京都大原 三千院 :23Jan2025


京都は、何度も訪れた事がありますが、それでも、訪問できて無い場所があります。

京都を全て見て周る事は無理だと思いますが、
そして、昨年(2024年)10月に訪問したばかりですが、
再度、三泊四日で再訪しました。

三日目は、寂光院、三千院、京大百周年時計台、吉田神社、真如堂を訪問します。

寂光院を出て南東へ進み、
国道367号線を渡ったところへ、
大木がたっており、梅之宮神社があります。














梅之宮神社の鳥居です。

この梅之宮神社の前の道から
すぐ上を通る三千院への参道へ向け
上って行きます。







梅之宮神社を正面から見たところ。

鳥居の先、正面に本殿があります。

梅之宮神社は、
この辺りの産土神様である
江文神社の境外摂社で、
祭神は木花咲耶姫です。
江文神社の妻女を祀ったと伝わり、
姫宮とも呼ばれています。


三千院の参道へ向け上がりながら
、 梅之宮神社をふり返って見たところ。










三千院の参道へ出て、三千院へ向かいます。

途中、石灯籠や、道標がたってます。

手前の石灯籠には、愛宕大神とあります。
愛宕灯籠です。

奥の大きな石灯籠には、魚山寳前とあります。









参道を進んで行くと、また、愛宕灯籠があります。

京都の北西に位置する標高924mの愛宕山の山頂に
愛宕神社があり、
古来、火伏せの神として愛宕大神が信仰されています。
愛宕灯籠は、その愛宕大神に捧げる灯明です。











参道を進んで行くと、
民家の庭先に石灯籠があります。

竿石の上部がふくらんでおり、
文字が入ってます。
また、竿石の下部の壁龕に
人物像が彫られています。

キリシタン灯籠と思います。



参道を三千院に向け上って行きます。
















また、愛宕灯籠があります。
















参道を上って行くと、
茅葺の家があります。










茅葺の家です。

木造平屋建、入母屋茅葺屋根で、
四周に桟瓦葺の庇を巡らしています。








茅葺の家の説明です。











前方、北に三千院が見えて来ました。

手前に呂川が流れており、
魚山橋が架かっています。








魚山橋を渡り、階段を上って行きます。











その階段の横に、
大原女の小径の立札と、
大原女像があります。









階段を上ったところは
桜の馬場で、
かつ、お土産屋さんや、食事処が並ぶ
門前通りになってます。

右側は三千院です。

三千院と言えば、
歌手や歌の題名はわかりませんが、
子供ながらに聞いた
「京都 大原 三千院 …」のフレーズが
頭に浮かびます。
(大原から帰る直前、「女ひとり」と言う歌の歌碑を見つけました。)

この歌の影響で、私にとって京都と言えば、三千院、とても楽しみです。

しばらく北へ進むと、
右手に御殿門が見えてきます。









御殿門の下にあった三千院境内図です。





















御殿門です。
西から見たところ。

御殿門は、
高い石垣の上に築かれています。







御殿門を入り、左へ、北へ
階段を上がると、
拝観受付があります。









拝観受付の前から、南を見ると、
左手に客殿が見えます。

客殿の玄関は、唐破風になってます。








拝観受付を済ませて、中書院を通って
客殿へ向かいます。

途中、枯山水の坪庭があります。













坪庭です。











客殿の東側から南にかけて、
江戸時代の茶人、金森宗和によって修復された
聚碧園(しゅうへきえん)と言う庭園があります。

客殿の北東隅から、聚碧園、客殿の東側を見たところ。












客殿の北東隅から、聚碧園、客殿の東側を見たところ。
















客殿の北東隅から、
聚碧園、客殿の東側を見たところ。

客殿の縁側が続いてます。








客殿の南東角から、聚碧園の北側を見たところ。

中書院、客殿の東側、上の段に位置する
宸殿へ続く廊下のある建物が見えます。













客殿の南東角から、
聚碧園の南東を見たところ。










客殿の南東角から、
聚碧園、客殿の南側を見たところ。

正面の建物は、円融房です。








客殿の南東角から、
聚碧園、客殿の南側を見たところ。















客殿の南側から、
聚碧園を見たところ。

聚碧園は、縁側、座敷から鑑賞する
池泉鑑賞式庭園として築庭されています。







客殿の北側、中書院の東側に位置する
庭です。

手前に二つの手水があります。













その手水の後に、
「懺法洗心 清浄水」の立札が
たってます。

懺法(せんぼう)とは、
犯した罪を告白し、許しを乞う
行法の事です。





その洗浄水の手水のある庭の左側は、
中書院です。















宸殿へ向かいます。

宸殿の前には、
青苔に杉や檜などの立木が並ぶ池泉回遊式庭園の
有清園が広がっています。












宸殿へお参りして、
縁側から有清園、南側を
眺めたところ。

中央は、往生極楽院です。







有清園です。
















有清園です。

苔庭の向こうには、池があります。









有清園です。

往生極楽院も見えます。









宸殿の東側です。
















木立の中に、小さな仏像がたってます。

左の掌の上には、薬壺でしょうか?
薬師如来像と思います。








宸殿から下りて、有清園の中を歩きます。
















有清園です。

石仏がたってます。









弁天池です。
















宸殿から南へ進んで行くと、
往生極楽院があります。










宸殿をふり返って見たところ。

三千院は、延暦年間(782-806)に
伝教大師最澄が比叡山東塔南谷へ
一宇を構え、円融房と称した事に
始まります。

その後、慈覚大師円仁に引き継がれ、
最雲法親王入室により、平安後期以降、
皇室皇族が住持する宮門跡となります。

寺地は、比叡山内から近江坂本、
そして、洛中を、火災や応仁の乱等で
幾度か移転し、寺名も変遷しています。

明治4年、法親王還俗に伴い、三千院と称するようになります。
また、明治維新後、現在の地、大原へ移っています。

多くの観光客をやり過ごして、
宸殿を正面、南から見たところ。

宸殿は、三千院で最も重要な法要、
御懴法講(おんせんぼうこう)を行う為、
御所の紫宸殿を模して、
大正15年に建てられました。

本尊は、伝教大師作と伝わる
薬師瑠璃光如来で秘仏です。


宸殿の正面から外れて、
南、西よりから宸殿を見たところ。










宸殿から、往生極楽院を結ぶ道を
少し、戻って、
北側から往生極楽院を見たところ。









往生極楽院です。
北西から見たところ。










往生極楽院の前から、北、少し東よりを見たところ。

右手に錫杖を、左手の掌の上に薬壺を持つ
石仏が見えます。













往生極楽院の前から、
北、少し東よりを見たところ。










往生極楽院の東側に弁天池があります。











弁天池の中に亀島があります。

飛び石で
亀島へ渡れるようになってますが、
立入禁止です。







弁天池の中の亀島です。











往生極楽院を北東から見たところ。











弁天池です。
左端に亀島が見えます。










弁天池です。
















弁天池に沿って南へ進みます。
















南へ進んで行くと、
中央、左よりに、鶴島があります。










往生極楽院の南東角をまわって、
南西に西方門が見えます。

右の建物は、円融房です。








正面、西に西方門を見たところ。

その向こう右は、円融房です。









そして、北側は、往生極楽院です。

平安時代に、「往生要集」の著者で
天台浄土教の大成者である
恵心僧都源信が、父母の菩提の為、
姉の安養尼と共に建立しました。






往生極楽院を、正面、南から見たところ。

往生極楽院に祀られている阿弥陀三尊像は、
お堂に比べて大きく、
天井を船底型に折り上げています。

また、現在は肉眼で識別困難ですが、
極楽浄土に舞う天女や諸菩薩の姿が極彩色で描かれ、
極楽浄土が表わされています。








往生極楽院の南東の苔庭には、
石灯籠があり、その周りをよく見ると
小さなお地蔵様がいます。









そのお地蔵様です。

石彫刻家の杉村孝氏の制作で、
わらべ地藏と呼ばれています。








石灯籠の周りには、
いくつかのわらべ地蔵を
見る事ができます。









石灯籠の周りのわらべ地藏と、
その向こうに往生極楽院を見たところ。











そのすぐ横に、弁天池があります。











弁天池です。

右側の竹筒から流れ落ちる水は、
延命水です。

この延命水は、金色水とも呼ばれ
福寿延命の水として知られています。





延命水が流れ落ちる弁天池と、
その向こうに往生極楽院を見たところ。















その弁天池の横を抜けて、
階段を上がると
弁財天像と、小さな祠があります。

小さな祠の中には、
とぐろを巻いた蛇の宇賀神が
祀られています。





鳥居を通して、
弁財天像と、宇賀神の祠を見たところ。

鳥居の横の立札に
    京の七福神
   妙音福寿大弁財天
 おんそらそばていえいそわか
とあります。




その弁財天の東側には、
あじさい苑があります。

初夏には、
赤、青、紫、白、色とりどりの紫陽花で
彩られます。






あいじさい苑の横を上って行くと
広い段があり、正面、北側に
金色不動堂があります。









その段の右手には、
草木供養塔が建っています。










金色不動堂です。

金色不動堂は、
護摩祈祷を行う祈願道場として、
平成元年に建立されました。

本尊は、智証大師(794-876)作と伝わる
秘仏金色不動明王です。




金色不動堂の手前、右手、東側に
更に階段があります。

その階段を上りながら、
金色不動堂を見下ろしたところ。







階段を上った正面、東側に
観音堂があります。










観音堂の左、北側には、
二十五菩薩 慈眼の庭が
あります。

二十五菩薩 慈眼の庭は、
補陀洛浄土を模して二十五菩薩を
配しています。





観音堂から、あじさい苑の横を下って行きます。
















そして、弁財天像の横の階段を下ります。











下段を下りながら、
前方に見える緑の屋根は、
朱雀門です。

朱雀門は、往生極楽院の南に位置し、
その昔、往生極楽院を
本堂としていた頃の正門にあたります。
この朱雀門は、江戸時代に
再建されたものです。



階段を下りて、 右に弁天池、
その向こう、中央に往生極楽院を
見たところ。









朱雀門の前から北を見ると
正面に往生極楽院です。















西門へ向いながら、
右手に往生極楽院を見たところ。










西門を抜け、階段を下りて
西門をふり返って見たところ。

左は、円融房です。








西門を下りて、円融蔵の前から、
北を見たところ。

右は円融房で、左が円融蔵です。








三千院を出て、三千院の西側の門前通りを北へ
勝林院へ向かいます。

前方の赤い橋は、律川に架かる未明橋です。
但し、橋の反対側の親柱には茅穂橋とありました。
なぜ?

未明橋を渡った真っすぐ先は、勝林院です。









そして、律川です。

三千院の北側を流れる川を「律川(りつせん)」、
南側を流れる川を「呂川(りょせん)と呼んでいます。
これは声明音律(しょうみょうおんりつ)の
「呂律(りょりつ)に因んでいます。

そして、「呂律(ろれつ)が回らない」と言う言葉の
語源になっています。








正面に勝林院が見えます。











未明橋を渡ったすぐ右手に、
後鳥羽天皇、順徳天皇の
大原陵があります。

中央の三角屋根は、法華堂です。






正面が、
後鳥羽天皇、順徳天皇 大原陵です。










後鳥羽天皇、順徳天皇 大原陵です。

後鳥羽上皇(1180-1239)は、
源氏滅亡後、幕府を支配下に置こうと、
執権、北条義時追討の兵を挙げた
承久の乱(承久3年、1221)で敗れ、
隠岐へ流され崩御されました。

順徳上皇(1197-1242)は、
後鳥羽上皇の第3皇子として生まれ、
承久の乱で敗れ、佐渡へ流され
崩御されました。

後鳥羽天皇、順徳天皇 大原陵を出て、
勝林院へ向かいます。










勝林院への参道を進みます。

正面は、勝林院の本堂です。

正式には、魚山大原寺勝林院と言い、
長和2年(1013)に寂源によって、
声明による念仏修業の道場として創建されました。

約90年後、来迎院が創建されると、
二つの本堂を中心として僧坊が建立され、
勝林院と来迎院を中心とした大原東部の寺院群は、
魚山大原寺と総称されるようになっています。





勝林院へ向かう途中、右手に
法華堂へ向かう階段があります。

法華堂は、後鳥羽天皇、順徳天皇 大原陵の
すぐ北に隣接してあります。

法華堂は、後鳥羽天皇の第七皇子の尊快法親王が
後鳥羽天皇の菩提を弔う為、建立されました。









勝林院の本堂です。

勝林院は
火災や水害の度に再建されてきており、
現在の本堂は、安永7年(1778)に
再建されたものです。

幅7間、奥行6間の総欅造りで、
屋根は木の板を重ねて葺いた柿葺です。



本堂の南東に位置する鐘楼です。

梵鐘は、平安時代中期のもので、
鐘楼は、
江戸時代の寛永年間(1624-1645)に
春日局の寄進で再建されたものです。

中央左より、鐘楼の東側奥には、
宝篋印塔や山王社、観音堂へ至る
階段が見えます。


宝篋印塔や山王社、観音堂へ至る
階段です。










その階段の横には
放生池があります。










宝篋印塔や山王社、観音堂へ至る
階段を上ると西林院跡があります。

かつて、阿弥陀如来を祀った
念仏の修行道場があり、
西林院堂と呼ばれていました。

その奥、中央少し左よりに
宝篋印塔が見えます。



木の橋を渡って、奥へ入って行きます。
















中央の木のすぐ左に
宝篋印塔があります。
左端の祠は、観音堂です。

この宝篋印塔は、
鎌倉時代末期に建てられたとされ、
重要文化財と言う事です。





その宝篋印塔に向かって左側に、
山王社と観音堂があります。










宝篋印塔への階段を下りて、
本堂を南東から見たところ。

天台宗に伝わる声明は、平安時代に
円仁が中国から比叡山へ伝えた事から
始まります。
そして、円仁の系譜に連なる
寂源が創建した勝林院と、
良仁が創建した来迎院が
魚山大原寺を総称し、
大原寺は声明の伝承拠点の一つとして
発展します。

また、声明は、後の時代に謡曲や浄瑠璃等の古典邦楽に大きな影響を与えています。

本堂へお参りし、
本堂の上から南を見たところ。
参道がまっすぐ続いています。

本堂に祀られている
阿弥陀如来坐像が本尊ですが、
大原問答の際に奇瑞を示した事から、
「証拠の阿弥陀」と通称されています。
文治2年(1168)、勝林院住職の顕真が
法然を招いて、延暦寺、金剛峯寺、
東大寺などの高僧と共に
念仏の教えに問答を交わします。
法然は念仏を唱えれば極楽浄土へ往生できると説き、すると本尊が光を放ち、
法然が正しいと証明したと言う事です。

本堂を下りて、
南東に鐘楼を見たところ。










勝林院を出て、宝泉院へ
勝林院の前の道を西へ進みます。

案内に従って、右に曲がり北へ進みます。













左手に
宝泉院の山門があります。

宝泉院は、
大原の天台宗仏教の中心道場である
勝林院本堂の僧坊として古く
800年前よりあったお寺です。





山門を入って、正面を見たところ。

山門から、正面、西へ伸びる道は
客殿へ向かう道ですが、
立入禁止の柵があります。

拝観受付を済ませて、
お地蔵さんの前を右、北へ進むと
書院があります。



書院へ向け進むと、拝観入口があります。
















書院へ入ると、左へ畳廊下が伸びており
廊下の上に、籠が展示されています。

この籠は、江戸中期の作と言われており、
高僧が宮中へ行く際に使われていたものです。












書院の南側、客殿の東側に位置する
鶴亀蓬莱庭園です。

池の形が鶴、左奥の築山が亀、
その築山の上に立つ
山茶花(さざんか)の古木を
蓬莱山と見ています





客殿東側の格子窓越しに、
鶴亀蓬莱庭園を見たところ。










鶴亀蓬莱庭園を北西の隅から見たところ。
















鶴亀蓬莱庭園を北西の隅から
見たところ。

左は、書院です。








客殿の東側から、
書院の南に位置する鶴亀蓬莱庭園を見たところ。















立入禁止の柵がありましたが、
山門から、正面に伸びている道が、
ここの客殿の入口へ続いています。









客殿に入ると、
客殿の南から西にかけて続く庭園、
盤桓園(ばんかんえん)があります。

盤桓園の盤桓は、
立ち去りがたいと言う意味です。

客殿の南側には、近江富士を型どる
樹齢700年の五葉松があります。



ほどなくすると、
抹茶と茶菓子が出てきます。

一服しながら、
庭を鑑賞する事ができます。







樹齢700年の五葉松です。

俳人の高浜虚子(1874-1959)が
無住寺の宝泉院を訪れ
「大原や 無住の寺の 五葉の松」と
詠んだと言う事です。






客殿の床の間の前に座って、
庭を眺めます。










床の間を背にして、南を向き、
庭を眺めます。

宝泉院では、
庭の眺めを、柱、鴨居、敷居で切り取り、
一幅の絵のように、または、
額縁に入った絵のように鑑賞する事が
できます。

よって、宝泉院の庭は、
盤桓園と名前が付いてますが、
額縁の庭園とも呼ばれています。

客殿の南西の眺めを、
額縁を通して見たところ。










客殿の西側の眺めを、
額縁に切り取ったところ。











客殿の北西から、
客殿の南西方向を見たところ。










客殿の北西方向を見たところ。











客殿から書院に向かうと
囲炉裏の部屋があります。















囲炉裏の部屋の北側には、
鹿野苑(ろくやおん)と呼ばれる庭が
あります。









囲炉裏の部屋の北側の庭、
鹿野苑です。










囲炉裏の部屋です。

炉の縁には、
陶板があしらわれています。








宝泉院の入口を出たところにある池です。
竹筒の先から水が流れ落ちています。

右奥に山門が見えます。













山門へ向け進みながら、
竹筒から落ちる水、池をふり返ったところ。















宝泉院を出て、勝林院への参道へ戻ります。

中央は、勝林院の鐘楼です。














勝林院の参道を
三千院の方向、南へ向けて進んで行くと、
途中、右手に実光院の山門があります。

実光院は、
魚山 勝林院を本堂に頂く僧坊の一つで、
応永年間(1394-1428)に
宗信法印によって復興されました。

かつては、実光院や宝泉院の他に、
普賢院、理覚院など多くの僧坊が
存在しました。

実光院は、元々は、後鳥羽天皇、順徳天皇 大原陵が境内でしたが、
本陵として整備する為、普賢院、理覚院と統合し、旧普賢院境内へ移転し、現在に至ってます。

山門をくぐり、
入口を入って拝観受付をします。










客殿の欄間には、
江戸時代中頃に狩野派絵師が描いた
「三十六詩仙」が飾られています。










客殿の南側へ回ります。
















客殿から見た客殿の南側の庭で、
契心園(けいしんえん)と言います。

元々は、普賢院の庭として、
江戸時代後期に作庭されたもので、
律川より水を引く心字池を中心とした
池泉鑑賞式の庭です。





契心園です。

心字池に苔むした丸い中島があり、
その奥に、細く水が流れ落ちる
滝があります。
滝の上には、小さな鳥居と祠が見えます。

苔むした丸い中島の右には、
亀島があります。



契心園です。

左端は、心字池に浮かぶ亀島です。









客殿の中から、契心園を見たところ。

中央に雪見灯籠が見えます。









客殿の西側に位置する
旧理覚院庭園へ行ってみます。

客殿の西に広がる旧理覚院庭園です。








客殿から靴を履いて西側へ下りたところから、
南を見たところ。
通路の先に南門が見えます。

途中、契心園への入口がありますが、
立入禁止の柵があります。











その立入禁止の柵の手前、西から、
契心園を見たところ。










契心園の心字池から、
客殿の西側の庭へ向け
水が流れ出ています。









客殿の西側に位置する旧理覚院庭園です。

実光院は、理覚院と統合した後、荒廃していましたが、
以後の歴代住職が作庭整備し、現在に至ってます。













客殿を南西から見たところ。











旧理覚院庭園です。











庭の中へ水が流れがあります。











水が流れ落ちて行きます。
















庭の中に池があり、
水が流れ込んでいます。










その池です。
















旧理覚院庭園の中、
客殿の北西に位置する
茶室「理覚庵」へ向かいます。

途中、腰掛待合があります。







客殿の北西に位置する
茶室「理覚庵」です。










旧理覚院庭園です。











実光院を出て、次は来迎院へ向かいます。
実光院の前の道を南へ、門前通りを南へ、呂川の手前を東へ進んだところへ 来迎院の案内図があります。
ここから徒歩5分です。























案内図に従って、東へ道なりに坂道を上ります。
















坂道を上って行くと
左手に三千院の朱雀門があります。










来迎院へ向け坂道を上って行きます。

右の川は呂川です。














「来迎院 本坊」、「参道口」の表札が見えてきました。
















「来迎院 本坊」、「参道口」の表札に従って、
中に入ります。















進んで行くと、
来迎院の山門があります。

京都大原の地は、別名魚山と呼ばれ、
来迎院を創建した慈覚大師円仁が
中国の五台山で修業した峰の名が
魚山だった事に由来します。

円仁は、
天台密教を延暦寺へもたらしましたが、
お経を独特の節回しで唱える声明も
日本へ伝えました。

その声明を大原の地で発展させたのが修行僧であり、中でも
聖応大師良忍は、延暦寺を離れ、勝林院で修行した後、来迎院を再興し、
「魚山(大原)声明」を確立します。

山門を入って正面に会館があり、
寺務所や、毎日写経会が行われる道場に
なってます。
会館の右側に拝観受付があります。








拝観受付に向け進みながら、
山門をふり返ったところ。










拝観受付を済ませ、本堂へ向かいます。
















本堂への道を上りながら、
本堂を見上げたところ。










本堂への階段を上った先に
鐘楼があります。

梵鐘は、室町時代、永享7年に
製作されたものです。












本堂です。











本堂を正面、南から見たところ。

室町時代中期に、諸堂は焼失し、
室町時代後期、天文2年に
再建されています。







本堂の前、東よりから、
本堂前の庭を見たところ。

中央は鐘楼です。








境内の東、階段の上に見える建物は、
鎮守堂です。










鎮守堂へ向け、階段を上って行きます。

階段の上、正面が鎮守堂で、
左側の建物は、地蔵堂です。








右が鎮守堂で、左が地蔵堂です。











鎮守堂の横には、
五輪塔が建ってます。

下から順に、
「地、水、火、風、空」を表しています。







本堂の奥、北側には、
1985年に建てられた収蔵庫があり、
如来蔵聖教文書類、仏具、絵画が
収蔵されています。








その収蔵庫の奥には、
如来蔵があります。

如来蔵は、
良忍が経堂として創建したと
伝えられています。

そして、如来蔵からは、伝教大師最澄が
得度した後に受戒した事を示す
公文署として
「伝教大師度縁案並僧綱牒」が
見つかっています。

収蔵庫の横、北西から本堂を見たところ。
















来迎院を出て、音無の滝へ向かいます。

来迎院の境内に沿った道を上って行きます。

来迎院の境内の金網越しに、
先ほど行った鎮守堂や五輪塔が見えます。

鎮守堂の裏手に、苔むした獅子飛石があります。

獅子飛石は、
良忍上人の唱える声明の調べに陶酔した獅子が
堂内をかけめぐり岩になったと伝えられています。





道なりに、音無の滝に向け、上って行きます。
















音無の滝に向け、上って行きます。
















音無の滝に向かう道です。











音無の滝に向かう道です。
















矢印に従って進みます。
















音無の滝が見えてきました。
















音無の滝です。

音無の滝は、良忍上人をはじめ、代々の声明法師が、
この滝に向かって声明の習礼をする際に、
初めは滝の音に消されて聞こえず、
稽古を重ねるに従って、滝の音と声明の声が和し、
ついには滝の音が消え、
声明の声のみが朗々と聞こえるようになったと
言います。








滝の流れは、小さな流れになって下って行きます。

三千院、来迎院の南を流れる川は、呂川ですが、
この流れは、北を流れる律川です。













その流れの中にいた小さな魚です。











最初は、律川に沿って、
道は下って行きますが、
途中から、来迎院の南へ回り、
呂川に沿って下ります。

三千院の横を過ぎて、
呂川に沿って下って行く途中には、
お土産屋さんが並んでいます。




更に進んで行くと、
志ば漬のお店「志ば久」があります。
お店の前には、たくさんの漬物用の
樽が並んでます。








呂川です。

川の脇には、
「呂川と律川」の説明の立札がたってます。













進んで行くと、また、志ば漬のお店があります。
















京都バス 大原バス停の近くまで 下ってきました。

道の脇に、寝転がった大原女像がありました。
また、その後ろに、「女ひとり」の歌碑がありました。

 作詞 永六輔、
 作曲 いずみたく、
 歌 デューク・エイセス

でした。


この後、大原バス停から、京都バスへ乗って、
出町柳駅前のバス停で下り、 京大百周年時計台、
吉田神社、真如堂を見て周ります。


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