沖縄旅行で今帰仁城(なきじんぐすく)跡へ行って来ました。
沖縄では、5つのグスク(城)と、その関連遺産として4つ、計9つの遺産が、
世界遺産として、2000年に登録されました。
この今帰仁城跡も、その一つです。
沖縄県国頭郡今帰仁村字今泊にあります。
今帰仁グスク交流センターへ車を止めて、歩いて登ります。
城跡への入口にあった今帰仁城跡の地形模型です。
この模型を見て登ると、地形のイメージがつかめます。
これは外郭の城壁です。
高さが2m前後の低い城壁が築かれてます。
今帰仁城跡の表示の前です。
大隅の城壁です。
大隅の内部は、馬を養い、兵馬を訓練した場所です。
かなり高い城壁です。
平朗門です。
今帰仁城の正門にあたります。
昭和37年に修復されたと言う事です。
その門の両脇には、狭間があります。
門を入って振り返って見たところ。
門の両脇は、見張りが入る部屋があり、
先程の狭間から遠くを見渡せる構造に
なっていました。
門の入口上部のまぐさ石は、
大きな一枚岩でできています。
平朗門から大庭(ウーミヤ)へ続く道です。
七五三形式の階段と説明がありますが、
七五三形式とは、どう言う意味だろう?
その整備された道の横にあった旧道です。
石が敷き詰められていたようですが、
かなり、荒れています。
主郭(本丸)から見た志慶真門郭です。
主郭(本丸)です。
見えにくいですが、
左手の木の下には小さな祠があります。
これは火の神(ひぬかん)の祠と言う事です。
また主郭には、礎石が残っており、
かつての建物の配置が想像できます。
主郭を発掘した調査から、
主郭は、13世紀末から17世紀初めまで
機能していた事がわかっており、
遺構や遺物から、主郭は大きく4期に分かれて
変遷があった事がわかっています。
その変遷の説明です。
主郭には、遺構が残っています。
主郭は、古生代石灰岩でできた岩山の頂上部で、東西に傾斜した地形で、
建物が建つような平面になっていませんでした。
よって、山頂部を削って平らにし、東西の傾斜に土留めの石を積み上げ、内側に、版築を行い平面部を造成しました。
発掘調査で、9枚の層が確認され、上から下に向かって8枚目の層(13世紀末)で、
丁寧な版築が行われた事がわかってます。
その説明が以下です。
主郭から北方向を見たところ。
主郭から北東を見たところ。
志慶真門郭へ下りる道です。
志慶真門郭へ下りる道から、志慶真門郭を見たところ。
志慶真門郭(しじまじょうかく)です。
建物の跡が残っています。
志慶真門郭から主郭へ戻り、
御内原(ウーチバル)へ向かいます。
御内原から、北方向を見たところ。
東シナ海を一望できます。
御内原の説明です。
御内原は、昔、女官が住んでいた場所と言う事です。
御内原の下には大隅が見えます。
その大隅です。
戦時に備え兵馬を養い訓練をした場所と言う事です。
御内原から南西方向を見たところ。
御内原から大庭(ウーミヤ)を抜け、登って来た道を、下ります。
途中、右手に大隅があり、
大隅の内部から、先程の御内原の城壁を見上げたところ。
平朗門を抜け、外郭から大隅の城壁を見たところ。
大隅の城壁です。
外郭の内部には、古宇利(ふい)殿内火神が祀られています。
また、帰る前には、今帰仁村の歴史と文化を紹介した今帰仁村歴史文化センターへ寄って見ると良いです。
■参考
沖縄の世界遺産 今帰仁城跡の公式ホームページは、
ココ。