南京博物院 : Aug2011


南京は、北京、西安、洛陽と共に、中国四大古都のひとつです。
私の大好きな三国志に出てくる呉の都も、南京でした。
そして、中国四大火炉(カマド)と呼ばれて、重慶、武漢、南昌と並び、暑いので有名です。

そして、この南京博物院は、南京城内へ中山門から入ってすぐ、中山東路のすぐ右手(北側)にあります。

私は、 明孝陵 から、南京博物院まで歩いてみました。
写真は、途中に見た南京の城壁です。












これが孫文を記念して造られた
3連アーチの中山門です。
古くは明代の朝陽門でしたが、
孫文の国葬を行う際に、
朝陽門は封鎖され、
その北側に中山門として建てられました。

中山門を城内に入って振り返って見たところ。






中山門を城内に入り、中山東路を西にしばらく歩くと、
南京博物院が、右手(北側)に見えて来ます。

これが、南京博物院の門柱です。

中国の博物館の中で、博物院と名付けられたのは、
北京の故宮博物院と、この南京博物院と2つだけで、
格式が高くなってます。

日中戦争の折には、北京の故宮博物院から木箱で2万箱の文物が、
南京博物院に運び込まれました。
また、戦火が激しくなると、四川、重慶へと文物が移送され、
終戦後、南京に戻ります。
しかし、今度は内戦が激しくなり、3千箱が台湾へ、
7千箱が北京へ戻されます。
そして、残りの1万箱が南京博物館に
残ったと言われています。

そして、これらは、南遷文物と呼ばれています。

門を入ると、敷地内にあった栓馬柱です。
栓馬柱の上部には、人物や動物の彫刻があります。

明または清年代の物のようです。










正面から南京博物院を見たところ。

私が過去行った博物館は、
写真撮影禁止のところが
多かったですが、
この博物院は、写真撮影可でした。

こんな芸術品を写真撮影して持って帰れるなんて、
ラッキー、しかし、たくさん撮影すると、
後で整理が困るかなと思いながら撮影しました。

でも、多くはピンボケに。
ガラスケース内の撮影は、素人には難しいです。

展示は、展示品の種類に分類され、
多くの部屋に区分けして展示されています。

説明には、「編磬架虎嘼座」とあります。
西汊(xi han)(=西漢 206B.C.-8A.D.)

編磬とは、
叩くと澄んだ音を出す「へ」の字型の石片(磬)を
青銅製の架(枠)に吊り下げ、メロディーを奏でる
楽器です。

嘼と言う字は、獣偏で獣類を表しています。

よって、これは編磬の架の台座として
使用されていた物で、
虎のような獣を模しています。

でも、ちょっと虎とは違うようにも見えます。

こちらは、虎です。

下から構えて、今にも飛び掛かりそうです。














説明は、「銅祖」とあります。 西汊(=西漢)時代の物。

こんな物を写真に撮るなと言われそうですが、
クメールの遺跡でも、
リンガ(男性器の象徴)と、ヨニ(女性器の象徴)が
祀られており、同じように中国でも??と思うと、
思わず撮影してしまいました。

純粋に、先祖様を祀り、子孫繁栄を願う、
そう言う儀式に使用されたのでは
無いかと思います。











左が、「馴象俑」、右が「鎏金銅象」と
説明があります。
いずれも、西汊(=西漢)時代の物。

馴象俑とは、象使いの事だと思います。











ここからは、刺繍が施された衣類や織物が展示されている区画の江南锦绣馆です。

雲錦です。

雲錦は、錦織りの生地が、雲や霞のごとく美しく、
雲錦と呼ばれるようになりました。














これは、「銀縷玉衣」です。
漢代(紀元前206年-紀元220年)。

玉片を銀糸でつないだ死者の衣服です。









次は、王器馆です。

左は、「螭犮紋玉璧」です。
Jade Bi with Dragon Design
宋 11世紀

螭犮(チーローン)とは、
まだ角の生えてない龍です。
龍の装飾がある祭祀、葬祭に用いた玉器です。
ヒスイでできています。

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右は、「橢圓形玉扣」です。
Jade Oval-shaped Button
元 13世紀

玉扣とは、バックルを意味します。
楕円形のバックルです。

これは、「芺蓉石螭耳盖炉」です。
Rose Quartz Dragon-headed Censor
清 乾隆 1736-1795

芙蓉石は、紅水晶です。

盖炉は、蓋付きの炉です。

螭耳の螭は、ミズチ、水の中に住む妖怪です。
角の生えてない龍も意味するのかもしれません。

螭耳の耳は、取っ手を意味するのだと思います。

と言う事は、
これは、
紅水晶でできた龍の耳を持つ蓋付きの炉かな。








「农耕图玉插屏」


农耕とは、農耕をさします。
图は、図です。
玉は、中国における宝石の一種で、
插屏は、机の上に置く屏風の形をした
置物の事です。

よって、これは、
農耕の場面を施した玉でできた
置物です。

写真がピンボケで、
うまく撮れてません。
すみません。




2階から、明清瓷器馆の窯の復元模型を
見る事ができます。











ここは漆艺馆です。

艺は、芸術を意味します。
よって、ここは漆の芸術品の展示場です。

これは「雕漆山水楼閣人物紋盒」です。
Carved Box with Landscape,
Building and Figure Design
清 乾隆 1736-1795

雕とは、木、竹、玉、金属などに
彫る、刻る、と言う意味があります。
写真の写りが悪く、良く見えませんが、
細かい山水や楼閣、人物の彫刻が施された
漆の盆です。




これは、「雕漆御座」です。
皇帝の御座であったのかもしれません。














ここは、青铜器馆です。

これは、「饕餮紋扁足銅鼎」です。
Flat-footed Tripod, Rirual Vessael
商代  紀元前1600-1100

鼎とは、3本の足、2つの耳を付けた鍋状の器です。
食べ物の煮炊きに用いられただけでなく、
祭祀等にも用いられました。

饕餮(とうてつ)とは、中国神話の怪物です。
体は牛か羊で、曲がった角、
虎の牙、人の爪、人の顔、を持ちます。
「饕」は、財産を貪る、「餮」は食物を貪るの意で、
何でも食べる猛獣と言うイメージから、
「魔を食らう」と考えられ、
魔よけの意味を持つようになりました。

その饕餮を模した紋が施され、扁平な足を持つ鼎です。

時代は、商代と書かれていますが、
殷代とも言われています。
文献では、夏を滅ぼして建てた王朝で、
考古学的に実在が確認されている最古の王朝です。

「饕餮纹大鼎」。
商代  紀元前1600-1100

これも饕餮纹の鼎です。















「立鸟镶嵌几何纹铜壶」。
战国

壺の蓋の頂上、蓋の縁、壺の足に、鳥の像が配されています。

镶嵌とは、象嵌の事です。
象は「かたどる」、嵌は「はめる」と言う意味です。
几何とは、幾何学の事。

よって、これは、鳥の像を持ち、かつ、
幾何学模様の象嵌が施された銅の壺です。

時代は、战国。
战国(戦国)とは、春秋時代に続く戦国時代の事です。











ここは、明清瓷器馆です。
瓷器とは、磁器をさします。磁器は、石の粉末を練って焼いた物です。

これは、「青花云龙纹扁瓶」です。
明永乐

青花は、白地に青色の模様がある陶磁器をさします。
素地にコバルト顔料で絵付けをし、
上から透明の釉楽をかけます。
そのコバルトは鮮やかな青色に発色することから
中国では青花(チンホア)と呼ばれています。
特に景徳鎮が有名です。

そして、云は雲、龙は龍を意味します。
よって、云龙(雲龍)は、雲に乗って昇天する竜を意味します。
これには、雲龍紋が描かれています。

最後に扁瓶とあり、扁平な形の瓶を意味します。

今は、はっきり覚えてませんが、扁平な形してたかな~?


左は、「青花孔雀牡丹紋梅瓶」です。
明 正統 1436-1449

梅瓶とは、
中国陶磁器の形の呼び名です。
口は小さく、上部は丸く張り、
下方に緩やかに狭まるものを
言います。
主に酒瓶として用いられました。

孔雀と、牡丹の花が描かれています。
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右は、「青花八仙祝寿紋罐」です。
明 正統 1436-1449

八仙とは、中国の民間伝承にいう
漢代の以下の八人の仙人です。
鍾離、 張果老、 韓湘子、 鉄拐(てつかい)、
曹国舅(そうこくきゆう)、 呂洞賓(りよどうひん)
藍采和、 何仙姑。

八仙の長寿を祝う紋様が施されています。

「青花花卉紋盖罐」。
清 順治 1644-1661

花卉は、草花を表します。
盖罐は、蓋のある壺をさします。

よって、
これは、草花を題材とした絵が描かれた蓋付きの壺です。


















「五彩八騎迸宝紋花盆」。
清 康熙 1662-1722

花盆は、中国語辞書によると、
植木鉢と言う意味です。

八騎迸宝を
多色で描いた植木鉢です。















このような陶器も展示されています。
















「蓝釉描金粉彩开光转心瓶」。
清 乾隆 

蓝は、青色を意味します。
釉は、陶器の表面に塗る上薬です。
开光は開眼、转は変えると言う意味です。

深く濃い青色の地に金色の彩りを加えた壺です。





















「青花八吉祥紋扁瓶」。
清 乾隆 1736-1795

八吉祥は、以下です。
①螺、②法輪、③宝傘、④白い蓋、⑤蓮華、⑥宝瓶、⑦金魚、
⑧吉祥紐(盤長)

この扁平な形の瓶に、8種の吉祥紋が描かれています。















左は、
「青花海水红彩龙纹瓷盘」です。
清 乾隆 
1736-1795

海水红彩龙纹紋、
すなわち、
波間に赤い龍が
描かれています。

中央は、
「黄地青花龙捧紋
六棱瓶」。
清 乾隆 
1736-1795

龙捧紋とは、
龍が玉を捧げ持っている図と思います。

また、六棱瓶とは、六角の瓶をさします。

よって、黄地に、玉を捧げ持つ龍が青色で描かれている六角の瓶です。

右は、「斗彩八吉祥纹大盘」です。
清 乾隆 1736-1795

斗彩磁器は、明代の宣徳年間に考案され、清代の乾隆年間に入ると、
「五彩」と区別するため、彩磁のなかで青花(青色の文様)のある焼き物を
正式に「斗彩」あるいは「填彩」と呼ぶようになりました。


その他、各種陶器が展示されています。
















ここは、陶艺館(陶芸館)です。
陶器とは、土を練って焼いた物です。

右2つは、
「彩绘天王俑」
です。
唐 618-907

天王とは、仏語で、
欲界六天の
最下天にいる
四天王のこと
です。

傭とは、
墓に副葬する
葬具の一種です。
中国では
人や鳥獣を
木、土、金属などで
かたどった人形を俑と呼び、器物をかたどった明器と区別しています。
両サイドの天王傭は、小鬼像を両足で踏みつけています。

「三彩骆驼俑」。


三彩とは、唐三彩とも呼ばれ、唐代の釉薬で
上絵を施した陶器の総称です。

双こぶラクダの傭です。


















「三彩天王俑」。
唐 618-907

足下に小鬼を踏みつけています。





















「报恩寺琉璃宝塔拱门 」。
明 1368-1644

拱门とは、アーチ型の門の事です。

宝塔は、仏塔の美称です。

琉璃とは、工芸技法の七宝のひとつ。
陶器の上薬の名称でもあります。

中央最上部には、
インド神話に登場する聖鳥ガルーダが、
蛇神ナーガを鷲掴みしているように見えます。
そして、ナーガの顔は、人の顔になっています。








左は、人物の傭です。





右は、「陶牛车」です。
东晋 公元317-420年

东晋は、東晋をさします。






「九枝陶灯」。
东汉 25-220年

9枝に分かれた陶器の照明器具です。

东汉は、東漢、日本では後漢で知られています。


















「嵌绿松石铜鹿」。
战国

绿松石は、トルコ石の事です。

嵌は、嵌め込む、象嵌すると言う意味です。

よって、トルコ石の象嵌が施された青銅製の鹿像です。
トルコ石の象嵌はどこに施されていたのだろう?














「青瓷鳥嘼人物罐」。
西晋 265-316年

鳥獣、人物のレリーフを持つ蓋付きの青磁でできた壺です。




















「金凤冠」。


凤とは、鳳凰(ほうおう)をさします。

鳳凰は、伝説上の鳥王で、
不死鳥の事です。

よって、金の鳳凰の冠です。









金坛城


坛は、祭祀用の台、または、壇の事です。























南京博物院の前の中山東路です。

この中山東路の並木は全て二股になっています。
不思議です。

これは、プラタナスの並木と言う事です。










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