興福寺: 01〜02May2018



五月連休を利用して、一泊二日で、奈良に行って来ました。

子供の頃、学生の頃、来たことはあるけれど、その時は、
残念ながら、あまり寺社への興味は無かった。

でも、今回は、見る気満々、楽しみにやって来ました。

まず、最初は、近鉄奈良駅前の行基の像の前から、興福寺に向け
出発です。







この行基さん、東大寺の大仏殿の方を向いて立ってます。

聖武天皇が東大寺造営の折りに、行基によって創建された
喜光寺が参考にされたと伝えられてます。

民衆の為の仏教を説いた行基の助力によって、東大寺は
創建されました。









行基像の前から、東向商店街へ入り、南に進みます。

かつては、興福寺の勢力が強く、民家が道の西側だけに建ち、
東を向いていたので、東向き通りと呼ばれるようになったらしい。


















途中、東に入る小さな坂道があり、
進んで行くと、興福寺があります。






























興福寺への小さな坂道を進むと、正面に、現在、再建工事中の
中金堂の覆屋が見えます。














進んで行くと、五重塔が見えてきました。






















道の南側には、南円堂が見えます。
 














最初に北円堂へ行きます。

北円堂を、南東から見たところ。

北円堂は、721年(養老5年)、藤原不比等の一周忌に創建された。

現在の建物は、1210年頃の再建で、国宝に指定されている。
鎌倉時代の建物であるが、奈良時代創建当初の姿を残している。

興福寺伽藍で今残る堂宇の中で、最も古い。






北円堂を、南正面から見たところ。

私が訪問した時は、内部の限定公開中で、
国宝の弥勒如来坐像、無著・世観菩薩立像、四天王立像を
見る事ができた。











 北円堂。






















北円堂を、南東から見たところ。

北円堂を囲うように長方形に礎石が並んでおり、
北円堂の周囲には、回廊があったのだろう。












北円堂から出て、南側、南円堂を見たところ。

南円堂と北円堂の間には、西金堂跡があるが
柵に囲われている。












南円堂を、北東から見たところ。















五重塔を、西から、中金堂の回廊跡越しに見たところ。






















南円堂。

東正面から見たところ。




















南円堂。

南円堂の東側には、銅造灯篭がある。

本物は、国宝館に展示されている。

この銅造灯篭は、火袋扉の銘文から、816年に造られた事が
わかっている。

日本の金属製の灯篭で、東大寺大仏殿前の灯篭に次いで
古い物で、南円堂形と称されている。





南円堂を南東から見たところ。
 
南円堂は、813年の創建だが、現在の建物は、1789年に
再建された物。

西国三十三所観音霊場の第9番札所でもある。










南円堂。
 













南円堂の横の階段を、南に下りると
猿沢池がある。
 
西側の岸辺から、猿沢池を見たところ。












西側の岸の道路を隔てた反対側に、采女神社がある。

采女とは、天皇や皇后に近侍し、身の周りの世話をする女官の事。

この猿沢池には、采女にまつわる伝説がある。

月夜の晩、采女が帝の寵愛が衰えたのを苦に身を投げた。

その死を悼み、池を背に建てられた祠が、采女神社である。







池の中の石の上では、亀が甲羅干しをしている。















西側の岸から、池越しに五重塔を見たところ。















五重塔。
 





















南西の岸から、五重塔を見たところ。

岸では、鳩が戯れている。




















 南西の岸から、五重塔を見たところ。















岸を周りながら、五重塔を見たところ。






















東側の岸。

悲恋の采女と、衣掛柳の伝説の石碑がある。

その石碑の向こうに九重塔があり、更にその向こうに
柳の木があります。

采女が入水する時に衣を掛けた柳の木が
衣掛柳と呼ばれている。






猿沢池の東岸から五重塔の前に続く52段の石段を上る。

52段は意味があり、仏門に入る修業の段階が52段とされ、
善財童子が、52人の知識人を訪ねて回った故事に由来する。


















52段の階段を登ると、左側にある塀。















 右手に五重塔、その向こうに東金堂がある。















 五重塔。






















五重塔。

西から見たところ。

高さは、約50mある。


















五重塔。
 
藤原不比等の娘、光明皇后によって、730年に創建されました。
その後、焼失などにより、五度にわたって再建され、
現在の五重塔は、1426年に再建された物。


















五重塔。















五重塔を下から見上げたところ。






















五重塔の北側にある東金堂。















東金堂。

726年創建。
現在の建物は1415年に再建された物。












東金堂の西側には、回廊、及び、中門跡がある。

その回廊跡越しに、南円堂を見たところ。













中門跡の前から南円堂を見たところ。















中門跡の南側には、南大門跡がある。

その南大門の基壇の上から、中門跡、そして、その向こう
現在、再建工事中の中金堂の覆屋を見たところ。

中金堂は、藤原不比等により、710年に創建された。
その後、7度の焼失、再建を繰り返し、最後は仮堂が
建てられていたが、この度、平成の再建工事が行われている。








中門跡の前から、五重塔、東金堂を見たところ。















東金堂へ戻り、東金堂を、正面、西側から見たところ。















東金堂の前を抜け、東金堂の北側にある国宝館へ行く。

国宝館は、奈良時代創建の食堂の外観をイメージし、
食堂があった場所に建てられている。

館内には、以下の国宝が展示されている。
 ・木造千手観音菩薩立像(旧食堂の本尊)
 ・木造天燈鬼/龍燈鬼立像
 ・銅造灯篭(南円堂創建当初の伝来品)
 ・脱活乾漆造八部衆立像(西金堂安置の守護神) 等

特に八部衆のひとり、3つの顔と六本の腕を持つ阿修羅像は、
美少年の表情で人気が高い。



国宝館の西側、中金堂再建工事の覆屋の北側には、
仮講堂が建っている。














次は、国宝館から、東金堂へ戻り、東金堂の中へ入る。

手前が東金堂、その向こうが五重塔。




















東金堂の前を通って、中へ入る。

726年に聖武天皇が、叔母元正太政天皇の病気全快を祈って創建された。
その後、6度の被災、再建を繰り返し、現在の建物は、1415年に再建された物。



















東金堂の軒下。

堂内には、本尊の薬師如来像、その両脇に、日光・月光菩薩像、
四天王像、十二神将像が、安置されている。

ちなみに、金堂とは、本尊を安置する寺院の仏殿の事。










東金堂を出て、その軒下から(北から)、五重塔を見たところ。






















東金堂の軒下。






















東金堂を出て、三重塔を見て無い事に気が付いた。

東金堂から、五重塔前を通り、南円堂へ。




















南円堂から猿沢池へ下りる階段の途中に、西へ入る小道がある。

その小道を入ると、延命地蔵尊がある。

延命地蔵とは、延命・利生を請願する地蔵尊の事。
新しく生まれた子を守り、その寿命を延ばすと言われている。
後世は、短命・若死にを免れる為に信仰された。









延命地蔵尊の前から、南円堂を見上げたところ。















延命地蔵尊から西へ進んで行くと、三重塔がある。






















三重塔を、南東から見たところ。

1143年に、崇徳天皇の中宮により創建されたが、1180年に被災し、
間もなく再建された。

北円堂と共に、興福寺に現存する最古の建物である。

















三重塔を、東正面から見たところ。

高さは、19.1m。
上の二層に比べて、下の層が大きめに造られており、安定感のある造りになっている。



















三重塔を、南東から見たところ。















三重塔を、南東から仰ぎ見たところ。






















国宝館の東へ行って見る。

広い公園になっていて、公園の中には、鹿せんべいの露店が出ており、
観光客が、鹿にせんべいを与えている。












午前中、興福寺を見た後は、東大寺、春日大社、新薬師寺、等を見て回り、帰りに再び興福寺へ寄ってみた。


五重塔。

南西から見たところ。




















午前中に見た五重塔と、夕方に見る五重塔は、光のさす方向が異なるせいか、
雰囲気が異なる。





















五重塔を、西から見たところ。





















五重塔を、東から見たところ。























東金堂。















次は、南円堂に向かう途中、中門跡の上から、五重塔をふり返ったところ。






















南円堂前の銅造灯篭。

本物は、国宝館の中にある。



南円堂は、逆光になるので撮影せず。
















南円堂の横の階段の手前にある石灯籠。

お百度石もある。





階段を下りて、ホテルに向かう。














三条通りを、ホテルへ帰る。





















三条通りを西へ、途中、南へ向け、もちいどのセンター街がある。

もちいどのは、餅飯殿と書き、その由来は以下。


大峰山中に大蛇が住んでいて、修行者へ悪さをするので、理源大師が、大蛇退治の
勅命を受けた。
理源大師は、箱根堪兵衛の助けを借りて大蛇を退治する。
箱根堪兵衛は奈良から理源大師を訪ねる時、餅飯をお土産に持って来たので、
餅飯殿と呼ばれていた。
その箱根堪兵衛が住んでいた場所が、餅飯殿と呼ばれるようになったとの事。













 
ホテルに帰った後、外で食事をとり、ほろ酔い気分で、興福寺の五重塔のライトアップを見に行った。

猿沢池の西岸から、五重塔を見たところ。






















猿沢池の南岸から、五重塔を見たところ。















猿沢池の東岸から、五重塔を見上げたところ。






















そして、52段の石段を登り、西から五重塔を見たところ。






















北西から五重塔を見たところ。






















五重の塔から南円堂へ。

東から南円堂を見たところ。













そして、東金堂と、五重塔をふり返ったところ。















南円堂前の銅造灯篭と、南円堂。






















南円堂前の銅造灯篭と五重塔。















南円堂前の銅造灯篭と五重塔。











朝早くから夜まで、歩き疲れたので、ぐっすり眠れそう。
ホテルへ帰る。











翌日、朝早く起きて、東大寺含めて奈良公園へ出かけて来た。

その帰りに興福寺へ。

早朝の五重塔。




















興福寺と、その中門・回廊の基壇復元の説明板。





























中門の基壇の上にあがり、南大門の基壇を見たところ。















中門の基壇の上から、南円堂を見たところ。















中門の基壇の上から、東金堂、五重塔を見たところ。















この後、ホテルへ戻ってチェックアウトし、薬師寺、唐招提寺へ行きました。



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