真夏の暑い真っ盛りに、管弦祭は行われます。
平安時代には、貴族が池や河川に船を浮かべ
優雅に管絃の遊びを行っていました。
平清盛は、神様をお慰めする神事として、
管絃の遊びを厳島神社で執り行うように
なりました。
写真は、厳島神社のある宮島です。
管絃祭は、海の神事で、潮の干満を考慮して、旧暦6月17日に行われます。
夕方、日が傾く頃に、出御され、夜半に環御されます。
概略の予定は以下です。
16:00 … 厳島神社の本殿で発輦祭(はつれんさい)を執り行います。
17:00 … 御本殿出御
17:40 … 大鳥居前の儀を行い、対岸の地御前神社へ向かいます。
19:00 … 火立岩(ほたていわ)の前で一時停船し、潮が髙くなるのを待ちます。
20:20 … 地御前神社
21:40 … 長浜神社
22:30 … 大元神社
23:10 … 火焼前(ひたさき)
23:30 … 客神社前
24:00 … 御本殿環御
宮島に向かうフェリーから
大野瀬戸の方向を
見たところ。
厳島、いわゆる宮島です。
■厳島神社~御本殿出御~大鳥居前の儀
厳島神社の大鳥居が見えて来ます。
既に4時を回っており、
発輦祭が始まっている頃です。
大鳥居の前では、御祭神がお乗りになる
御座船(管絃船)の準備が整っています。
御座船(管絃船)です。
呉市阿賀の曳航船二艘も見えます。
フェリーは、大鳥居の前を過ぎて、
宮島の桟橋へ向かいます。
御座船(管絃船)です。
フェリーから
千畳閣と五重塔を見たところ。
海上には、別の船が浮かんでいます。
広島市中区江波の曳航船のようです。
厳島御用と書かれた提灯が
ぶら下がっています。
大鳥居方向を見たところ。
大きな黒い屋根が千畳閣で、
その横に五重塔が見えます。
宮島へ到着し、海岸沿いを厳島神社へ向け歩きます。
前方に黒い大屋根の千畳閣と五重塔が見えます。
五重塔です。
大鳥居が見えてきました。
丁度、干潮で潮がひき、海底の地面が
見えています。
地面は、繁茂したアオサでいっぱいです。
そして、観光客が、大鳥居の更に向こうの
御座船まで歩いて行ってます。
潮がひいた海底へ下りてみます。
本殿方向を見たところ。
そして、大鳥居を見たところ。
宮島のシンボルの大鳥居です。
大鳥居の根元で何やらやっています。
鳥居にくっついたフジツボを利用して、
お金を供えているようです。
大鳥居です。
歩いて来れるのは、干潮の時だけです。
鳥居を過ぎて、御座船へ向かう途中で、
鳥居をふり返ったところ。
さっきフェリーから見た御座船です。
大鳥居をふり返ったところ。
中央が御座船です。
左右両側に、呉市阿賀の曳航船です。
大鳥居、本殿をふり返ったところ。
大鳥居です。
人がたくさん集まっています。
先ほどまで、海底だった地面は、水浸しです。
スニーカーの私は、水が入らないように、
気を使って歩いていましたが、
浸みて入って来る水には逆らえません。
あきらめました。
千畳閣の大屋根、その下には、海岸沿いの
参道が見えます。
御座船と、両脇に曳航船です。
大鳥居、本殿をふり返ったところ。
御座船、曳航船を見守る人達です。
御座船や、曳航船が波で流されないように
ロープで引っ張っています。
大鳥居、本殿方向を見たところ。
普段、海底である地面に立って、
大鳥居や、本殿を見る事は無いので、
貴重な体験です。
午後4時を過ぎたとは言え、
この時期の日差しは強い。
鳥居の方へ帰ってみます。
大鳥居です。
鳥居の下には、たくさんの人がいます。
西から大鳥居を見たところ。
そう言えば、この大鳥居、
柱が地中深く埋められているのではなく、
自重で立っていると言う事です。
木なのに、そんなに重く、台風時の波とかに
耐えられるの?って、
不思議に思ってしまいます。
鳥居上部の屋根の下に横に通っている島木は
箱形の造りになっていて、
中にはこぶし大の玉石7トンが入って
重しになっていると言う事です。
鳥居を南西から見たところ。
鳥居の屋根の下には、
三日月が描かれています。
その反対側、北東には、
太陽が描かれており、
鬼門封じの意味が込められています。
厳島神社の南西、小高い山の上に
多宝塔が見えます。
この多宝塔は、
大永3年(1523年)に建立された
と伝えられています。
潮が引き、
アオサで覆われた地面が現れ、
そこへコサギが来ていました。
厳島神社を西から見たところ。
五重塔、木の陰になっている千畳閣方向を見たところ。
右側に厳島神社、
中央に五重塔を見たところ。
厳島神社の平舞台から大鳥居に向け、
海へ突き出た火焼前(ひたさき)には、
御本殿出御の為、
海底の地面へ下りる板が
設置されているのが見えます。
厳島神社です。
そろそろ、御本殿出御の時間の5時になるので、
火焼前(ひたさき)の前に行って見ます。
火焼前から地面に下りる板が設置されています。
火焼前(ひたさき)の前から大鳥居を見たところ。
高舞台の上に、お祭り衣装の子供が出て来ました。
いよいよ御本殿出御が始まりそうで、期待が膨らみます。
高舞台の上に大人も出て来ました。
平舞台の上に、
子供を肩車した4組の子供と大人が
並んでいます。
平舞台の上の人達が動き出しました。
御本殿出御が始まったようです。
火焼前(ひたさき)の前に設置された板の上を
人が下りてきます。
子供を肩車した人、旗を持った人、たくさんの人達が
行列になってます。
その行列です。
笛を吹いている人もいます。
御鳳輦(ごほうれん)と呼ばれる御神輿が見えてきます。
御鳳輦(ごほうれん)とは、
屋根の上に金銅の鳳凰を飾りつけた輿の事です。
この中に、御祭神の宗像三女神、
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、
田心姫命(たごころひめのみこと)、
湍津姫命(たぎつひめのみこと)が
鎮座されているのであろうか?
御本殿の出御です。
御鳳輦(ごほうれん)が白い衣装の担ぎ手に
担がれて進んで来ます。
神輿の屋根の上には、金色に輝く鳳凰が
飾り付けられています。
御鳳輦(ごほうれん)が
目の前を通り過ぎて行きます。
行列の歩みは緩やかで、
もう一度、この行列の先まで、
追い越して行ってみます。
先ほどの御鳳輦(ごほうれん)が
やって来ます。
鳳凰の飾りを乗せ、
金と赤の神輿が、華やかです。
鳥居に近づいてきました。
もう一度、鳥居の先まで行って、
神輿を待つことにします。
鳥居の先から神輿を待ちます。
行列が鳥居をくぐって行きます。
人がたくさん集まっています。
肩車された子供が見えます。
鳥居をくぐって、行列がやって来ます。
御鳳輦(ごほうれん)がやって来ます。
笛を吹いている人がいます。
左側に、管弦で使用する釣太鼓を持って
運んでいる人もいます。
御鳳輦(ごほうれん)です。
御鳳輦(ごほうれん)がやって来ます。
そして、一行が御座船へ乗ります。
御鳳輦(ごほうれん)も
御座船まであと少しです。
御座船の手前が少し深そうです。
足をとられないように気をつけて
乗り込みます。
御座船へ乗り込む人達です。
そして御鳳輦(ごほうれん)も
御座船へ向かいます。
御座船へ乗って行きます。
足元に気をつけて。
乗り込んで行きます。
たくさんの人が見守っています。
みんなが乗り込んで行きます。
乗り込んで行きます。
御祭神が御座船に移られました。
大鳥居をふり返ったところ。
気のせいか、少しづつ、
潮が満ちて来ているように感じます。
御座船を見送る人々。
もうすぐ大鳥居前の儀が始まり、
その後、地御前神社へ向かいます。
御座船を見送る人々です。
潮が引いた海底で写真撮影をしています。
海上には、御座船を地御前神社へ曳航する
曳航船がスタンバイしています。
曳航船は、広島市江波の漕伝馬と、
呉市阿賀の漕船2隻です。
写真中央は、6丁の櫓(ろ)を持つ
阿賀漁協の阿賀丸です。
江波の漕伝馬保存会の漕伝馬です。
14丁の櫂を備えています。
元禄14年に御座船が地御前神社から
宮島へ帰還する途中、
暴風雨で転覆寸前だったところ
阿賀の鯛網漁船と、
厳島神社へ参拝に来ていた江波の漕伝馬が
救助し本殿へ曳航しました。
それ以来、阿賀と江波の漕船が、
御座船の曳航をするようになりました。
御座船です。管絃船とも呼びます。
御座船は、和船を3艘並べて、
一艘に船組されています。
大鳥居をふり返ったところ。
寄せる波が強くなり、
潮が満ち始めています。
御座船からは、
管絃の音楽が鳴り始めます。
大鳥居前の儀が始まりました。
大鳥居前の儀の後は、
江波と阿賀の曳航船によって、
対岸の地御前神社まで、
曳かれて行きます。
私も、対岸へ引き返し、
地御前神社まで行って見る事にします。
まだ、たくさんの人が、
御座船を見送っています。
対岸へ引き返す前に、
もう一度、大鳥居を良く見てみます。
下から見上げたところ。
鳥居の高さは、16mあります。
斜め横から見たところ。
鳥居の主柱の根元です。
鳥居は、腐りにくいクスの自然木が使われています。
下から見上げたところ。
扁額に書かれている文字は、
海側と神社側で文字が違います。
海側は、嚴嶋神社、そして、
神社側は、伊都岐島神社と
書かれています。
大鳥居の影が大きく伸びています。
なごり惜しいですが、対岸へ渡る為に、
フェリー乗り場へ急ぎます。
厳島神社にも別れを告げます。
かなり日が傾いてきています。
沖合には、
御座船と、御座船を見守る船が
浮かんでいます。
海岸沿いの参道から、
鳥居方向をふり返ったところ。
■火立岩
地御前神社へ向かうために宮島の対岸へ渡ります。
但し、御座船が地御前神社へ向かう前に、
御座船は、地御前神社前へ船がつけられるように、
火立岩(ほたていわ)の沖合で、潮が満ちるまで、潮待ちをします。
フェリーが対岸の宮島口へ着くと、
広島電鉄の電車に乗り、
火立岩(ほたていわ)に近い
阿品東駅で降ります。
駅の前から沖合を眺めたところ。
手前に、広島で有名な牡蠣の
抑制棚が見えます。
潮の満ち引きで、牡蠣が日に当たる時間と
海水に浸かる時間を持つ事により、
牡蠣に抵抗力がつきます。
その牡蠣を牡蠣筏へ吊るし育てる事で、
美味しい牡蠣に成長します。
既に沖合に御座船を見る事ができます。
御座船と、
御座船を曳航する曳航船だけでなく、
取り巻きの船が連なっています。
火立岩は、今は既に無くなっており、
海岸には、牡蠣の抑制棚が連なっています。
かなり長いです。
火立岩(ほたていわ)跡の標柱です。
火立岩の名前は、御座船がこの辺りで
火を点じた事に由来します。
また、火立岩は、
厳島合戦(1555年)の折りに
毛利軍が、荒天をつき、この辺りから出船し、
陶晴賢の大軍を破ったと言う事です。
目の前に、広島牡蠣の抑制棚が見えます。
向こうに見える島が宮島です。
火立岩沖の御座船と曳航船です。
ここで、潮が満ちて、地御前神社前へ
船がつけれるようになるまで、
潮待ちをします。
■地御前神社
御座船が火立岩沖で
潮待ちをしている間に
国道2号線を歩いて、
地御前神社へ向かいます。
地御前神社が見えてきました。
この湾に御座船が入って来ますが、
今は潮が満ちている最中で、
御座船が入って来るには、
まだ少し早そうです。
国道2号線と平行に走っている
広島電鉄の線路を渡り、
地御前神社へ向かいます。
神社へ人が集まって来ています。
神社の前の鳥居です。
地御前神社は、厳島神社の外宮として、
厳島神社と同じ593年に創建されたと
伝えられています。
御祭神は、これも厳島神社と同じく、
宗像三女神の
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、
田心姫命(たごころひめのみこと)、
湍津姫命(たぎつひめのみこと)です。
そして、地御前の名前は、島ではなく、
本土側の陸地にあると言う事で、
「地の御前の社」と称されていた事に
由来します。
そして、御座船がやって来る
地御前塵社の前の浜に出てみます。
御座船が着く雁木には、
もう人が座って待っています。
江波の漕伝馬が先行して
やって来ました。
江波の漕伝馬です。
四斗樽の上に立った台振りに合わせて、
船を漕いでます。
浜までもう少しです。
江波の漕伝馬です。
浜に到着しました。
漕伝馬の向こう、海に出て行く小さな船は、
潮待ちをしている御座船を
迎えに行く御迎船でしょうか?
日が沈み、暗闇の中から
御座船がやって来ました。
篝火を灯した船がやって来ます。
船影が浮き上がってきます。
御座船です。
あともう少しです。
海岸の雁木へ着岸です。
海岸では提灯を持った神官が迎えています。
そして、管絃の音楽が奏でられます。
満月が海上を照らします。
この船は、
先ほど御座船をお迎えに行った
御迎船かな?
今、神事が行われているようです。
神事が終わり、御座船が岸から離れ、
左回りに三匝(3回まわる事)します。
御座船は、三匝の後、宮島へ、長浜神社、大元神社をまわられ、厳島神社 御本殿へ環御されます。
この日、見る事はできませんでしたが、長浜神社の提灯行列や、
最後の厳島神社の枡形での三匝はいつか見に来てみたいと思います。
■参考
・2012年に、宮島を訪問した時の紹介は、
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・広島市中区役所のHPに、管絃祭について、以下の説明が有ります。
「厳島神社の御祭神 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)が白馬に乗って
対岸の地御前神社の神に会いに出向かれた(逢引き)のを、お迎えに行く祭事。」
一方、
・宮島観光協会のHPの管絃祭の説明には、こんな事は書かれていません。
そう言う言い伝えもあると言う事なのかもしれません?