アメ横、湯島天神、春日局の墓所、東大、そして、サンシャイン60:
14Oct2023


4年に一度、オリンピック開催の前年に、マラソン代表選考レース、
Marathon Grand Championship(通称MGC)が行われます。

パリ2024夏季オリンピックの前年に当たる2023年は、MGCが10月15日に開催される為、
その応援と、観光を兼ねて、東京へ出かけてきました。

MGCの前日は、上野恩賜公園から、アメ横、湯島天神、春日局の墓所、東大へと歩きました。
その後、宿泊地の大塚へ、そして、サンシャイン60の展望台から夜景を楽しみました。

上野恩賜公園を出て、JR山手線に沿って南へ、
御徒町駅の方向へ向かうと、アメ横商店街があります。

アメ横と呼ばれようになった理由は、以下の二つの説があります。
 ・飴屋が多い=飴屋横丁
 ・アメリカからの舶来品が多い=アメリカ横丁

通りは、人であふれています。











アメ横の看板の下には、賑わいの像があります。

この賑わいの像は、
東北、上越新幹線の上野駅乗り入れを記念して
設置されています。

東京藝術大学出身の彫刻家、関孝行氏の作品です。

一見、芸術と言うよりは、
マンガのキャラクターのような雰囲気ですが、
人間をあらわし、賑やかさをイメージした作品と
言う事です。







第二次世界大戦直後、都内では新宿、有楽町など
各地で闇市ができました。
多くの闇市が的屋の仕切りであった中、
アメ横では満州からの復員兵が連合会を結成し
出店を統制しました。
アメ横は、当時の闇市形態の発展形として残る
数少ない商店街です。

このお店の店先には、
燻製の鴨や、豚足、等、見慣れない食材が
並べられています。



アメ横商店街を南へ進んで行くと、
また別のアメ横の看板が、頭上にありました。












アメ横商店街を南へ進み、
春日通りを西へ進みます。

上野広小路の近くにある
お箸できれるやわらかいとんかつ 井泉本店で
遅い昼食をとりました。









注文したロース定食です。














とんかつで腹ごしらえした後は、
春日通りを西へ、湯島天神へ向かいます。

左手に、湯島天神への階段があります。

この階段は、夫婦坂と呼ばれています。













この夫婦坂を上と、本殿があります。













湯島天神の正面、南側にまわります。

正面には、銅鳥居があり、
扁額に天満宮とあります。

この銅鳥居は、
寛文7年(1667)に寄進された物で、
東京都の指定有形文化財に指定されています。






その銅鳥居をくぐると、正面に拝殿が見えます。

湯島天神は、雄略天皇二年(458)に、
勅命により天之手力雄命を祭神とし創建されました。

その後、正平十年(1355)に、
菅原道真公を勧進し合祀しています。












正面は拝殿で、その奥に本殿があります。

拝殿、本殿は、平成七年(1995)に、
総檜の権現造りで再建されています。










手水舎をふり返ったところ。

手水舎の前には、臥牛の像があります。











湯島天神の中には、
池泉回遊式の日本庭園があります。












学問の神様、菅原道真公が祀られており、
多くの合格祈願の絵馬が奉納されていました。












湯島天神を出て、春日通りを西へ進んで行くと、
麟祥院と言うお寺の前に、春日局之像があります。

春日局は、天正7年(1579)、
明智光秀の重臣、斎藤利三の娘として生まれます。
父は、本能寺の変の後、捕らえられ処刑された為、
不遇な環境の中で育ちます。
その後、稲葉正成の妻となり、そして、離縁の後に、
徳川家光の乳母として召し出されます。
そして、家光が将軍職に就けるよう、
徳川家康に直訴し、家光は将軍の座を射止めます。
また、徳川の血を絶やさない為に、
大奥の制度を築きます。
そして、寛永20年(1643)、この世を去ります。

麟祥院の山門です。

麟祥院は、春日局の願により
三代将軍、徳川家光の命で、
寛永元年(1624)に開山しました。

扁額には、海東法窟の文字があります。

また、山門の脇には、
春日局終焉之地の石碑が建ってます。

ここ麟祥院は、春日局の墓所になってます。


その春日局のお墓です。

死して後も天下の政道を見守り
之を直していかれるよう黄泉から見通せる
墓を作って欲しいと言う遺言で、
墓石の四方及び台石に穴が穿ってあります。

ちなみに、文京区の春日は、
徳川家光の乳母である春日局が拝領した土地に
由来します。
そして、春日局之像の前を通る道は、
その文京区の春日に沿った道であり、
春日通りと呼ばれています。

春日局之像から、春日通りを西へ進み、
本郷通りに出ると北へ向かいます。

本郷通りを進んで行くと、
東大の赤門があります。

その東大の赤門を西側、正面から見たところ。

訪問時は、耐震診断中で、閉門しておりました。





東大の赤門です。

この赤門は、加賀藩13代藩主、前田斉泰が、
文政10年(1827)に11代将軍、徳川家斉の娘、溶姫を
正室に迎えた際に建立された朱塗りの御守殿門です。









その赤門の説明です。













赤門が閉門中の為、
赤門のすぐ南に位置する
伊藤国際学術研究センター門(仮称)から、
東大本郷キャンパスへ入ります。

ちなみに、
本郷キャンパスの敷地の大半は、
加賀藩、前田家の上屋敷の跡地です。






キャンパス内を通って、
赤門を内側から見に行きます。












本郷キャンパスの内側、
赤門から東に延びる赤門通り上から、
赤門を見たところ。











赤門通りを東へ向かいながら、
医2号館本館を見たところ。

東大は、明治10年(1877)に
東京医学校と、東京開成学校と言う
二つの官立専門学校が合併し、
東京大学が誕生しました。
その前身校の東京医学校が
移転してきたのが、ここに当たります。

現在の医2号館本館は、昭和12年(1937)に、
後に東京帝国大学総長を務める
内田祥三の設計によって、建てられました。

医2号館本館の前を、南北に走る中央通りを
北に進みます。

木立の中に、弓道場の育徳堂があります。

この育徳堂の向こうに、
見えませんが、三四郎池があります。







中央通りを北へ進みます。

正面は、文3号館です。
















文3号館の下の通路を、北へ抜けると、
正面に法文2号館があります。












その法文2号館の下の通路を、北へ抜けると、
東西に走る東大銀杏並木があり、東へ進むと、
安田講堂があります。

東大構内に、天皇行幸に際する
便殿すらない事に恐縮した安田善次郎の
寄付によって、大正14年(1925)に竣工しました。

安田善次郎は、天保9年(1838)に
富山藩下級武士の子として生まれましたが、
安田商店を開業し、その後、安田銀行
(現みずほファイナンシャルグループ)へと
発展させました。
また、損保ジャパンや明治安田生命保険なども
設立し、銀行王と呼ばれています。

安田講堂です。

後に東京帝国大学総長を務める内田祥三が、
ケンブリッジ大学の門塔に着想を得て、
設計されています。









安田講堂を見上げたところ。

この安田講堂は、東大紛争(1968-9)の舞台になりました。
学生達によって、安田講堂は占拠されますが、
機動隊の介入によって、多くの学生が検挙され、収束しました。














安田講堂の前から、通って来た銀杏並木をふり返ったところ。


















安田講堂の前の庭の南側には、
濱尾新先生像があります。

濱尾新は、1893年に帝国大学総長、
1897年に文部大臣、
1905年に再び東京帝国大学総長だった人物です。








濱尾新先生像の向こう、南側の木立の中に、
三四郎池があります。

ここ本郷の土地は、大阪夏の陣の活躍で、
加賀藩の前田利常が
徳川家康から与えられた土地です。
前田利常の正室は、徳川秀忠の娘の珠姫であり、
将軍、秀忠の御成に備え、
寛永6年(1629)に築庭されました。

後に育徳園と命名された庭園であり、
三四郎池の正式名は、育徳園心字池です。


三四郎池を、北側から見たところ。

三四郎池の名前は、
夏目漱石の長編小説「三四郎」に由来します。

東大生になった三四郎は、森の中に入り、
喧騒から離れ池の前で一息ついていると、
少し遠くに看護師と美しい女がいるのに
気づきます。





三四郎池の南側にまわって、池を見たところ。





歩き疲れたので、
東大本郷キャンパスを出て、
宿泊予定の大塚のホテルへ
早めのチェックインをする事にします。




JR御茶ノ水駅へ向かいます。

JR御茶ノ水駅の手前、
神田川に架かる御茶ノ水橋の上から
神田川を見たところ。









神田川の右岸をJRの線路が走ってます。

走っている電車は、
オレンジ色のラインが入っているので、
中央線の電車です

ちなみに、神田川は、
飯田橋付近から秋葉原付近まで、
仙台伊達藩によって、
神田山を掘削し生み出された
人口の渓谷河川です。

神田川は、井の頭湧水を水源としており、
仙台濠と呼ばれる外堀の機能だけでなく、
江戸庶民の水の確保にも役立ってます。

井の頭の水はお茶をたてるのに最適な水と言う事で、御茶ノ水とか、
神田上水掛橋があった水道橋とかの名前の由来になってます。

JR御茶ノ水駅から、JR大塚駅へ行き、
宿泊予定のホテルへ
早めのチェックインをします。











ホテルで一息ついた後、
サンシャイン60展望台からの夜景を眺めに、
池袋のサンシャインシティへ出かけました。

てんぼうパーク サンシャイン60展望台、海抜251mからの景色です。

東、少し南よりに、東京スカイツリーが見えます。












東京スカイツリーは、美しくライティングされています。


















そのライティングは、時間と共に変化します。


















ライティングの変化を楽しみます。






























































































南、少し東よりに、東京タワーが見えます。


















東京タワーの右手の高層ビルは、
アークヒルズ仙石山森タワーです。

















左よりに東京タワー、
中央がアークヒルズ仙石山森タワー、
右端が2023年11月に開業予定で
日本一高いビルとなる
麻布台ヒルズ森JPタワーです。
高さは325mです。








南、少し西よりを見たところ。

左側に渋谷ヒカリエとSHIBUYA SKYが
並んでたってます。
そして、右側にはNTTドコモ代々木ビルが
見えます。








NTTドコモ代々木ビルです。
高さは240mでありドコモタワーと呼ばれています。

















てんぼうパーク サンシャイン60展望台の
南西角には、
てんぼうの丘と呼ばれるスペースがあります。

この時間帯は、人工芝の丘の上には、
たくさんのカップルが、
座ったり、寝転がったりしています。







てんぼうパークのイベントスペースでは、
サンシャインシティ×アニメ「鬼滅の刃」コラボが
開催されていました。

ガラスに映った
鬼滅の刃の蟲柱、胡蝶しのぶです。

胡蝶しのぶは、鬼殺隊の最高位の柱の称号を持つ
9人の隊士の一人で、
鬼殺しの毒を日輪刀を通じて鬼に注入し鬼を倒します。
首を切らずに鬼を倒す唯一の柱です。








鬼滅の刃の炎柱、煉獄杏寿郎です。

鬼殺を生業とする名門、煉獄家の長男で、
炎の呼吸を操ります。















柱のそばには、竈門禰豆子が立ってます。

竈門禰豆子は、主人公、竈門炭次郎の妹で、
炭次郎が留守の間に鬼に襲われ、
母、兄弟たちは殺されますが、
禰豆子のみ鬼と化し、生き残ります。
鬼になった禰豆子が人を襲い、喰らわぬように、
口枷として竹筒をくわえています。

このイベントで、口にくわえているのは、
スタンプラリーの
スタンプスポット地図の巻物のようです。






鬼殺隊の面々です。













北東を見たところ。

38階建てのタワーマンションの
ヴァンガードタワーです。















てんぼうパーク サンシャイン60展望台を
楽しんだ後は、エレベータで下ります。

そのエレベーターの内部です。

天井を見ると、星空が映し出されています。








エレベータの中の星空です。













エレベーターで下り、サンシャインシティを出て、
サンシャイン60を見上げたところ。

















サンシャインシティを出て、
大塚のホテルへ戻ります。

春日通りを南東へ進んで行くと、
都電荒川線と交わる交差点があり、
向原駅があります。

向原駅に電車が停まってました。






その交差点から、都電荒川線に沿って、
JR大塚駅に向け、下って行きます。

正面は、JR大塚駅の南口です。










JR大塚駅の構内を、
南口から反対側、北口に抜け、
駅前のロータリー越しに
JR大塚駅を見たところ。

この大塚駅北口駅前広場は、
大塚の「O」である輪をテーマに、
空に向かい輪が広がるように連なった
モニュメントがあります。

そして、夜には、「光のファンタジー」をテーマに
光の演出がされています。


そして、都電荒川線も、
JR山手線の高架の下をくぐって
北に向け、抜けています。

その都電荒川線を走る電車です。









都電荒川線の電車です。

月1回開催 都電落語会の
ラッピングがされています。

都電落語会は、
都電の大塚駅前停留場の近所に住み、
都電に日常風景として接していた
故、林家こん平さんが
都電の中で何かやりたいと言う思いで
生まれた企画です。

コンビニで夕食を買って、ホテルへ戻り、
明日のMGCの応援に備えて、早寝をしました。




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