しなければならない
三つの関門の空、無相、無作の三解脱門を略した呼称です。

山門とも書き表され、寺院を代表する正門で、
禅宗七堂伽藍(山門、仏殿、法堂、僧堂、庫裏、東司、浴室)の
一つです。

また、この三門は、別名「天下竜門」とも呼ばれ、
上層の楼を五鳳楼と呼び、日本三大門の一つに数えられます。


三門へ向かう参道の右側に、巨大な石灯籠が有ります。

この石灯籠は、寛永5年(1628)の三門落慶の際に
佐久間勝之が供養の為に奉献したものです。

俗に佐久間玄藩の片灯籠と呼ばれています。












その石灯籠です。

高さは、6m余りあります。










三門です。

開創当時の三門は、永仁3年(1295)に
西園寺実兼の寄進により創設され、
応安年間に新三門へ改築されましたが、
文安4年の火災で焼失しました。

現在の三門は、寛永5年(1628)に
藤堂高虎が大阪夏の陣に倒れた家来の菩提を弔うために
再建されたものです。



三門です。

構造は、入母屋造り、本瓦葺の五間三戸二階二重門で、
高さは約22mあります。

禅宗様式独特の圧倒的な量感と列柱群が力強さを示しています。







三門を南東から見たところ。












南、少し西よりから、三門を見たところ。

三門の両脇、南と北側には、
切妻造りの平屋の建物、山廊があります。

この山廊に、楼上に登る階段があります。







南、少し東よりから、三門を見たところ。

手前が、山廊です。















南側の山廊の横から、三門を見上げたところ。

















南側の山廊が、三門の参拝入口になっています。












山廊の中に、三門の楼上へ上がる階段があります。

















急な階段を登って行くと、小さな踊り場があり、更に階段は続きます。

















楼上へ到着し、回廊から景色を眺めます。

南を見ると、南禅寺の塔頭のひとつ、天授庵が見えます。

天授庵は、歴応2年(1339)に、光厳天皇の勅許により、
虎関師錬が南禅寺開山大明国士の塔所として
建立されました。






三門の楼上、西面です。












内陣は、金網越しに見る事はできますが、写真撮影禁止です。

内陣には、宝冠釈迦座像を本尊とし、
その脇士に月蓋長者、財前童士、
左右に十六羅漢、本光国師、徳川家康、藤堂高虎の像、
藤堂一門の重臣の位牌が安置されています。

また、内陣の天井には、狩野探幽、土佐徳悦の筆とされる鳳凰、
天人の極彩色の図が描かれています。

五鳳楼の呼び名は、5匹の鳳凰が描かれた
天井画に由来するのだと思います。

西側の景色です。

参道正面に、勅使門が見え、更にその先に見える四角いビルは、
京都ホテルオークラです。

また、三門楼上からの景色は、
歌舞伎「楼上五三桐(さんもんごさんのきり)」の中で、
満開の桜の景色を見て「絶景かな、絶景かな」と
大見得を切る場面が有名です。

但し、石川五右衛門と見られる人物が
三条の河原で処刑されたのは文禄3年で、
三門が再建されたのはその後なので、
実際に五右衛門が生きた時代には
三門は存在してなかったと言われています。



三門の楼上から見た勅使門です。

















三門の楼上、北西角から、楼上の西面を見たところ。












三門の楼上、北西角から、北、西よりの景色を見たところ。












三門の楼上、北西角から、北、東よりの景色を見たところ。












三門の楼上、北東角から、北東、下を見れば、
専門道場が見えます。











三門の楼上、北東角から、楼上の北面を見たところ。

山廊から続く階段の入口が見えます。










三門の楼上、北東角から、西、北よりの景色を見たところ。












三門の楼上、北東角から、楼上の東面を見たところ。












南東を見ると、南禅寺の塔頭のひとつ、正因庵が見えます。












その正因庵。












三門の東面、楼上の中央から、東を見たところ。

正面に法堂が見えます。










楼上から見た法堂。

















楼上の回廊を移動しながら、正因庵を見たところ。












三門の楼上の南東角から、正因庵を見たところ。












その正因庵です。












三門の楼上、南東角から、楼上の南面を見たところ。

山廊から続く階段の入口が見えます。










そして、三門の楼上、南西角から北を見たところ。












回廊を一周し、山廊へ階段を下ります。

階段を下りながら、階段を見上げたところ。










基壇の上に立つ三門の柱です。












基壇の上に立つ三門の柱です。












次は、三門から、南禅寺法堂へ向け進みます。












法堂へ向け進みながら、三門をふり返って見たところ。












法堂です。

法堂は、方式行事や公式の法要が行われる南禅寺の
中心となる建物です。

創建当時の報道は、応仁、文明の乱で焼失し、
その後、再建、改築されましたが、
明治26年(1893)の火災で焼失し、
現在の法堂は、明治42年(1909)に
再建されたものです。



法堂へ向かいながら、三門をふり返ったところ。












法堂です。












法堂前の常香炉です。












そして、法堂へお参りする人達です。

内部の須弥壇上中央に、本尊の釈迦如来、
右側に獅子に騎る文殊菩薩、左側に象に騎る普賢菩薩の
三尊を安置し、床は一面の敷瓦となってます。

天井には、今尾景年画伯による幡龍が描かれています。






法堂の南側には、水路閣があり、
次は水路橋に向かいます。

水路橋に向かう途中、法堂をふり返ったところ。









進んで行くと、水路閣が見えてきました。

水路閣は、琵琶湖疎水の分流として
南禅寺境内を通す際の水路橋として、
明治21年(1888)に完成しました。








木立の間から、水路閣が見えます。












水路閣です。











水路閣の説明です。




















水路閣です。

全長93.2m、幅4m、高さ9mの水路橋です。










水路閣です。

















水路閣。

















水路閣。












水路閣。

















水路閣。

















水路閣。












次は、水路閣から、本坊、そして、方丈へ向かいます。

本坊です。

本坊は、常住とも呼び、衆僧生活の場であるとともに、
臨済宗南禅寺派の宗務を取り扱う寺務所になってます。







本坊の庫裏を抜け、大方丈へ向かいます。

大方丈前庭です。










作庭の名手、小堀遠州の作と伝えられる庭です。












そして、この庭は、虎の子渡しの庭と呼ばれています。












白砂と築地壁に面して置かれた大小6つの石が
見事に調和する様は、中国の故事にある川を渡る虎の親子に
見立てられています。










虎の子渡しの庭は、江戸時代初期の代表的な枯山水庭園として、
国の名勝に指定されています。











そして、大方丈の北側に接続する小方丈の庭です。

心字形に庭石を配置した枯山水の石庭で、
解脱した心を表現しており、
如心庭と呼ばれています。








小方丈の北側の六道庭です。

六道庭は、六道輪廻の戒めの庭を表現しています。

ちなみに、六道輪廻とは、
天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄の
六つの世界を生まれ変わり続けるという
仏教の世界観です。





小方丈の東側、回廊に囲まれた坪庭です。

鳴滝庭と呼ばれています。










回廊の東側にある華厳庭です。

華厳とは、華によって美しく飾る事を意味し、
仏教的には修行を華にたとえ、その華で仏を飾る事を
意味します。








回廊から、六道庭を見たところ。












回廊を北へ進むと、龍吟庭があります。

右手の池は、拳龍池で、奥に不識庵と言う茶室が見えます。

不識とは?
達磨大師がインドから中国へやって来た際に、梁の武帝と
禅問答をします。
武帝が「私は、仏教を保護してきたが、
どのような功徳があるか?」と聞くと、
達磨大師は「無功徳」と答えます。
武帝が「仏教のありがたい教えは何か?」と聞くと、
達磨大師は「廓然無聖」と答えます。
(台風一過の青い空のように、特別なものは何もありません。)
武帝が「それでは、禅の教えを伝えるお前は、何者か?」と聞くと、
達磨大師は「不識」(知らず)と答えました。

回廊を戻りながら、六道庭を見たところ。












華厳庭です。












方丈、本坊を出て、
再び、水路閣へ向かいます。

水路閣の南側には、南禅寺の塔頭の一つで、
かつて、亀山法皇の離宮で、南禅寺発祥の地
でもある南禅院があります。

その南禅院への参道の石畳には、
仏教の教えである万物を形成する
五つの元素、地(堅性)、水(湿性)、火(煖性)、
風(動性)、空(円性)のシンボルが
彫刻されています。






南禅院参道に彫られた空(円性)の彫刻です。












その参道を進んで行くと、水路閣があります。












水路閣です。












そして、水路閣から、三門の横を通って、中門へ向かいます。












途中、左手に、南禅寺塔頭の一つ、天授庵の門があります。











参道横にあった南禅寺全景図です。


























そして、南禅寺の説明です。

室町時代に京都五山制度が行われると、足利義満により、
南禅寺は、五山之上と言う最高位に列せられました。






















正面は、中門です。

中門は、慶長6年(1601)に、松井康之より、伏見城松井邸の門が
勅使門として寄進されたものです。

その後、寛永18年(1641)に、明正天皇より、
御所にあった「日の御門」を勅使門として、拝領しました。
そして、それまで勅使門であった中門は、現在の地に移建され、
幕末まで脇門と呼ばれていました。




左が中門で、右が勅使門です。












中門を出て、外から勅使門を見たところ。












勅使門から、まっすぐ西へ進むと池があり、
石橋が架かってます。

その石橋を超えて、勅使門をふり返ったところ。

禅寺では、通常、勅使門と三門の間に
池があることが一般的ですが、
南禅寺では勅使門の手前に池があり、珍しい事です。

また、この池は南禅寺の山号、瑞龍に因んで、
拳龍池と呼ばれています。


中門の前、西に延びる道、綾戸小路を西へ向かうと、
右手の小高くなった木立の中に、 綾戸大明神があります。

この綾戸大明神は、南禅寺十境として
讃えられた景観の一つです。








綾戸小路を西へ進むと、琵琶湖疎水へ出ます。

南禅寺橋から北西を見たところ。

ここは、南禅寺船溜まりで、
この船溜まりから蹴上までの間の36mの高低差を、
水力発電の電力を使用したインクライン(傾斜鉄道)で
船を台車に載せ運搬をしていました。





鴨川と南禅寺船溜まりを結ぶ鴨東運河の東の端、
南禅寺船溜まりに、噴水があります。











その噴水です。

正面、船溜まりの向こうは、京都市動物園です。










鴨東運河に沿って西へ向かいながら、
噴水をふり返ったところ。











鴨東運河に沿って西へ向かいながら、
東をふり返ったところ。











西へ向かいながら、東をふり返ったところ。












鴨東運河に沿って西へ進んで行くと、
南北に走る神宮通に出ます。

鴨東運河を渡り、北へ進むと神宮道をまたいで
赤い大きな大鳥居があります。

平安神宮の大鳥居です。






平安神宮には行かず、神宮道を南下すると、
左手に青蓮院門跡があります。











正面に、青蓮院門跡の薬医門が見えます。

青蓮院は、粟田御所とも呼ばれる天台宗の三門跡のひとつです。

比叡山にあった僧侶の住坊が起源で、最澄や円仁をはじめとした
高僧の住居でしたが、鳥羽法皇が現在地に殿舎を造営し、
門跡寺院として青蓮院が始まりました。

そして、当時はまだ新興宗教だった浄土真宗の祖、親鸞聖人に
理解を示し、庇護し、親鸞聖人が得度した地として、
浄土真宗の聖地になってます。

粟田御所は、江戸時代の天明8年(1788)に
火災で御所が炎上した折に、
後櫻町上皇は、青蓮院を仮御所として避難された事に由来します。

まっすぐ進むと、薬医門、右手に長屋門があります。












長屋門です。

明正天皇(1623-1696)の中和門院の旧殿の門を
移築したものです。

また、門前には名木の楠が5本あり、
親鸞聖人手植えと伝えられ、
京都市の天然記念物に指定されています。





薬医門です。











薬医門の前にあった青蓮院の説明です。





















薬医門を入り、左へ行くと、植髪堂です。

植髪堂は、浄土真宗の祖、親鸞聖人が、門主の慈鎮和尚のもと、
得度された折の剃髪が、親鸞聖人の童形像に植えられて
祀られています。







植髪堂の由来の説明です。

























薬医門を入ったところから右に行くと、
拝観受付の矢印があります。











正面が、拝観受付玄関です。












その拝観受付玄関の手前、右手に小さな庭が見えます。












その庭です。












拝観受付玄関へ戻り、玄関の前にあった青蓮院門跡の説明です。























拝観受付し玄関を入り、華頂殿へ行きます。

華頂殿には、Ki-Yanこと木村英輝氏によって描かれた
平成の襖絵、《蓮-青の幻想 生命賛歌 極楽浄土》が
あります。

青、赤、黄、白、色とりどりの蓮の花が咲き誇る
《極楽浄土》です。





《極楽浄土》です。












《極楽浄土》。












小さな生き物たちが生を謳歌する《生命賛歌》です。












華頂殿から相阿弥の庭を見たところ。

相阿弥の作と伝えられる
龍心池を中心とする室町時代の庭園です。









華頂殿から見た相阿弥の庭です。












宸殿から四脚門を見たところ。

宸殿は、徳川家康の孫である
東福院(後水尾天皇女御)の御所を移転したもので、
明治26年(1893)に焼失しましたが、
その後、再建されました。
有縁の天皇、及び、歴代門主の御尊牌が祀られています。

四脚門は、明正天皇(1623-1696)の中和門院の旧殿の門を
移築したもので、明治26年(1893)の火災を免れています。



宸殿の前、南側の庭。

宸殿から南西を見たところ。

境内の南西隅、木の陰に鐘楼があります。








宸殿から本堂を見たところ。

左端が宸殿で、中央が本堂。

本堂は、青不動明王が祀られていた不動堂と、
青蓮院の本尊、熾盛光如来の曼陀羅を祀る
熾盛光堂(しじょうこうどう)からなってます。

ちなみに、この青不動明王(青不動明王二童子像)は、
身体の色が青黒で青不動と呼ばれ、
日本三大不動画の一つとして有名で、
国宝に指定されています。
現在は、将軍塚青龍殿に安置されています。

宸殿から、小御所を見たところ。

小御所は、平安時代末は、門主の居間で、
後櫻町上皇も、仮御所として使用された際には、
小御所を使用されたとの事です。
しかし、明治に焼失し、江戸中期の建物が
移築されています。






宸殿の廊下から、小御所へ渡る廊下、
そして、小御所を見たところ。











そして、小御所から、相阿弥の庭と、龍心池を見たところ。












小御所から、相阿弥の庭と、龍心池を見たところ。

















本堂へ渡り、小御所をふり返ったところ。

左が小御所で、その小御所の横へ、龍心池が延びてきています。















本堂の東側には小さな庭があります。

庭の世界には、三尊石と言う石組の手法があります。
三尊には釈迦三尊や薬師三尊などがあります。
この庭は、その三尊石を中心に西方浄土を
イメージして作庭されてます。







三尊石を中心に西方浄土をイメージして
作庭された庭です。











本堂へお参りし、庭に下り、本堂の前から、
宸殿の庭方向を見たところ。
















本堂から小御所の前へ移動し、
相阿弥の庭と、龍心池を見たところ。











そして、華頂殿の方へ移動しながら、
相阿弥の庭と、龍心池を見たところ。











龍心池。鯉が泳いでいます。












華頂殿の前から、小御所の方を見たところ。












華頂殿の前を北へ進んで行くと、霧島の庭があります。

子堀遠州作と伝わる庭園で、5月の連休の頃には、
霧島つつじが一面を真っ赤に染める事から
霧島の庭と呼ばれています。








霧島の庭です。












道なりに、霧島の庭を周って、好文亭の前を抜けると、
正面に小御所が見えます。
















そして、華頂殿も見えます。












道なりに進んで行くと、本堂の横へ出ます。

正面に見えるのは、小御所です。















本堂の横を抜けて行きながら、
本堂の南面をふり返ったところ。











そして、本堂から、宸殿の南側の庭の道を進みます。

宸殿の前の木は、左近の桜です。










宸殿の南面です。

右側の木は、左近の桜で、左側の木は、右近の橘です。

左に見える門は、四脚門です。








宸殿の庭の道を進んで行くと、
大きな楠があり、その向こうに鐘楼が見えます。
















宸殿です。

中央、左よりの木は、右近の橘です。










宸殿の南面です。

右側の木は、左近の桜で、左側の木は、右近の橘です。










境内の南西隅にある鐘楼です。












宸殿を南西から見たところ。












宸殿の西側にある四脚門です。












宸殿を西から見たところ。












大玄関です。












大玄関の前に、親鸞聖人童形像があります。

親鸞聖人は、九歳の時、養和元年(1181)、
青蓮院の慈鎮和尚のもとで得度されました。
そして、得度の際、馬を繋いだ古松が、
この辺りにあったと伝えられています。







大玄関です。












青蓮院の薬師門を出て、長屋門を見上げたところ。












神宮道へ出て、長屋門を見上げたところ。

左の楠は、親鸞聖人手植えと伝えられています。










神宮道から、青蓮院の四脚門を見上げたところ。












神宮道を南へ歩いて行くと、左手に
花園天皇 十樂院上陵の門があります。











次は、知恩院へ向け、神宮道を進みます。



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