新世界、なんば、道頓堀:27Feb2024、29Feb2024


長年勤めた会社を退職し、自分で自分を労う意味を込めて、三泊四日で大阪へ出かけてきました。

広島を始発の新幹線 のぞみ74号で、大阪へ向かい、
初日は、住吉大社、世界遺産の仁徳天皇陵、あべのハルカス、夕方は、ジャンジャン横丁、新世界、道頓堀、御堂筋、
二日目は、難波宮跡、大阪城、天神橋筋商店街、大阪天満宮、四天王寺、茶臼山、夜は梅田スカイビル、
三日目は、真田山、高津宮、空堀商店街、一心寺、安居神社、清水寺、通天閣、夜は法善寺横丁、なんばグランド花月、 四日目は、北御堂、南御堂、船場センタービル、心斎橋筋、アメリカ村、なんばパークス、お初天神、天保山
といろいろ周りました。

しかし、私にとって、いかにも大坂って雰囲気を感られる場所は、新世界、なんば、道頓堀の界隈です。



■2月27日 ジャンジャン横丁から新世界

初日の朝から午後にかけて、歩き過ぎたので、ホテルで休憩した後、
夕方から、新世界、道頓堀、御堂筋へ出かけ、
夕食は、長い間、会えてなかった大阪に住む妹と食事をします。

天王寺から西へ進みながら、あべのハルカスをふり返って見たところ。











天王寺から西へ進んで行くと、
右手に大坂環状線のガード下をくぐって
ジャンジャン横丁へ向かう入口があります。










ガード下を抜けると、
北へ伸びるジャンジャン横丁があります。

正式には南陽通商店街ですが、
戦後、呼び込みの三味線や太鼓の音がジャンジャンと響き、
ジャンジャン横丁と呼ばれるようになったようです。












ジャンジャン横丁を北へ、通天閣の方向へ進んで行くと、
半弓道場があります。

通常、弓道は、近的競技で28m先の的を狙いますが、
この半弓は、約7m先の的をめがけて矢を放つ遊びです。

元々、ジャンジャン横丁には、
新世界弓道場がありましたが、
平成時代に火事で焼失してまい、
令和に復活したと言う事です。



コルクガンで景品を打ち落として遊ぶ
射的のお店もあります。











どこか昭和レトロな雰囲気が残る
ジャンジャン横丁を進んで行きます。
















ジャンジャン横丁を端まで歩き、
少し西へ行くと通天閣南本通りへ出ます。

通天閣南本通り、「日本一の串かつ 横綱 通天閣店」の隣に、
ビリケン神社があります。













そのビリケン神社です。

幸運の神様、ビリケンさんを祀る神社です。

明治45年(1912)、新世界に、通天閣と共に開業した
遊園地ルナパークの中にあったビリケン堂を、
平成24年(2012)、新世界100周年を記念し、ビリケン神社として、
かつてビリケン堂があった辺りに建立されています。









ビリケン神社に祀られているビリケンさんです。

ビリケンさんは、1908年にアメリカの女性芸術家、
フローレンス・プリッツが夢で見た幸福の神様が起源です。
当時の大統領、ウィリアム・ハワード・タフトの愛称ビリーに、
小さいを表す接尾語-kenを加えたのが、名前の由来です。

ちなみに、通天閣に鎮座しているビリケンさんは木造ですが、
ビリケン神社のビリケンさんはブロンズ像です。









ビリケン神社のある通天閣南本通りを北へ進みます。

正面には、通天閣がたってます。















通天閣、及び、通天閣南本通りを見たところ。

通天閣南本通りと公園本通りとの交差点、
「日本一の串かつ 横綱 新世界本店」の角にも、
ビリケン像があります。













公園本通りを東へ行ってみます。

巨大なタコの看板のお店がありました。
「串かつ、たこ焼き、お好み焼き、味の大丸」です。









ぐるっと回って、再び、通天閣南本通りへ出て、
通天閣に向け、進みます。

右手に、「ジャンボ釣船 つり吉」があります。

店の中には、3隻の船あり、その周りを魚が泳いでます。
そして、お客が自分で魚を釣って、
釣った魚は、お造りや天ぷら、お寿司、串カツにして
食べる事ができます。









通天閣です。

通天閣は、明治45年(1912)に
当時、日本一の高さ250尺の初代通天閣が誕生しました。
しかし、昭和18年(1943)に、火事のもらい火に巻き込まれ、
解体の運命をたどりました。
その後、塔の高さ約103mの二代目通天閣が、
昭和31年(1956)に完成します。
当時、塔の高さでは名古屋テレビ等に及びませんが、
展望台の高さは日本一だったと言う事です。








通天閣展望台入口です。

この日は、予定があるので、
展望堕へ上がるのは、別の日にする事にします。














通天閣の下から上を見上げると、
天井画が描かれています。

この天井画は、初代の通天閣の天井に広告を出していた
クラブコスメティックの記録を基に、
2015年に復刻されたものです。







その天井画です。

















通天閣下にあった王将碑です。

王将、坂田三𠮷を顕彰する碑です。

村田英雄の最大のヒット曲「王将」で、
「ふけば飛ぶような将棋の駒に、賭けた命を、笑わば笑え…」
と歌われた棋士のモデルが、坂田三吉でした。
懐かしい…。





通天閣本通りです。

通天閣本通りは、
通天閣から、大阪メトロ 恵美須駅へと
通じています。













恵美須駅へ向け進んで行きます。

通りの庇から、
「新世界一 通天閣が綺麗に見える商店街」の
吊り広告が下がっています。








恵美須駅へ向け進みながら、
通天閣をふり返って見たところ。
















通天閣本通りを、恵美須駅へ向け進みながら、
通天閣をふり返って見たところ。
















恵美須駅のある恵美須交差点へ出て西へ、
今宮戎神社へ行ってみました。

しかし、開門時間を過ぎていたので、
また、日を改めて参拝する事にします。








恵美須交差点へ戻り、
通天閣本通りの入口と、通天閣を見たところ。


















■2月27日 道頓堀、法善寺横丁

大阪メトロ 恵美須駅から堺筋線に乗って、日本橋駅で下ります。

そして、相合橋筋商店街を北へ進むと、道頓堀へ出ます。

道頓堀に架かる相合(あいあう)橋から、西を見たところ。
道頓堀には、西に架かる太左衛門橋が見えます。

相合橋と名付けられた時期は不明ですが、
かつて、橋の南側は芝居小屋が立ち並び、
北側はお茶屋街で橋筋には遊郭があり、
橋を渡ると男女の縁が切れる
縁切り橋とも言われていました。




相合橋の西に架かる太左衛門橋まで移動し、
太左衛門橋の上から、道頓堀に沿って建つ
ドン・キホーテを見たところ。

このドン・キホーテは、単なる店舗ではなく、
「えびすタワー」と呼ばれる大観覧車がついてます。

この観覧車は、世界初の長円形観覧車で、
全員が外向きの4人乗りゴンドラに乗って
15分で一周するようです。








太左衛門橋の上から、道頓堀を見たところ。

太左衛門橋は、
橋の東南で歌舞伎の小屋を開いた興行師、大阪太左衛門に
由来します。

道頓堀は、江戸時代の初め、慶長17年(1612)、
安井道頓が私財をなげうって、自然の川を運河として
開削に着手します。
道頓は大阪夏の陣で戦死しますが、
従弟の道卜が、後を引き継いで運河は完成します。
そして、開削者の名前をとって、道頓堀と呼ばれています。






道頓堀川の南側には、
道頓堀と平行に走る道頓堀商店街があります。
太左衛門橋から南へ入り、
西を向いて道頓堀商店街を見たところ。

脚が動く巨大なかにの看板で有名な
「かに道楽」が見えます。
脚が動くかにの元祖は、「かに道楽 本店」ですが、
ここは「かに道楽 中店」です。




道頓堀商店街を少し西へ進むと
南に向けて、千日前商店街が走ってます。

アーケードの屋根から下がる吊り広告には、
千日前商店街の公認キャラの「みにゃみん」が描かれています。
(「みにゃみん」の名前の由来は、大阪ミナミから来ている?)

千日前の名前は、法善寺の中誉専念法師が、
死者を弔う千日回向と言う念仏供養を行った事に由来します。









更に、道頓堀商店街を西へ進んで行くと、
左手に、「たこ焼き十八番 SONS-DOHTONBORI」と、
「大たこ焼き しらんがな!! 道頓堀」の
2軒のたこ焼き店が並んでありました。

大坂のソウルフードたこ焼きのユニークな看板が面白い。









道頓堀商店街を西へ進んで行くと、
さっきとは別の「かに道楽」があります。

ここが「かに道楽 本店」です。

この本店が、「かに道楽」発症店舗で、
動くかにの看板は、この本店から始まっています。











道頓堀商店街を、更に西へ進むと戎橋筋に出ます。

この戎橋筋を北へ進むと、戎橋があります。

戎橋筋は、今宮戎神社への参道にあたり、
また、道頓堀南側の芝居小屋見物等、
多くの人に利用されてきました。







戎橋筋の南側、道頓堀商店街から南に向けて、
「なんば戎橋橋筋商店街」が伸びています。

正面に、「なんば戎橋橋筋商店街」の入口が見えます。














その反対側、北側には、戎橋があり、
戎橋の上は、人であふれています。

戎橋から北は、心斎橋筋が続いています。









戎橋の南東の袂から東、道頓堀を見たところ。

中央、右よりに、
ドン・キホーテの「えびすタワー」が見えます。














戎橋から、道頓堀を見ると、
OSAKA BUS WONDER CRUISEのボートが
お客さんをたくさん乗せてやって来てます。











戎橋を渡りながら、道頓堀の西側、南岸を見ると、
道頓堀を象徴するグリコの看板があります。

現在の看板は、平成26年(2014)にリニューアルされた
6代目の看板で、高さ約20m、横幅約10mの大きさがあり、
LEDチップが14万3976個使用されています。







戎橋を渡った向こうは、心斎橋筋が、北へ伸びています。

正面に、「心斎橋筋商店街」の入口が見えます。

大坂の橋のほとんどは、町橋と言って、
町人達が費用を出して架橋し管理していました。
心斎橋は、長堀川を開削した岡田心斎によって、
元和8年(1622)の長堀川の開削と同時期に架けられたと
言われています。

ちなみに、長堀川は、今は埋め立てられ、
長堀通りになっています。






戎橋から南へ、戎橋筋商店街へ入って、南へ進んで行くと、
法善寺水掛不動尊表参道があります。

その参道を東へ進んで行くと、法善寺の山門があります。

法善寺は、かつて、京都宇治にあった浄土宗天龍山法善寺を、
寛永14年(1637)に住職の中誉専念法師が、
「金毘羅天王墾田」の故事に基づき、
現在の大阪難波の地へ移転しています。

山門のすぐ前には、西向不動明王と彫られた
標石がたってます。






山門を入って進むと、
水掛不動尊の名で親しまれる
「西向不動明王」があります。

右端の「夫婦善哉」と言うお店は、1人前を、
夫婦に見立てて、2つのお椀で提供する
明治16年(1883)創業の老舗です。

織田作之助の小説「夫婦善哉」の中で、
喧嘩を重ねる夫婦が、一人に二椀の善哉を前に
「ひとりより夫婦の方がええいうことでっしゃろ」と
言いながら、二人で仲良く善哉をすすります。

このお堂の東側の「西向不動明王」に水を掛け、願を掛けます。

















「西向不動明王」です。

















「西向不動明王」は、願掛けの水を掛けられ、
緑あざやかな苔に包まれています。

よって、「水掛不動尊」、「水掛不動さん」と呼ばれ、
親しまれています。













但し、水掛けの歴史は浅く、
戦後、貧しく、供える物も無い女性が、
手で水をすくい、水を掛け、願を掛けたのが始まりです。















「水掛不動尊」こと、「西向不動明王」です。

不動明王は、大日如来の化身で、
法善寺の不動尊は、両脇に矜羯羅童子、制多迦童子を従えた
三尊像になってます。













「水掛不動尊」と道を挟んだ横にある
洗心水と言う井戸です。

手水として使用され、
また、お不動さんへ掛ける水としても
使用されています。







法善寺の「西向不動明王」と、
洗心水と呼ばれる井戸の間を通る道から
西をふり返ったところ。

右が、洗心水と呼ばれる井戸で、
その向こうは、金毘羅堂です。

かつて港町だった難波は、
文字通り海が荒れる事で有名で、
海上交通の守り神の金毘羅天王を
金毘羅堂に祀っています。


そして、道を挟んだ反対側の「西向不動明王」を、
東側から見たところ。











法善寺の「西向不動明王」と、
洗心水と呼ばれる井戸の間を通る道は東へ続き、
法善寺の界隈は、法善寺横丁と呼ばれています。

そして、法善寺横丁は、
静かななにわ情緒漂う飲食店街となってます。














■2月27日 御堂筋

法善寺横丁をぶらっとして、戎橋へ戻り、
戎橋から心斎橋筋商店街を北上します。

歩いてきた心斎橋筋商店街をふり返ったところ。

左端は、natural coutureと言うレディースファッションのお店です。
"大人を楽しみながらいつもの日常をちょっと素敵にアップデート"が
コンセプトです」。







八幡筋を西へ歩くと、御堂筋に出ます。

その交差点の南東角に、
「DOLCE & GABBANA 御堂筋」があります。

左端が、「DOLCE & GABBANA 御堂筋」が入るビルです。









その交差点の北東角に、
「ルイ・ヴィトン メゾン 大坂御堂筋」があります。
















「ルイ・ヴィトン メゾン 大坂御堂筋」です。
帆船のような外装ファザードが特徴的です。

「ルイ・ヴィトン メゾン 大坂御堂筋」の北側には、
「PRADA」、「BOSS」、「BURBERRY」、「dunhill」と、
海外の高級ブランドショップが並んでます。








御堂筋を北へ向け進んで行くと、
百貨店の大丸心斎橋店があります。
















大丸心斎橋店 本館です。

大丸心斎橋店 本館は、昭和8年(1933)に、
建築家ウィリアム・メリル・ウォーリズの設計で
建てられています。








大丸心斎橋店 本館の北側は、心斎橋PARCOで、
GUCCIや、HELMESのお店もあります。

更に、その北隣のビルには、
FENDIやDiorが見えます。








大丸心斎橋店 本館と御堂筋を挟んで反対側には、
心斎橋オーパがあります。
スタバとか、MARC JACOBSが入ってます。

その心斎橋オーパの北側にホテル日航大阪があります。














そのホテル日航大阪の2Fロビーで待ち合わせです。

もうすぐ雛祭りなので、雛人形の飾り付けがされてました。








久々に妹と会い、
ホテル日航大阪近くの料亭で、
楽しく食事ができました。




食事を終え、宿泊しているホテルのある天王寺へ戻りました。

「あべちか」から、地上へ出る時に、
普段だと気にも留めない指名手配犯のポスターに目が留まりました。

連続企業爆破事件に関わったとする桐島聡を名乗る男が
今年1月に、神奈川県の病院で死亡し、本人確認中とニュースが流れた事が
頭に残ってます。

そして、この日、2月27日午前、DNA鑑定結果、桐島聡本人と確認できたと
ニュースが流れました。

長い間掲示され続けたこのポスターも、
次の日には無くなっているのだろうと思います。




「あべちか」から、地上へ出て、北東から
あべのハルカスを見上げたところ。
















近鉄前交差点に架かる阿倍野歩道橋です。












阿倍野歩道橋の上から、JR天王寺駅を見たところ。












JRの線路、その向こうの「てんしばi:na」越しに、
消灯している通天閣を見たところ。

ちなみに、通天閣のライトアップは、
日没から20:00までなので、 20:00以降は消灯です。








あべのハルカスを北西から見たところ。

















ルシアスビルを北東から見たところ。

















そして、あべのハルカスです。












歩き疲れたので、しっかり眠れそうです。






■2月29日 串かつ だるま ジャンジャン店

大坂と言えば、串かつ。
串かつの本場、新世界には、100軒近い串かつ屋さんがあります。

そこで、ジャンジャン横丁の北の端の出口にある
串かつの有名店、「串かつ だるま ジャンジャン店」へ行ってきました。

ちなみに、大坂の庶民グルメ、串かつ発祥のお店は、
ここジャンジャン店ではなく、新世界総本店です。






昼間ですが、生ビールを頼みました。












突き出しです。















串かつは、ジャンジャンセットを頼みました。

ソースのボトルには、
「二度漬けソースは かけて食べてや~」
と書いてあります。








ジャンジャンセットです。

串かつと言えば、かつては
串を共用ソースへどぶ漬けして食べるのが、一般的で、
「ソースの二度漬け禁止」なる暗黙のルールがありました。

しかし、2020年から始まったコロナ渦以降、
共用ソースは撤去され、
ソースボトルでかける方法に変わっています。

少し残念です。


「串かつ だるま」を出て、通天閣へ行ってみます。

















■2月29日 通天閣

「串かつ だるま」を出て、
通天閣南本通りを通天閣へ向かいます。














通天閣南本通りから見た通天閣です。

















通天閣展望台入口から入り、
地下1階への階段を下ります。











地下1階にあるチケットカウンターで、
一般展望台へのチケットを購入します。

一般展望台とは別に、
地上22mの3階から、EV塔の外周を回りながら
地下1階まで、
一気に滑り降りるタワースライダーの
チケットも売っています。





チケットを購入したら、
5階の一般展望台行きのエレベーターがある
2階行きのエレベーターを並んで待ちます。

2階行きのエレベーターを待つ行列の横に
タワースライダーを滑って人が下りて来ています。







2階行きのエレベーターで2階へ上がると、
次は5階の一般展望台行きのエレベーターを
並んで待ちます。

ここは、「チケットを売る男」とありますが、
チケット売り場?ただのInformationですかね?







5階行きのエレベーターで、一般展望台へ到着です。

東、少し北よりを見たところ。

右から斜めに左下へ、奈良街道が走ってます。

右側に一心寺が見えます。

中央、左よりの緑地の中には、
大坂夏の陣における
真田信繁(幸村)の戦死の地、安居神社が見えます。


東を見たところ。

中央に一心寺が、その右側に、茶臼山が見えます。

一心寺は、
1614年の大阪冬の陣で徳川家康の本陣となり、
茶臼山は、
翌1615年の大阪夏の神で真田信繁(幸村)の本陣が
敷かれた場所です。

遠くには、生駒山が見えます。


東、少し南よりを見たところ。

中央、左よりに、茶臼山、
その手前、眼下には天王寺動物園が見えます。

更に、その手前には、阪神高速14号線松原線が走ってます。












その茶臼山周辺をズームして見たところ。

中央、左よりに、茶臼山、
そのすぐ右側、南横に河底池が見えます。

そして、茶臼山の手前、眼下には
天王寺動物園が見えます。






南東を見たところ。

中央は、あべのハルカスです。

その手前には、
てんしばi:naや、天王寺動物園が見えます。

左よりの大きな建物は、大坂市立美術館です。





南、少し東よりを見たところ。

左下から右へ向け斜めに、南へ向けて
阪神高速14号線松原線がのびています。

中央、左よりの大きな建物は、
大阪公立大学医学部とその附属病院です。
その建物の右横、遠方に、
ヤンマースタディアム長居の白い屋根が見えます。




南、少し西よりを見たところ。

中央の通りは、通天閣南本通りです。

通天閣南本通りの突き当りの建物は、
美と健康快適空間 世界最大級天然温泉
スパワールドです。

その左側に、アーケードが南へ伸びています。
ジャンジャン横丁です。



南、少し西より、遠方を見たところ。












南西を見たところ。

左よりに、千本松大橋や、
その向こうに新木津川大橋が見えます。









西、少し南よりの景色です。

遠方にポツンと高いビルは、コスモタワーです。
大阪府咲洲庁舎展望台があります。

そのコスモタワーの手前には、
赤いトラス橋の港大橋が見えます。






西を見たところ。

左にコスモタワー、中央辺りに薄っすらと
天保山大観覧車が見えます。









北西を見たところ。

中央、遠方に見える高層ビルは、
JR弁天町駅周辺の高層ビルで、
「クロスタワー大阪ベイ」や、「大阪ベイタワー」が見えます。








JR弁天町駅周辺をズームして見たところ。

中央に「キングスクエア ザ・タワー ランドレックス」、
その右に、
「クロスタワー大阪ベイ」、「大阪ベイタワー」が
見えます。







北、少し西よりを見たところ。

中央に、なんばの高層ビル、
「ザ・なんばタワー」
「センタラ グランド ホテル 大阪」
「なんばパークス」
「スイスホテル南海大阪」等が、
見えます。





北、少し西より、眼下を見下ろしたところ。

通天閣本通りが見えます。

明治36年(1903)に催された第5回内国勧業博覧会の跡地に、
東半分に天王寺公園がつくられ、
西半分は、新世界として開発されます。

新世界の中心には、初代 通天閣がつくられ、
南側は、ルナパークと言う遊園地ができます。

そして、北側は、欧風の街区で、通天閣を中心に、3本の通り、
東から「合邦通り」、「玉水通り」、「恵美須通り」が伸びていました。
眼下に見える通りは、その「恵美須通り」で、
現在の「通天閣本通り」です。



少し、視線を北へ移します。

左側に、なんばの高層ビル群が見えます。

中央に、
NTT浪速ビルに建つ赤白の電波塔が見えますが、
その陰になるように、
ドン・キホーテ道頓堀店の
大観覧車「えびすタワー」が見えます。




北を見たところ。

中央、左よりにドン・キホーテ道頓堀店の
大観覧車「えびすタワー」が見えます。

中央、右よりに、NTT西日本 日本橋ビルが見えます。







通天閣5Fに鎮座されるビリケン像です。

THE GOD OF THINGS AS THEY OUGHT TO BE
ビリケンは、物事のあるべき姿を司る神様で
足の裏を撫でると、御利益があると言われています。

アメリカ生まれのビリケン像は、
明治44年(1911)、田村駒の商標登録され、
ルナパークのビリケン堂へ展示されます。
しかし、大正12年(1923)ルナパーク閉園に伴い、
ビリケン像は所在不明になります。
通天閣の初代ビリケン像は、
昭和24年(1949)に、田村駒によって製作されます。
昭和54年(1979)に、二代目ビリケン像が作られます。
そして、現在の三代目ビリケン像は、
平成24年(2012)に生まれ変わっています。


五階から、四階の展望台へ下ります。

四階の展望台の窓には、
うまい棒の宣伝のステッカーが貼られています。

私にとっては、
あまりにも安いので、何かの景品とか、参加賞とかに
必ずついてくるイメージのお菓子です。





そして、私は、
パッケージに印刷されているキャラクターは、
ドラえもんだと、長い間信じてましたが、
実は、ドラえもんではなく、うまえもんと言う事です。









うまい棒は、 1979年に発売されたお菓子で、
60種類以上のフレーバーが発売されている
KING OF DAGASHIです。

株式会社やおきんが販売する
KING OF DAGASHI、うまい棒を扱う
日本唯一の公式専門店、うまい棒ショップが
通天閣ANNEX1階にできています。




3階へ下ります。

かつて、通天閣へ向かう3つの通りの入口には、
門がありました。

この模型は、
かつての恵美須通り、現在の、通天閣本通りの入口にあった
恵美須門です。

この恵美須門を通して、
向こうに薄っすらと通天閣が見えます。


そして、グリコのゴールインマークの変遷、パッケージの変遷、
道頓堀のグリコサインの変遷の展示があります。

グリコと言えば、今は見かけなくなりましたが、
ゴールインマーク付きの箱に入ったキャメルでした。
しかも、小さなおもちゃのおまけがついていて、
安くて手頃な値段で買う事ができた時代がありました。

「一粒300メートル」と言うキャッチコピーもありました。









初代通天閣が創建された頃の新世界や、
ルナパークのジオラマも展示されています。

そのジオラマのライトアップの色が変化し、
昼、夕暮れ時、夜と時間の変化も楽しめます。

中央、左よりの紅い球体は、
動物園によくあるバードハウスで、
中の鳥も再現されています。




初代の通天閣は、
パリの凱旋門の上に、エッフェル塔が建っているような
デザインになってます。










二階へ下ります。

新世界100周年 キン肉マン PROJECT
アーカイブコーナーがありました。









そして、地下1階の通天閣わくわくランドを素通りして、
地上へ出たところです。

ちなみに、通天閣わくわくランドには、
以下のアンテナショップが入っており、
入場無料で自由に出入りできます。

①森永製菓「キョロちゃんのおかしなおかし屋さん」
②江崎グリコ「ぐりこ・や」
③日清食品「チキンラーメン ひよこちゃんSHOP」



通天閣本通りへ入って、
通天閣をふり返って見たところ。
















通天閣の下へ戻って、
通天閣下の王将、坂田三𠮷を顕彰する
王将碑を見たところ。










この日の天気予報は、昼2時くらいから雨が降ると言う予報でしたが、
予報通り、雨が降り出しました。

通天閣から、ジャンジャン横丁へ、そして、ホテルへ戻ります。

ジャンジャン横丁の通りをよく見てみると、
「将棋倶楽部 王将」の看板が下がってます。

坂田三吉をモデルとした映画「王将」がヒットした年の昭和22年(1947)に、
「将棋倶楽部 王将」は、誕生します。
現在は、新たに串揚げの店「串かつ 王将倶楽部」になってます。









■2月29日 道頓堀、法善寺横丁、なんばグランド花月

昼過ぎから、まとまった雨が降る中、ホテルで休憩した後、
なんばグランド花月で、お笑い公演を見に行きました。

公演は、「第五回 GOLD」です。

チケットを購入後、19:00の開演まで時間があるので、
少しブラついて、夕食をとる事にします。




道頓堀商店街へ行ってみます。

中座くいだおれビルに入ると、
くいだおれ太郎が出迎えてくれます。












くいだおれ太郎です。

道頓堀の南側は、芝居の町として、芝居小屋が集められ、
「角座」、「浪花座」、「中座」、「朝日座」、「弁天座」を
代表的な芝居小屋として、「道頓堀五座」と呼んでいます。

「中座」は、「道頓堀五座」の一つです。

そして、「京の着倒れ、大阪の食い倒れ」と言う言葉がありますが、
京都の人は、衣装に大金をはたいて惜しまず、
大阪人は食にお金を掛けて楽しむ、食道楽の気風をさしています。



「中座」

道頓堀を歩いた後は、法善寺横丁で夕食をとります。

法善寺横丁の「喝鈍」(かつどん)です。













かつ丼専門店なので、出てきたのは、もちろん、かつ丼です。

そして、かつ丼と言っても、
ご飯の上に豚かつが乗って出てくるのではなく、
ご飯と、豚かつは、別々に出てきます。








豚かつハ、銅鍋で調理されています。

この銅鍋は、なんばの道具屋筋でつくった
オリジナルの銅鍋が使用されています。

「喝鈍」のこだわりは、
「生まれは東京でも、育ちは大阪、浪花の味のかつ丼は、
油が第一、肉がいのち、卵が決めて、汁で勝負、
米もそらごっつう大事」と言う事です。

うまかった!


腹ごしらえしたしたところで、
なんばグランド花月へ向かいます。

なんばグランド花月の中に入り、2階ロビーへ上がると、
「吉本興行 創業110周年記念」のディスプレーがあります。

明治45年(1912)、吉本泰三・せい夫婦が
大坂天満宮の繁昌亭付近の
寄席小屋「第二文芸館」の経営に乗り出したのが、
吉本興業の起こりです。

このディスプレーは、吉本興業の創業と同じ、
明治45年(1912)に開業したルナパークで、
当時の人気芸人のエンタツ・アチャコが、
しゃべくり漫才をしている場面ですかね?!
背後に初代通天閣が見えます。

なんばグランド花月の劇場入口です。












劇場入口前にあった
この日の公演、「第五回 GOLD」のポスターです。

出演は、銀シャリ、囲碁将棋、兵頭大樹でした。



チケットを買ったのが、開演の数時間前なので、
席は後ろでしたが、 生で見て聞くお笑いは最高でした。







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