厳島神社の玉取祭へ行って来ました。
宮島口のフェリー桟橋に泊まっている
フェリー上から宮島を見たところ。
フェリーで宮島に向かう途中に見た
海上保安庁の巡視艇です。
船側に「PC83 しまぎり」とあります。
フェリーから見た大鳥居と厳島神社です。
PC83 しまぎりです。
前日、宮島水中花火大会があったので、
大会後の巡視かな?
鳥居と厳島神社です。
良く見ると、
既に玉取祭の櫓は組まれており、
準備は終わっているようです。
花火大会で使用された台船でしょうか?
宮島へ到着しました。
フェリー桟橋を出て、
さっき見た台船の方向を
見たところ。
海岸沿いを厳島神社方向へ向かいます。
大鳥居をバックに写真撮影しています。
玉取祭の注進所が設置されています。
玉取祭の櫓が組まれてます。
この櫓に宝珠が吊るされ、
それを男達が奪い合います。
厳島神社です。
既に潮が満ち始めており、
波が押し寄せてます。
厳島神社の入り口です。
今日は中へは入らずに、
男達が宝珠を奪い合う
争奪戦を見る為の場所を
探す事にします。
厳島神社の東側の海岸は、既に人が多く
西側の海岸へ向かいます。
客神社横の鏡の池が見えます。
御本社 本殿の裏門を過ぎると、
長橋横の鏡の池が見えます。
鏡の池が、エメラルドグリーンに
輝いています。
その鏡の池を別の角度から見たところ。
左端に天神社、その向こうに大国神社、
その陰、中央に御本社 本殿が見えます。
御手洗川です。
その先に見える山門は、大願時の山門です。
西側の海岸へ出て、厳島神社を見たところ。
中央は、左楽房です。
白い鳥が遊びに来ています。
チュウサギかな?
西側の海岸から見た大鳥居です。
厳島神社の火焼前(ひたさき)の先の海中に
玉取祭の櫓が組まれています。
その櫓です。
櫓には、地盤と呼ばれる宝珠台が、
既に取り付けられ、
地盤を吊るしているロープが
火焼前(ひたさき)に向け伸びています。
櫓に吊り下げられている
地盤と呼ばれる宝珠台です。
厳島神社です。
松の木陰では
大きな角の鹿がウトウトしています。
大鳥居です。
この大鳥居をくぐっての参拝が、正式です。
干潮時は、歩いてくぐれますが、
満潮時は、潮位にもよりますが、
船で鳥居をくぐる事ができます。
右が、魯櫂船です。
魯と櫂を使う手漕ぎ船で、風情があります。
左は、参拝遊覧船の屋形船です。
屋根があるので、暑い日差しはしのげます。
玉取祭の櫓と厳島神社です。
そこへ海の暴走族が、あらわれました。
現代の技術では、
塗料に腐りにくい防腐処理を
していると想像しますが、
ジェットスキーで、鳥居をくぐり、
急旋回をして、わざと海水をまきあげ、
大鳥居に海水を掛けているように
見えます。
世界遺産でもあり、日本人の信仰の対象に、
このような行為は、見ていて腹立たしいし、
世界中からやって来る観光客の前で
恥ずかしく感じます。
白い船がやってきました。
観光船ではなさそうです。
白い船は、神社の火焼前(ひたさき)へ
向かっています。
そして、玉取祭前の点検でしょうか?
櫓の下へ向かいます。
その後、火焼前(ひたさき)へ船をつけ、
船側に幕を飾り付けます。
対岸の大鳥居に一番近い突端で、
太鼓の音が鳴り響き始めました。
今年の玉取祭の開始予定時間の
12時半は過ぎているので、
神社の中では、神事が行われている
頃です。
火焼前(ひたさき)の辺りが騒がしくなり、
神職の方々が、宝珠や榊を手に
出て来られました。
そして、船に乗り込んで、出発です。
船はエンジンを使わず、
竿で押して進みます。
船が櫓の下に到着しました。
櫓に吊られていた地盤は、
火焼前(ひたさき)にいる人達が
引っ張り上げられており、
ロープを緩めると、下へ降りて来ます。
宝珠が地盤へ取り付けられます。
そして、祈りが奉げられます。
祈りが奉げられる間、
火焼前(ひたさき)の上で
作業服の男達が地盤を吊り上げる
ロープを持って待っています。
火焼前(ひたさき)上で
ロープを持つ男達です。
ロープが引かれ、
ゆっくりと地盤が、吊り上げられます。
吊り上げられた地盤です。
しっかりと宝珠が載っています。
そして船は火焼前(ひたさき)へ向け
帰って行きます。
火焼前(ひたさき)へ帰って来た船です。
高舞台の方を見ると、その周辺に、
裸の男達が出て来てます。
いよいよ宝珠の争奪戦が始まります。
裸の男達が、火焼前(ひたさき)から
海へ入って行きます。
櫓へ向け泳いで行きます。
先頭の人は、既に櫓に着いて、
みんなが来るのを待っています。
後ろの人は、
やっと最後の人が海に入ろうと
しているところです。
櫓へ到着した男達です。
櫓の下へ男達が集まってきます。
宝珠を載せた地盤は、火焼前(ひたさき)で
ロープを持っている男達によって、
引っ張っられ、揺れ出しました。
櫓の下の男達は、
人間の櫓を組み始めます。
二段の人間櫓の上に、
更に男が立ち上がり、
地盤へ飛びつきますが、
あえ無く落下します。
失敗してもあきらめず、
人間の櫓が組まれます。
宝珠を載せた地盤が大きく揺れます。
また、男が地盤へ飛びつきます。
が、また落下します。
そして、また、次の男が、
立ち上がり
飛びつきますが、落ちてしまいます。
そして、次の男が、掴んだか?
掴んだかに見えても、次の瞬間、落ちてます。
飛びかかっては落ち、
飛びかかっては落ちを
繰り返します。
掴んだか?
おしい、手が離れています。
今度こそ、
掴んでいるようです。
懸垂で体を持ち上げます。
そして、両足を地盤の上に持ち上げます。
次は、体を持ち上げます。
なんとか、地盤の上に、登れそうです。
とうとうやりました。
地盤の下の男達は、大喜びです。
地盤は大きく揺れ、
振り落とされないように、
しっかり、しがみついてます。
宝珠の紐をほどきにかかります。
地盤が揺れるので、
ほどくのもままなりません。
頑張れ!
ついに宝珠を手に取りました。
手に取った宝珠を高々と持ち上げます。
宝珠を高々と持ち上げているところ。
そして、宝珠を海中に落とします。
そして、地盤も海面近くまで下ろされ、
宝珠を取った男が、地盤から下ります。
ここで、終わりかと思って、見ていたら、
水球のように宝珠を投げ、パスを出し、
宝珠を投げ合ってます。
見ていて、争奪戦と言うよりは、
宝珠を投げ合って遊んでいるようにも
見えます。
宝珠は、どこ?
昔は、福を呼ぶ宝珠の御利益に対する信仰も、
今以上に深かったのではと想像します。
だから、宝珠の争奪は、
もっと激しかったのではないかと
思います。
ひとしきり、櫓付近で、宝珠を投げ合った後、
岸の方へ宝珠を投げて運ばれていきます。
東側の海岸は、玉取祭を見に来た観客で
いっぱいです。
東側の海岸に設置された注進所の前で
宝珠を投げ合っています。
そして、注進所の前に設置された
バスケットボールのゴールのような
網を狙って、宝珠が投げられます。
ん?宝珠はどこだ?
どうやら外れたようです。
宝珠を拾って、注進所の方へ投げ返します。
そして、宝珠が注進所の前に設置された
網へ入って、終わったようです。
男達が神社の火焼前(ひたさき)の方へ
帰って行きます。
帰って行く男達です。
ちなみに注進所の網は、東側の海岸だけでなく、
西側にもありました。
西側の海岸の注進所です。
玉取祭が終わって誰もいません。
木で作られた枠に網がセットされてます。
西側の海岸から、厳島神社を見たところ。
大鳥居を見たところ。
厳島神社の裏(南側)の道を、
フェリー桟橋へ向け帰る途中、
長橋横の鏡の池を見たところ。
東廻廊を見たところ。
右側に客神社本殿、左側に朝座屋が見えます。
東側の海岸沿いの参道を、フェリー桟橋へ戻りながら、
大鳥居を見たところ。
東側の海岸の注進所です。
先ほどまで、見物の観客が大勢いましたが、
今は誰もいなくなってます。
先ほどの玉取祭で、
最後に宝珠を投げ入れた網が見えます。
東側の注進所の網は、鉄の棒でできた枠に
網がセットされています。
注進所の宝珠を投げ入れた網です。
その向こうに玉取祭の櫓が見えます。
櫓と厳島神社です。
最後に、玉取祭について、
この祭りは戦国時代から伝わった行事で、
昔は延年祭と呼ばれ、旧暦の7月14日夜、御本社拝殿に五尺四方の台をつくり、
その中央に、頭は木彫り、胴はわらづとでつくられた福神像を乗せ延年行事を行い、
行事が終わり台がおろされると、待ち構えていた褌の男達が、福神像の争奪を繰り広げた
と言う事です。
しかし、明治維新に神仏分離政策により、仏教色が強い延年祭は廃止されます。
その後すぐ、明治初期に、争奪を行った福神像が、宝珠に代わり、
玉取祭として復活したと言う事です。
■参考
・2012年に、宮島を訪問した時の紹介は、
ココ
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