南京には、
長江を遠望できる楼があると聞き、
機会があれば、行って見たいと
思っていました。
と言う事で、
南京出張で、南京到着日の日曜日の夕方、
さっそく出かけて見ました。
ホテルからタクシーで、
閲江楼がある獅子山の麓、
儀鳳門の前へ行きます。
東から儀鳳門を見たところ。
獅子山風景区遊覧図です。
儀鳳門の内側には、
閲江楼へ続く南門があります。
南門の前の牌坊(はいぼう)です。
牌坊をくぐると、南門があります。
南門の階段を登りながら、
儀鳳門を見たところ。
南門をくぐると、こんなのがありました。
でも、読めません。
南門の上から、南京城壁に出ます。
城壁の上から(北西から)、儀鳳門を見たところ。
儀鳳門の上の楼閣を北から見たところ。
閲江楼は、標高78.4mの獅子山の頂上にあります。
PM2.5のせいと思いますが、霞んで見えます。
閲江楼に向け登って行きます。
閲江楼への道です。
牌坊が見えて来ました。
牌坊には、「江南第一楼」と書いてあります。
牌坊を抜けると、閲江楼が見えます。
正面のレリーフには、
明を創始した朱元璋でしょうか、
山の上から家来と共に長江を見下ろし、
川の中に龍が泳いでいる図が
描かれています。
閲江楼まで、あと一息です。
閲江楼の手前の門の扁額には、
「政通人和」の文字があります。
「政りごとに通じ、人が和す。」と言う
意味です。
門の横から、閲江楼を見上げたところ。
この門を抜けると、閲江楼です。
門を抜けると、銅鼎があります。
その向こう、北西に閲鼓楼がそびえています。
鼎は、通常、足が3本で、耳がたった容器で、
物を煮るのに使用されます。
神への犠牲を煮るのに使用され神聖視され、
祭器、礼器、または、王侯の象徴として扱われてます。
この鼎は、足が4本あります。
その反対側、北東を見たところ。
閲江楼を、南から見たところ。
4層7階で、高さは51mあります。
元々、明の創始者、朱元璋が、閲江楼建設に着手しましたが、
城市の整備を最優先し、民に苦役を与える工事を中断しました。
そして、建設が再開される事なく、現代に至り、
1993年に再開され、完成は、2001年9月でした。
完成は、2001年であっても、
ここは中国4大楼閣のひとつとして、
売り出しています。
確かに、空気が澄んでいれば、悠久の長江を見渡せる景色は、
最高だと思います。
閲江楼へ登る前に展望所があります。
PM2.5で霞んだ空気の中に長江を
見る事ができました。
北西を見たところ。
目の前の水色の屋根は、南京西駅です。
その向こうは、長江です。
写真ではわかりにくいですが、
霞の中に
南京長江大橋
が見えます。
閲鼓楼への入口が見当たりません。
仕方が無いので、出口から中へ入ります。
出口の前に人が立っていましたが、誰も咎めません。
後で気がつきましたが、実際の入口は、
この下の階に入口がありました。
閲江楼へ来た限りは、
長江の眺めを楽しむしかありません。
一気に最上階へ登ります。
最上階からの眺めです。
PM2.5の霞の中に、長江が見えます。
水色の屋根の建物は、南京西駅です。
川には、貨物船が行き交っています。
写真ではわかりにくいですが、
北には、うっすらと
南京長江大橋
が見えます。
南京長江大橋
を拡大したところ。
最上階から東を見たところ。
最上階の回廊を回りながら、
景色を楽しみます。
東を見たところ。
南、少し東よりを見たところ。
先程、通って来た門と、銅鼎が見えます。
南を見たところ。
麓に、天妃宮が見えます。
海の守り神として祀られています。
中央が、天妃宮です。
南西を見たところ。
中央左よりに、静海寺が見えます。
静海寺は、鄭和の南海遠征を記念し、
1411年に建立されました。
また、1840年に英国と清の間で、
アヘン戦争が始まり、
1842年に結ばれた不平等条約である
南京条約の会談に使用されたお寺です。
北西を見たところ。
水色の屋根の建物は、南京西駅です。
最上階の天井には黄金の龍のレリーフがありました。
最上階には、
りっぱな机と椅子がありました。
獅子の彫刻が施されており、
百獅台と呼ばれています。
鄭和の乗った宝船(ほうせん)の模型です。
鄭和は、明代の武将で、
永楽帝に仕えた宦官でした。
そして、東南アジア、インド、アラビア半島、
アフリカ東岸への大航海を行った人物です。
その船団で一番大きな船は、
宝船と呼ばれ、
全長120mを越えたようです。
3階から5階の吹き抜けの壁には、
鄭和遠征図が描かれています。
中央上部には、宝船が、
中央下部には、鄭和が描かれています。
一階には、明の歴代皇帝の肖像画が、
展示されています。
一番左が、明太祖の
朱元璋(在位1368-1398)です。
朱元璋は、この獅子山で、
大漢皇帝を称する陳友諒の40万の大軍を、
8万の兵で破り、
明の基礎を築いたと言われています。
また、左から3番目が、明成祖の
永楽帝(在位1402-1424)です。
永楽帝は、鄭和を大航海へ送り出しました。
朱元璋の玉座です。
外に出て、閲江楼を見上げたところ。
私は、間違えて出口から中に入りましたが、
入口は西側にありました。
西から見たところ。
最初に来た銅鼎のあった広場へ
戻りました。
この広場の東の端には、
2層の東屋があります。
その東屋から、東を見たところ。
この先にも、塔楼(孫中山観江亭)が見えます。
東屋から、閲江楼を振り返ったところ。
更に東の端の塔楼まで行ってみます。
途中、閲江楼を振り返って見たところ。
東の端には、孫中山観江亭と銘打った東屋があります。
孫中山は、日本では孫文として知られています。
政治家、革命家であり、
また、初代中華民国臨時大統領でもあります。
1911年の辛亥革命を指導し、清朝を打倒し、
共和制国家の中華民国を樹立しました。
孫中山も、ここ、獅子山から長江を眺めたのだと思います。
次は閲江楼、獅子山の西側の城壁を見に、引き返します。
東から、閲江楼を眺めたところ。
東屋の下から、
東屋、閲江楼を見上げたところ。
閲江楼の南を回って西に向かいます。
途中の石垣の中に、こんな扉が。
大明宮とあります。
南側の景色。
中央右よりに見える白い光は、紫金塔です。
正式には、南京広播電視塔です。
電波塔になっています。
西側の城壁に下る階段を下りながら、
閲江楼を振り返って見たところ。
更に下りながら、振り返って見たところ。
城壁まで下りて、振り返って見たところ。
獅子山西側の城壁です。
城壁の上を歩きながら、城壁を見たところ。
城壁の上から閲江楼を見上げたところ。
城壁から、獅子山の南西に位置する
静海寺を見たところ。
静海寺は、鄭和の南海遠征を記念し、
1411年に建立されました。
また、1840年に英国と清の間で、
アヘン戦争が始まり、
1842年に結ばれた不平等条約である
南京条約の会談に使用されたお寺です。
静海寺です。
城壁の上です。
静海寺です。
城壁の上を、
最初にタクシーを下りた儀鳳門の
前に向け歩きます。
城壁の上です。
儀鳳門が見えて来ました。
でも、まだ、かなり距離があります。
よく、こんな城壁を造ったものだ。
城壁の南に、天妃宮が見えます。
航海、漁業の神、海の守り神として、
媽祖が祀られています。
媽祖は、中国沿海部を中心に信仰を集める
道教の女神です。
狭間です。
ここから、弩(ど)を撃ったのであろう。
弩は、横倒しにした弓に弦を張り、
木製の台座に弓を置き、敵を射ました。
この狭間の形は、
弓を横倒しにした時に使い易く
したのでしょうか?
天妃宮です。
やっと儀鳳門へ着きました。
最後に、もう一度、閲江楼を見上げて、
帰途につきました。
今日もたくさん歩きました。
食事の後、
ホテルのウェルカムドリンクを頂きに
バーへ出かけてみました。
中国製のアサヒ スーパードライが
出て来ました。