厳島神社の菊花祭に出かけて来ました。
宮島へ向かうフェリーから、
宮島口の桟橋を見たところ。
フェリーから大野瀬戸方向を見たところ。
海には牡蠣筏が浮かんでいます。
菊花祭は、夕方の5時から始まるので、
西の空には夕日が沈みかけています。
宮島です。
フェリーは、大鳥居の前を回って、
宮島桟橋へ向かいます。
その大鳥居です。
潮が引いて、たくさんの観光客が
大鳥居の下まで歩いて行っています。
大鳥居の後ろには
弥山
がそびえています。
弥山の右側には、駒ヶ林が見えます。
大鳥居の東側には、黒い大屋根の千畳閣と
その隣に五重塔が見えます。
大鳥居と
弥山
と駒ヶ林です。
千畳閣の隣の五重塔です。
もうすぐ宮島桟橋です。
大鳥居を見る角度が変わっています。
この日は、厳島神社の菊花祭の日ですが、
一方で、 安芸の国一ノ宮としての
厳島神社 大神様へ日々の感謝と、繁栄を
祈念して氏神祭が行われていました。
氏子の方々が、お囃子を鳴らしながら、
町内を練り歩きます。
獅子舞の獅子もいます。
獅子舞が始まりました。
首をかしげたり、
そのまま、伸びあがり、
そして、正面を見ます。
笛の音に合せて、踊ります。
横を向いたところ。
上を向いたところ。
今度は、こっち。
口をあけます。
二匹の息があって、
見ていて楽しい。
獅子舞が終わって、お囃子の行列が、次へ進みます。
菊花祭は、夕方の5時から始まるので、
先を急ぎます。
参道から大鳥居を見たところ。
丁度、この時、大鳥居は、補修工事が
行われていました。
海岸沿いの参道から、
厳島神社を見たところ。
海は潮が引いています。
沿道の灯篭の向こうには、
平舞台から大鳥居に向け伸びている
火焼前(ひたさき)が見えます。
その火焼前を挟んで、左右にあるのが、
右門客神社(みぎかどまろうどじんじゃ)と
左門客神社(ひだりかどまろうどじんじゃ)
です。
舞楽が行われる高舞台の周りには、
既に人だかりができています。
楽を奏でる楽房の周りには、
幕が張られています。
高舞台の周りの人だかりを見たところ。
写真の左側の建物は、
客神社(まろうどじんじゃ)です。
祭事の折りには、
一番最初に神職がお参りされる
場所です。
菊花祭が始まる午後5時を過ぎました。
舞楽が行われる高舞台へ向け東廻廊を急いでいると、
前方から来る神職の列に出会いました。
神職の列です。
菊花祭を始めるに当たり、
まず、最初に、神職が客神社へ
お参りされます。
東廻廊の東側にある鏡の池です。
潮が引くと丸い池が現れます。
客神社祓殿(右端)と東廻廊に
囲われたエリアを
枡形と呼びます。
管絃祭では、御座船を
この枡形の中へ入れ、
3回廻します。
東廻廊を回りながら、
客神社を見たところ。
客神社祓殿の中で、
神職がお参りされています。
客神社祓殿を正面から見たところ。
祓殿正面の波除板(なみよけいた)が
無い箇所は、ここから下へ降りる
出入口の名残と言われています。
平舞台です。
その向こうは、右楽房です。
ちなみに、御本社を中心に反対側には、
左楽房があります。
平舞台から高舞台を見たところ。
高舞台の周りには、舞楽が始まるのを
待つ人達が集まっています。
正面から、高舞台を見たところ。
高舞台の向こうには、
御本社祓殿が見えます。
舞楽は、高舞台の大鳥居側からの観賞は
できません。
菊花祭は、午後5時に始まりますが、
舞楽が始まるのは、6時半頃になります。
いい場所は、既に人がいっぱいで、
高舞台の東側、高舞台から少し離れた
場所から見学することにします。
舞楽が始まるまで、まだ、一時間以上、
待つ必要があります。
今は干潮で、満潮時は海底となる地面が
見えています。
待っている場所から、高舞台と反対側、
客神社を見たところ。
待っている場所から南西の山の手には、
多宝塔が見えます。
待ちながら、御本社祓殿を見たところ。
まだ30分以上あります。
右端は、
右門客神社(みぎかどまろうどじんじゃ)で、
左側は、
左門客神社(ひだりかどまろうどじんじゃ)
です。
辺りは少し薄暗くなり、
西の空はピンクに染まっています。
薄暗くなり、
御本社祓殿の中に明かりが
灯っています。
少し石灯籠の陰になりますが、
待っている場所から、
高舞台を見たところ。
正面の山肌に、ライトアップされた
多宝塔が見えます。
その多宝塔です。
かなり暗くなってきました。
正面は、御本社祓殿です。
潮が引いていた地面に、海水が押し寄せて来ています。
いよいよ、舞楽が始まりそうです。
高舞台に、灯りが入れられます。
舞楽奉納が始まりました。
最初に舞われるのは振鉾(えんぶ)です。
振鉾は、左方、右方、双方から、
舞人が鉾を持って登場し、
舞台を清めるように鉾を振る舞いです。
最初は、左方より、舞人が登場します。
振鉾の一節です。
舞人は、鉾を持って舞台へ上がります。
舞が始まりました。
写真撮影時のフラッシュの使用は、
舞楽の邪魔にならないように
禁止されています。
また、三脚の使用も、
国宝の平舞台を傷つけないように
禁止されてます。
私にとっては、三脚は重いので、
持ち歩いて無いので関係無いと言えば、
関係無いのですが…。
舞が終わると左方へ帰って行きます。
次に、舞人が右方より鉾を持って、
私の目の前を高舞台へ向かいます。
右方より登場した舞人が、高舞台へ向かうところ。
振鉾の二節が始まります。
振鉾の二節です。
鉾を持って舞います。
舞が終わると、出て来た右方へ戻ります。
戻ってくる舞人。
次は振鉾の三節です。
舞人は、右方と左方の双方から、
鉾を持って登場します。
右方と左方、双方の舞人が、
高舞台へ上がります。
振鉾の三節です。
舞が終わると戻って行きます。
左楽房です。
舞楽には、二つの流れがあり、
インド・唐から伝わったものを、
左の舞、左舞(さまい)と言い
左舞を舞う時は、楽を左楽房で、
奏します。
石灯籠、高舞台、左楽房、左門客神社を
見たところ。
右楽坊です。
もう一つの舞楽の流れは、
満州・朝鮮半島から伝わったもので、
右の舞、右舞(うまい)と言い、
右舞を舞う時は、楽を右楽房で、
奏します。
次は、左舞の萬歳楽(まんざいらく)です。
左方より、舞人が登場し、
高舞台へ上がります。
萬歳楽は、4人で踊る平舞で、
左方より、舞人が現れては、
高舞台へ上って行きます。
萬歳楽は、唐の聖王の時代、
鳳凰が飛来し、君萬歳を唱えたので、
その声を楽に写し、
その姿を舞に振り付けた
と言われています。
萬歳楽です。
鳳凰をかたどったとされる
鳥兜(とりかぶと)を頭にかぶっています。
萬歳楽です。
萬歳楽。
萬歳楽。
萬歳楽。
萬歳楽。
萬歳楽。
萬歳楽。
萬歳楽。
萬歳楽。
萬歳楽。
萬歳楽。
萬歳楽。
萬歳楽。
萬歳楽。
萬歳楽。
萬歳楽。
萬歳楽。
舞が終わると、高舞台から降りて、
左方へ帰って行きます。
同じ場所に座っていると、
お尻が痛くなります。
立ち上がって、高舞台と反対側、
客神社を見たところ。
その後ろには、五重塔が見えます。
厳島神社へ着いた時間帯は、干潮でしたが、
この時間帯は、かなり潮が満ちています。
次は、右方の舞、右舞の延喜楽が始まります。
右楽房の前で準備する舞人です。
右楽房の前から、
高舞台へ向かう舞人です。
延喜楽は、醍醐天皇の代、
908年に藤原忠房が、曲をつくり、
式部卿敦実親王が舞をつくり、
年号の延喜を曲名としたと
伝えられています。
延喜楽は、
その前に演じられた萬歳楽と
番舞(つがいまい)です。
舞姿の良く似た演目を、
左方と右方が交互に演じる構成を
番舞(つがいまい)と言います。
そして、番舞の前の舞(左舞)に対する
後の舞(右舞)を答舞と呼びます。
よって、延喜楽は、
先に萬歳楽が舞われた事への答舞です。
鳳凰をかたどったとされる
鳥兜(とりかぶと)を頭にかぶっています。
延喜楽は、4人で舞う平舞です。
延喜楽です。
高舞台の前は人でいっぱいです。
高舞台のある場所から、海を隔てて、
東側から高舞台を立ち見していますが、
私の前にも多くの人が、見ています。
延喜楽が終わったようです。
延喜楽が終わり、客神社をふり返ったところ。
潮が、かなり満ちています。
次は、賀殿急(かでんのきゅう)です。
御本社拝殿、祓殿の間の廊から、
祓殿を通して高舞台の方向を見たところ。
高舞台の前は、人でいっぱいです。
賀殿急は、曲の奉奏のみで、その曲の間に、
宮司が菊の花を御本殿へお供えします。
菊の花を高舞台から祓殿を通って
お供えする通り路を確保する為に、
一時的に、観客にのけて貰います。
御本殿、拝殿方向を見たところ。
菊の花をお供えする通路が
確保されている間に
御本社祓殿横を通って
高舞台の方へ行って見ます。
御本殿左側(西側)の狛犬です。
賀殿急が奉奏されている間に、
宮司が、菊の花を御本殿へお供えします。
菊の花を持ってお供えに向かう
宮司さんの後姿です。
菊の花が少しのぞいて見えます。
菊の花のお供えが終わり、
戻って来るところ。
高舞台の周りの人々です。
高舞台の上です。
次の演目は、一曲です。
左方と右方、それぞれ双方の舞人が一人
同時に鳥向楽の伴奏で同時に舞います。
高舞台の下で拝礼する舞人です。
左方の舞人は、
首から奚婁鼓(けいろうこ)を吊り、
左手に振鼓(ふりつづみ)を持ち、
右手に桴(ばち)を持ちます。
右方の舞人は、
首から壱鼓(いっこ)を懸紐で吊り、
右手に桴(ばち)を持ちます。
一曲を舞う右方の舞人です。
一曲に限らず、右方の舞人の装束の色は、
緑青系統です。
一曲を舞う左方の舞人です。
一曲に限らず、左方の舞人の装束の色は、
赤系統です。
一曲です。
一曲。
一曲。
一曲。
一曲。
一曲。
一曲。
一曲。
御本社祓殿の前には、
献燈の文字が入った提灯が
下がっています。
次は、蘇利古(そりこ)です。
蘇利古は、右方の舞で、
応神天皇の御代に、酒を造る事を専門としていた
百済からの帰化人 須須許理が、伝えたと言われています。
蘇利古は、雑面と呼ばれる紙の面をかぶって舞います。
人面を象って、紙に目、鼻、口、等が書かれています。
そして、目には切り込みがあり、
そこから見る事ができるようになっています。
蘇利古です。
蘇利古。
蘇利古。
蘇利古。
蘇利古は、4人で舞う平舞です。
蘇利古。
蘇利古とは、
手に持つ桴(ばち)の名称だとも
言われていますが、不明です。
蘇利古。
蘇利古。
蘇利古。
蘇利古。
見ていて、ユーモラスな舞だと思います。
蘇利古。
蘇利古。
蘇利古。
蘇利古。
蘇利古。
蘇利古。
蘇利古。
蘇利古。
蘇利古。
蘇利古が終わり、高舞台を通して、
大鳥居を見たところ。
次は左方の舞の
散手(さんじゅ)が始まります。
散手は、釈迦が生まれた時に、
この曲が作られたと伝えられる
勇壮な武将の舞です。
武将の顔をした面をかぶっています。
散手です。
散手。
散手。
龍が珠を抱く姿を表す甲(かぶと)をつけています。
散手。
散手。
散手。
散手。
散手。
散手。
散手。
散手。
散手。
散手。
散手。
散手。
散手。
散手。
散手。
散手。
散手。
西側から高舞台を見たところ。
散手が続いています。
散手。
向こうには、五重塔が見えます。
散手。
散手。
高舞台と反対側をふり向いたところ。
南西の山肌にライトアップされた
多宝塔が見えます。
散手の舞を終え、高舞台を下りた舞人が
歩いて戻って来ます。
散手の舞人です。
左楽房まで戻り、一礼をする舞人です。
一礼後、左楽房の中へ入ります。
左楽房の中に座する舞人です。
平舞台の西の端から、
高舞台、御本社祓殿を見たところ。
遠方にライトアップされた
五重塔も見えます。
御本社拝殿の中に置かれた釣太鼓です。
御本社拝殿、祓殿の間の廊から、
祓殿を通して高舞台の方向を見たところ。
高舞台の前は、まだ、人でいっぱいです。
東廻廊から右楽房を見たところ。
まだ、多くの人が、舞楽を楽しんでいます。
東廻廊の南側にある手水鉢です。
このすぐ隣には、
島流しにされた平康頼が
老母を偲んで流した卒塔婆が
流れ着いたとされる
卒塔婆石がありますが、
この時間は、満潮で海の底にあり、
見る事ができません。
東廻廊から枡形を見たところ。
満潮で、床下へ水面がつきそうです。
枡形です。
右端は、客神社の祓殿です。
神社入口横の手水鉢が見えます。
丁度、誰かが手水を使っています。
神社入口付近から
高舞台の辺りを見たところ。
神社入口横の手水鉢です。
そして、また、高舞台へ向けて引き返します。
東廻廊の南側です。
東廻廊です。
その向こうに
舞楽を見学する人達が見えます。
次の演目の貴徳が始まっています。
貴徳は、右方の走舞(はしりまい)です。
走舞は、舞台を活発に動き回る一人、
または、二人による舞の事です。
左方の舞、散手の答舞になります。
貴徳です。
渤海(シベリア)方面から伝えられた曲で、
漢の帝王に降伏し貴徳公と名乗った勇将がおり、
その勇姿を模した舞と言われています。
貴徳。
口を固く結んだ武将の面をかぶり、
頭には鸚鵡(オウム)を色鮮やかにかたどったような
甲(かぶと)をかぶっています。
貴徳。
貴徳。
貴徳。
貴徳。
貴徳。
貴徳。
貴徳。
貴徳。
貴徳。
貴徳。
貴徳。
貴徳。
貴徳。
貴徳。
まだ、舞楽は続いていますが、
無計画に出て来た私にとって、
帰りのフェリーや電車の時刻が
心配になって来ました。
そろそろ帰る事に…。
西廻廊から、高舞台の方向を見たところ。
西廻廊から、反橋を見たところ。
西廻廊から、能舞台を見たところ。
西廻廊から、多宝塔を見たところ。
その多宝塔です。
参道を宮島桟橋へ向かいながら、
能舞台方向を見たところ。
右楽坊、右角客神社、火焼前、左角客神社が
見えます。
そして、大鳥居です。
宮島桟橋へ向かう途中に出会った鹿さんです。
■参考
・2012年に、宮島を訪問した時の紹介は、
ココ
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