築地~浜離宮恩賜庭園: 14Sep2019


東京2020オリンピックが予定されていた前年の2019年9月15日、オリンピックの花、マラソンの代表選考レース、
Marathon Grand Championship(通称MGC)が行われました。

その応援の為、観光を兼ねて、二日前から東京へ出かけました。


その初日は、日本橋、東京スカイツリー、浅草寺を周り、
二日目は、築地、浜離宮恩賜庭園、芝離宮恩賜庭園、増上寺、
東京タワー、永田町、皇居前広場と歩きました。

浅草から都営浅草線で東銀座へ行き、歌舞伎座前からスタートです。










その歌舞伎座です。

建て替え前の歌舞伎座の意匠の流れを踏襲し、破風屋根の飾り金物や
舞台のプロセニアムアーチなどの部材を再利用し、建物構造や舞台機構で
最新技術が取り入れられ、平成25年に建て替えられました。、









歌舞伎座の正面玄関。













歌舞伎座。













歌舞伎座の正面玄関の左側にあった公演情報です。






























歌舞伎座の前の晴海通りを築地方面へ、歩きます。

進んで行くと、中央区立築地川銀座公園があります。

その公園には、名犬チロリ記念碑があります。

名犬チロリは、生んだばかりの子犬5匹と一緒に捨てられた、
捨て犬でした。
しかし、殺処分寸前に助けられ、日本で第一号の認定セラピードッグに
なって、多くの高齢者や障碍者を助けました。
そして、その活躍が、日本の動物愛護法に多大な影響をもたらしました。




晴海通りを進み、築地四丁目の交差点を左へ曲がると、
築地本願寺があります。

左に築地本願寺の本堂、右は浄土真宗の宗祖、親鸞聖人の像です。










築地本願寺の本堂です。

築地本願寺は、1617年に浅草近くに創建されましたが、
1657年の明歴の大火で焼失します。その後、再建のため、
江戸幕府から与えられた土地は現在の場所ですが、当時は海上で、
海を埋め立て土地を築き本堂を建立したことが
築地の名前の由来になってます。
その後、1923年の関東大震災による火災で再度焼失し、
1934年に再建し現在に至ってます。






正門前から、築地本願寺を見たところ。













正門を入り、築地本願寺の本堂を、正面から見たところ。

現在の本堂は、帝国大学名誉教授で建築史家の伊東忠太博士の設計で、
古代インド・アジア仏教様式を模した外観が特徴です。
建物の細部にはインドのみならず和洋中と世界の建築要素が取り入れ
られています。
仏教寺院ながら、ここまで独特の建築が実現できたのは、伊藤博士と、
仏教伝来ルートを明らかにする為、探検隊を結成しシルクロードを旅した
当時の宗主、大谷光瑞との出会いがあったからです。






手水場です。

手水鉢には、衆水一味浄と文字が彫られてます。

どの川の水も海に入れば、一つの味になるように、
凡夫も聖者も、みな本願海に入れば、等しく救われる
と言うような意味らしい。








境内には、合同墓もあります。













本堂正面の階段の両側には、狛犬が守護しています。

向かって右側の阿形の狛犬です。
この狛犬には、翼もあります。

建物は、古代インド・アジア仏教様式で独特ですが、
狛犬も日本の寺院の狛犬と雰囲気が異なります。







向かって左側の吽形の狛犬です。













築地本願寺本堂の説明です。
































次は、築地本願寺を出て、勝鬨橋へ向かいます。













前方に見える橋が、勝鬨橋です。













勝鬨橋へ近づきながら、勝鬨橋を見たところ。













勝鬨橋の袂から、勝鬨橋を見たところ。

改修工事が行われてました。
景観照明改修工事とお知らせが掲示されていました。










その勝鬨橋。













勝鬨橋から上流に向け、隅田川の堤防を補強する護岸基礎を
親水施設として開放した隅田川テラスがあり、その隅田川テラスから、
勝鬨橋を見たところ。












勝鬨橋は、両側のアーチ橋に挟まれた中央部が、
船を通す為の二葉開跳橋になってます。

明治38年(1905)に、日露戦争における旅順陥落祝勝記念で、
勝鬨の渡しが運航し、その後、昭和15年(1940)に勝鬨橋が完成しました。
船を通す為の勝鬨橋の開跳で、橋の完成当初は、晴海通りは、一日に5回、
約20分の通行止めが行われていましたが、交通量の増大により、
昭和45年以降は、開跳をストップしています。






勝鬨橋を、築地から月島へ向け、渡ります。



















勝鬨橋を渡りながら、上流を見たところ。

前方には、佃の高層ビル群が見えます。











アーチ橋の横を歩いて行くと、橋脚塔があります。



















橋脚塔を抜けると、その向こうにも橋脚塔があります。













その橋脚塔と、抜けてきた橋脚塔の間が、二葉開跳橋です。













二葉開跳橋の中央部。














ここから橋は二つに割れ、ハの字型に開く構造になってます




















二葉開跳橋の中央部、橋がハの字に割れる地点を過ぎて、
振り返ったところ。












勝鬨橋を月島へ向け渡りながら、築地川をふり返ったところ。













隅田川の上流方向を見たところ。

白い斜張橋の中央大橋が見えますが、その手前には、
分かりにくいけど佃大橋も見えます。










手前が、佃大橋で、その向こうに白い斜張橋の中央大橋が見えます。













左側の高層ビルは、聖路加ガーデンタワー。

右側には、佃の高層ビル群が見えます。











月島側の橋脚塔を抜けて、その橋脚塔をふり返ったところ。













勝鬨橋を対岸の月島へ渡り、隅田川の上流を見たところ。













月島側から、今渡って来た勝鬨橋を見たところ。













晴海通りを反対に渡り、勝鬨橋を見たところ。













勝鬨橋。













左右のアーチをつなぐ、橋門構には、平仮名で、かちどきばし
とあります。












勝鬨橋の月島側の袂から、隅田川の下流を見たところ。













左よりに見える橋は、築地大橋。

その右側には築地市場跡が見えます。











築地市場跡。













月島から築地へ向け、勝鬨橋を渡ります。



















月島側の橋脚塔です。



















その橋脚塔を抜け、進んで行くと、二葉開跳橋の中央部が見えてきます。













二葉開跳橋の中央部です。













ここが、橋がハの字に割れる地点です。













橋がハの字に割れる地点。



















更に進んで行くと、築地側の橋脚塔です。













そして、月島側をふり返ったところ。













勝鬨橋を渡りながら、隅田川の下流を見たところ。

隅田川に架かる橋は、築地橋です。











築地市場跡です。

更地化が進んでいます。











築地市場跡。













更に進みながら、築地市場跡を見たところ。













勝鬨橋を築地へ渡ったところに、勝鬨の渡しの石碑があります。

明治38年(1905)、日露戦争の旅順要塞陥落戦勝を記念し、勝鬨の渡しと名付けて
渡船場が設置されました。

実際の渡船場は、ここから約150m西の波除稲荷神社の辺りにありました。

勝鬨の渡しは、勝鬨橋が完成する昭和15年(1940)まで運航され、廃止されました。












築地場外市場へ向け、路地をのぞき込みながら歩きます。



















築地場外市場の築地東通りです。



















築地場外市場の築地中通りです。













築地場外市場の路地をのぞきながら、晴海通りを歩きます。













築地市場の築地西通りです。

毎年、新年の初競りで、一番マグロを競り落とす社長さんで有名な
すしざんまい本店の看板が見えます。
















左手のお店が、そのすしざんまい本店です。

お店の前には、社長さんの像が立ってます。











そして、すしざんまい本店の斜め前の海産物のお店です。

でも、売っているのは、海産物だけでは無いみたいです。












すしざんまい本店横の築地横丁です。



















築地西通りを進みながら、すしざんまい本店方向をふり返ったところ。



















築地西通りを抜けて、築地場外市場の波除通りです。













そして、新大橋通りに面しても、多くのお店が並んでいます。

新大橋通りは、築地本願寺が築地門跡と呼ばれていた事から、
もんぜき通りとも呼ばれています。










朝早くから歩き回ったので、築地場外市場で朝食をとることに。

もんぜき通りを歩いていると、次から次へとどんぶりを買って、
路上で立ち食いしているお店がありました。

きつねやと言うホルモン丼のお店でした。








大鍋でぐつぐつとよく煮込まれたホルモンを、ご飯の上にかけて、
ネギをおくと出来上がり。うまい!












次は、浜離宮恩賜庭園へ向かいます。

新大橋通りを道なりに、南西へ進んで行くと、築地川に架かる
大手門橋があります。

築地川は、江戸時代に埋立地として造成された築地の四方を囲む
掘割として誕生しました。
しかし、今では築地川は干拓され、大部分は首都高に、そして、
公園、駐車場に変わり、現在、浜離宮恩賜庭園横に水路を残すのみ
となってます。





その大手門橋です。













大手門橋の前にあった浜離宮恩賜庭園の沿革の説明です。






















大手門橋を北から見たところ。













左端に橋の一部が見えるのが、大手門橋。

浜離宮恩賜庭園の周囲は石垣になっており、築地川と、
右側の汐留川で囲われている。










北西から大手門橋を見たところ。













大手門橋を渡りながら南東、築地川を見たところ。













大手門橋を渡ると、大手門の前に枡形があり、その枡形の中に周辺案内図がありました。


























浜離宮恩賜庭園の沿革の説明です。























寛永年間(1624-1644)は、将軍家の鷹狩場で一面の芦原でした。
承応三年(1654)、四代将軍家綱の弟で甲府宰相の松平綱重は、将軍から許しを得て甲府浜屋敷を立てました。
その後、将軍家の別邸となり浜御殿と称されます。
しかし、明治維新の後、皇室の離宮となり、名称も浜離宮と改められます。
幕末には、石造洋館の延遼館が建設され、維新後は皇室宴遊の地となり、諸外国貴賓来訪の祭には迎賓館にあてられました。





枡形の中から、大手門跡を見たところ。

早く着きすぎて、開園時間の9時までに少し時間があるので、
近くのコンビニへ行って休憩をすることに。












休憩を終え戻って来て、大手門跡から園内に入り、
大手門跡をふり返ったところ。












大手門跡を入って、すぐのところにあった浜離宮恩賜庭園の案内図。




































庭園の中へ入って行きながら、大手門跡をふり返ったところ。














庭園内の果実。














延遼館跡。

明治維新後は、皇室の離宮となった浜離宮において、
諸外国貴賓来訪の祭に延遼館は迎賓館にあてられました。











内堀です。

江戸時代、大阪や長崎などから船で運ばれてきた物資を江戸城へ
入れるための中継基地で、現在、お花畑や内堀広場になっている辺りに
籾倉と呼ばれる倉が建てられてました。
内堀の護岸は間知石を用いた石積みで、荷揚げ用の階段も
設けられていました。








内堀の平面図です。








































物資を内堀へ入れるために、築地川と内堀はつながってます。















庭園内には、三百年の松があります。

宝永6年(1709)に、六代将軍の徳川家宣が、この庭園を大改修し、
浜御殿と改称された時に植えられたと伝えられています。












お花畑の方へ向かいます。















築地川と内堀がつながっている地点です。

築地川と内堀をつなぐ水路に架かる橋の上から、築地川方向を見たところ。













築地川と内堀をつなぐ水路に架かる橋の上から、内堀方向を見たところ。















お花畑です。















お花畑。

かつては、籾倉があった辺りでしょうか?













鮮やかなオレンジと黄色の花、キバナコスモスです。















キバナコスモス。















神社もあります。

旧稲生神社です。

明治27年に東京湾を震源とする地震で倒壊したため、
離宮内にあった数社をまとめて再建されました。
その後、何度か修理をし、平成17年に大修理が行われました。









この先には、梅林があります。















梅林です。















更に進んで行くと、灯台跡があります。















灯台跡へ向かいます。















その灯台跡の上部です。

礎石が残ってます。













海岸に出ます。

中央から左よりに築地市場跡が見えます。

右よりに見えるアーチ橋は、築地大橋です。











ここは、将軍お上り場です。

将軍が大川(隅田川)から浜御殿に来られたり、舟遊びをして
立ち寄られた時などに乗降された船着場です。
また、徳川慶喜が、鳥羽伏見の戦いで菅軍に敗北した時、
軍艦、開陽丸で江戸に戻った時、下船し勝海舟が出迎えたのが、
この将軍お上り場です。









その将軍お上り場を横から見たところ。















庚申堂鴨場の池から、細い水路が伸びています。

鴨をおびき寄せる引堀です。

庚申堂鴨場は、この鴨場の北東に庚申堂があったことに由来します。











潮入の池の横堀が見えてきました。















海とつながる水路に水門が設けられており、東京湾の潮の干満を利用して、
海水の出入りを調整し、池の水位を上下させています。

池にはボラ、ハゼ、ドロメ等、海水魚が棲んでいます。












水門です。















水門の水路を渡り、その先に、樋の口山があります。















潮入の池の横堀です。

池に架かる橋は、海手お伝い橋です。

その橋の向こうに見える高層ビルは、ラ・トゥール汐留です。
その右手に東京タワーが見えます。










横堀に沿って歩きながら、横堀越しに北西を見ると、右から、ガレッタ汐留、
東京汐留ビルディング、東京汐留メディアタワー、日通本社ビル、
東京ツインパークスが見えます。














横堀から海岸沿いに出て、南を見たところ。

中央辺り遠くに、レインボーブリッジが見えます。













海岸から横堀に沿いの道に戻り、横堀、そして、
横堀越しに汐留の高層ビル群を見たところ。














海手お伝い橋です。















そして、海手茶屋跡です。















海手お伝い橋を、対岸へ渡ります。















その海手お伝い橋を渡りながら、横堀の岩の上のコサギを見つけました。















岩の上で羽づくろいするコサギ。















海手お伝い橋を、渡りながら、対岸に鴨場の古覗きと言う施設が見えます。















海手お伝い橋を、渡りながら、横堀の中のコサギのいる岩の方向を
見たところ。

横堀越し見える高層ビルは、ラ・トゥール汐留です。












横堀の水門から、渡って来た海手お伝い橋の方をふり返ったところ。















ここは、庚申堂鴨場の古覗きと言う施設です。















そして、庚申堂鴨場の説明版です。
























鴨猟の方法も、わかりやすく漫画での説明がありました。












































元溜りと呼ばれる大きな池から、囮のアヒルを利用して、
鴨を誘導してくる引堀です。

左の小覗から、鴨が引堀に入ってくる様子を確認し、
引堀の両側の小土手にひそむ仲間に合図を出して、
鷹や又手網で猟をします。










小覗です。















小覗。















庚申堂鴨場から横堀の岸に沿った道に戻り、先ほどのコサギを見たところ。















コサギ。















コサギ。





















そして、横堀に沿って、南西へ歩いて行きます。















横堀の岩場にカワウがいました。















羽づくろいをしています。















カワウ。



















カワウ。



















カワウ。















庭園内の道から、松の木越しに横堀を見たところ。
中央辺りにカワウが見えます。














庭園内の道から、横堀を見たところ。
左よりにコサギが見えます。















進んで行くと、御帝山(おちんやま)があります。















その御帝山へ上り、南東を見たところ。

前方に見える池は、潮入りの池、横堀です。













御帝山の上から西を見たところ。

眼下には、横堀から続く潮入りの池、大泉水が見えます。
大泉水の中には、中島のお茶屋が見えます。
そして、その向こうには鬱蒼と木々が茂り、更にその向こうには
東京タワーが見えます。










御帝山の下には、大泉水へ向けたはり出しがあります。

舟遊びをするための船着場かもしれません。













そして、大泉水の先に目をやると、東京タワーが見えます。















御帝山を下りて、大泉水を見たところ。















大泉水。

大泉水越しに見える高層ビルは、ラ・トゥール汐留です。













御帝山です。















御帝山から南に向かうと、横堀と大泉水を結ぶ水路があり、
橋が架かってます。

その橋は、中の橋です。












中の橋の上から北西、大泉水の中に浮かぶ中島のお茶屋を見たところ。















中の橋の上から南東を見たところ。

橋の下の水路は、横堀へつながってます。

そして、その水路の向こう、写真右よりに3棟が重なって見える高層ビルは、
左が勝どきザ・タワーで、真ん中はTHE TOKYO TOWERS MID TOWER、
右端はTHE TOKYO TOWERS SEA TOWERです。










中の橋を渡り、道なりに進みながら北西を見たところ。

大泉水の中に浮かぶ中島のお茶屋の向こうに見える高層ビル群は、
左から左端の2棟は、東京ツインパークス、日通本社ビル、
東京汐留ビルディング、ガレッタ汐留です。












大泉水と、その中に浮かぶ中島のお茶屋、
そして、その向こうの高層ビル群です。














そして、左手には、富士見山があります。














富士見山への道。





















富士見山の頂上です。

かつては、富士山を見ることができたのだと思いますが、
今は見ることはできません。












富士見山の頂上から、北側、大泉水越しに見る高層ビル群。

左から、日通本社ビル、東京汐留ビルディング、ガレッタ汐留です。













富士見山の頂上から東を見たところ。















富士見山を下りて、北西に進むと、潮入りの池、大泉水と、
中央には中島のお茶屋が見えます。

左よりの橋は、中島のお茶屋へ続くお伝い橋です。












そのお伝い橋を渡り、中島のお茶屋へ向かいます。















お伝い橋の上から、南西を見たところ。

中央右よりに3棟が重なって見える高層ビルは、
左が勝どきザ・タワーで、真ん中はTHE TOKYO TOWERS MID TOWER、
右端はTHE TOKYO TOWERS SEA TOWERです。











中島のお茶屋です。















中島のお茶屋から、更にお伝い橋が延びて、その先に小の字島が見えます。

小の字島は、大泉水に浮かぶ三つの飛島が、小の字に似ていることから、
名前が付けられてます。

その三つの飛島を結んでお伝い橋が掛けられており、
お伝い橋が折れ曲がっている右よりの小さな島が、小の字の小さな点で、
その先、中央に見える島が中央の縦線に当たります。









その小の字島へ向かいお伝い橋を進みます。

前方に見える島は、小の字の中央の縦の線に当たる島です。













そのお伝い橋の途中から、渡って来たお伝い橋をふり返ります。

右側の高層ビルは、ラ・トゥール汐留です。



















小の字の中央の縦線に当たる島には、小の字島の説明があります。















小の字の中央の縦線に当たる島の藤棚の下から、
反対側の小さな点に当たる島を見たところ。

その島の向こうには、右よりに鷹の御茶屋、左よりに燕の御茶屋が見えます。












小の字島の小さな点に当たる島から、南を見たところ。

右側の一番高いビルは、建設中の東京ポートシティ竹芝です。













そして、お伝い橋を進みながら、小の字島を見たところ。















お伝い橋を渡り終え、その先に鷹の御茶屋があります。

園遊の際の休憩や、賓客をもてなす場として建てられた建物であり、
かつ、鷹狩の際の待合所、休憩所でもありました。












鷹狩と鷹の御茶屋の説明です。

































徳川家斉の時代の鷹狩の説明。
































鴨猟の変遷の説明。

































田舎の風情を楽しむ建物、鷹の御茶屋の説明。

































鷹の御茶屋の裏手に設置された鷹部屋です。




















架木に留まる鷹。

よく見ると、本物ではありません。


















鷹部屋の説明です。
































鷹の御茶屋の近くにも、庚申堂鴨場の引堀があります。















これも、庚申堂鴨場の引堀です。















ここにも、庚申堂鴨場の引堀があります。

元溜りと言う大きな池から、たくさんの引堀が伸びて各所に作られています。













次に、花木園に向かいます。

その花木園の向こうには、右から、ガレッタ汐留、東京汐留ビルディング、
日通本社ビル等が見えます。












花木園の中には、休憩所が設置されています。

その休憩所の軒先から、暑さ対策のミストシャワーが出ています。













その花木園の横に、内堀が延びてきています。















花木園です。















花木園には、水路も配されています。















花木園のサルスベリです。




















花木園。















内堀です。















花木園を周りながら、北西を見たところ。

中央右よりは、ホテルのコンラッド東京が入っている
東京汐留ビルディングです。












道なりに歩いて行くと、可美真手命(うましまでのみこと)の銅像があります。

可美真手命は、饒速日命(にぎはやひのみこと)の皇子で、神武天皇の東方遠征に従い、
手柄をたてたと言われる軍神で、明治天皇の結婚式を記念して陸軍省が行った
懸賞募集に当選した作品という事です。

















大泉水から続く水路に架かる橋の上から南を見たところ。

目の前に、小の字島が見えます。













大泉水です。















小の字島。

ここから見ると、大泉水の水面に小の字島が映り、映った影も含めると、
小の字に見えます。












大泉水の岸に沿って歩き、南東を見たところ。

中央に見える細長い建造物は、中央清掃工場の煙突です。

その左側、3棟が重なって見える高層ビルは、
左が勝どきザ・タワーで、真ん中はTHE TOKYO TOWERS MID TOWER、
右端はTHE TOKYO TOWERS SEA TOWERです。









次は、大泉水の岸から、新銭座鴨場へ向かいます。

途中、馬場があります。













馬場です。















茂みの中に土手があり、その土手に上ると新銭座鴨場があります。















新銭座鴨場の元溜りです。















その元溜りから、囮を使って鴨を呼び寄せる引堀が分かれてます。




















その引堀です。















そして、新銭座鴨場の近くに、鴨塚の碑があります。















浜離宮恩賜庭園には、庚申堂鴨場と新銭座鴨場があり、
十代将軍の徳川家治の時代から昭和19年まで、
鴨猟が行われてきました。
昭和10年に宮内省の鷹匠、戸部与四郎氏によって
捕獲された鴨を供養する為に建てられました。











鴨塚の碑です。

鴨之塚と刻まれてます。













ここは何の跡でしょうか?船乗り場?















大泉水から水路でつながっており、船着場のように見えます。















次は、中の御門跡へ向かいます。

中の御門跡の前から、庭園をふり返って見たところ。













中の御門跡を外へ出て、中の御門跡をふり返って見たところ。















中の御門跡の前の汐留川。

汐留川にそって、次は芝離宮恩賜庭園に向け進みます。


















汐留川は、浜離宮恩賜庭園の西側から南側へ向け囲んでいます。


















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