京都は、何度も訪れた事がありますが、それでも、訪問できて無い場所があります。
京都を全て見て周る事は無理だと思いますが、
そして、昨年(2024年)10月に訪問したばかりですが、
再度、三泊四日で再訪しました。
四日目は、金戒光明寺、平安神宮、琵琶湖疎水、京都府庁旧本館、護王神社を訪問します。
市バスへ乗って、岡崎道バス停で下りて、
金戒光明寺へ向かいます。
前日も、金戒光明寺へ行きましたが、
日没で見れなかったので、
この日、再訪しました。
正面は、金戒光明寺の高麗門です。
中央、左よりの石標には、「くろ谷」とあります。
金戒光明寺の高麗門です。
向かって左の門柱の表札には、
「奥刕會津藩松平肥後守様
京都守護職本陣 舊蹟」とあります。
承安5年(1175)、法然上人(1133-1212)が
比叡山の黒谷を下り、草庵を結ばれたのが、
浄土宗最初の寺院として、
くろ谷 金戒光明寺の始まりです。
幕末には、京都守護職会津藩一千名の本陣に
なった事もあります。
高麗門をくぐり、ふり返って見たところ。
高麗門をくぐり、参道を東へ進んで行くと、
左手に山門があります。
山門を正面、南から見たところ。
万延元年(1860)の完成です。
山門の前を過ぎたところにあった
「浄土宗大本山 くろ谷 金戒光明寺 全景」の図です。
山門の前の階段を上がり、
山門を見上げたところ。
山門の扁額には、
後小松天皇宸筆で「浄土真宗最初門」と
あります。
山門の西側の山廊です。
山廊から
山門の上層へ上がる階段が伸びています。
山門をくぐりながら、
前方、北を見たところ。
前方の階段を上った先には、
御影堂が見えます。
その階段の手前、左手には、
勢至丸像があります。
勢至丸は、浄土宗宗祖の法然上人の幼名です。
山門をくぐった先の階段の下から、
前方を見上げたところ。
中央は御影堂で、
その左に鐘楼が見えます。
山門の西へ回り、山門西側の山廊を見たところ。
山門をくぐった先の階段を上って行きます。
階段の右手には、納骨堂があります。
その反対側、階段の左手には、
鐘楼があります。
階段を上った正面に、御影堂があります。
その御影堂です。
別名、大殿とも呼ばれています。
法然上人の御影が安置されています。
現在の御影堂は、昭和9年(1934)の焼失後、
昭和19年に再建されたものです。
御影堂に向かって、右手、東側に
阿弥陀堂があります。
阿弥陀堂は、慶長10年(1605)、
豊臣秀頼によって、
京都大仏殿造営の余材を利用して
再建された物です。
阿弥陀堂の本尊の阿弥陀如来は、
恵心僧都の最後の作で、
如来の腹中には、
恵心僧都が用いたノミが納められており、
「ノミ納めの如来」と称されています。
御影堂の前から、北東を見たところ。
左端が御影堂で、中央、少し左よりに大方丈、
右端は清和殿があります。
大方丈の前には、
熊谷直実 鎧掛けの松があります。
その熊谷直実 鎧掛けの松です。
熊谷直実は、源頼朝に仕えた御家人で、
寿永3年(1184)の一ノ谷の合戦で、
敵将の平敦盛を討ち取りますが、
我が子と同じ年頃の若武者の命を奪った事に
無常を感じ、
法然上人を訪ね出家します。
その出家の際に身に付けていた鎧を
池の水で洗い掛けたと伝わる松です。
実際には、平成26年(2014)に植樹された三代目の鎧掛け松と言う事です。
その鎧掛け松の前から、大方丈を見たところ。
阿弥陀堂の南西、
先ほど上がって来た階段の東側に
位置する納骨堂です。
納骨堂は、旧経蔵にあたります。
御影堂の前を東へ進んで行くと、
清和殿があります。
右端、手前は新清和殿、
その向こうは清和殿です。
新清和殿の前、阿弥陀堂の東側の坂道を
下って行くと、
蓮池があります。
蓮池です。
熊谷直実が兜を置き、
弓の弦を切ったと伝えられ、
兜之池とも呼ばれています。
蓮池には、極楽橋が架かっています。
この極楽橋は、春日局が木橋を寄進し、
1641年に石橋に架け替えられています。
極楽橋の向こうに見える建物は、勢至院です。
蓮池に架かる極楽橋の先、丘の上に階段が伸び、
三重塔があります。
極楽橋を渡り、階段の下から三重塔を見上げたところ。
その階段の右手に
法然上人御廟があります。
その法然上人御廟に向け、階段を上ります。
法然上人御廟の前、御廟に向かって右側に
熊谷直実供養塔があります。
法然上人御廟の前、御廟に向かって左側に
平敦盛供養塔があります。
法然上人御廟の横へ、三重塔への階段の途中へ出て
三重塔を見上げたところ。
階段の途中から、西をふり返ったところ。
正面、下方に蓮池と極楽橋が見えます。
左に山門、右に新経堂、その向こうに納骨堂が
見えます。
階段を下りて、山門の東側横へ戻ります。
山門の東側、山廊から山門の上層へ伸びる階段を
見たところ。
山門を南東から見上げたところ。
山門の東側を回って、
山門の正面、南側から山門を見たところ。
金戒光明寺を出て、
次は平安神宮へ向かいます。
金戒光明寺の高麗門を西へ、
そして、南へ向かう岡崎道とのT字交差の角にあった
石標です。
石標には
右 くろたに
左 ちおんゐん
とあります。
岡崎道を南へ進んで行くと、
冷泉通りがあり、西へ進みます。
冷泉通りを西へ進んで行くと、
神宮道に出ます。
神宮道へ出て、南を見たところ。
「うっとこマルシェ」と言う
作家さんが集まって企画して実現したい
手づくり市の準備が行われていました。
ちなみに「うっとこ」とは、京都弁で「うちの家」と言う意味です。
その反対側、神宮道を北へ向くと、
平安神宮の應天門があります。
平安神宮は、平安遷都1100年を記念して、
明治28年(1895)に
平安京を造営した桓武天皇を祭神として
創建されました。
その後、皇紀2600年にあたる昭和15年に
平安京有終の天皇の孝明天皇が
合わせ祀られています。
應天門の手前、左手にある手水舎です。
應天門の横にあった平安神宮神苑 案内図です。
應天門を入り、正面、北を見たところ。
正面に大極殿があります。
平安神宮の社殿は、
桓武天皇が開いた平安京の正庁、朝堂院が
約8分の5の規模で再現されています。
訪問時は、
平安神宮 百三十年祭 記念事業として、
大極殿の耐震補強工事、朱塗り塗替工事が
行われていました。
大極殿へ向いながら、
南側の應天門をふり返って見たところ。
應天門を入り、大極殿へ向う途中、
左右に手水鉢があります。
東側の手水鉢の中心には、
青龍の像があります。
西側の手水鉢の中心には、
白虎の像があります。
大極殿へ向う途中、西を見ると、
額殿があります。
大極殿の南東に蒼龍楼があります。
大極殿の南西に白虎楼があります。
大極殿へ向かっていくと、
南側の朝堂院と、北側の大極殿を仕切る
龍尾壇があります。
龍尾檀の東西に階段があり、
西側の階段から龍尾壇の上に上がります。
南西から大極殿を見たところ。
左側の右近の橘は、
寒さから守る為でしょうか、
覆い屋の中に入ってます。
その覆い屋の中に入った右近の橘です。
右近の橘です。
平安時代より紫宸殿で儀式が行われる際に、
天皇を守る右近衛府の官人が、
この桜の傍に並んだ事から右近の桜と
呼ばれています。
その反対側は、左近の桜です。
紫宸殿での儀式の際に、左近衛府の官人が、
この桜の傍に並んだ事から左近の桜と
呼ばれています。
大極殿の南西に位置する白虎楼を、
東から見たところ。
この白虎楼から、平安神宮神苑へ入ります。
神苑への入口を入ると、
花は咲いてませんが、
数株の八重紅枝垂桜が植えられています。
この桜は、谷崎潤一郎の「細雪」の中にも
登場しています。
神苑への入口を入って、すぐのところにあった平安神宮神苑 案内図です。
神苑は、入口を入ったところにある南神苑、西神苑、中神苑、東神苑と
社殿を取り囲むように四つの庭からなる広大な池泉回遊式庭園です。
この神苑は、明治の有名な造園家七代目小川治兵衛(1860-1933)らの手によって
作庭されています。
八重紅枝垂桜が植えられている南神苑です。
南神苑です。
藤棚があります。
南神苑の中の池です。
南神苑の中の苑路を北へ進んで行きます。
南神苑の中、南東方向に白虎楼が見えます。
木立を抜けると、
大極殿の北西に位置する西神苑があります。
西神苑の中の池は、白虎池です。
白虎池の池畔には、
花菖蒲が植えられています。
白虎池の中を見ながら、
西神苑の中を歩きます。
白虎池の中にいたカルガモです。
白虎池の西側には、出島があります。
出島です。
白虎池に森の緑が映り込んでいます。
西神苑から、大極殿の北東に位置する中神苑へ向かいます。
中神苑です。
中神苑の中に、蒼龍池があります。
蒼龍池の池畔には、
杜若(カキツバタ)が群生しています。
蒼龍池です。
蒼龍池の向こう側、東よりに
飛び石が配置された臥龍橋が見えます。
蒼龍池の池畔を進んで行きます。
蒼龍池の池畔の杜若は、
白地に紫の模様が入り、
千代紙で折った鶴のような姿から、
光格天皇(1771-1840)が、「折鶴」と名付けて、
寵愛されたと言う事です。
右に臥龍橋が見えます。
臥龍橋は、
天正年間の三条、または、五条大橋の古石柱や
梁を用いた沢飛びになってます。
蒼龍池の中の大島です。
または、珊瑚島とも呼ばれています。
南を見ると、
東神苑の栖鳳池から、中神苑の蒼龍池へ
水路が続いて来ており、
石橋が架かってます。
池畔に沿って、石橋に向け進み、
石橋の上から北を見たところ。
中央に臥龍峡があり、
右端に大島が見えます。
石橋を渡り、蒼龍池の池畔を進んで行くと、
大島へ続く石柱が並んでいます。
池畔を進みながら、
東から大島を見たところ。
中神苑から、南へ、東神苑へ向かいます。
水の流れは、琵琶湖疏水の水が
東神苑の栖鳳池へ流れ込み、栖鳳池から
中神苑の蒼龍池、西神苑の白虎池へと流れています。
この水路の先が、東神苑の栖鳳池です。
東神苑です。
東神苑の中心に、栖鳳池が広がり、
右側に尚美館、中央前方に橋殿が見えます。
栖鳳池が広がり、
中央右よりの建物は、尚美館です。
尚美館は、大正2年(1913)に
京都御所内にあった
常設の京都博覧会会場の中堂を
移築したものです。
そして、昭和15年(1940)に
瓦葺から檜皮葺に改められています。
栖鳳池の池畔に沿って進みながら、
栖鳳池を見たところ。
中央左よりに、橋殿が見えます。
栖鳳池の西岸に建つ尚美館です。
尚美館は、
現在は貴賓館として使用されています。
栖鳳池を見たところ。
中央左よりに、橋殿が見えます。
栖鳳池の東岸を、
池畔に沿って南へ進んで行くと、
琵琶湖疏水の水が流れ込む
せせらぎがあります。
その河床には、
せせらぎの音を感じる事ができるように
大小の石が敷き詰められています。
進んで行くと、栖鳳池に架かる橋殿があります。
正式には、泰平閣と言い、
尚美館と同様に大正元年(1912)に
京都御所にあった常設の京都博覧会会場の建物を
移築した物です。
泰平閣の東側、橋の袂から、
尚美館を見たところ。
泰平閣を南東から見たところ。
屋根は檜皮葺で、
二層の楼閣の頂には
西向きに青銅の鳳凰がとまっています。
泰平閣を東から西へ渡りながら、
東神苑の南西側を見たところ。
泰平閣を渡りながら、
東神苑の北西側を見たところ。
中央右よりの建物は、尚美館です。
泰平閣を渡りながら、北を見たところ。
左側の島が亀島で、
その向こう中央よりの島は鶴島です。
尚美館です。
泰平閣は、屋根付きの廊下、橋殿ですが、
廊下の両サイドは、
腰掛けて休憩できるように
なってます。
南東には、平安神宮会館が見えます。
泰平閣の二層の楼閣の下から、
北西方向、尚美館を見たところ。
北側に亀島を見たところ。
泰平閣を西へ渡りながら
北西に尚美館を見たところ。
泰平閣を渡りながら、
南東に平安神宮会館を見たところ。
泰平閣を渡り終え、南東を見たところ。
泰平閣を渡り終えて、
栖鳳池の西岸を北へ進み、
泰平閣をふり返って見たところ。
栖鳳池の西岸を北へ進むと
尚美館があります。
尚美館の南西には、社務所があります。
その社務所横の神苑出口から、
龍尾檀の前、東側に出ます。
神苑の出口を出て、應天門へ向かいます。
應天門を出て南へ、神宮道へ向かいます。
まだ、「うっとこマルシェ」の開催時間前で、
準備が進められています。
神宮道の先には、
平安神宮の大鳥居が見えます。
神宮道を南へ進んで行き、
應天門をふり返ったところ。
神宮道を南へ、三条通りを南へ渡ると、
左手に京都市京セラ美術館があります。
神宮道を挟んで、
京都市京セラ美術館の反対側には、
京都府立図書館があります。
京都府立図書館です。
京都府立図書館の南側に
京都国立近代美術館があります。
京都国立近代美術館です。
京都国立近代美術館の前から、
神宮道を挟んで反対側の
京都市京セラ美術館を見たところ。
左側に平安神宮の大鳥居が見えます。
平安神宮の大鳥居の前、南側を
東西に琵琶湖疎水の鴨東運河が流れ、
その鴨東運河に慶流橋が架かってます。
その慶流橋の上から、
平安神宮の大鳥居を見たところ
慶流橋を渡り、
神宮道を東西に横切る鴨東運河に沿って
西へ進みます。
鴨東運河に沿って西へ進みます。
鴨東運河の中には、
ホシハジロが泳いでいます。
アオサギもいます。
鴨東運河の流れは、
西から北に向きを変え流れて行きます。
そして、再び、鴨東運河の流れは、
北から西へ向きを変えて、
流れて行きます。
右岸では、護岸の工事が行われています。
鴨東運河に沿って、西へ進みます。
途中、徳成橋の上から、西を見たところ。
鴨東運河に沿って、西へ進みながら、
次の橋、熊野橋の上から西を見たところ。
右手に夷川船溜が見えます。
夷川船溜の先には、
関西電力 夷川水力発電所があります。
中央に発電の為の取水口があり、
左側に発電をしない時の放水口があります。
右側、鴨東運河と船溜の角に
北垣国道の銅像が建っています。
北垣国道の銅像です。
北垣国道は、第3代の京都府都知事(1836-1916)で、
琵琶湖疎水の生みの親と呼ばれる人物です。
東京遷都により、衰退する京都において、
京都再生の為、琵琶湖疎水を計画し、
京都市民にその有用性を説き、
1890年に琵琶湖疎水を完成させました。
その日本遺産・琵琶湖疎水の説明です。
歩いてきた東側をふり返ったところ。
左側は夷川船溜です。
関西電力 夷川水力発電所です。
中央の赤煉瓦の建物が、発電機建屋です。
右端に発電の為の取水口があり、
左側に発電をしない時の為の
放水口が二つあります。
橋に使用されていた石柱でしょうか?
石柱が展示されています。
夷川水力発電所の南側には、
背の高い柵があり、
柵越しに赤煉瓦の発電機建屋が見えます。
そして、柵の前には、
夷川水力発電所の説明があります。
その夷川水力発電所の説明です。
夷川水力発電所の横を西へ過ぎ、
北側を見たところ。
手前の鴨東運河の堤防の向こう側に
白川放水路がカーブして流れる水面が
少し見えます。
夷川水力発電所から西へ向け進み、
次の秋月橋の上から東、発電所の方向をふり返ったところ。
正面には、夷川水力発電所から、
発電しない時に流す放水口が見えます。
放水口は閉じられており、水は流れ出ていません。
秋月橋の上から、西を見たところ。
左が鴨東運河で、
右側は、一段高いところを
夷川船溜から流れて来る白川放水路です。
その鴨東運河の北側、
一段高いところを流れる白川放水路です。
白川放水路は、
豊富な水量の水が流れていました。
鴨東運河が、川端通りの下へ
潜って行きます。
川端通りの向こう、西側を
鴨川が流れています。
川端通りに出て、
鴨東運河と白川放水路の上に架かる橋の上から
東をふり返ったところ。
右側が鴨東運河で、左側が白川放水路です。
鴨東運河と白川放水路の上に架かる橋は、
鴨東運河の上に架かる田辺橋と、
白川放水路に架かる田辺小橋に
橋が二つに分かれおり、
橋の親柱に橋名が銘打ってあります。
そして、田辺橋の向こう側、西側に
鴨東運河の鴨川への水門があります。
その水門が閉じられていれば、
鴨東運河は、鴨川運河となり、
鴨川と平行して伏見堀詰まで
流れて行きます。
その鴨川運河へ流す為の水門が
田辺橋の南にあります。
田辺橋の南側の袂から、
鴨川沿いにある散策道へ
階段を下りて北を見ると
鴨東運河と白川放水路の上に
木橋が架かってます
その木橋の右側に、
鴨東運河の鴨川への水門が見えます。
鴨川です。
右端は、
鴨東運河と白川放水路の上に架かる
木橋です。
その木橋の上から、木橋の右にある
鴨東運河の鴨川への水門を見たところ。
水門は閉まってます。
その木橋を北に進むと、
白川放水路があります。
白川放水路には、水門は無く、
放水路の水は、鴨川へ流れ込んで行きます。
木橋を渡って
白川放水路を見たところ。
木橋をふり返ったところ。
白川放水路の水が鴨川へ合流しています。
再び、田辺橋の南側の袂に戻り、
南を見たところ。
鴨東運河から流れて来た水を
鴨川運河へ流す為の水門があります。
その水門の向こう、南へ向け
鴨川運河が伸びています。
鴨東運河から流れて来た水を
鴨川運河へ流す為の水門
水門は閉じられています。
川端通りを北へ向かいます。
丸太町通りの手前に
お地蔵様が祀られています。
丸太町通りに出て、西へ向かいます。
丸太町橋の東詰めから、鴨川を見たところ。
丸太町通りを西へ、
京都御苑の前を西へ向かいます。
丸太町通りを隔てた向こうは、
京都御苑の冨小路口です。
更に西へ進んで行くと
堺町御門があります。
京都御苑を過ぎて、丸太町通りを西へ進んで行くと、
窯座通りに出て、北へ向かいます。
通りの先に京都府庁旧本館が見えます。
左側は、京都府庁の正門で、
中央は正門横に掲げられた
「地球環境京都宣言」です。
その「地球環境京都宣言」です。
京都府庁の正門を入ると、
正面に京都府庁旧本館があります。
京都府庁旧本館は、
明治37年(1904)に竣工し、
昭和46年まで本館として
使用されてきました。
そして、現在は、一部を執務室として
使用しています。
東側から、京都府庁旧本館へ向かいます。
京都府庁旧本館の東面を見たところ。
京都府庁旧本館を南東から見たところ。
ネオ・ルネサンス様式の建築で、
左右対称の二階建ての建物です。
マンザードと呼ばれる屋根が、
中央、東西と3つ付き、
それぞれにドーマーと呼ぶ採光の為の窓が
付いています。
そして、
中央の屋根のペジュメント(破風)には、
見事な装飾が施されています。
京都府庁旧本館です。
正面には車寄せがあり、
その上には石造りのバルコニーが
付いています。
京都府庁旧本館を正面、南から見たところ。
京都府庁旧本館の前の木は、
樹齢300年を越えるビャクシン、
別名イブキです。
旧本館の竣工を記念し、
近くの寺院より譲り受けたと
言われています。
西へ回って、西から
京都府庁旧本館へ近づきます。
南西から京都府庁旧本館を見たところ。
京都府庁旧本館の正面にある
車寄せとバルコニーを見たところ。
京都府庁旧本館の車寄せ、バルコニー、マンザードを
正面、南から見たところ。
正面の入口から、中に入ります。
正面の入口から、中に入って行きます。
正面の入口、玄関脇に
「府庁舎の一世紀」の展示があります。
この展示の中で、
明治時代の府庁舎の様子や、
屋根の棟飾りの展示があります。
旧本館の平面は、中庭を囲んで、
ロの字型になってます。
そのロの字型の建物の南側の廊下を西へ進みながら、
廊下の先を見たところ。
右側が中庭で、左が執務室です。
南の廊下を西へ突き当たると、
ロの字型の西側の廊下を北へ進みます。
右側が中庭で、左が執務室です。
ロの字型の西側の廊下を進んで行くと
中庭への出口があり、
中庭の南東を見たところ。
中庭には、数本の桜の木があります。
中庭の東を見たところ。
中央の桜は、
円山公園の初代、祇園しだれ桜の孫にあたる
実生木の枝垂れ桜と言う事です。
中庭の北東を見たところ。
ロの字型の北側の廊下を東へ進んで行くと、
赤い絨毯の二階へ上がる階段があります。
ロの字型の北側の廊下の中央辺りで、
南を見ると
中庭中央の祇園しだれ桜が見えます。
旧本館を北側に出て、北側から見たところ。
平面でロの字型をした旧本館の北側中央部に
北へ出っ張って旧議場があります。
北側から旧議場に入って、正面を見たところ。
正面奥に議長席、その手前に演壇があり、
手前に議席が並んでいます。
議長席を挟んで、左右に理事者席が並んでいます。
また、議長席の後ろには、
壁面を窪ませたアルコーブがあり、
赤いカーテンがかかってます。
旧議場を北西から見たところ。
南西隅から議席を見たところ。
二階の廻廊には傍聴席があります。
旧議場を北東から見たところ。
旧議場の後は、二階へ上がり、
旧知事室や、正庁へ向かいます。
南東の隅から、北に向いて廊下を見たところ。
ロの字型の南東角に旧知事室があり、
南に面して、東から
旧知事室、旧食堂、旧書記官室と並んでいます。
旧書記官室から入り、旧食堂へ入ったところ。
そして、旧食堂を抜けて、
南東角に位置する旧知事室へ入ったところ。
旧知事室です。
旧知事室です。
旧知事室です。
竹原好兵衛によって、
天保2年(1831)の初版で、
慶應4年(1868)に再販された
京絵図が旧食堂に
展示されています。
ロの字型の南に面した中央の部屋、
旧書記官室から二部屋目の部屋は、
正庁です。
正庁では、式典や公式行事が
行われていました。
正庁です。
天井は、漆喰塗りで、
中央に鏝絵(こてえ)が施されています。
京都府庁旧本館を出て、
南東に位置する旧京都府警察本部本館を
見たところ。
昭和4年(1929)の建築とされており、
表玄関は、反対側にあります。
現在は、文化庁庁舎になっています。
京都府庁旧本館の南西に位置する
議会棟を南東から見たところ。
京都府庁を出て、
下立売通りを東へ進んで行くと、
平安女学院の昭和館があります。
昭和館は、昭和4年(1929)の竣工です。
下立売通りを更に東へ進んで行くと、
烏丸通りがあり、
烏丸通りとの角に聖アグネス教会が
あります。
聖アグネス教会は、
明治31年(1898)にアメリカ人建築家
ジェームズ・マクドナルド・ガーディナーの
設計で竣工しています。
烏丸通りを北へ進んで行くと、
護王神社があります。
護王神社の鳥居の横、
玉垣に貼り出されていた
「いのしし神社のおはなし」です。
奈良時代の称徳天皇の御代に、
法皇となって権勢をふるう弓削道鏡は、
天皇の位を我が物にしようとします。
しかし、和気清麻呂は宇佐八幡宮へ赴き
道鏡の野望を暴きます。
道鏡の怒りを買った清麻呂は、
大隅国へ流される事になり、
その道中に刺客に襲われ
足の筋を切られます。
それでも、皇室安泰のお礼の為、
宇佐八幡宮へ立ち寄ります。
一行が豊前国へさしかかった時、
三百頭ものイノシシが現れ
清麻呂を護りながら
宇佐八幡宮へ案内をしてくれました。
一年後、称徳天皇の崩御により
道鏡は失脚し、
清麻呂は都へ呼び戻されました。
鳥居の横にあった護王神社の説明です。
祭神は、桓武天皇に平安遷都を進言した和気清麻呂と、
子育て明神と呼ばれる清麻呂の姉の広虫です。
護王神社の鳥居です。
鳥居の向こうに表門があります。
確かな創建年は不明ですが、洛西の高尾山神護寺の境内に
和気清麻呂の霊社として祀られ、
「護法善神」と称されていました。
嘉永4年(1851)、孝明天皇は、和気清麻呂の歴史的功績を讃え、
正一位護王大明神の神階神号を授け、
明治7年(1874)に護王神社と改称しています。
明治19年(1886)、明治天皇の勅命で、現在地に社殿を造営し、
神護寺境内から遷座しています。
護王神社には、狛犬の代わりに狛イノシシがいます。
鳥居に向かって右側の狛イノシシです。
鳥居に向かって左側の狛イノシシです。
鳥居の奥には、表門があります。
その表門の真ん中から「足腰御守」がぶら下がってます。
和気清麻呂が刺客に足の筋を切られましたが、
イノシシに護られて宇佐八幡宮へお参りすると
足が治ったと伝えられ、足腰の守護神とされています。
表門を入る前の右手にいた
イノシシ像です。
表門を入ると、正面、西に拝殿があります。
訪問した令和7年(2025)は、巳年なので、
白蛇が描かれた大きな開運絵馬が
掲げられています。
表門の横、北側には、霊猪手水舎があります。
センサーで人を感知して
水が出るようになっています。
表門と霊猪手水舎を北西から見たところ。
拝殿に向かって右側の狛イノシシです。
拝殿に向かって左側の狛イノシシです。
拝殿の横、北側から、
拝殿の西に位置する中門を見たところ。
中門から左右に回廊が伸びています。
そして、中門の奥に本殿の屋根が見えます。
中門です。
中門を南東から見たところ。
中門の前から東をふり返ると、拝殿です。
拝殿の中には、奉納された生け花が展示されています。
拝殿の中には、
切り絵アート「弁天 逆さ鱗オロチ」も
展示されています。
天井から垂れ下がったオロチの上に
弁天様が乗っています。
拝殿を南東から見たところ。
拝殿の向こうに中門があり、
中門の向こうに本殿の屋根が見えます。
左端は、祈願殿です。
中門の南に位置する祈願殿です。
右より、中門と祈願殿の間、手前に
招魂樹(おがたまのき)がそびえてます。
その招魂樹(おがたまのき)です。
招魂樹の根元に「願掛けの猪」の石像があり、
その周りに自分の願いを書いた
「座立亥串(くらたていぐし)」が刺し立ててあります。
願いを書いた亥串は2本一組で、
1本は持ち帰り神棚へ祀ると言う事です。
霊猪手水舎の北側に
吉井勇(1886-1960)の歌碑が建ってます。
その歌碑の隣には、
樹齢100年を越える御神木のカリンの木が
たってます。
そのカリンの実からつくるカリン酒は、
ぜんそくに効くと言われています。
歌人、吉井勇は、歌集「残夢」の中に、
カリンの木を詠んだ歌が3種あり、
その縁で歌碑が建てられています。
境内の北の端には、
末社の久邇宮家御霊殿と祖霊社(近衛社)が
並んでいます。
右の久邇宮家御霊殿は、昭和39年(1964)に
旧久邇宮邸内から鎮座しています。
左が祖霊社(近衛社)で、
護王神社の発展に尽力した人々の分霊が
合祀されています。
護王神社へお参りし、表門を出ます。
表門の横にあった護王神社全景鳥観図です。
護王神社を出て、南へ、護王神社へ貼り出された関係資料を見ながら進みます。
その資料の一つに、「お札に描かれた護王神社」の説明がありました。
護王神社から南へ進んで行き、
聖アグネス教会を過ぎて進むと、
烏丸通りを隔てて左手に、
京都御苑の下立売御門があります。
そして、右手には菅原院天満宮神社があります。
その菅原院天満宮神社の鳥居です。
菅原院天満宮神社は、
「学問の神様」として知られる菅原道真の生誕の霊地で、
道真の先祖三代の住まいがあった場所です。
ちなみに菅原道真の生誕の地、産湯の池とか井とか、
京都、奈良に複数あり、事実は不明です。
祭神として、菅原道真、父 是善、祖父 清公が祀られています。
鳥居の扁額には、「菅原院」とあります。
その鳥居の向こうには、表門があり、
表門には、令和7年の干支の「巳」の文字が
掲げられています。
表門を入った左手に手水鉢があります。
臥牛の口から水が流れ出ています。
境内には、「菅公御初湯の井」があります。
手前に拝殿があり、その奥、北側に
本殿があります。
手前が拝殿で、その奥に本殿があり、
本殿の更に向こうに
聖アグネス教会が見えます。
拝殿に向いて、右手には、
臥牛の像があります。
西には、正一位梅丸大明神が祀られています。
癌封じや、はれもの等の病に御利益があるようです。
その梅丸大明神に向かって、すぐ左の石碑に
「天満宮御遺愛燈籠」とあり、小さな燈籠があります。
また、梅丸大明神の背後には、
平安女学院の明治館が見えます。
この明治館は、アン女王様式のデザインと言う事です。
お昼時を過ぎたので、
昼食を採る事にします。
地下鉄の丸太町駅から、
京都市役所前駅まで行き、
六角通りにある「日本一の鰻 京極かねよ」へ
向かいます。
「日本一の鰻 京極かねよ」です。
注文した「きんし丼(並)」がやって来ました。
蓋が載ってますが、玉子がはみ出てます。
その蓋をとったところ。
厚みのある玉子を持ち上げたところ。
鰻が載ってます。美味しかった。
食事の後は、預けていた荷物を受け取って
阪急電車で大阪梅田駅へ向かいます。
梅田でJR大阪駅へ向かう時に
大阪駅の北口前、グランフロント大阪の広場は
スケートリンクになってました。
この後、新幹線で広島まで帰りました。