車を車検に出した期間中の代車として、マツダのCX-3を借りる事ができたので、
山口県の岩国市の錦帯橋へドライブへ出かけました。
錦帯橋の駐車場は、錦川の東側、左岸の河川敷にあります。
駐車場へCX-3を駐車して、錦川の河川敷から
錦帯橋を見たところ。
錦川の川の中を見ると、釣り人がいます。
6月に入り、全国一斉にアユ釣りが解禁されたので、
アユ釣りの釣り人でしょう。
アユ釣りの釣人と錦帯橋です。
錦帯橋は、延宝元年(1673)に、
岩国三代領主の吉川広嘉によって、
現在の橋の原型となる木造橋が架けられましたが、
錦川の洪水により、すぐに流失します。
その後、改良を加え、延宝2年(1674)に再建された橋は、
昭和25年(1950)の台風25号による洪水で流出するまでの
276年間威容を保ちました。
流出後、市民の強い要望で、昭和28年(1953)に、
木の橋として再建されました。
そして、現在の橋は、平成の架け替え事業で
平成16年(2004)に完成した橋です。
錦帯橋は、4本の石の橋脚を持つ5連のアーチ橋で、
真ん中の3つのアーチは、完全なアーチですが、
両端の2つのアーチは、平に近いアーチで、
木の橋杭が橋桁を支えています。
東側の端から2つ目のアーチの下を見上げたところ。
このアーチ構造は、迫持式(せりもちしき)と言われるアーチ構造で、
板状の部材を両側から徐々にもち出して円弧上に積み上げ、
上からの重さを支える構造と言う事です。
こちらは、両端の平らに近いアーチの橋桁構造を下から見たところ。
橋桁をたくさんの橋杭で支えられています。
錦帯橋を、東の端から見たところ。
錦帯橋を、東の端、河川敷から見たところ。
河原に敷き詰められた石です。
何の跡でしょうか?
小さな円形の窪みがたくさんあります。
錦帯橋を、錦川の左岸、河川敷から見たところ。
錦川の左岸の土手に上がり、錦帯橋を見たところ。
右端から、平に近いアーチの第1橋、
完全なアーチの第2橋、第3橋、第4橋と続き、
更にその向こうに平に近いアーチの第5橋があります。
錦川の左岸の土手を、錦帯橋の東詰めへ向かいながら、
錦帯橋を見たところ。
一番手前は、平に近いアーチ形状の橋桁構造を持つ第1橋です。
錦帯橋東詰めから、錦帯橋を見たところ。
錦帯橋東詰めにある料金所で、入橋券を購入し、橋を渡ります。
錦帯橋、第1橋を渡りながら、南を見たところ。
錦帯橋の先にある城山の頂上には、岩国城が見えます。
錦帯橋を錦川の西側に向け進みます。
第1橋の向こうは、きれいなアーチ橋の第2橋です。
アーチ状の第2橋を上り、その向こうに第3橋を見たところ。
第2橋の上から、次の第3橋、更にその向こうの第4橋を見たところ。
第3橋のアーチの表面は、弧状の階段になってます。
第3橋の上から北側、城山を見たところ。
第3橋の上から、第4橋を見たところ。
第3橋の上から、第4橋を見たところ。
そして、第4橋の上から、
渡って来た第3橋をふり返って見たところ。
右側に、錦川の東側の河川敷の駐車場が見えます。
第4橋の上から、第3橋をふり返って見たところ。
第4橋から、第5橋を見たところ。
錦川上流を見たところ。
第5橋を、西へ進んで行きます。
第5橋の上から、第4橋をふり返ったところ。
第5橋の上から、第4橋をふり返ったところ。
錦帯橋を西へ渡り終え、錦川の河川敷から錦帯橋を見たところ。
錦帯橋の西側の袂には、槍倒しの松があります。
諸藩の大名が他藩の城下を通る時は、
行列の槍を倒すのが礼儀でした。
しかし、岩国藩が六万石の小藩であった為、
大藩の大名が城下を通る時、儀礼を守らず通ったものでした。
これを見て憤慨した岩国の武士たちは、
横枝の張った松を橋の頭に植え、
槍を倒さなければ通れないようにしたようです。
しかし、この松も、松食い虫の被害で枯れてしまいました。
現在の松は、初代の松から自生した直系の松を
昭和43年に移設した三代目の槍倒し松です。
その槍倒し松の横には、巌流ゆかりの柳があります。
巌流島の決闘で、宮本武蔵に敗れた佐々木小次郎は、
周防岩國の出身とされ、
剣名を岩柳と名乗り、後に巌流と改めました。
秘剣燕返しは、錦川の河畔で風に揺れる柳の枝を切り、
水辺を飛び交う燕を切り落とす事で編み出したと
伝えられています。
錦川の西側の河畔から、錦帯橋を見たところ。
錦帯橋のアーチの向こうに、アユ釣りの釣り人が見えます。
錦川の西側の河畔を、南へ歩きながら、錦帯橋を見たところ。
錦帯橋の下流には、
橋の下の流れを緩やかにする為と思いますが、
段差が設定されています。
そして、錦帯橋を見ながら、河畔を戻ります。
錦帯橋の下をくぐり、橋の北側へでます。
錦川の西の河川敷、錦帯橋の北側から、錦帯橋を見たところ。
河川敷を北に歩きながら、錦帯橋を見たところ。
錦川の河川敷から土手道に上がり、土手道を錦帯橋へ戻ります。
土手道を錦帯橋の西の袂に戻りながら、錦帯橋を見たところ。
錦帯橋です。
錦帯橋の西側の袂から、橋を見たところ。
錦帯橋の筋をまっすぐ西へ進むと、
道路の中央分離帯のような広場があり、
錦帯橋を架けた吉川広嘉公の銅像があります。
その像の手前、左側に皇太子殿下御成婚記念植樹の石碑と
五葉松があります。
この五葉松は、昭和天皇が皇太子殿下であられた時、
御成婚を記念して、植えられた木と言う事です。
更に錦帯橋の筋を進んで行くと、
右手に香川家長屋門があります。
香川家長屋門は、岩国藩家老香川氏の表門で、
元禄6年(1693)の建立と伝えられています。
ちなみに岩国藩は、江戸時代に幕藩体制が整う中、
岩国だけは支藩の格(城主格)ではなく
岩国領とされてきました。
そして、江戸期を通じて、城主格を得る努力は続きますが、
実現せず、やがて、幕末に至り、
明治元年(1868)に吉川家は城主格に格上げされ、
正式な藩となりました。
その香川家長屋門です。
錦帯橋の筋を、まっすぐ進むと吉香公園があります。
吉香公園は、旧岩国藩主、吉川家の居館跡で、
1880年から1968年まで旧制岩国中学校、
山口県立岩国高等学校として利用されていた場所にあります。
また、公園内には目加田家住宅、錦雲閣、吉香神社などの
藩政時代を偲ばせる建造物が点在しています。
公園内にあった実験橋です。
この実験橋は、橋板と橋板の継目から染み出る雨水から
構造材を守る為の方法を実験しています。
そして、その実験結果は、次の錦帯橋の架替工事に反映されます。
その実験橋です。
更に進んで行くと噴水があります。
石垣から噴水のアーチが架かっています。
噴水です。
噴水の手前には、小さな子供達が入って遊べる
水深の浅い池があります。
小さな噴水もあります。
噴水の北側、吉香公園内には、吉香 鵜の里があります。
吉香 鵜の里では、錦帯橋の鵜飼で活躍する鵜を飼育しています。
吉香 鵜の里を北に出ると、堀があり、
その堀の向こうに錦雲閣が見えます。
その堀に橋がかかり、
堀を渡って吉香神社へ続く参道が通ってます。
堀を渡ったところには、吉香神社の一ノ鳥居が見えます。
堀を渡った参道の両脇には、紫陽花が咲いていました。
紫陽花です。
参道を進んで行くと、吉香神社の二ノ鳥居と、
その向こうに社殿が見えます。
吉香神社は、吉川氏の祖霊を祀る神社です。
現社殿は、享保18年(1728)に白山比咩神社内に造営され、
明治18年(1885)に現在地へ移築されました。
その社殿へ続く神門を見たところ。
社殿は、瑞垣で囲われています。
吉香神社の前を通って、
この先にある城山花菖蒲園へ向かいます。
その城山花菖蒲園へ向かう途中、褒忠社があります。
褒忠社は、初代藩主、吉川広家が、回向所としていましたが、
廃藩後、神社に改めらえたものです。
回向とは、読教により、修得した功徳を
他の人々に差し向ける事を言います。
近くにあった吉香公園周辺の観光案内図です。
褒忠社のすぐ北隣にあった池です。
今は季節を外れてますが、池の奥には藤棚が見えます。
城山花菖蒲園に向かう途中に咲いていた紫陽花です。
城山花菖蒲園に着きました。
花菖蒲です。
吉香公園内には、ここ城山花菖蒲園と、
堀を利用した吉香花菖蒲園の2ヶ所の花菖蒲園があり、
毎年140品種、11万本の花菖蒲が咲き誇ります。
花菖蒲です。
園内は、花菖蒲を間近に鑑賞できるよう、
木道が通っています。
城山花菖蒲園を東へ向け出ていくと、
城山花菖蒲園の横に堀があります。
その堀は東へ、そして、南へ折れ曲がり、続きます。
堀に沿って、南へ進んで行くと左手、
東側に旧吉川邸 厩門があります。
幕末から明治の最後の岩国藩主、吉川経健の邸宅の長屋門です。
その旧吉川邸 厩門と同じ敷地内には、岩国徴古館があります。
岩国徴古館は、昭和20年(1945)に完成した石造りの重厚な建物で、
館内には吉川家ゆかりの文書、歴史資料、美術工芸品等が
展示されています。
その岩国徴古館の玄関を入ったところに展示されていた錦帯橋架替図(複製)です。
創建時の錦帯橋の図面は現存しませんが、
この図は元禄12年(1699)に架け替えられた際に描かれた現存する最古の錦帯橋図面です。
堀の突き当りを南へ折れ、進んで行くと、
堀の中に花菖蒲が整然と植えられています。
吉香花菖蒲園です。
吉香花菖蒲園から北方向に飛雲閣が見えます。
飛雲閣は、明治18年(1885)に
旧岩国藩主、吉川家の居館跡が公園として開放された際、
旧藩時代の矢倉に似せて造られた絵馬堂です。
吉香花菖蒲園の花菖蒲です。
たくさんの種類の花菖蒲があります。
花菖蒲を見た後、錦帯橋を東へ、左岸へ戻ります。
橋脚は、川の流れに対して尖端を持つ形状となっており、
流れの抵抗を軽減する形状になってます。
下流を見たところ。
川の流れに対して後ろ側も尖端を持つ形状で、
渦が発生しにくい形状が工夫されています。
錦帯橋を戻って行きます。
錦川の左岸に戻り、錦帯橋を見たところ。
左岸を上流に向け歩きながら、錦帯橋を見たところ。
河川敷には、錦帯橋 う飼のテントが出ています。
錦帯橋から少し上流へ歩くと、バスセンターがあり、
バスセンターの屋上に、赤くて大きな「橋の駅」と書かれた
看板が目につきました。
と言う事で、昼食をとる事にします。
バスセンターの二階にあった「お茶処 錦帯茶屋」へ入ります。
(ちなみに、令和3年4月に「カフェ いつつばし」に
リニューアルされているようです。)
岩国寿司を注文し、錦帯橋を眺めながら食べます。
その岩国寿司です。
岩国寿司は、岩国城の兵糧や保存食用に献上されたのが始まりの
郷土料理の押し寿司です。
昼食を食べ終わると、バスセンターの屋上へ上がります。
屋上は、展望台になっており、錦帯橋を一望する事ができます。
城山の上には、岩国城が見えます。
錦帯橋です。
バスセンターの屋上の展望台から景色を眺めた後、
車を停めた河川敷の駐車場へ向かいます。
錦帯橋をバックに、乗って来たマツダCX-3です。