今帰仁城跡: 30Mar2012


沖縄旅行で今帰仁城(なきじんぐすく)跡へ行って来ました。

沖縄では、5つのグスク(城)と、その関連遺産として4つ、計9つの遺産が、
世界遺産として、2000年に登録されました。
この今帰仁城跡も、その一つです。

沖縄県国頭郡今帰仁村字今泊にあります。

今帰仁グスク交流センターへ車を止めて、歩いて登ります。

城跡への入口にあった今帰仁城跡の地形模型です。








この模型を見て登ると、地形のイメージがつかめます。












これは外郭の城壁です。
高さが2m前後の低い城壁が築かれてます。











今帰仁城跡の表示の前です。












大隅の城壁です。
大隅の内部は、馬を養い、兵馬を訓練した場所です。

かなり高い城壁です。









平朗門です。
今帰仁城の正門にあたります。

昭和37年に修復されたと言う事です。









その門の両脇には、狭間があります。












門を入って振り返って見たところ。

門の両脇は、見張りが入る部屋があり、
先程の狭間から遠くを見渡せる構造に
なっていました。

門の入口上部のまぐさ石は、
大きな一枚岩でできています。





平朗門から大庭(ウーミヤ)へ続く道です。
七五三形式の階段と説明がありますが、
七五三形式とは、どう言う意味だろう?













その整備された道の横にあった旧道です。
石が敷き詰められていたようですが、
かなり、荒れています。













主郭(本丸)から見た志慶真門郭です。












主郭(本丸)です。

見えにくいですが、
左手の木の下には小さな祠があります。
これは火の神(ひぬかん)の祠と言う事です。

また主郭には、礎石が残っており、
かつての建物の配置が想像できます。





主郭を発掘した調査から、
主郭は、13世紀末から17世紀初めまで
機能していた事がわかっており、
遺構や遺物から、主郭は大きく4期に分かれて
変遷があった事がわかっています。

その変遷の説明です。






主郭には、遺構が残っています。











主郭は、古生代石灰岩でできた岩山の頂上部で、東西に傾斜した地形で、
建物が建つような平面になっていませんでした。
よって、山頂部を削って平らにし、東西の傾斜に土留めの石を積み上げ、内側に、版築を行い平面部を造成しました。
発掘調査で、9枚の層が確認され、上から下に向かって8枚目の層(13世紀末)で、
丁寧な版築が行われた事がわかってます。
その説明が以下です。





















主郭から北方向を見たところ。












主郭から北東を見たところ。












志慶真門郭へ下りる道です。












志慶真門郭へ下りる道から、志慶真門郭を見たところ。












志慶真門郭(しじまじょうかく)です。

建物の跡が残っています。










志慶真門郭から主郭へ戻り、
御内原(ウーチバル)へ向かいます。

御内原から、北方向を見たところ。

東シナ海を一望できます。







御内原の説明です。

御内原は、昔、女官が住んでいた場所と言う事です。






















御内原の下には大隅が見えます。












その大隅です。

戦時に備え兵馬を養い訓練をした場所と言う事です。










御内原から南西方向を見たところ。












御内原から大庭(ウーミヤ)を抜け、登って来た道を、下ります。
















途中、右手に大隅があり、
大隅の内部から、先程の御内原の城壁を見上げたところ。











平朗門を抜け、外郭から大隅の城壁を見たところ。












大隅の城壁です。












外郭の内部には、古宇利(ふい)殿内火神が祀られています。












また、帰る前には、今帰仁村の歴史と文化を紹介した今帰仁村歴史文化センターへ寄って見ると良いです。



■参考
沖縄の世界遺産 今帰仁城跡の公式ホームページは、 ココ


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