東大寺: 01May2018


五月連休を利用して、一泊二日で、奈良に行って来ました。

初日の朝一番に 興福寺 を訪問し、
その後、東大寺に向かいます。

興福寺 の国宝館から東向け進んで行きます。

芝生の広場の木陰には、鹿に鹿せんべいを与える人、
そのせんべいを食べる鹿達がいます。






公園内には、奈良国立博物館があります。

写真は、奈良国立博物館のなら仏像館です。

なら仏像館は、
飛鳥時代から鎌倉時代の日本の仏像を中心に
国宝や重要文化財を含む常時100体近くを
展示しています。

建物は、1894年に完成した本格的洋風建築で、
旧帝国奈良博物館本館として、
重要文化財に指定されています。

今回は見る事ができませんでしたが、次に機会があれば、
ぜひ、訪れて見たいと思います。

なら仏像館です。












奈良公園の木陰で寝そべる鹿達です。












鹿せんべいを鹿に与えたり、
鹿と写真を撮る観光客です。











なら仏像館の東側には、
奈良国立博物館の西新館と東新館が
あります。










右が西新館で、左が東新館です。












奈良国立博物館前を東に過ぎたところにある交差点で、
東大寺参道へ入り北に向かいます。
















参道を北へ進んで行くと、
東大寺南大門が見えてきます。











その南大門です。












南大門の手前には、吉城川(よしきかわ)が流れています。

















吉城川(よしきかわ)です。

















吉城川(よしきかわ)にかかる橋を渡り、
南大門へ向かいます。











参道の横で、たむろする鹿達です。












南大門です。

創建時の天平時代の門は、大風で倒壊し、
現在の門は、鎌倉時代に重源上人によって
再建された物です。
1203年に門内に安置される仁王像とともに
竣工しています。






南大門です。

門の高さは、基壇上25.46mもあり、
大仏殿にふさわしい日本最大の山門です。









南、正面から南大門を見たところ。

扁額には、「大華厳寺」とあります。










南大門の軒下から、見上げたところ。












南大門に向かって右側の金剛力士像です。

口を閉じているので、吽形の金剛力士です。















南大門に向かって左側の金剛力士像です。

口を開いているので、阿形の金剛力士です。

そして、金剛力士が持っている物は、金剛杵(こんごうしょ)です。

この金剛杵は、あらゆる物を打ち砕ける硬さを持つ武器でもあり、
仏の知恵で煩悩を消し去る法具でもあります。

また、阿形と吽形の2体の金剛力士は、
一般的に、仁王(二王)と呼ばれており、
その仁王が守る門を仁王門と呼んでいます。






南大門、向かって左側の金剛力士像に、寄って見たところ。

南大門の現在の金剛力士像は、古文献によると、
1203年に運慶、快慶ら、慶派の仏師集団により、
わずか69日で製作されたとあるようです。

鎌倉時代の躍動感あふれるリアリズムを代表する像で、
国宝になっています。










南大門に向かって右側の金剛力士像に寄って見たところ。












南大門の下から、向かって左側上部を見上げたところ。

















南大門の下から、向かって右側上部を見上げたところ。

















南大門を抜け、中門へ向け進んで行きます。

中門越しに、はるかに高い大仏殿の大屋根が見えています。















正面が中門です。












参道から外れ、鏡池越しに中門と、その向こうの大仏殿を
見たところ。











中門を正面、南から見たところ。

現在の中門は、1716年頃の再建と考えられており、
重要文化財となっています。









中門を南東から見たところ。

中門から回廊が左右に伸びており、
大仏殿まで続いています。









中門から回廊に沿って西へ進みます。

回廊の南西角にある入堂入口で
入堂料を払い、入堂します。









回廊の中へ入り、南西から、大仏殿を見たところ。












南、正面から、大仏殿を見たところ。

屋根の上には、金色に輝く一対の鴟尾(シビ)が
乗っています。

鴟尾(シビ)は、魚が水面から飛び上がり、
尾を水面状に出した姿を具象化した物で、
屋根の上面が水面を表し、
水面下にある物は燃えないと、
火除けの意味を込めた物です。



大仏殿に進みながら、大仏殿を見たところ。












大仏殿の正面、手前には、金銅八角灯篭があります。

この灯篭は、
752年(天平勝宝4年)の大仏開眼と同じ年の鋳造と推測され、
国宝に指定されています。

高さは462.1cmある巨大な灯篭で、
日本国内の銅製の灯篭としては、最古の物です。










そして、火袋の扉の4面には空を駆ける獅子が、
その間の4面には笛や笙(しょう)を奏でる
音声菩薩(おんじょうぼさつ)が彫られています。















金銅八角灯篭です。

















大仏殿を下から見上げたところ。

中央の唐破風の下には、観相窓があり、
大晦日から元旦にかけて、この観相窓が開かれ、
大仏様のお顔を外から拝しながら、
新年を迎える事ができるようになってます。







その唐破風下の観相窓です。

















大仏殿の軒下を見上げたところ。












大仏殿の中に入ると、大仏様が鎮座されています。

この大仏様が、盧舎那仏座像です。

盧舎那は、万物を照らすと言う意味で、
盧舎那仏は如来中の如来とも言われる
仏様です。

聖武天皇が、政変や、飢饉、凶作、疫病の流行で、
日本を仏の力で救いたいと言う想いで造られ、
752年(天平勝宝4年)に、開眼供養が行われました。







この盧舎那仏座像は、
像高約15m、手の中指の長さだけで、1.08mあり、
日本最大の金銅仏で、国宝に指定されてます。















盧舎那仏座像の蓮台の蓮弁には、
毛彫で蓮華蔵世界図が線刻されています。

その原寸模型です。









大仏蓮弁・蓮華蔵世界図
の説明です。






















蓮華蔵世界図は、大きく二つの部分からなり、
上半分には、説法中の如来像と、
その左右に、それぞれ十一体の菩薩像が
対照的に描かれています。

その下には26本の界線が横に引かれて、
小仏や宮殿が点在しています。

更に下方には、写真に写っていませんが、
請花(うけばな)と反花(かえりばな)の対になった蓮弁が
七対あります。


その七対の蓮弁のひとつです。




この複雑な図柄は、
華厳経が説く宗教的世界観を表現したものです。






大仏殿の華瓶(けびょう)です。

この華瓶には、8本足の蝶がとまっています。
昆虫の足は6本ですが、なぜか8本足???














南西より盧舎那仏座像を見たところ。

大仏殿は、創建から二度にわたり焼失しており、
鎌倉時代1185年と江戸時代1692年に
再建されています。

江戸時代の再建時は、柱とする木材が調達できず、
芯となる槻(つき)を檜板で囲い、鉄釘と銅輪で締めて
柱としています。

現在の大仏殿の大きさは、正面幅57.6m、
奥行き50.5m、棟までの高さは49.1mあり、
世界最大級の木造建築です。

但し、創建時の正面幅は約86mあったとされ、
この大きさでも創建時の3分の2の大きさと言う事です。

盧舎那仏の脇侍には、
向かって右に如意輪観音菩薩、左に虚空蔵菩薩が
配されています。

写真は、向かって左側の虚空蔵菩薩座像です。













盧舎那仏座像と、向かって左側の虚空蔵菩薩座像です。

柱には、金銅の幡がかかっています。










盧舎那仏座像です。

















盧舎那仏座像です。

光背には、16体の化仏が配されています。















虚空蔵菩薩座像です。

















大仏殿の北西隅に、廣目天像立像があります。

廣目天は、四天王のひとりで、西を守る守護神です。















盧舎那仏と、虚空蔵菩薩の光背を、裏側から見たところ。












盧舎那仏の光背の裏面です。

















東大寺創建当初の伽藍の様子を、
50分の1で再現した模型がありました。

この模型は、東大寺要録や正倉院文書など、
古文献を基に大正年間に製作されました。

大仏殿の東西両側には、今はありませんが
100m近い七重塔がそびえていたようです。





盧舎那仏の光背の裏面です。

裏面には雲が描かれています。










盧舎那仏座像の東側隣には、
如意輪観音座像が配されており、
その光背の裏面です。










大仏殿、北東隅の多聞天立像です。

多聞天は、四天王のひとりで、北を守る守護神です。

大仏殿には、四天王の内、先ほど見た廣目天像立像と、
この多聞天立像の2体しかありません。
四天王の残りの持国天と増長天は、
頭部のみが大仏殿に展示されていますが、
未完成のままで終わったようです。









大仏殿の北東には、柱の根元に穴の開いている柱があります。

この柱の穴は、大仏様の鼻の穴と同じ大きさと言う事です。

そして、この穴をくぐると、
無病息災、願いがかなう、頭が良くなると
諸説あるようです。











女の子が、柱の穴をくぐって出て来たところです。












柱の陰になってますが、
柱の穴くぐりの順番待ちで、多くの人が並んでました。
















如意輪観音座像です。

















盧舎那仏と、如意輪観音です。












華瓶(けびょう)越しに、盧舎那仏を見たところ。

華瓶にも、8本足の蝶が、とまっています。















梁を支える蟇股です。












盧舎那仏の光背の化仏です。

















盧舎那仏の上部天井は、小組格天井になっています。

















大仏殿、南東隅の筋交です。












大仏殿を出て、正面の中門を見たところ。












中門まで行き、基壇上から、大仏殿をふり返ったところ。












回廊を東へ進みながら、大仏殿を見たところ。












回廊の南東隅から、大仏殿を見たところ。

















回廊の南東出口から出てふり返ったところ。

左端が中門、右側に大仏殿です。










大仏殿の東側の相輪です。

かつて、東大寺の創建当時は、大仏殿の東西両側に、
100m近い七重塔がそびえていました。
1970年の大阪万博の折りには、
古河パビリオンとして、この七重塔を模して建てられました。
万博終了後、塔は解体されましたが、
相輪は東大寺に寄贈され、ここへ展示されています。










大仏殿の南東にある鏡池の南側から、中門、及び、
その向こうの大仏殿を見たところ。

鏡池に造られた白い舞台は、
5月2日に行われる聖武天皇祭で
舞楽が奉納される、その舞台になります。







中門前まで戻り、西へ進みます。

戒壇堂へ向けて行く途中、
東大寺勧進所の鐘楼が見えます。









戒壇堂が見えてきました。












戒壇堂の門です。

門の前には、
大界内相(だいかいないそう)の石標があります。

これは、戒壇石と言われ、お寺や清浄な場所の境界に立つ
結界石の一つです。






戒壇堂です。
754年、聖武天皇は光明皇后と共に、
唐から渡来した鑑真から戒を授かり、
翌年、正式な授戒の場として戒壇院を建立しました。

江戸時代までに、3度火災で焼失し、
現在の建物は、江戸時代1732年に再建された物です。

堂内には、天平時代に製作された四天王立像が
安置されています。
国宝に指定されています。

元々は、金銅製の四天王でしたが、今は無く、
現在の四天王像は、東大寺の他の塔堂から移されてきたと
言う事です。

戒壇堂の基壇の上から門を見たところ。












戒壇堂の基壇の上から庭を見たところ。












戒壇堂を出て、東大寺勧進所の横を通って、
正倉院へ向かいます。

途中、大界外相(だいかいげそう)の石標があります。

これも、戒壇石で、結界石の一つです。







東大寺勧進所の横を進んでいると、
人力車がとまっていました。
















東大寺勧進所の横を通り、北に向けて進んで行くと、
正倉院の門がありましたが、ここからは入れません。

正倉院「正倉」外構参観入口の矢印は、右を指しており、
そちらへ向かいます。

この写真の中央の大屋根が、
この時はわかりませんでしたが、
実は正倉院「正倉」の屋根でした。




正倉院「正倉」へ向かう途中、大仏殿を見たところ。












正倉院「正倉」へ到着です。

中へ入る事はできませんが、門から見たところ。










正倉院「正倉」です。
想像していたより、でかい。

聖武天皇の遺品が、光明皇后により、
東大寺の本尊廬舎那仏に奉献され
正倉院へ収蔵されたのが正倉院宝物の起こりです。
千有余年の間、朝廷の監督の下に
東大寺によって管理されてきました。
1875年(明治8年)に、宝物の重要性にかんがみ
内務省の管轄となり、現在は、宮内庁が管轄しています。



寄棟本瓦葺き、高床式で、間口は約33m、
奥行き約9.4m、高さは約14m、
床下は2.7mあります。

倉は三倉に仕切られており、北から北倉、中倉、南倉と
呼ばれています。







北倉と南倉は、大きな三角材(校木)を井桁に組み上げた
校倉造となっています。

その校倉の拡大写真です。








この後、二月堂、三月堂へ向かいます。



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