2日9日から4泊5日で、名古屋城、松本城、犬山城、岐阜城、彦根城と5つのお城を周って来ました。
まず、初日は、
名古屋城
を訪問し、その後、
熱田神宮
を周り、
二日目は、松本へ移動し、
松本城
を見て周りました。
そして、三日目は、松本から名古屋を経由して犬山へ向かい、犬山城を訪問します。
■朝食、牛乳パン
早朝に、朝食を買おうと出かけたコンビニで、
ご当地名物の一つ、牛乳パンを見つけました。
出発前にホテルで腹ごしらえです。
その牛乳パンです。
牛乳パンを割って見たところ。
信州産小麦とポッポ牛乳を使用した
柔らかいパン生地に、
たっぷりのクリームが挟まれています。
■松本駅から見た北アルプス
朝食の後は、
名古屋行きの特急しなの2号に乗る為に
松本駅へ向かいます。
JR松本駅の東口横にあった旧松本駅の表札です。
国鉄松本駅は、明治35年(1902)に開業し、
改築を経て昭和22年に焼失し、
昭和23年の駅舎再建に伴い掲出された表札です。
少し早目に駅に着いたので、駅の周りをぶらつきます。
松本駅二階の自由通路を西口へ向け歩いて行くと
ゴジラ像があります。
松本市出身の山崎貴監督が手がけた「ゴジラ-1.0」が
米アカデミー賞を受賞した事に感銘を受けた有志によって
作られたと言う事です。
そのゴジラ像です。
松本駅二階の自由通路の西の端から、
湿ったガラス越しに、
西側の景色を見たところ。
西には、
雪化粧をした北アルプスの山々が見えます。
左に、北アルプス南端に位置する
乗鞍岳が見えます。
右端のマンションの蔭に見える山は、
常念岳です。
中央、左側の雪をかぶった山は、
大滝山です。
右側のマンションの陰になっている山は、
常念岳です。
乗鞍岳です。
乗鞍岳は、北アルプスの南端に位置し、
3026mの剣ヶ峰を最高峰とする山です。
松本駅からは、西、少し南よりに見えます。
西、少し北よりを見たところ。
右端が横通岳で、その左が常念岳です。
左側の雪をかぶった山は、大滝山です。
中央、左が常念岳で、右が横通岳です。
湿ったガラス越しの撮影では、
ボヤけたり、反射が写り込むので、
松本駅の西口一階へ下りて、外へ出てみます。
できるだけ障害物を避けながら、
中央左よりに乗鞍岳を見たところ。
北西を見ると
中央、左に常念岳、
右に横通岳が見えます。
常念岳の左側裾の小さなコブの辺りに
わかりにくいですが、
鋭く尖った槍ヶ岳の尖端が見えます。
■特急しなの2号からの景色
時間が来たので、松本駅の改札を入って、
特急しなの2号の到着を待ちます。
ホームへ入って来る特急しなの2号です。
特急しなの2号へ乗って名古屋へ向かいます。
中央本線の上松周辺の景色です。
上松から南木曽へ向かう途中の景色です。
木曽川を挟んだ対岸に、
関西電力の水力発電所の
桃山発電所が見えます。
上松、南木曽間の景色です。
山の左よりの麓に須原発電所が見えます。
木曽川水系一帯の発電所で、
唯一、発電機の発する熱を逃がす為の換気口が
屋根の上の尖塔に設置されています。
南木曾へ向かって、下って行きます。
南木曾手前の景色です。
中央本線の恵那周辺の景色です。
中央に見える山は、岐阜県恵那市の笠置山です。
10世紀後半に在位した花山天皇が、
京都の笠置山に似ていると言われた事から
呼ばれるようになっています。
特急しなの2号で名古屋へ行き、名古屋から
名鉄犬山線で、犬山へ向かいます。
■犬山城下町
名鉄の犬山駅で下りて、
駅前広場の片隅にあった秋葉神社です。
鳥居の柱には、冨士見町守護神とあります。
犬山駅を出て、西へ進むと、本町通りに出て、
本町通りを北へ、犬山城へ向けて進みます。
本町通りを北へ進んで行くと、
正面に、城山(85m)に建つ犬山城が見えてきます。
北へ進んで行きます。
正面は、犬山城です。
本町通りを北へ進んで行きます。
本町通りを北へ歩きます。
本町通りを北へ進んで行くと、
右手に魚新通りが東に向け伸びています。
本町通りから、魚新通りが分かれている
魚新通りの正面にあった
香味茶寮 壽俵屋(じゅひょうや) 犬山井上邸で、
少し早い昼食を頂きます。
旬の魚として進められた
ぶり粕漬け定食を注文しました。
美味しかったです。
昼食を済まして、北へ少しの所、右手に
「高札場、問屋場、火の見櫓跡」と書かれた
石碑が建ってます。
その石碑の向こう、北側には、
本町の説明があります。
本町は、本町通の左右に、
南から、下本町、中本町、上本町と並んでおり、
この付近は、上本町で、高札場があり、
町民に各種の「触れ」が掲げられたり、
問屋場や呉服屋、酒屋などがありました。
また、享保17年(1732)には火の見櫓も建てられています。
更に、北へ進むと、
右手に本町車山蔵があります。
寛永12年(1635)に始まったとされる
犬山祭の車山を収納する蔵で、
本町のこの車山蔵は、明治42年(1909)に
建設されたものです。
本町の車山蔵には、
3層の車山を2層まで組み立てた状態で入れる事ができ、
美しい板扉と漆喰の塗籠の壁となってます。
本町通りを北へ、犬山城へ向け進みます。
犬山城への正面通りである本町通りを進んで行くと、
正面に針綱神社の鳥居が見えてきます。
本町通りを北へ進んで行くと、
右手に「大手門いこいの広場」があります。
「大手門いこいの広場」の
前にあった犬山城下絵図です。
元文5年(1740)に描かれた絵図を、
明治4年(1871)に写したものです。
本町通りを、まっすぐ北へ進んで行きます。
■三光稲荷神社
本町通りの正面に建つ針綱神社の鳥居です。
その針綱神社の西側には、
三光稲荷神社があります。
まず、三光稲荷神社へお参りし、
その後、針綱神社へお参りし、
犬山城へ行く事にします。
一の鳥居をくぐり、見上げると
二の鳥居、三の鳥居と続いています。
二の鳥居をくぐると
右手に手水舎があります。
階段を上って進んで行くと、左手に
猿田彦神社があります。
右端は、本殿へ向け上る階段です。
三の鳥居です。
三の鳥居の先の階段を上ると
三光稲荷神社の本殿です。
左端は、猿田彦神社です。
三の鳥居をくぐり、階段を上ると
本殿があります。
三光稲荷神社の創建は、
明らかではありませんが、古くは、
三狐寺山(現在の丸の内緑地公園内)に鎮座し、
織田信長の叔父の初代犬山城主、
織田信康によって尊崇せられ
江戸時代以降は犬山城主、
成瀬家の歴代の守護神として祀られてきました。
本殿の前には、狛犬ならぬ狛狐がいます。
本殿に向かって、右側の狛狐です。
口を閉じた吽形の狛狐です。
左脚は、
稲荷大神の霊徳を表す玉(宝珠)の上に
載せられています。
本殿に向かって、左側の狛狐です。
口には知恵を象徴する
巻物を咥えています。
本殿に向かって、境内の右手、東側に
三狐稲荷社と姫亀神社があります。
三狐稲荷社は、天狐、地狐、人狐が祀られており、
悪縁を断つ事ができます。
姫亀神社は、悪縁を断ち切った後に、
恋愛や結婚、就職などの良縁を結ぶことが
できます。
その姫亀神社の社の横に
注連縄が結ばれた梛(ナギ)の木があります。
梛の木は、その葉脈の形状と性質から、
縁結びの後利益有りとして
信仰の対象とされています。
梛の葉を鏡台の引き出しに忍ばせておくと
愛する人と結ばれたり、
財布へ入れるとお金との縁が切れないと
言われています。
本殿の横、東側には、
朱塗りの鳥居が無数に並ぶ参道があります。
この道は、犬山城へ登城する道、北側から
神社へ入って来る参道です。
その参道を北へ、犬山城へ登城する道へ出て、
ふり返って見たところ。
■針綱神社
三光稲荷神社へお参りした後は、
もう一度、針綱神社の一の鳥居の前に戻ります。
その鳥居の手前右には、
「尾張五社 針綱神社」の標石が建ってます。
尾張五社とは、「尾張五社略記」に記された
熱田神宮
、津島神社、千代保稲荷神社、
尾張大國霊神社、針綱神社を指します。
針綱神社の一の鳥居をくぐると
正面に反橋があります。
反橋を過ぎて、すぐ、左手に
手水舎があります。
そして、階段を上がると、
二の鳥居があります。
まっすぐ進んで行くと、
多くの末社が並んでいます。
正面は、その末社の一つ、秋葉社です。
その手前を右に折れて参道は続きます。
そして、更に左に折れて、大きな階段が続きます。
階段を上ると、拝殿があります。
針綱神社は、太古より、犬山の峰に鎮座され、
濃尾の総鎮守でした。
古くは犬山城天守閣近くに鎮座してましたが、
天文6年(1537)、犬山城築城に際し、
東方の山、白山平へ遷座、
その後、市内名栗町へ遷座し、
明治維新後、現在地に遷座されています。
祭神は、
尾治針名根連命、玉姫命、伊邪那岐命、菊理姫命、
大己貴命、建筒草命、建多乎利命、建稲種命、
尻調根命(尾綱根命)、大荒田命です。
拝殿の西側にあった神馬像です。
神馬の横腹には、左三つ巴の社紋が入ってます。
拝殿、本殿の横を北へ進むと、
神馬舎があります。
神馬舎の中には、白馬像があります。
神馬舎の中の白馬像です。
神馬舎の西側横にあった
鈴木朖の銘文のある常夜燈と愛宕社です。
鈴木朖は、尾張藩士で、本居宣長門下の俊英、
尾張藩明儒堂教授です。
この常夜燈には、
犬山の大商人、犬飼藤九郎の依頼を受けて、
鈴木朖が書いた銘文が入ってます。
■犬山城
針綱神社を北へ出ると、
犬山城へ向かう大手道があり、
その大手道を登って行きます。
大手道を上った先、右よりに、
鉄門(くろがねもん)が見えます。
中央、左よりの石垣の上には、
小銃櫓が建っていました。
大手道を上った先に、鉄門があります。
鉄門から続く本丸の南西角の石垣の上には、
小銃櫓が建っています。
小銃櫓です。
鉄門です。
江戸時代には、本丸を守る最後の関門として、
鉄金具が打たれていました。
古絵図から
門の上が櫓になっている櫓門と推定され、
復元されています。
鉄門を抜け、本丸に入ります。
本丸の北西に
三重四階地下二階の天守が建ってます。
犬山城は、天文6年(1537)に
織田信長の叔父、織田信康によって、
木之下城を移築して築いたと言われています。
南、正面から天守を見たところ。
天文16年(1547)、織田信秀が美濃の斎藤氏を攻めた
稲葉山城攻めに出陣した織田信康が死去し、
その息子、信清は、織田信長に反抗した事で攻められ、
織田信長の乳兄弟の池田恒興が犬山城の城主になります。
天正10年(1582)、「本能寺の変」で織田信長が倒れ、後継者争いで
天正12年(1584)に羽柴秀吉と、
徳川家康、信長の次男の織田信雄との間で
「小牧長久手の戦い」が起きます。
そして、和が結ばれた後、犬山城の城主は、織田信雄となります。
その後、犬山城主は、めまぐるしく変わり、
文禄4年(1595)に秀吉の家臣、石川光吉が城主に、
慶長5年(1600)の関ケ原の合戦後、家康方の小笠原吉次が
城主となってます。
天守に向け歩きながら、天守を見たところ。
江戸時代に入り、元和3年(1617)に、
尾張徳川家の重臣、成瀬正成が犬山城を拝領します。
そして、正成が城主の時代に、改修が加えられ、
現在の天守の姿となり、以後、成瀬家が城主を務めます。
そして、明治になると、廃藩置県で、
犬山城は愛知県の所有となり、
天守以外のほとんどの建物が、取り壊されます。
明治24年(1891)、マグニチュード8.4の濃尾大地震で天守が半壊し、
明治28年に修理を条件とし旧藩主の成瀬家に贈与され、
義援金を募り、修理が行われました。
そして、昭和10年、犬山城は国宝に指定され、
個人所有の城として保存されてきましたが、
現在は、犬山城白帝文庫の所有になってます。
犬山城の天守です。
三階には、唐破風が見え、
重厚感が表現されています。
また、天守の一階、入口の右斜め上には、
東南付櫓がつき出ており、
天守の入口が、破られそうになった時、
側面から攻撃を加えられるようになってます。
天守に向かって進んで行くと
高節凌雲霄の石碑があります。
第九代犬山城主、成瀬正肥は、
幕末から明治にかけて、国政の難しい時期に、
尾張藩主、徳川慶勝を助け、
勤王の立場で諸問題を解決した功績を顕彰する碑です。
天守に向かって右側に、
大杉様と呼ばれる御神木があります。
犬山城築城頃からの老木で、
天守閣と同じくらいの高さがあり、
落雷時には身代わりに、台風の時には風よけになり、
城を守る御神木として崇められてきましたが、
1965年頃枯れてしまったと言う事です。
天守入口の手前から、
天守を見上げたところ。
天守への入口です。
入口を入ると地下二階です。
地下二階です。
地下二階から、地下一階を見上げたところ。
地下一階へ上がります。
天守を支える石垣や、太い梁があります。
地下一階です。
一階へ上がります。
東南付櫓の内部です。
東南付櫓の屋根裏を見上げたところ。
天守一階です。
天守構造の大要の説明があります。
一階は、中央部が四部屋に区画されており、
南西部に上段の間、北西部に武者隠し、
東二間は納戸です。
その周囲を、武者走りが取り巻いています。
一階の武者走りに展示されていた甲冑です。
西北付櫓の内部です。
柱には、「石落しの間」とありますが、
床に石落しする穴がありません。
鬼瓦の展示です。
この鬼瓦は、
犬山城に伝来する最も古い瓦の一つで、
江戸時代初期の物とされています。
宝珠を背負った亀が
岩を歩く姿を表現しており、
吉祥を表しています。
天守の西の窓から、西側の景色を見たところ。
木曽川が、中央の伊木山を巻くように流れ、
木曽川に架かるライン大橋が見えます。
上段の間です。
上段の間は、創建当時の城主の居間で、
その北側の板戸の向こうには、
武者隠れがあります。
犬山城の木造模型です。
一階、中央部の四部屋
(上段の間、武者隠し、納戸2部屋)を
囲む武者走りです。
下の階段は、地下から一階へ上がる階段です。
左斜め上の階段は、一階から二階へ上がる階段です。
天守の二階へ上がります。
二階の中央部に武具の間があり、
その周囲を武者走りが囲んでいます。
左が武具の間で、右が武者走りです。
西側の窓から、外の景色を眺めたところ。
木曽川が西へ向かって流れ、
木曽川の右に、伊木山が見えます。
木曽川の左側には、
犬山丸の内緑地が見えます。
木曽川に架かる橋は、ライン大橋です。
二階の武具の間です。
部屋の周囲には、
武具を置く武具棚が設置されています。
犬山城の天守の解体骨組模型(S=1/10)の展示があります。
武具棚の上には、国宝五城
(松江城、姫路城、犬山城、彦根城、松本城)の
写真が掲示されています。
二階から三階へ上がる階段です。
三階へ上がります。
天守の三階です。
左より奥に、唐破風の間が見えます。
唐破風は、成瀬氏によって、
天守の南北に施されています。
その唐破風の内側は、
唐破風の間と呼ばれています。
南側の唐破風の格子窓から、
外を見たところ。
眼下に本丸があり、
中央、左よりに櫓門の鉄門が見えます。
東西には、入母屋破風が施されており、
その内側は、入母屋破風の間です。
そして、天守の四階、望楼へ上がります。
四階、望楼から、南東を見たところ。
右よりに見える山は、左から
尾張冨士(275m)、本宮山(292m)、楽田山(222m)が
見えます。
南へ視線を動かします。
中央、地平線に見える山は、左から
尾張冨士(275m)、本宮山(292m)、楽田山(222m)が
見えます。
南を見たところ。
中央辺りに、名古屋の高層ビル群が見えます。
名古屋の高層ビル群を拡大したところ。
中央、右より、高層ビルの手前に、
小さな緑地、小牧山(85.9m)が見えます。
戦国時代には、
織田信長がこの小牧山へ城を築きました。
現在は、山頂に小牧山歴史資料館が建ってます。
西を見たところ。
正面に伊木山(173m)があり、その横を
木曽川が西へ向け流れています。
木曽川には、ライン大橋が架かっています。
左端に、犬山丸の内緑地が見えます。
視線を少し北へ向けて動かします。
伊木山の右側、岐阜市の高層ビルが見えます。
中央に岐阜市の高層ビルが見えます。
中央、左よりに、
薄っすらと伊吹山(1,377m)が見えます。
中央、右側には、
岐阜城の建つ金華山(329m)が見えます。
その拡大写真です。
左端、遠くに、伊吹山が見えます。
中央、左よりに、
JR岐阜駅の北西に建つ高層ビル、
岐阜シティタワー43や、岐阜スカイウィング37が
見えます。
右側には、岐阜城の建つ金華山が見えます。
北、少し西よりを見たところ。
目の前の木曽川を渡った対岸は、岐阜県です。
木曽川の向こうに見える山は、左から
愛宕山(269m)、双子山(248m)、
八木山(296m)です。
北、少し東よりを見たところ。
中央、左より向こうに、
金毘羅山(383m)、明王山(380m)が見えます。
右端は、木曽川に架かる犬山橋です。
北東、木曽川の上流方向を見たところ。
左側の頭がとび出た山は、両見山(340m)です。
東、少し北よりを見たところ。
左端は、木曽川です。
四階、望楼からの景色を見た後、
天守を下りて行きます。
四階から三階へ下りる階段です。
三階から二階へ下りる階段です。
階段の向こう側は、入母屋破風の間です。
東南付櫓の内側です。
地下一階へ下りたところ。
そして、出入口のある地下二階へ下ります。
天守を出て、本丸跡を見たところ。
天守を出て、すぐ左側にある御神木の大杉様です。
天守を出て、
まっすぐ南へ進んで行くと左手に
「犬山城の歴史」の説明があります。
本丸の鉄門を出て、大手道を下って行くと
大手道がクランク状に折れ曲がっており、
そこに黒門跡があります。
更に大手道を下ると、
「史跡犬山城跡 城郭の構造と役割」の説明があります。
その先に、松の丸門跡と、矢来門跡があります。
江戸時代には、
針綱神社から三光稲荷神社の辺りは、
松の丸と言う曲輪があり、
松の丸御殿がありました。
この場所には、
大手道から松の丸へ出入りする為の
松の丸門が建っていました。
その松の丸門跡です。
更にその先に、矢来門跡があります。
矢来門は、城郭部分の入口にあたる中門の次の門です。
矢来門と、その次の黒門との間で
敵を狭殺する工夫がされていました。
大手道を下って行き、
中門があった辺りに出ます。
そこには、
犬山城や天守についての
説明があります。
また、郭、及び、門、櫓の名称の
案内があります。
■木曽川沿いから見た犬山城
犬山城を見た後は、
西谷と呼ばれる城山の西側の山麓へ向け下り
木曽川沿いを歩いてみる事にします。
西側の山麓へ下りながら、
中央に木曽川に架かるライン大橋を
見たところ。
下って来た三光稲荷神社方向をふり返ったところ。
西谷へ向け下りながら、
城山の頂上に顔を出す犬山城を
見上げたところ。
木曽川に沿った道へ出るまで、
坂道を下って行きます。
この辺りは、西谷と呼ばれる曲輪があり、馬場や、
木曽川を流してきた材木を取り入れ保管する
材木小屋があったようです。
木曽川に沿った道へ出て、
木曽川に沿って、北東へ進みます。
犬山城を見上げたところ。
その犬山城をズームUPしたところ。
木曽川に沿った道を進んで行くと、
トンネルがあります。
城山の麓から、犬山城を見上げたところ。
トンネルを抜けて、
木曽川の岸から、ライン大橋を見たところ。
ライン大橋は、
橋梁部と、頭首工(堰)部から構成されており、
頭首工部は、水位を調整し、
濃尾用水の取水量を制御しています。
ライン大橋の名前は、
木曽川がドイツのライン川の景観にたとえられ
日本ラインと呼ばれる事に由来しています。
抜けて来たトンネルをふり返ったところ。
木曽川に沿って、北東へ進みます。
木曽川に沿って進んで行くと、
城山の際を流れて木曽川に合流する新郷瀬川があります。
その新郷瀬川を渡って、北東へ進みます。
木曽川に沿って進みながら、
城山の上に建つ犬山城を
ふり返って見たところ。
ふり返って見ると、
犬山城が城山の断崖絶壁の上に建っているのが
わかります。
犬山城を北東から見たところ。
犬山城をふり返ったところ。
途中、犬山城をふり返りながら、
木曽川に沿って進んで行きます。
木曽川に沿って進みながら、
前方には犬山橋が見えます。
犬山橋の南側の袂から、
犬山城を見たところ。
木曽川の向こうには、伊木山が見えます。
犬山橋を渡りながら、犬山城を見たところ。
伊木山の上空には、飛行機が飛んでいます。
その飛行機を拡大して見たところ。
伊木山の西に位置する
航空自衛隊岐阜基地所属の
C-2輸送機(初号機)のようです。
犬山橋を渡りながら、
南西の景色を見たところ。
木曽川が流れ、中央、右よりに伊木山が見えます。
左に犬山城が建つ城山が見えます。
犬山橋を渡りながら、
右に伊木山、左に城山を見たところ。
犬山橋を渡り終え、城山の対岸を
木曽川に沿って南西へ進みます。
犬山城の対岸から、犬山城を見たところ。
木曽川に沿って進みながら、
犬山城を見たところ。
木曽川越しに犬山城を見たところ。
犬山城を拡大して見たところ。
対岸から見る犬山城です。
北から見た犬山城です。
城山全体を見たところ。
川の中に頭を出した岩場で、
鳥たちが休んでいます。
北から城山を見たところ。
北から見た犬山城の天守です。
すすき越しに見た犬山城です。
木曽川に沿って進みます。
川には、オオバンが泳いでいます。
下流、南西方向を見たところ。
ライン大橋が見えます。
下流に向け進みながら、犬山城を見たところ。
犬山城を北西から見たところ。
犬山城です。
犬山城です。
城山に建つ犬山城です。
ライン大橋の手前から、
ライン大橋を見たところ。
中央、左よりは、城山で、
右端はライン大橋です。
東、少し北よりを見たところ。
右側に犬山城が見えます。
犬山城を北西から見たところ。
犬山城です。
木曽川に沿って歩きながら、
犬山城をふり返ったところ。
北西から見た犬山城です。
木曽川に架かるライン大橋まで来ると
ライン大橋を南へ渡ります。
ライン大橋を渡りながら、
木曽川上流方向を見たところ。
西から犬山城を見たところ。
ライン大橋を渡りながら、
木曽川下流方向を見たところ。
右に見える山は、伊木山です。
ライン大橋を渡りながら、
犬山城を見たところ。
西から見た犬山城です。
ライン大橋を渡りながら、
犬山城を見たところ。
城山の西側、西谷の曲輪のあった辺りを
見たところ。
左側の大きな屋根の建物は、
旅館「灯屋 迎帆楼」です。
右側の岸の上には、
木曽川遊覧の遊覧船が並んでいます。
西から犬山城を見たところ。
右端は犬山城です。
ライン大橋を渡りながら、
犬山城を見たところ。
左側に木曽川、右側は城山です。
中央は、城山の上に建つ犬山城です。
その下には、旅館「灯屋 迎帆楼」があり、
その手前、岸の上に木曽川遊覧の遊覧船が
並んでいます。
ライン大橋の南側の袂から、
犬山城天守を見たところ。
ライン大橋を渡ると、
針綱神社の鳥居の前に戻り、
針綱神社の前の坂道を東へ下ります。
下って行くと郷瀬川があり、
橋の上から、郷瀬川を北を向いて見たところ。
左側は城山です。
橋の上から、郷瀬川を南を向いて見たところ。
郷瀬川に沿って南へ、瓦坂橋を渡って南へ、
魚新通りへ出ると東へ進みます。
魚新通りを東へ進んで行くと、
クランク状に通りが折れ曲がっています。
城下町と周囲の村々へ出入りする人を見張る
木戸と呼ばれる門扉が
外堀の出入口六ケ所に設けられていました。
ここには、今は外堀も木戸もありませんが、
その内の一つだったようです。
名鉄の犬山駅へ戻ります。
次は、名鉄犬山線で、岐阜へ向かいます。