旧芝離宮恩賜公園、増上寺、東京タワー: 14Sep2019


東京2020オリンピックが予定されていた前年の2019年9月15日、オリンピックの花、マラソンの代表選考レース、
Marathon Grand Championship(通称MGC)が行われました。

その応援の為、観光を兼ねて、二日前から東京へ出かけました。

その初日は、日本橋、東京スカイツリー、浅草寺を周り、二日目は、築地、浜離宮恩賜庭園、芝離宮恩賜庭園、増上寺、
東京タワー、永田町、皇居前広場と歩きました。



その二日目は、朝早く起きて、
築地、浜離宮恩賜庭園を回り、
旧芝離宮恩賜庭園へ到着です。

旧芝離宮恩賜庭園の入口の前に
あった沿革の説明。

この辺りは、かつて、海面でしたが、
明暦(1655-1658)の頃に埋め立てられ、
延宝6年(1678)に老中、大久保忠朝の
邸地となりました。
幕末には紀州徳川家の芝御屋敷と
なりましたが、明治4年に有栖川宮家の
所有となり、明治8年(1875)に宮内省が
買い上げ、明治9年に芝離宮となり
ました。

そして、大正12年(1923)の関東大震災で
焼失しましたが、大正13年(1923)の
昭和天皇のご成婚記念として、東京都に
下賜され庭園の復旧と整備が行われ、
旧芝離宮恩賜庭園として公開され
ました。











そして、門の前にあった旧芝離宮恩賜庭園の由来
の説明。

旧芝離宮恩賜庭園は、老中、大久保忠朝が
小田原から庭師を呼び寄せ作庭した楽寿園が
起源です。

楽寿園は、園景の中心に潮入りの池が配置された
池泉回遊式庭園です。
干満により景色が変化する工夫がされており、
池泉の中央部には中国杭州の西湖の蘇堤を
模した堤や蓬莱山を表した中島などを取り入れ、
築山の上から白帆の行き交う沖合の海の展望にも
意を注ぐつくりでした。

ちなみに、現在は、海水を取り入れることができなくなり、
潮入りの池ではなく、淡水の池になってます。















旧芝離宮恩賜庭園の案内図。























庭園に入り、正面、南東方向を見たところ。














離宮時代の洋館の植物模様の彫刻が施された大理石の一部が
展示されてます。

明治時代、外国貴賓の接客は、浜離宮の延遼館で行われて
いましたが、老朽化で取り壊され、その後、明治24年に
芝離宮に木造二階建ての洋館が造られました。
しかし、その洋館は関東大震災で失われてしまいましたが、
レンガ基礎や大理石の一部が残ってます。








手前の池は、小池。

そして、奥の大きな池は、かつて、潮入りの池だった大泉水です。

その向こうの高層ビルは、東京ガスビルディングです。









目の前に小池、その向こうに大泉水を見たところ。














小池の淵を周りながら、小池を見たところ。














そして、大泉水の西側の岸に沿って歩きます。

中央あたりに、中国杭州の西湖の蘇堤を模した西湖の堤が見えます。












大泉水。

左よりには、大泉水に浮かぶ浮島が見え、
その陰に西湖の堤が続く中島が見えます。










大泉水に沿って進んで行くと雪見灯籠があります。














雪見灯籠です。














雪見灯籠と、大泉水。














雪見灯籠の近くの築山の上からの眺め。

右側に、大泉水の砂浜が、そして、その向こう左よりに
西湖の堤が見えます。











中島と岸を結ぶ西湖の堤を見たところ。

西湖は、中国の杭州にある湖で、北宋時代の大詩人で
政治家でもある蘇東坡が西湖を浚渫した時に出た泥を
使用して造った石造りの堤を、西湖の堤と呼びます。


西湖の堤には石橋が架かっています。







築山を下りて、大泉水沿いの道から砂浜を見たところ。














大泉水に沿って歩いてきた方向を、ふり返ったところ。

左よりに、雪見灯籠が見えます。












砂浜に沿った道の先に、西湖の堤があり、その先は、
仙人が住むと言われる蓬莱山を表した中島に続きます。

その中島の左側の島は、浮島です。











砂浜に沿った道から、大泉水の対岸を見たところ。

右よりの白い小さなビルは、キャノン電子ビルです。












砂浜の南側の築山は、大山(おおやま)です。



















大山の上から、北側を眺めたところ。

大泉水の向こうに、小池も見えます。

右よりの白いキャノン電子ビルの隣の高層ビルは、汐留ビルディングで、
更にその隣は、汐留芝離宮ビルディングです。









大山の上から、南東方向には、木の陰になりながらも、
西湖の堤、中島が見えます。













大山を下りて、砂浜沿いの道から北西、雪見灯籠の
方向を見たところ。













砂浜を過ぎると、西湖の堤、そして、その先に中島が見えます。














西湖の堤と、その先の中島。














西湖の堤に架かる石橋の上から、北側の浮島を見たところ。














そして、西湖の堤の先にある中島です。

中島の石組は、仙人が住む蓬莱山を表しています。












中島へ渡り、浮島を見たところ。














中島の東側には、対岸と結ぶ八ツ橋が架かってます。
但し、老朽化で通行止めになってました。













中島の頂上。
その石組は、蓬莱山を表わしています。













中島から西湖の堤を渡って、大泉水の西側の岸へ戻ります。

そして、西湖の堤から南へ歩きながら、西湖の堤を見たところ。












西湖の堤から南へ進むと、石柱があります。













石柱を北西から見たところ。

この石柱は、小田原北条家に仕えた戦国武将の
旧邸から運ばれた門柱です。











石柱を南から見たところ。

ここが小田原藩主の大久保家の上屋敷であった当初は、
茶室に使用されていたと言われてます。












石柱のある場所から、南東を見たところ。

目の前に、大島が見えます。











大泉水に沿って南へ進みながら、東を見たところ。

左側が大島で、丁度、写真中央辺りに大島へ渡る鯛橋があります。











大泉水の南西角から、大島へ渡る鯛橋の辺りを見たところ。













大泉水の南岸から、北を見たところ。

正面に、中島へ渡る八ッ橋が見えます。

更にその向こう、白い小さなビルは、キャノン電子ビルで、
その背後に、汐留ビルディング、その左側に、汐留芝離宮ビルディングが
建ってます。








大泉水の南端を周り、東岸を北へ進んで行くと根府川山があります。














根布川山の麓を進んで行くと、鯛橋が見えてきました。

鯛橋の向こうは、大島です。












鯛橋です。
鯛の形をしています。













鯛橋を大島側に渡り、根府川山をふり返って見たところ。

根府川山の石群は、大久保忠朝が、藩地の小田原から
運んだものと考えられています。











大島から、西側対岸の石柱の辺りを見たところ。

右よりには、西湖の堤が見えます。












大島から、蓬莱山を表した中島を見たところ。














大島から、大泉水の東岸へ、石橋が架かっています。














その石橋の上から、中央に中島、左に西湖の堤を見たところ。

中央の黒っぽい高層ビルは、展望台シーサイド・トップのある
世界貿易センタービルです。

そのビルの下、左よりに見える黄色っぽい建物は、JR浜松町駅です。









中央に、西湖の堤を見たところ。

また、そのバックに見える黄色っぽい建物は、JR浜松町駅です。












今来た道、そして、大島をふり返ったところ。













更に進んで行くと九尺台(九盈台)があります。

盈とは、水や月が満ちると言う意味です。
海の波打ち際に作られたこの高台は、いつ造られたか不明ですが、
明治天皇が明治八年に行幸された際、この台上から、
海で漁民達が漁をする様子や、眺望を楽しまれたと言う事です。









中央右よりの島は浮島で、左側の島は中島です。














大泉水に沿って進みながら、大泉水を見たところ。

左よりに浮島が見えます。












更に進みながら大泉水を見たところ。

中央に浮島が、その向こうに砂浜が見えます。












大泉水の北東角には、海水取入口跡があります。

潮入りの池に海水を取り入れる為に設けられた水路で、
水路の石垣や鋼鉄製の水門の遺構が残ってます。

現在は、海とのつながりを絶たれ、淡水の池になってます。









大泉水の北岸を歩きながら、南を見たところ。

中央辺りに中島があり、その向こうに大山が見えます。

左の高層ビルは、東京ガスビルディングです。










大泉水の北岸を歩いて行くと、池の中に白い小さな灯籠があります。

池の中の白い小さな灯籠と、西側の岸に見える雪見灯籠を見たところ。












大泉水の北岸から南を見たところ。

中央左よりに中島が見えます。












大泉水の北側の小池です。














小池の近くにあった石灯籠。




















石灯籠。














小池の北側から南を見たところ。

小池の向こうに大泉水が見えます。












小池の淵に、方形の石があります。

関東大震災で失われた洋館のなごり?

小池の向こうには、入園チケットを購入した
サービスセンターが見えます。









小池と大泉水をつなぐ水路に架かる石橋の手前から、
大泉水の西側の岸を見たところ。

岸をたどっていくと、雪見灯籠が見えます。











小池と大泉水をつなぐ水路に架かる石橋を渡り、
小池越しに北を見たところ。

小池の北側には、藤棚があります。











旧芝離宮恩賜庭園から出ようと入口に向かう途中、
地面に大きなヒキガエルがいました。













ヒキガエル。














旧芝離宮恩賜庭園を出て、増上寺、東京タワーに向かう前に、
世界貿易センタービルの40Fにある展望台シーサイド・トップへ寄ります。

そのシーサイド・トップからの地上152mの景色です。

北側、東よりにJRの線路や、新交通ゆりかもめの路線を見ることができます。

右端の高層ビルは、ラ・トゥール汐留で、その向こう中央辺りに、
東京ツインパークスのビルの2棟が重なって見えます。











ちょうど、新幹線が走ってます。N700系のぞみ号かな?



















中央の高層ビル、ラ・トゥール汐留のすぐ左側に、かすかに、
東京スカイツリーを見ることができます。













その東京スカイツリーです。




















シーサイド・トップからの景色。

北側、東よりを見たところ。

中央右よりの高層ビルが、ラ・トゥール汐留です。

その陰に、浜離宮恩賜庭園が見えます。








左端が、ラ・トゥール汐留です。

中央は汐留芝離宮ビルディング、その奥は汐留ビルディングです。












また新幹線がやって来ました。N700系のぞみです。



















案内写真です。














西側の景色です。

東京タワー、その下には増上寺が見えます。

















北西を見たところ。

中央右よりのビルの先端が細くなっているビルは、
愛宕グリーンヒルズ森タワーです。

そして、右端には、虎ノ門ヒルズ森タワーが見えます。









北側、西よりを見たところ。

中央左よりに虎ノ門ヒルズ森タワーが見えます。












北側、西寄りの景色。

左側に、虎ノ門ヒルズ森タワーが見えます。












南西を見たところ。

中央左よりに、先端が細くなったビルは、日本電気本社ビル、
通称、NECスーパータワーです。











南を見たところ。














南東を見たところ。

お台場方面を見ることができます。












南東を見たところ。

中央右よりにお台場、中央左よりに豊洲が見えます。












東京湾方面の案内写真です。














右側のビルは、東京ガスビルディング。

そして、海上を超えて、右側にお台場、左側に豊洲が見えます。












東側、眼下を見ると、旧芝離宮恩賜庭園が見えます。














東京湾の展望模型です。














東を見たところ。

2019年の中秋の名月は、9月13日でした。
窓辺にはススキと月見団子が供えられ、二匹のウサギさん達が
窓の外に向かってお月見中でした。

窓の外の高層ビルは、建設中の東京ポートシティ竹芝です。








展望台シーサイド・トップのある世界貿易センタービルを出て、
次は、増上寺へ向かいます。

前方に、東京タワーが見えています。
















東京タワーを目印に、西へ向け歩きます。



















徐々に東京タワーが大きく見えてきました。



















まっすぐ西へ向け進んで行くと、増上寺の大門が見えてきます。



















増上寺の大門です。














増上寺の大門。

昭和12年に東京都によって旧大門の意匠を踏襲し、
旧大門の大きさの1.5倍の大きさで再建された
鉄筋鉄骨コンクリート造りの高麗門です.










大門を過ぎて、大門をふり返ったところ。














増上寺を目指して、まっすぐ西へ進みます。




















三解脱門が、前方に見えてきました。



















三解脱門の前の日比谷通りを挟んで、三解脱門を
正面から見たところ。













三解脱門の前にあった、三解脱門の説明です。

慶長16年(1611)に徳川家康公の助成で建立され、
元和8年(1622)に再建されたもので、
国の重要文化財に指定されています。

三解脱門は、別名三問と呼ばれ、三つの煩悩、
貪欲(どんよく、よくばり)、瞋恚(しんに、いかり)、
愚痴(ぐち、おろかさ)の三悪を解脱する悟りの境地を
表しています。
















そして、増上寺の説明です。

三縁山 広度院 増上寺が正式な呼称です。

明徳4年(1393)、酉誉聖聦上人によって、
浄土宗正統根本念仏道場として創建され、
文明2年(1470)には勅願所に任じられるなど
関東における浄土教学の殿堂として
宗門の発展に寄与してきました。

慶長3年(1598)に現在の地に移転し、
徳川将軍家の菩提寺として、また、
関東18檀林の筆頭として興隆し、
浄土宗の統制機関となりました。













三解脱門の吊灯籠。

増上寺は、徳川将軍家の菩提寺であり、灯籠の上輪部に
三つ葉葵の紋が入っています。

また、火袋には、魚がしの文字、そして、
下輪部には、魚市場の文字が入っています。















三解脱門を入ると、正面に大殿が見えます。














また、三解脱門を入ったすぐ右手にグラント松があります。

米国第18代大統領グラント将軍は、明治12年に国賓として日本を訪れ、
増上寺に参詣し記念としてこの松を植えました。















そして、三解脱門を入った左手には、聖観世音菩薩像が立ってます。



















三解脱門から、大殿に向け、まっすぐ進んで行きます。














大殿のバックには、東京タワーが見えます。



















大殿。

昭和49年(1974)に、戦災で焼失した本堂が再建されました。

石段を登り、二階が本堂、三階に道場、一階に檀信徒控室、
地下に宝物展示室があります。








三解脱門をふり返ったところ。

左の松は、グラント松です。












大殿に向け進んで行くと、左手に水盤舎があります。














水盤舎の前には、水盤舎の説明があります。

この水盤舎は、清揚院殿(徳川三代将軍家光公の三男、
甲府宰相綱重公)の霊廟にありましたが、明治時代の解体、
昭和の空襲を逃れ、現在地に移築されました。










水盤。














そして、右手には、鐘楼堂があります。














その鐘楼堂です。

寛永十年(1633)に建立されましたが焼失し、戦後に再建されました。












また、大梵鐘は、延宝元年(1673)に品川御殿山で椎名伊代守吉寛により
鋳造されたもので、徳川四代将軍家綱公の意向で奥方のかんざしまで寄与され、
7回の鋳造を経て完成したものです。

















鐘楼堂の説明です。


























大殿に向け進むと、左手に聖鋏観音菩薩像があります。

己を滅して他を整え美しくする働きを、ハサミの中に見て、
ハサミに支えられ生かされた事への深い感謝の気持ちで、
昭和56年に当時の国際美容協会会長、山野愛子氏によって
奉造されました。

毎年、8月3日をハサミの日と定めおつとめを果したハサミの
ハサミ供養法要が行われています。

聖鋏観音菩薩像の右手には、ハサミを持たれています。




大殿に向け階段を登って行きます。














階段の上から、三解脱門をふり返ったところ。














その三解脱門。

門の左よりの大きな松は、グラント松です。












大殿です。

大殿の階段は、大殿二階の本堂に続いています。

ちなみに三階は道場、一階は檀信徒控室、地下は宝物展示室に
なってます。

本堂には、室町期に製作された御本尊、阿弥陀如来が、
両脇檀に高祖善導大師と宗祖法然上人の御像が祀られています。






大殿の横、南側には、増上寺会館があります。

写真左から増上寺会館の東棟、中棟、西棟が並んでおり、
その右に見えるのは、光摂殿です。

光摂殿は、大殿のすぐ南に位置し、心を洗い生きる力を育てる為の
講堂、道場となってます。








大殿前石段脇にあった青銅製燈籠です。

六代将軍、徳川家宣公の霊廟でる文昭院殿霊廟の宝前に奉納されていたものです。

笠や火袋に、葵の紋が施されています。















その灯籠の前から、東京タワーを見たところ。

左は大殿、右は安国殿です。

















大殿を北東から見たところ。














東京タワー。

右下は安国殿です。

















その安国殿。

戦災で焼失した大殿の代わりに仮本堂としていた建物を
大殿完成の折に、境内北側に移転し安国殿としました。
平成23年に法然上人八百年御忌を記念し、新しい安国殿が
再建されました。

本尊は、恵心僧都の作と伝えられる秘仏、黒本尊で、
家康公が深く尊崇し、そのご加護で度重なる災難を除け、
戦いの勝利を得たという霊験あらたかな阿弥陀如来像です。




境内の北側に、千躰地蔵尊が並んでいます。













その千躰地蔵尊です。













子や孫の無事成長を祈って当寺ひまわり講の方々が中心となって、
それぞれのお施主様が建てられたという事です。

幼い子への愛情の表れとして、頭を守り、寒さをしのぐ為の赤い帽子、
赤い前掛け、風車がお地蔵様へ奉納されています。










千躰地蔵尊。














境内北側に並ぶ地蔵尊の前を西へ進んで行くと、徳川将軍家墓所があります。

二代秀家公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の
6人の将軍の他、5人の正室、三代家光公側室桂昌院(五代綱吉公実母)はじめ
5人の側室、他、歴代将軍の子女多数が埋葬されています。

戦前は、旧徳川将軍家霊廟は御霊屋(おたまや)とも呼ばれ、
増上寺大殿の南北(左右)に立ち並んでいましたが、空襲直撃で
焼失してしましました。

その後、学術調査の後、現在地に改葬されています。









徳川将軍家墓所の鋳抜門です。

旧国宝で、もと文昭院殿霊廟(六代将軍、徳川家宣公)の宝塔前の
中門を移築したものです。左右の扉は青銅製で、五個ずつ葵紋を配し、
両脇には、昇り龍、下り龍が鋳抜かれ、日光東照宮と並び評された
往時の姿を今に伝える数少ない遺構です。









増上寺を出て、次は東京タワーへ向かいます。

増上寺の横の道を進みながら、東京タワーを見たところ。

















東京タワーへ向かいながら、東京タワーを見たところ。



















東京タワーの下から見上げたところ。

高さは、333mあります。

















そして、東京タワーの足元に建つフットタウンです。














下から見上げたところ。



















これから上るメインデッキと、更にその上のトップデッキを見たところ。



















フットタウン1階のトップデッキレーンを通って、
トップデッキツアーが始まります。

エレベーターでメインデッキへ到着後、エレベーターを乗り換え、
メインデッキ上部のプラットフォームへ上がります。

プラットフォームでは、トップデッキ行きのエレベーターへ
乗り換える事になります。







プラットフォームから見た北西の景色です。

左に見える高層ビルは、六本木ヒルズ森タワーです。

このプラットフォームでは、タワーの鉄骨を間近に見ることができます。










北西の景色。

中央、左から、東京ミッドタウン・タワー、テレビ東京が入る
六本木グランドタワー、泉ガーデンタワー、アークヒルズ仙谷山森タワー
の高層ビルが並んでます。











西を見たところ。

中央の高層ビルは六本木ヒルズ森タワーで、
右端は東京ミッドタウン・タワーです。











北東を見たところ。

正面の高層ビルは、愛宕グリーンヒルズMORIタワー、
その奥、左に見える高層ビルは、虎ノ門ヒルズ森タワーです。











北東を見たところ。

中央左よりの高層ビルは、愛宕グリーンヒルズMORIタワー。

その足元のグランドは、正則高等学校です。










そして、東側、タワーの足元には、増上寺が見えます。

右端の高層ビルは、ザ・プリンス パークタワー東京です。












南東を見たところ。

中央、右よりに、ザ・プリンス パークタワー東京で、
丸く遊歩道で囲われた芝生のエリアは、プリンス芝公園です。











眼下に増上寺を見たところ。














東を見たところ。

左に東京プリンスホテル、右に増上寺が見えます。












南西方向を向くと、プラットフォームの外、鉄骨の上で、
保守点検でしょうか?作業をされている方がおられました。













そして、トップデッキ行きのエレベーターに乗ります。

エレベーターはシースルーになっており、外の景色を見ることができます。

エレベーターから、北西の景色を見たところ。















エレベーターの上昇スピードが速く、外の景色を見る間もなく、
トップデッキに到着します。


















トップデッキへ到着すると、高さ250mの眺望がひらけます。、

南を見たところ。

まっすぐ上方へ伸びている通りは、桜田通りです。

中央の緑地帯は、左からイタリア大使館、綱町三井倶楽部、
オーストラリア大使館と並んでいます。







南東を見たところ。

写真中央下の高層ビルは、ザ・プリンス パークタワー東京です。

その前方には、東京湾に架かるレインボーブリッジが見えます。

更にその奥、左側に東京ゲートブリッジも、かすかに見えます。








南西を見たところ。

中央の高層ビルは、左がシティタワー麻布十番、
右がパークコート麻布十番ザ・タワーです。

左側の緑地には、イタリア大使館、綱町三井倶楽部、
オーストラリア大使館があります。









西を見たところ。

中央の高層ビルは、六本木ヒルズ森タワーです。

そのビルの下には、テレビ朝日が見えます。










北西を見たところ。

左端が六本木ヒルズ森タワーで、
中央左から、東京ミッドタウン・タワー、
テレビ東京が入る六本木グランドタワー、
泉ガーデンタワー、アークヒルズ仙谷山森タワーの
高層ビルが見えます。








北、西よりを見たところ。

中央は、アークヒルズ仙谷山森タワーです。

その右側の緑地に、スウェーデン大使館、スペイン大使館があります。

また、中央手前にオランダヒルズ森タワー、
右には東京ワールドゲート神谷町トラストタワーが見えます。

オランダヒルズ森タワーの右側には、オランダ大使館が見えます。





北を見たところ。

左端にアークヒルズ仙谷山森タワー、
その手前にオランダヒルズ森タワー、
中央に東京ワールドゲート神谷町トラストタワー、
右側に虎ノ門ヒルズ森タワーが見えます。









その手前、東京タワーの足元には、サッカーグラウンドが見えます。
ここは、芝給水場上部を利用して芝給水場公園として整備されています。













北を見たところ。














北東を見たところ。

中央は、愛宕グリーンヒルズMORIタワーです。

その奥、左に虎ノ門ヒルズ森タワーです。

そして、中央右よりに、小さく東京スカイツリーが見えます。








その東京スカイツリーです。














東を見たところ。

眼下には東京プリンスホテル、前方には汐留の高層ビル群が見えます。












左に東京プリンスホテル、右が増上寺が見えます。














南東を見たところ。

左に増上寺、右にザ・プリンス パークタワー東京です。












南東沖合に、東京ゲートブリッジが見えます。














そして、お台場につながるレインボーブリッジも見えます。














そのレインボーブリッジです。














レインボーブリッジの下に見える小さな島は、品川第六台場跡です。

レインボーブリッジの向こうには、フジテレビ本社ビルが見えます。

そして、フジテレビ本社ビルのシンボルの球体展望室「はちたま」も
見えます。

また、球体展望室「はちたま」は、チェンネルの8(ハチ)と
球体のタマの組合せで、はちたまと呼ばれています。






そして、お台場のパレットタウン大観覧車も見えます。














そして、東京湾のど真ん中、川崎市浮島の沖合に造られた
直径約200m、深さ75mの人工島、風の搭も見えます。

この風の搭は、川崎市と木更津市を結ぶ海底トンネル、
東京湾アクアラインの換気施設で、新鮮な空気を
トンネルへ送り込む高さ90mの大塔と、汚れた空気を
排気する高さ75mの小塔からなってます。








そして、南を見たところ。

左側の高層ビルは、ザ・プリンス パークタワー東京です。












トップデッキを一周して、メインデッキに下りるエレベーターへ
向かいます。

ちなみに、このトップデッキツアーを案内してくれたのが、
この音声ガイドです。










シースルーのエレベターに乗り、外の景色を見ながら、
プラットフォームへ向かいます。

外の景色は、北東側の景色です。











エレベーターの中から、鉄骨越しの景色を見ながら下降します。














鉄骨越しの景色。














プラットフォームへ到着し、外の景色を見たところ。

真下に増上寺が見えます。












プラットフォームでは、Pepper君が出迎えてくれます。

「あれ、前にあったことある?最近、忘れっぽくて。」って感じでしょうか?

















そして、「トップデッキは、どうでしたか?」って話しかけてくれます。



















「みんな満足そうに見えるので、私も嬉しくて、踊りだしたくなります。」



















って事で、踊って、「みんな大好き。」ですって。





















そして、エレベーターを乗り換えて、
高さ150mのメインデッキ2Fへ到着です。

東側の景色。

左側が東京プリンスホテルで、右側が増上寺です。









南東の景色。

左端に増上寺、中央右よりにザ・プリンス パークタワー東京が
見えます。











南西の景色。

手前左側の高層ビルは、ザ・ベルグレイヴィア麻布で、
その向こう、左が、シティタワー麻布十番、
右がパークコート麻布十番ザ・タワーです。











西の景色。

中央に六本木ヒルズ森タワー、その下にテレビ朝日が見えます。












北西の景色。

左から、東京ミッドタウン・タワー、
テレビ東京が入る六本木グランドタワー、泉ガーデンタワー、
アークヒルズ仙谷山森タワー、そして、手前にオランダヒルズ森タワーが
見えます。

オランダヒルズ森タワーの下、右側には、オランダ大使館が見えます。








北、少し東よりの景色

正面に虎ノ門ヒルズ森タワー、
その右側に愛宕グリーンヒルズMORIタワーが見えます。











そして、高さ145mのメインデッキ1Fに下ります。

メインデッキ1Fには、南西と北東側に、真下の景色を見る事ができる
スカイウォークウインドウがあります。
















小さなスカイウォークウインドウもあります。

南西側のフロアのカーペットには、目の錯覚を利用して床がゆがんで見える
デザインが取り入れられています。
















南西側のスカイウォークウインドウ。



















北東側のスカイウォークウインドウです。

子供たちは、スカイウォークウインドウの上を歩いて楽しそうです。

















メインデッキからフットタウンへ下ります。

フットタウン4Fには、ONE PIECEの常設テーマパーク、「東京ワンピースタワー」があります。












フットタウンを出て、東京タワーを見上げたところ。

次は、男坂のある愛宕神社へ向かいます。

















愛宕神社へ向かう途中には、愛宕グリーンヒルズMORIタワーがあります。



















その愛宕グリーンヒルズMORIタワーの先には、愛宕グリーンヒルズフォレストタワーが
あります。


















その愛宕グリーンヒルズフォレストタワーの先に、愛宕神社があります。

赤い愛宕神社の鳥居があり、その向こうに、出世の石段とも呼ばれる男坂が見えます。

















その赤い鳥居と、男坂。

男を磨く男坂は、別名、出世の石段とも呼ばれ、講談の「寛永三馬術」の中の
曲垣平九郎の故事にちなみます。

三代将軍家光公が増上寺の参詣の帰りに、愛宕山に源平の梅が咲いているのを
目にされ、「誰か、馬にてあの梅を採って参れ。」と命ぜられました。
誰も採りに行こうとしない中、丸亀藩家臣、曲垣平九郎が、馬にて急な石段を登り、
梅を家光公に献上しました。
そして、家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられました。










男坂の下、右側に吽形の狛犬がいます。

その陰に見える坂が、女坂です。












左側に阿形の狛犬がいます。



















男坂です。

実際に見上げると、かなりの急勾配で、馬での登り下りは、かなり厳しそうな坂です。

















そして、男坂を登って、見下ろしたところ。



















階段を乗り切ると、石鳥居があります。



















石鳥居を抜けると、左手に手水舎があります。














石鳥居の右側には、慶長15年(1610)、
安芸の厳島より勧進された弁財天社があります。

海上交通を守る神として、市杵島姫命が祀られており、
歌舞音曲金運の神としても信仰されています。










そして、石鳥居を抜けた正面に、愛宕神社の社殿があります。

愛宕神社は、慶長8年(1603)年、江戸に幕府を開く徳川家康公の命で、
防火の神様として火産霊命(ほむすびのみこと)が祀られました。

慶長15年(1610)、庚戊本社をはじめ、末社仁王門、坂下総門、別当所等、
将軍家の寄進により建立されましたが、後の江戸大火災で全焼します。

その後、関東大震災、空襲等で、再建と焼失を繰り返し、
昭和33年に再建され現在に至ってます。





社殿の前、右側には、池があります。














そして、池の中にも鳥居があります。














その池では、参拝客が、恋の餌やりをしていました。














池の反対側から、弁財天社方向を見たところ。














愛宕神社の南側には、NHK放送博物館があります。











この後、永田町から皇居前広場へと歩きました。







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