東京2020オリンピックが予定されていた前年の2019年9月15日、オリンピックの花、マラソンの代表選考レース、
Marathon Grand Championship(通称MGC)が行われます。
その応援の為、観光を兼ねて、二日前から東京へ出かけました。
初日は、日本橋界隈を散策後、東京スカイツリーを回り、
浅草寺へお参りしました。
風神、雷神が守護する浅草寺の総門、風雷神門です。
しかし、一般的には、雷門と呼ばれています。
その雷門の大提灯です。
雷門の扁額には、浅草寺の山号の金龍山とあります。
浅草寺の創建年代は不詳ですが、
天慶5年(942)に塔堂伽藍を一新したと伝わります。
雷門も、幾度となく消失と再建を繰り返し、
現在の門は昭和35年(1960)に
松下電器産業社長、松下幸之助氏によって
寄進されたものです。
その雷門の説明です。
雷門に向かって右側は、風神です。
左右のの手、それぞれで、
背中に背負った風を起こす袋の端を
握っています。
雷門に向かって左は、雷神です。
手にばちを持ち、背中には雷を起こす連太鼓を
背負っています。
雷神です。
風神、雷神ともに、
慶応(1865)の大火で、頭部を残して
消失しましたが、その後、修復されてます。
金龍山 浅草寺の説明です。
御本尊は、観世音菩薩です。
雷門から宝蔵門へ続く表参道、仲見世の入口を、
雷門の横から見たところ。
雷門を過ぎて、雷門をふり返ると、左右に龍神像がいます。
雷門に向かって右側が金龍です。
雷門に向かって左側が天龍です。
女性の姿をした金龍です。
男性の姿をした天龍です。
雷門から宝蔵門へ続く
表参道、仲見世の商店街です。
宝蔵門通りから本堂(観音堂)の前に並ぶ店の
中間にある店として、中店、
そして、仲見世と呼ばれるようになったと
言われています。
ひっきりなしに参拝客が行き交います。
雷門をふり返ったところ。
正面、前方に見えて来たのは、宝蔵門です。
宝蔵門が徐々に大きく見えてきました。
途中から、左側の商店は無くなり、右側のみになり、
前方に宝蔵門が近づいてきます。
宝蔵門の全景が見えてきました。
宝蔵門です。
左右に仁王像が安置されています。
いわゆる仁王門です。
昭和20年(1945)の東京大空襲により、
他の塔堂と共に宝蔵門は消失しますが、
大谷重工業社長の大谷米太郎夫妻の寄進で、
現在は鉄筋コンクリート造りで再建されています。
ちなみに大谷米太郎氏は、貧農の生まれで、
力士となり、その後、大谷重工業を起こし、
最後にホテルニューオータニの
創業者となった人です。
宝蔵門の西には五重塔が見えます。
宝蔵門です。
二層目は、経蔵を兼ねて
伝来の経典や寺宝を収蔵することから、
宝蔵門と呼ばれています。
その収蔵されている経典には、
国の重要文化財である元版一切経が
あります。
もとは鎌倉の鶴岡八幡宮に
収蔵されていたもので、
明治の神仏分離で焼却処分されるところを
浅草寺の尼僧の貞運尼が買い取り奉納した
由緒があるものです。
戦災で経蔵は消失しましたが、
元版一切経は、疎開しており消失をまぬかれました。
そして、宝蔵門には、
小船町と書かれた大提灯が掛けられています。
この大提灯は、日本橋小船町の町衆によって
奉納されたもので、万治2年(1659)を起源として、
現代まで続いています。
その宝蔵門と、東京スカイツリーです。
宝蔵門の軒下から、東京スカイツリーを見たところ。
そして、宝蔵門の両脇を仁王像が守護しています。
向かって左側の阿形像です。
手に持っているのは、金剛杵です。
その阿形像です。
向かって右側の吽形像です。
その吽形像です。
宝蔵門を抜けると、正面に本堂が見えます。
宝蔵門を抜け、宝蔵門をふり返ったところ。
門の両側には、大わらじが掛けてあります。
大きさは4.5m x 1.5mで、500kgの重さがあります。
山形県村山市有志により、昭和16年の初回以来、
8回目の奉納がされたものです。
宝蔵門を抜け、西を見ると、五重塔が見えます。
この五重塔は、昭和48年(1973)に鉄骨・鉄筋コンクリートで
再建されたものです。
五重塔は、仏舎利を奉安したインドのストゥーパを
起源としたもので、
五重塔の最上階には
スリランカのイスルムニヤ寺院から奉戴した仏舎利が
納められています。
五重塔の説明です。
五重塔の前から、宝蔵門を見たところ。
宝蔵門の下から、東京スカイツリーを見たところ。
宝蔵門を抜けた正面、北側に、本堂があります。
本堂は、本尊の観世音菩薩を奉安する事から、
観音堂とも呼ばれています。
寺伝によると、飛鳥時代、推古天皇36年(628)、
宮戸川(今の隅田川)のほとりに住む
檜前浜成・武成兄弟が漁をしている時、
投網の中に一軀の像が掛かり持ち帰ります。
そして、土地の長の土師真中知に見てもらうと、
観世音菩薩像とわかります。
そして、土師真中知は私宅を寺に改め、
観音様の礼拝供養をしたのが、浅草寺の始まりです。
大きな香炉です。
常に煙が上がっているので、常香炉と呼ばれています。
常香炉の東側に、お水舎(おみずや)があります。
そのお水舎の天井には、
東 韻光による墨絵の龍が描かれています。
そして、手水鉢の中央には、
高村光雲作の沙竭羅(さから)龍王像が立っています。
その高村光雲作の沙竭羅(さから)龍王像です。
沙竭羅(さから)龍王は、仏法を守護する八大龍王の一人で、
水をつかさどる神です。
かつて、本堂裏にあった噴水に安置されていましたが、
お水舎を建てた時にお水舎へ移されました。
本堂です。
本堂の正面にも、大きな提灯が掛かってます。
その提灯には、志ん橋と書かれてます。
新橋の料亭や芸者さん達の組合によって
奉納されたものです。
本堂の斜め前、線香等を買う事ができる受香所の壁にあった諸堂案内図です。
この案内図は、南を向いて設置されているので、南を上に描かれています。
本堂へお参りし、本堂の階段の上から、
宝蔵門をふり返って見たところ。
本堂の階段の上から、五重塔を見たところ。
そして、お水舎を見たところ。
本堂の前に、焼失した旧本堂(国宝)の礎石があります。
五重塔を北東から見たところ。
五重塔の東側にあった旧石灯篭の一部です。
明治25年(1892)に奉納されたもので、
高さが約5mありましたが、
経年劣化で撤去され一部が展示されています。
本堂の前を東に向け歩き、
南東から本堂を見たところ。
更に東へ向け進むと、二天門があります。
二天門を西側、境内側から見たところ。
その二天門です。
今の門は、慶安2年(1649)に
東門として創建されたもので、
境内に残る江戸初期の古建築として貴重で、
国の重要文化財に指定されています。
二天門を、境内の外へ出て、二天門を見たところ。
二天門は、創建当初は随身門と呼ばれ、
豊岩間戸命、櫛岩間戸命を随身像(守護神像)として
門の左右に安置していました。
しかし、明治17年(1884)、神仏分離で随身像は
浅草神社へ遷座され、
鎌倉の鶴岡八幡宮から広目天と持国天の像が
奉納されました。
この広目天と持国天は、修理先で戦災にあい焼失しますが、
現在は、上野寛永寺の厳有院(四代将軍徳川家綱霊廟)から
拝領した持国天、増長天が安置されています。
門の左側の増長天です。
右手に金剛杵を持っています。
右側の持国天です。
増長天、持国天共に、四天王に数えられ、
仏教の守護神で、武装した姿をしています。
二天門の前にあった手水鉢です。
この手水鉢の側面には、安永6年(1777)に
観世音千百五十年法会供養の日に
臨時連中によって寄付されたとあります。
臨時連中とは、浅草寺の消防組織のことです。
再び、二天門から境内に入り、西を見たところ。
右端に本堂、中央左よりに五重塔です。
南に目を移すと、
中央右よりに五重塔、左よりに宝蔵門が見えます。
二天門から境内へ入り、
すぐ右手に、浅草神社があります。
鳥居をくぐり、参道の先に浅草神社の拝殿が見えます。
浅草神社の祭神は、
浅草寺の本尊、観世音菩薩像を漁網に掛け発見した
檜前浜成命、檜前武成命と、私宅を寺に改め、その観音像を祀った
土師真中知命の3柱です。
参道には、燈籠が並べられています。
翌日から浅草燈籠祭が開催される予定で、その前日の今日は、
その準備で燈籠が並べられています。
参道の途中、両側には、狛犬がいます。
その右側の阿形の狛犬です。
その左側の吽形の狛犬です。
拝殿です。
この奥に幣殿、本殿があります。
拝殿です。
拝殿の前には、別の狛犬もいます。
浅草神社の拝殿前から西へ出て、
浅草寺の本堂の東面、そして、
その向こうに宝蔵門を見たところ。
本堂の南東の角を回りながら、五重塔を見たところ。
左端は、お水舎。
本堂の前を西へ進んでいくと、
植え込みの中にあった彫刻です。
東洋のロダンとも称された朝倉文夫氏の遺作、
慈雲の泉 雲
です。
本堂の西に位置する薬師堂です。
当初、本堂の北にあり北薬師と呼ばれていましたが、
慶安二年(1649)に徳川家光が本堂の北西に再建し、
かたわらに小さな橋があったので、
橋本薬師堂と名づけられました。
そして、その建物が、平成六年に現在地に移されました。
その薬師堂の東側に、一言不動尊があります。
社は、1725年に建てられたもので、
不動明王が祀られています。
「一言祈れば、願意満たざるなし」と言う言葉通り、
願い事を一つに絞って祈れば、
その願いは叶うと言われています。
薬師堂の前を東に進むと、
金龍権現と九頭龍権現の小さな社が
あります。
左が金龍権現で、右が九頭龍権現です。
金龍権現について、浅草寺の寺伝には、
本尊の観音様のご示現にあたり、
金の鱗をもつ龍が松林に下ったとあり、
浅草寺の山号が金龍山となりました。
これにより、金龍権現が奉納されました。
九頭龍権現は、長野県の戸隠山の地主神で、
本堂再建時に、その成就を祈って勧進されました。
金龍権現、九頭龍権現の南側に池があり、
橋が架かっています。
その橋の上から東側、池を見たところ。
その池の向こう、木の陰の建物は、本堂です。
その橋を南へ渡ると、
西側に小さな社が三つ並んでいます。
右から出世地蔵尊、商徳地蔵尊、子育地蔵尊です。
そして、地蔵尊の前を引き返しながら北に進むと、
正面に影向堂(ようごうどう)があります。
平成六年に、
浅草寺中興開山慈覚大師円仁の生誕1200年を記念し
建立されました。
浅草寺本尊の観音様を不断に支えている仏様を
影向衆と呼び、影向堂に祀られています。
影向堂の前を東に向かうと橋があり、
その橋の手前から、石橋(しゃっきょう)を見たところ。
現存する都内最古の橋で、元和四年(1618)、
浅草寺に東照宮(現存せず)が造営された際に、
参詣のための神橋として造られたもので、
今は渡ることはできません。
その反対側は、
池に流れ込む小さな滝を見ることができます。
本堂のすぐ西側の道へ出て、
その道の西側にあった宝篋印塔です。
宝篋印塔とは
宝篋印陀羅尼と言う経典を収めたことに由来する仏塔で、
日本では石塔婆の一つの形式です。
青銅製で、明治40年(1907)に再建されたものです。
その宝篋印塔の南隣にあった阿弥陀如来像です。
元禄六年(1693)につくられたもので、青銅製です。
当初は阿弥陀三尊でしたが、
今は中尊のみ現存しています。
本堂前の道を西へ進むと、奥山門があります。
本堂の北西一帯は、奥山と呼ばれ
江戸きっての庶民の娯楽の場でした。
浅草寺の山号の金龍山の奥のエリアと言う事で、
奥山と呼ばれたと考えられています。
この奥山門を出ると、奥山おまいりまちで、
かつては、見世物小屋や大道芸などで
賑わったようです。
奥山門を出る前に、五重塔をふり返ったところ。
その向こうに、東京スカイツリーも見えます。
奥山門を出て、浅草寺をふり返ったところ。
アーケードのある新仲見世商店街です。
雷門前へ戻りました。
雷門です。
お腹がすいたので、食事をして後、
ライトアップを見に来ることにします。
夕食は、東武線浅草駅北口を出たところにある
「とんかつ とお山」で、とんかつを頂きました。
ロースかつ定食です。
ソース、竹炭黒塩、茎わさびと、
いろいろな味を楽しめます。
美味しかった!
もう一度、仲見世へ戻ります。
宝蔵門です。
ライトアップされ、赤が映えます。
宝蔵門です。
門に向かって左側の阿形の仁王像です。
門に向かって右側の吽形の仁王像です。
五重塔です。
宝蔵門を抜け、五重塔を東から見たところ。
そして、正面に本堂です。
本堂に向け進みながら、
宝蔵門をふり返ったところ。
本堂の前には、常香炉があります。
右手にお水舎があり、そのお水舎の手水鉢の中央に立つ
沙竭羅(さから)龍王像です。
本堂です。
本堂へお参りし、雷門へ向け戻ります。
戻る途中、宝蔵門(仁王門)を抜け進んで行くと、
左手、東側に、久米平内堂(くめのへいないどう)があります。
久米平内は、剣の道にすぐれ、多くの人を殺めたので、
その罪を償うために、
仁王座禅の自分の姿を石に刻ませ、
人通りの多い仁王門の近くに埋めて
踏みつけさせました。
その「踏み付け」が「文付け」になり、
後に恋の仲立ちの神様と
なって崇拝されるようになりました。
参道にあった浅草観光案内図です。
仲見世通りを雷門へ向け戻ります。
仲見世通りを進んでいくと、
仲見世通りと直角に交わる伝法院通りがあります。
仲見世通りを雷門へ向け戻ります。
仲見世通りです。
雷門です。
仲見世側から、雷門を見たところ。
仲見世側から見た雷門です。
大提灯を仲見世側から見ると、
風雷神門と書いてあります。
そして、雷門を出て、雷門を見たところ。
その雷門の大提灯です。
表側には、雷門と書いてあります。
風神と雷神が門の左右を守っているのに、
通称は雷門と呼ばれています。
隅田川に出て、隅田公園から、東京スカイツリーを見たところ。
隅田公園から、東京スカイツリーを見たところ。
隅田川に沿って、隅田公園を歩きながら、
墨田区役所越しに東京スカイツリーを見たところ。
川岸に停泊している
TOKYO CRUISEのクルーズ船エメラルダスです。
川の向こう岸には、
ビアホール フラムドールの金の炎のオブジェが
見えます。
屋形船が隅田川を航行しています。
停泊していたクルーズ船エメラルダスが動き出しました。
クルーズ船エメラルダスが向きを変えて出ていこうとしてます。
出航していくクルーズ船エメラルダスです。
東京スカイツリーと、クルーズ船エメラルダスです。
クルーズ船エメラルダスと、金の炎のオブジェです。
屋形船と東京スカイツリーです。
屋形船と東京スカイツリーです。
吾妻橋の袂から、
東京スカイツリー、金の炎のオブジェを見たところ。
TOKYO CRUISEのクルーズ船リバータウンと
東京スカイツリーです。
吾妻橋の下をくぐり、南へ歩きながら、東京スカイツリー、
そして、金の炎のオブジェを見たところ。
中央に東京スカイツリー、金の炎のオブジェが見え、
左端に屋形船の乗船場があります。
更に隅田川に沿って南へ進みながら、東京スカイツリー、
金の炎のオブジェを見たところ。
歩くにつれ、
東京スカイツリーと、金の炎のオブジェの
位置関係が違ってきます。
そして、駒形橋の下をくぐり、更に南へ歩きながら、
下流を見たところ。
隅田川に屋形船が停泊してます。
下流に見える三連アーチ橋は、厩橋(うまやはし)です。
そして、下をくぐってきた駒形橋です。
東京観光の初日を終えて、ホテルへ向かいます。