ゴールデンウィークに、松江・出雲へ、一泊二日の旅行へ行って来ました。
初日は、
松江城、宍道湖
周辺を観光し、二日目は、日御碕、出雲大社を見て回りました。
一畑電鉄の松江しんじ湖温泉駅から電車へ乗り、
出雲へ出発です。
途中、川跡駅で、
出雲大社前駅行の電車に乗り換えます。
一畑電鉄の出雲大社前駅へ到着です。
出雲大社前駅横の側線に
展示されていた電車です。
映画「RAILWAYS」で使用された
日本最古級の電車、デハ二50形・52号車です。
その電車に入ってみます。
この電車は、客貨同時輸送を考慮した荷物室付き車両です。
ここが荷物室?
電車の中、客室です。
オリジナルの内装に復刻されています。
運転席です。
一畑電鉄の出雲大社前駅から、
JR西日本の旧大社駅へ
歩いて行ってみました。
旧大社駅は、
1990年に廃線となった
大社線の駅でした。
純和風の木造平屋建てで、
現在は、国の重要文化材に
指定されています。
その大社駅の説明です。
屋根の上には、亀の乗った亀瓦があります。
その亀瓦です。
場所によって、形が少しずつ異なっています。
駅舎の南側には、
団体用の改札口がありました。
ここは出雲大社の門前町で、
1950年代には、東京と大社駅を直通で結ぶ
急行列車「出雲」が走っており、
参脂客が団体で訪れていたと言う事です。
線路の向こうには、蒸気機関車D51が
展示されていました。
線路へ下りる手前の鉄板の上には、
ウサギの絵が描かれています。
旧大社駅は、廃駅になる前の当時の姿のまま残っています。
旧大社駅を見た後は、北上し出雲大社へ向かいます。
途中、堀川が横切っており、その向こうに鳥居が見えます。
これは、出雲大社の一ノ鳥居です。
大正時代にできたコンクリート製と言う事です。
その堀川です。
南西方向を見たところ。
出雲大社への参道、神門通りを北上して行きます。
二ノ鳥居、勢溜の大鳥居が見えてきました。
勢溜(せいだまり)とは、
「人の勢いが溜まる場所」と言う意味です。
昔は、この辺りに、市がたったり、
芝居小屋や、見世物小屋ができ、
多くの人が集まり、にぎわったのだと
思います。
出雲大社へお参りする前に、日御碕へ行く予定ですが、
バスの時間があるので、勢溜の大鳥居をくぐり、
参道を進んで見ます。
参道は、上下のうねりはありますが、下りです。
ちょっと不思議な感じがします。
案内図がありました。
参道を進んで行きます。
参道を進んで行くと、
祓橋(はらいばし)があります。
祓橋の下を流れる素鷺川です。
祓橋を渡ると、三ノ鳥居があります。
三ノ鳥居は、鉄の鳥居です。
そして、参道を進んで行くと右手、東神苑に、
波の上に乗った玉と向き合う大国主命の像があります。
日本書記には、大国主命が少名毘古那神と協力して
国づくりを進めている最中に、
少名毘古那神は栗の茎に弾き飛ばされ、
常世国に去ってしまいます。
大国主命は一人でどうやって国づくりを進めるか
思案していたら、海を照らしながらやってきた
「幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)」と言う神が、
国づくりを助けたと言う言い伝えがあります。
この像が、「幸魂奇魂」と大国主命の像です。
そうこうしている内に、
日御碕行きのバスの時間が
近づいてきました。
お参りは後に回し、
勢溜の大鳥居まで引き返します。
この大鳥居の前に、
日御碕へ向かうバスの停留所があります。
日御碕へ向かうバスに乗り、
日御碕で降ります。
停留所から海岸の方向に歩いて行くと、
日御碕神社があります。
日御碕神社は、
「出雲風土記」に「美佐伎社」と
記されている古社です。
日御碕案内図です。
参道を進んで行くと、赤い楼門があります。
道のど真ん中に鳩がいました。
近づいても、逃げようとしません。
何で?
楼門の下の格子の中の狛犬です。
狛犬は、木製のようです。
門の左側の阿形の狛犬です。
門の右側、吽形の狛犬です。
楼門を入ると、正面に
日沉宮(ひしずみのみや)があります。
天照大神が祀られています。
「伊勢大神宮は日の本の昼を守り、
出雲の日御碕清江の浜に
日沉宮を建て日の本の夜を守らん」と
言うご由緒が、日沉宮に残っています。
当初は、清江の浜の経島へ
祀られていましたが、
今はここへ祀られています。
その右手の階段の上には、
神の宮があります。
天照大神の弟とされる
素盞鳴尊が祀られています。
登ってみると、神の宮の横へ出ました。
神の宮の階段を登り、日沉宮を見たところ。
左に日沉宮の拝殿、右に本殿が見えます。
素盞鳴尊が天照大神を見下ろす配置です。
日沉宮横の境内を見下ろしたところ。
神の宮です。
手前が神の宮の拝殿で、奥が本殿です。
神の宮の正面の階段を下りて、ふり返ったところ。
日沉宮の拝殿と本殿です。
神の宮を見上げたところ。
日御碕神社を出て、海岸へ向かいます。
ここが、日沉宮のご由緒にある清江の浜か?
海岸から、目の前に、経島(ふみしま)が見えます。
この経島は、ウミネコの繁殖地として、
国の天然記念物に指定されています。
そして、かつては、この経島へ
日沉宮が祀られていました。
経島の上部へ鳥居が見えます。
今でも祠があるのでしょう。
海岸にも、ウミネコが
やって来ていました。
次は、この海岸沿いを、日御碕灯台へ向け
登って行きます。
日御碕灯台へ向け登る途中に見た岩肌です。
1600万年前に噴火して、溶岩として流れ出た流紋岩です。
日御碕灯台へ向け登りながら見た経島です。
経島です。
流紋岩でできています。
途中に見た海岸です。
経島です。
火山活動により噴出した流紋岩が
冷え固まる時に割れてできた柱状節理が、
経典を積み重ねたように見えたことから、
経島と呼ばれるようになりました。
日御碕灯台の近くには、
お土産屋さんや、食堂が並んでいます。
そのお土産屋さんの横に干してあった
イカです。
スルメイカになるのかな?
そのイカ干しです。
そして、日御碕灯台へ向かいます。
白く、すっくと立っている灯台です。
灯台の前は、崖になっています。
日御碕周辺の
案内図です。
日御碕灯台の下から、灯台を見上げたところ。
日御碕の地形は、
標高20~36m程度の平坦な面が
広がっています。
これは、約数万年前、
海面がこの高さまで上昇していた時期があり、
波による激しい浸食で、
海岸付近に平坦面がつくられました。
これは、海岸段丘と呼ばれるものです。
海岸段丘です。
日御碕灯台の下を回って行くと、
灯台ではありませんが、
白い塔のような建物が見えます。
気象観測用の建物のようです。
東正面から日御碕灯台を見たところ。
灯台の入り口の手前から、灯台を見上げたところ。
高さは、43.65mで、日本一です。
内部には、163段のらせん階段があり、
上部展望台まで登る事ができます。
上部展望台から東を見たところ。
東、少し南よりを見たところ。
北東を見たところ。
白い建物は、先ほど見た気象観測用の建物です。
北東を見たところ。
北を見たところ。
北を見たところ。
西を見たところ。
南西を見たところ。
左端の島は、経島です。
その経島です。
ウミネコの繁殖地です。
南西を見たところ。
灯台の下をのぞきこんだところ。
南を見たところ。
見上げると、ガラス窓の中に、
レンズが見えます。
そのレンズです。
光度は、48万カンデラで、
約40km沖合まで光が届くと言う事です。
海岸の波打ち際です。
波打ち際に赤い帯模様ができています。
暖かい日だったので、赤潮になりかけ?
一階へ下りたところ。
日御碕灯台の外壁は、白い石の切石積みですが、
内部は、空間をあけて、レンガを積んだ二重構造になってます。
その二重構造が見れるように、窓が開けてありました。
その窓から中を見たところ。
確かに、
レンガ積みの内壁と、石積みの外壁との間に
空間があり、二重構造になっています。
灯台を出て、灯台の西側の遊歩道を北東へ向け歩きます。
日御碕灯台をふり返ったところ。
火山活動により噴出した流紋岩が冷え固まる時に、
4~6角形の幾何学的に割れてできた柱状節理が
見られます。
確かに、蜘蛛の巣のように
幾何学的な割れ目が見えます。
気象観測用の建物と、日御碕灯台を、ふり返ったところ。
海岸です。
歩いて来た遊歩道です。
この岩は、幾何学的な割れ目がよくわかります。
遊歩道を引き返し、
海岸沿いの遊歩道を南へ向け歩きながら、
灯台をふり返ったところ。
日御碕灯台です。
日御碕の石標です。
前方に展望台、その向こうに経島が見えます。
灯台をふり返ったところ。
日御碕の柱状節理の説明です。
目の前にウミネコがいました。
たくさん、ウミネコがいます。
ウミネコと目があいました。
羽を広げて飛んで行きます。
海へ向かって飛び上がります。
ウミネコがやって来ては、飛んで行き、
また、やって来ます。
黄色い嘴の先が赤い。
今度は、仲間と一緒にやって来ました。
経島です。
経島と反対側、北側の海岸を見たところ。
海岸から北東に目を向ければ、
日御碕灯台が見えます。
南を見たところ。
経島が見えます。
流紋岩の柱状節理の上にとまった
ウミネコです。
羽を広げて崖からダイブしました。
経島です。
経島と反対側、北側をふり返ったところ。
経島の近くの海面を見ると、
ウミネコが泳いでいます。
そのウミネコです。
経島です。
日御碕の遊歩道を一周し、
お昼には、まだ早いですが、
朝昼兼用の食事をとる事にします。
日御碕で人気がある海鮮丼を食べに
柿谷商店へ入ります。
この辺りでは、海鮮丼の事を、
みさき丼とも呼んでいるらしく、
更に柿谷商店には、いくつかの種類が
あります。
そして、頼んだのが、この漁師丼です。
小鉢と、お吸い物がついています。
漁師丼のアップです。
食事の後は、出雲大社へ向け帰るばかりですが、少し名残惜しい。
再度、帰る前に、日御碕灯台へ行き、正面から写真を撮りました。
日御碕のお土産屋さんの庭で見た
ワカメの日干しです。
これが板ワカメになる?
日御碕へ登って来た道を引き返します。
経島です。
経島の横の海岸の風景です。
経島です。
日御碕漁港です。
今は漁港ですが、
ここは、昔は清江の浜と
呼ばれていたようです。
海岸から日御碕神社へ向かう途中に、
水に囲まれた小さな祠があります。
天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけひ)の時、
天の安河で産まれたとされる
宗像三女神(市寸島比売命、多岐津比売命、田心姫命)は、
海上交通の平安を守護する神であり、
それに関する祠かな?
日御碕のバス停から
出雲大社へ向かうバスへ乗ります。
途中、稲佐浜で、バスを降ります。
ここが稲佐の浜です。
国譲り、国引きの神話で知られています。
浜の中央に弁天島があります。
島の上部に鳥居と社が見えます。
かつては、弁財天が祀られていましたが、
今は豊玉毘古命が祀られています。
この弁天島は、
かつて、稲佐の浜の沖合にあり、
沖ノ御前、沖ノ島と呼ばれていました。
昭和60年前後までは、
島の前まで、波が打ち寄せていましたが、
近年浜が広がり、島の後ろまで
歩いて行けるようになりました。
弁天島を、南東から見たところ。
たくさんの人が写真を撮っています。
稲佐の浜から、東へ、
出雲大社へ向け歩いて行きます。
稲佐の浜から、少し入ったところに、
小さな祠があります。
これは、出雲大社 下の宮です。
天照大神が祀られています。
更に進んで行くと、出雲大社の上の宮があります。
修理中だったと思います。写真は無しです。
そして、出雲大社の
大歳社(おおとしのやしろ)です。
素戔嗚尊の御子神の
大歳神が祀られています。
田畑の守護神で、
五穀豊穣に功徳があります。
更に東へ進んで行くと、
出雲の阿国の墓があります。
その出雲阿国の墓の説明です。
歌舞伎踊りを創始した事で有名です。
更に進んで行くと、出雲大社が見えて来ます。
素鷺川を渡り境内へ入ります。
境内の藤棚です。
大国主命と
須勢理比売命(スセリヒメノミコト)の
結婚式の場面の石碑です。
参道へ出ます。
左手に、手水舎があります。
本来なら、この参道の正面の四ノ鳥居を
くぐって進むのですが、
工事中で、くぐり抜けできませんでした。
四ノ鳥居は、銅の鳥居で、
触ると金運UPと言うパワースポットですが、
触れませんでした。残念!
回り道し、拝殿・本殿へ向かいます。
神馬と神牛の像です。
正面が、拝殿です。
大きな注連縄がかかっています。
南東から拝殿を見たところ。
その奥に御本殿があります。
南東から御本殿を見たところ。
御本殿の八足門です。
ここから先は、
正月三が日などの特別な日や、
御祈祷を受けた人以外は入れません。
八足門横の御守所です。
お守りや絵馬等を授与されるところです。
反時計回りに御本殿を回ってみます。
大きな建物が、御本殿です。
御本殿は、大国主命が鎮座されています。
国宝に指定されています。
御本殿です。
北東から見たところ。
高さは24mあります。
御本殿です。
北から見たところ。
大社造りと呼ばれる日本最古の建築様式です。
御本殿の北西にある彰古館です。
大正3年に出雲大社の宝物館として
建てられました。
御本殿を北西から見たところ。
御本殿を西から見たところ。
御本殿を南西から見たところ。
御本殿を南西から見たところ。
御本殿を南西から見たところ。
御本殿の千木(ちぎ)と
勝男木(かつおぎ)です。
屋根の上で、
X状に交差している板木を千木、
水平に置かれた丸太状の木を勝男木と
言います。
南東の神枯殿の前にあったポスターです。
2000年から2001年にかけて、
境内の発掘調査が行われた結果、
古代の御本殿の御柱が発掘されました。
その説明です。
古代の御本殿の想像図です。
神枯殿の前を東へ向け
出雲大社を出ます。
出雲大社の東側には、
北島国造館があり、入ってみます。
北島家は、かつては、千家家と共に、
出雲大社の祭祀を司っていましたが、
現在は出雲教の布教活動をされています。
中には、りっぱな庭園があり、
奥に小さな滝があります。
その滝です。
亀の尾の滝と呼ばれています。
そして、次は、
島根県立古代出雲歴史博物館へ
向かいます。
北西から
島根県立古代出雲歴史博物館を
見たところ。
ロビーには、
古代本殿の御柱が発掘された
出雲大社境内模型が展示されていました。
発掘された宇豆柱の展示もありましたが、
ガラスケースの反射で
写真撮影できませんでした。残念!
その出雲大社境内模型です。
そして、平成の大遷宮で、
本殿から撤下された檜皮軒付の実物が、
特別に展示されていました。
常設展です。
鎌倉時代前半(1248年造営)の神殿は
どうだったのか?
現代の建築学者5人が推定復元した
1/50模型です。
現代の本殿の高さは24mですが、
かつての本殿の高さは
古代には32丈(96m)、
中世には16丈(48m)あったと
伝わっています。
上記の復元設計は、
発掘調査の結果に基づき行われています。
これは、故・福山敏男 京都大学名誉教授が、
戦前に平安時代の本殿を推定設計した設計図を基に
復元した1/10模型です。
これも、高さは16丈(48m)を想定した模型のようです。
さすがに、古代に32丈(96m)は、
30階以上の高層建築に相当し、眉唾だが、発掘調査で、
地中に残存する直径1.35mの巨木を3本組み合わせて
一本の柱とする巨大柱の一部が見つかったことで、
16丈(48m)の高さの本殿が実存していた可能性も
取り沙汰されています。
昭和28年まで本殿の屋根を飾っていた
千木と勝男木のレプリカです。
そりこ船と漁具です。
そりこ船とは、
出雲・隠岐海岸で使用されていた
刳り船を指します。
雲南市 加茂岩倉遺跡で見つかった銅鐸です。
シカや四足獣、四頭渦文が描かれています。
加茂岩倉遺跡で見つかった銅鐸です。
顔が描かれていたり、×印がついていたり、
鳴らした痕跡が残っています。
加茂岩倉遺跡で見つかった銅鐸です。
ウミガメが描かれています。
加茂岩倉遺跡で見つかった銅鐸です。
シカの群れが描かれています。
兵庫、大阪、福井で見つかった銅鐸と
同じ鋳型で作られた銅鐸です。
金銅製双龍環頭太刀です。
安来市 かわらけ谷横穴墓群で見つかりました。
松江市 岩屋跡古墳の石棺式石室の
1/10縮尺の復元模型です。
石室は、加工した一枚岩を用いて
壁や天井を作っています。
出雲市 上塩冶築山古墳の
横穴式石室の
1/10縮尺の
復元模型です。
島根県立古代出雲歴史博物館を出た後、
再度、出雲大社境内へ戻ります。
境内には、いくつかの白ウサギの像があります。
古事記で語り継がれている
大国様に助けられた
因幡の白ウサギがモチーフになっています。
浄の池(きよめのいけ)です。
参道の脇にある祓社(はらいのやしろ)です。
本当は、お参りする時に、寄るべきでした。
私の場合は、帰りに気が付きました。
参道を帰りながら、ふり返ったところ。
勢溜の大鳥居の前のバス停から、JR出雲市駅へ向かいます。
JR出雲市駅前から広島行の高速乗合バスへ乗って、
広島へ帰る予定ですが、
バスの発車まで時間があります。
時間つぶしに出雲の名物、出雲ぜんざいを食べる事にします。
出雲は、ぜんざい発祥の地と言う事です。
JR出雲市駅の北に向かう通りにある
「和かふぇ葉楽koto」と言うお店に入ります。
出雲大社献納茶御抹茶 出雲ぜんざいセットを
注文しました。
ぜんざいの甘さが、
歩き疲れた体を癒してくれました。
一服した後は、高瀬川まで歩いてみます。
水量が豊富で、気持ちがいい。
ねがいびなへ願い事を書いて、
高瀬川へ流すと願いがかなう
パワースポットになっています。
JR出雲市駅から、高速乗合バスへ乗って、帰途につきました。