京都は、何度も訪れた事がありますが、それでも、訪問できて無い場所があります。
京都を全て見て周る事は無理だと思いますが、
そして、昨年(2024年)10月に訪問したばかりですが、
再度、三泊四日で再訪しました。
二日目は、伏見稲荷、光明院、分陀院、東福寺、泉涌寺、二条城を訪問します。
伏見稲荷、光明院、分陀院、東福寺、
泉涌寺を見て周った後、
京阪電車で東福寺駅から三条駅へ、
そして、
地下鉄で三条京阪駅から二条城前駅へ
移動します。
二条城前駅のすぐ北側に二条城があり、
入場チケットを購入して、
東大手門へ向かいます。
東大手門です。
二条城の正門です。
築城当時は、
現在と同じ二階建てでしたが、
寛永3年(1626)の御水尾天皇による
二条城行幸の際には、
天皇を二階から見下ろさないように、
一重の門に建て替えたと言われてます。
東大手門を正面から見たところ。
現在の門は、寛文2年(1662)に
二階建ての櫓門へ
建て替えられています。
東大手門に向かって右側下部の
装飾金具です。
この装飾金具の中に、
千鳥が一匹隠れています。
この千鳥は、
装飾金具の職人さんの遊び心によるものです。
東大手門を入ると右手に、
番所があります。
寛永3年(1626)の行幸を描いた
寛永行幸絵図に
番所が描かれていますが、
現在の建物は、
寛文3年(1663)に建てられた
ものです。
平時は、幕府から派遣された
二条在番と呼ばれる武士たちが、
宿直、警護していました。
1組50人の在番が2組常駐し、この番所は詰所の一つになっていました。
東大手門を入り、
ふり返って見たところ。
東大手門を入り、
二の丸御殿の築地塀に沿って
南へ進んで行くと、
二条城案内図があります。
そして、二の丸御殿の築地塀の南側を
西へ進むと
唐門があります。
唐門の更に西側には、
二条城の外に向けた門、
南門があります。
この唐門は、大正4年(1915)、京都御所で
大正天皇の即位の儀式が行われ、
大正大礼が二条城で開かれました。
その時の天皇の入城口として
建てられた門です。
但し、その時、建てられた建物や、
外堀に架かる橋等は、撤去され
南門のみが残ってます。
改めて、唐門です。
二の丸御殿の正門です。
切妻造りの檜皮葺で、
その前後に唐破風が付く四脚門です。
唐門の前にあった
唐門と築地の説明です。
唐破風です。
唐門は、
寛永3年(1626)の御水尾天皇の行幸に
合わせて造営されたもので、
天守、行幸御殿、本丸御殿も同時期に
完成しています。
この唐門には、
多くの菊紋が使用されていますが、
平成の改修工事で、
菊紋の下から葵紋が見つかっています。
明治17年(1884)に天皇家の別荘、二条離宮になった際に
金具が付けられたと見られています。
唐破風内には、
豪華絢爛な彫刻が施されています。
上の虹梁には、中央に鳳凰、
左右に菊紋の飾り金具が、
その虹梁の上には、
赤い牡丹に青い蝶の彫刻が
施されています。
下の大虹梁の上の蟇股には、
蓬莱山を載せた亀、
その左右には鶴が飛んでいます。
そして、扉上部の欄間には、左に龍、右に虎が向かい合い、睨み合ってます。
唐門に向かって右側面の彫刻、唐獅子です。
唐門に向かって左側面の彫刻、唐獅子です。
この唐獅子は、表に背を向けて耳を掻いています。
唐門を中に入り、ふり返ったところ。
唐門の内側も、外側と同様に
豪華絢爛な彫刻が施されています。
上の虹梁の上には、
赤い牡丹に青い蝶の彫刻が
施されています。
下の大虹梁の上の蟇股には、
亀に乗った黄安仙人、
その左右には瑞鳥が彫られています。
黄安仙人は、亀に乗っている事から、
亀乗り仙人とも呼ばれています。
その亀は、3000年に一度、水面に顔を出す幻の亀で、
黄安仙人はその亀を5回見ている事から、長寿の象徴になってます。
その黄安仙人の蟇股を支える
大虹梁には、中央に菊紋、
その左右に鳳凰をあしらった
飾り金具が施されています。
そして、扉上部の欄間には、
内側から向かって右に龍、
左に虎が向かい合い、睨み合っています。
唐門を抜けると、二の丸御殿があります。
唐門を抜けた正面に、車寄せがあり、
ここから御殿内部に入ります。
車寄せの向こうの建物は、遠侍です。
車寄せの屋根には、
菊紋がつく金色の飾り金具が施された
唐破風が付いてます。
入口上部の欄間には、
五羽の鸞鳥(らんちょう)と松に牡丹、
上部に雲、下部には笹の
彫刻が施されています。
その彫刻を頭上に見ながら、
車寄せから中に入り、
二の丸御殿を観覧しました。
2019年に、二条城を訪問した時、
時間的に余裕が無く、
二の丸御殿の観覧ができなかったので、今回は観覧できてよかったです。
二の丸御殿の観覧後、
二の丸庭園へ向かいます。
左端が、庭園の入口です。
その入口の手前に、
二つの釣鐘が展示されています。
これらの釣鐘の一つは、
二条城の北東に位置する京都所司代に、
一つは二条城の北東隅の
艮櫓跡(天明の大火で焼失)に鐘楼を建て、
危急の連絡用に設置されました。
実際には、鳥羽伏見の戦いの開戦を告げる為に使用されたと言います。
二の丸庭園へ入ります。
二の丸庭園へ入って、
順路に従って進みます。
右から、
車寄せを入ったところにある遠侍、
式台、大広間です。
遠侍は、二の丸御殿最大の建物で、
来殿者が控える場所です。
内部の襖や壁には、
徳川家の権力を示すかのように
虎の絵が描かれており、
虎の間と呼ばれています。
式台は、将軍への要件や、献上物を取り次ぐ場所です。
右は、大広間です。
大広間の中には、大名や公卿衆との
公式な対面所として、一の間(上段の間)、
二の間(下段の間)があります。
対面の際には、一の間から
南、二の間を向いて座し、
対面しました。
慶応3年(1867)、
15代将軍、徳川慶喜が、二の丸御殿で、
大名達を前に「大政奉還」の意思を
表明しましたのは、この大広間です。
右が大広間で、
その向こうに蘇鉄の間が続き、
左に黒書院が見えます。
大広間の前へ向かいながら、
二の丸庭園を見たところ。
大広間の南西角から、
二の丸庭園、南西方向を見たところ。
正面に見える池畔の石垣の向こうには、
寛永3年(1626)の
御水尾天皇の行幸の為の
行幸御殿があり、
黒書院、大広間と
廊下でつながっていました。
大広間の前から、北西を見たところ。
右は黒書院で、左に池庭が
広がっています。
大広間の西側の池庭を見たところ。
左側に中島が見え、
中央に、
向こうの築山から流れ落ちる滝が
見えます。
蘇鉄の間の前から
西に、庭園を見たところ。
右端には、
こも巻きされた蘇鉄が見えます。
黒書院の前から、南を見たところ。
池の中に、中島が見えます。
黒書院の前を西に歩きながら、
大広間をふり返ったところ。
左端は蘇鉄の間です。
蘇鉄の間は、
大広間と黒書院を結ぶ廊下ですが、
杉戸に蘇鉄が描かれており、
蘇鉄の間と呼ばれています。
黒書院の南側から、南を見たところ。
黒書院の前から、南東を見たところ。
中央に大広間、
左端に大広間から続く蘇鉄の間が
見えます。
黒書院の南西角を回りながら、
南東を見たところ。
黒書院の西側です。
黒書院は、
江戸時代には小広間と呼ばれ、
大広間に次ぐ公式の場でした。
将軍と徳川家に近しい大名や、
高位の公家が対面する場として
使用されていました。
黒書院の西側を、
北へ向け進んで行くと、
黒書院から南側と、
白書院を区切るように
屏があります。
その塀の間を抜け、
北へ進んで行くと、
白書院があります。
白書院を、
西側、正面から見たところ。
白書院は、江戸時代には、
御座の間と呼ばれていた事から、
将軍の居間と寝室であったと
考えられています。
白書院の北側を見たところ。
二の丸御殿を出ると、
正面、西側に内堀に囲われた
本丸の石垣があります。
そして、
本丸へ入る為の東橋が架かっており、
その先に本丸櫓門があります。
本丸櫓門は、
寛永3年(1626)の御水尾天皇行幸を前に、
徳川家光が、天守、本丸御殿、等を
造営しましたが、
天明8年(1687)の大火で,多くの建物を焼失しましたが、
本丸櫓門は,本丸内で唯一焼失を免れ現存しています。
内堀に架かる
東橋の手前、横にあった
二条城案内図です。
内堀に架かる東橋を渡り、
本丸櫓門を入って、
本丸櫓門をふり返ったところ。
本丸櫓門創建時は、
二の丸御殿から、
二階を通る廊下橋が続き、
本丸櫓門の二階を経由して、
本丸御殿まで廊下橋で結ばれていた
ようです。
本丸櫓門を入り、階段を上り、
本丸庭園、本丸御殿へ向かいます。
階段を上り、ふり返って、本丸櫓門の方を見たところ。
2019年に、二条城を訪問
した事があります。
その時は、本丸御殿の修理工事の為、
本丸御殿は、覆屋で覆われており、
見る事はできませんでした。
2023年に本丸御殿の修理工事は完了しており、
今回楽しみにやって来ました。
本丸庭園に入ると、
御常御殿があります。
御水尾天皇行幸に際して建てられた
本丸御殿は、天明8年(1788)の大火で
焼失しています。
幕末には、徳川慶喜によって
御殿が建てられましたが、
明治に入り取り壊されています。
現存する本丸御殿は、
桂宮家が京都御所の北に建てた御殿を、明治27年(1894)に明治天皇の意向で移築し、
天皇家の別荘の離宮として、利用されていたものです。
御常御殿の前、本丸庭園内を歩きます。
御常御殿です。
御常御殿は、天皇家の離宮として、
日常の生活を過ごす為の居室や
寝室を備えた二階建ての棟です。
二階の居室は、数寄屋風で、
城内だけでなく、市内の四方を
眺望する事ができます。
御常御殿の南西の角から、
西方を見たところ。
南西から、御常御殿を見たところ。
右端が御常御殿、その左に御書院、
左側に玄関を南から見たところ。
右端が御書院、中央が玄関です。
右端が御常御殿で、中央が御書院です。
御書院の一の間から三の間は、
主人と来訪者の公式な対面所として
使用されました。
主人は、
床が一段高い一の間へ、
対面相手は二の間、三の間へ
座りました。
右端が御書院で、左が玄関です。
御常御殿を西から見たところ。
天守閣跡へ向かいます。
本丸の南西隅には、
かつて伏見城から移築されたと伝わる
五重の天守閣(地上5階、地下1階)が
ありました。
しかし、寛延3年(1750)の落雷で焼失し、
その後、再建されず
石垣だけが残っています。
その天守閣跡へ上ってみます。
北東へ本丸御殿の建物が見えます。
右端が御常御殿、その隣が御書院、
中央辺りに唐破風が付いた玄関が
あります。
本丸御殿です。
その向こうに比叡山が見えます。
中央は、唐破風が付いた玄関です。
その右となりに御書院が見えます。
東を見たところ。
右側に、本丸の石垣の内側が見えます。
敵に外部から攻められた時、
すぐ石垣の上に上れるように
雁木になっているのが見えます。
本丸御殿、本丸庭園を見下ろしたところ。
東を見たところ。
本丸の石垣の外に内堀が見えます。
南西を見たところ。
内堀に沿って、西南土蔵が見えます。
その向こうに西南隅櫓も見えます。
二条城の隅櫓は、外堀と内堀の四隅と、
加えて外堀中央に計9棟ありましたが、
現存しているのは、
東南隅櫓と、この西南隅櫓の2棟のみです。
西南土蔵(米蔵)です。
江戸時代には、
10棟の土蔵がありましたが、
現在は、3棟残る土蔵の一つです。
北を見たところ。
中央に、本丸西側の内堀に架かる
西橋が見えます。
天守閣跡へ続く道、階段を階段を
見下ろしたところ。
中央は、本丸御殿です。
天守閣跡から階段を下りながら、
内堀に架かる西橋を見たところ。
本丸庭園の向こうに、
御常御殿が見えます。
その左は、御書院です。
本丸庭園の出口を、北へ向け出ると、
右手に玄関があります。
南西から、玄関を見たところ。
本丸御殿の観覧は、
事前予約とWEBチケットの購入が
必要と言う事でした。
北西から、玄関を見たところ。
立派な唐破風付の屋根です。
本丸御殿の玄関前から、
西橋へ向けて坂道を下りて行きます。
西橋へ向け進みながら、
内堀の北側を見たところ。
内堀の畔に、西北土蔵が見えます。
内堀の南側を見たところ。
本丸の石垣の南西角に、
天守閣跡の石垣が見えます。
西橋を渡り、ふり返って見たところ。
この西橋を渡った先には、
かつて、本丸西櫓門がありました。
西橋を渡り、
内堀に沿って北へ進んで行くと、
西北土蔵があります。
西北土蔵は、西橋を挟んで、
南にある西南土蔵と対になってます。
江戸時代には、
10棟の土蔵がありましたが、
現在は、3棟残る土蔵の一つです。
内堀の北西角から、
本丸の石垣、内堀を見たところ。
北側の内堀に沿って、
東へ進んで行くと、
北中仕切門があります。
北中仕切門です。
内堀の南側には、南中仕切門があり、
北中仕切門と南中仕切門は
対になっています。
その二つの門は、
本丸西櫓門への通路を塞ぐ
防御上重要な門でした。
北中仕切門を東へ抜けると、門のすぐ横に
加茂七石を使用した枯山水の庭があります。
加茂七石を使用した枯山水の庭です。
更に東へ進むと、清流園があります。
清流園は、
昭和40年(1965)に築庭された庭園です。
築庭にあたり、江戸時代の豪商、角倉家の
屋敷跡(現在の日銀京都支店)から
建築部材や庭石、樹木を譲り受けました。
西側は日本庭園、東側は洋風の芝庭と言う
和洋折衷の造りとなってます。
清流園の北側、奥に、香雲亭があります。
清流園です。
正面は、香雲亭です。
香雲亭は、旧角倉了以屋敷から
移築したものです。
清流園です。
清流園です。
清流園です。
まっすぐ東へ進んで行くと、
左手に北大手門があります。
北大手門は、
道を挟んだ向いに
京都所司代屋敷があり、
その連絡門であり、かつ、
正門の東大手門に対する
控えの門でもありました。
北大手門の南側には、
土蔵(米蔵、長屋門、門番所)があります。
この土蔵は、二の丸御殿台所を
北と東から囲んでいましたが、
現在は北側23間半が残っています。
二の丸御殿台所の東側の土蔵が
再建されています。
土蔵を南東から見たところ。
土蔵の向こう側の建物は、
二の丸御殿台所です。
再建された土蔵を
南西から見たところ。
再建された土蔵の東側を
南へ進んで行くと
二の丸御殿の築地塀があります。
二の丸御殿の東面の築地塀は、
長さ110mで、
高さは石垣上に立つため6mと
稀にみる大きさです。
壁の面にある白線は、
皇室との関係の深さを
白線の本数で示しており、
5本線が最高格となってます。
歩き疲れたので、
ホテルへ帰って休憩後、
夕方に出かけます。
七条大橋を東へ渡りながら、
鴨川上流方向を見たところ。
七条大橋を渡って、
屏畔電車で七条駅から祇園四条駅へ
向かいます。
夕食は、祇園にある「祇をん 萬屋」へ
評判の九条葱うどんを食べに行きます。
「祇をん 萬屋」です。
注文した九条葱うどんが
やって来ました。
九条葱うどんです。
美味しかったです。
「祇をん 萬屋」は、
ミシュラン ビブグルマンとして、
2016年から2024年まで
9年連続掲載店と言う事です。
ずっと続けばいいな~と思います。