この日は、日本列島を大寒波が襲い、
広島も辺り一面の雪景色です。
センター試験の日とも重なり、
受験生は大変です。
まだ、雪が降ってますが、宮島の雪景色を
撮影しに出かけました。
写真は、宮島に向かうフェリーから
宮島の大鳥居を見たところ。
フェリー航路横の牡蠣筏です。
雪の中で、宮島が凍えてます。
山肌に見える多宝塔です。
厳島神社と、その大鳥居です。
千畳閣と五重塔です。
海上には、遊覧船が浮かんでます。
フェリーが大鳥居の前で曲がって、
桟橋へ向かうので、大鳥居を見る角度が
変わってきます。
千畳閣と五重塔です。
フェリーが桟橋へ着く頃に、木漏れ日が…。
このまま雪がやんでくれれば、
いいのですが。
大鳥居と遊覧船です。
桟橋へ到着しました。
フェリー乗り場の前で、
迎えてくれた鹿さんです。
海岸に沿って厳島神社へ向かいます。
前方に千畳閣と五重塔が見えます。
千畳閣の大屋根も雪が積もって真っ白です。
五重塔です。
大鳥居です。
鳥居の赤い色も、凍えています。
参道から大鳥居を見たところ。
丁度、満潮で、海岸まで潮が満ちています。
大鳥居です。
鹿さん達です。
ここは、鳥居と一緒の撮影ポイントです。
女性が入ると写真が引き立ちます。
その撮影ポイントから、
海に浮かぶ大鳥居を撮影します。
厳島神社を見たところ。
屋根が真っ白です。
石灯籠の間から厳島神社を見たところ。
吽形の狛犬。
頭に雪が積もって、
歯を食いしばって寒さに耐えている
ようにも見えます。
満潮で床下すれすれまで、
海水が来ています。
昇殿初穂料を治めて、神社へ入ります。
手水舎です。
國寶嚴島神社の文字が掛かっています。
客神社(まろうどじんじゃ)の本殿を
横から見たところ。
海水が床下まできています。
高舞台方向を見たところ。
高舞台が中央左寄りに見えます。
客神社の横から、東廻廊で区切られた
枡形を見たところ。
海水面が、床下ぎりぎりです。
東廻廊の東側です。
干潮になれば、ここに鏡の池が現れます。
右手が客神社の祓殿。
東廻廊と客神社祓殿に囲われた枡形です。
東廻廊から、東側に千畳閣と五重塔を
見たところ。
左が客神社の本殿です。
東廻廊の南側です。
客神社祓殿と東廻廊で囲われた枡形です。
東廻廊の向こうに五重塔が見えます。
客神社祓殿と東廻廊です。
東廻廊は、平舞台へ続いています。
雪で滑りやすそうです。
高舞台です。
高舞台の上も、一面の雪です。
高舞台の西側の狛犬です。
高舞台です。
本殿祓殿です。
本殿拝殿です。
この拝殿の奥に本殿があります。
本殿側の西廻廊には、奉納された
酒樽が並んでいます。
酒樽です。
酒樽がある西廻廊を、まっすぐ進むと
長さ33m、幅3mの長橋があります。
右は、大国神社です。
右側は、本殿です。
その向こうは、拝殿です。
大国神社の南側の壁沿いに、
その向こうの天神社を見たところ。
西廻廊の南側です。
左が天神社で、その向こう、中央が反橋です。
西廻廊から反橋を見たところ。
天皇からの勅使だけが、この橋を渡れた為、
勅使橋とも呼ばれています。
西廻廊、北側の能舞台です。
能舞台です。
1568年に、毛利氏が仮の能舞台を
海中に設け、能を奉納しました。
現在の能舞台は、1680年に
広島藩主 浅野綱長によって
改修された物です。
時代が下がる為、丹塗りはされていません。
能舞台の奥の壁の鏡板には、
能舞台の永遠の背景の
「老松(おいまつ)」が描かれています。
この老松は、奈良の春日大社に実在する
「影向(ようごう)の松」を模したのが
始まりです。
西廻廊を進みながら能舞台を見たところ。
能舞台と鏡の間は、橋掛かりで
繋がっています。
西廻廊の南側の天神社です。
1556年に毛利隆元によって、
寄進されました。
丹塗はされていません。
反橋です。
雪が積もって真っ白です。
雪が積もって無くても、曲率の大きい太鼓橋の為、
普通には歩いて渡れません。
よって、中央に階段を置いて、渡ったと言われています。
西廻廊、反橋を見たところ。
厳島神社の出口を出たところから、
五重塔を見たところ。
五重塔をズームUPして見たところ。
厳島神社の出口を出たところから、
多宝塔を見上げたところ。
厳島神社の出口を出たところに
大願寺があります。
大願時は、厳島神社の普請奉行として、
寺院の修理・造営を一手に担っていました。
本堂前の9本松は、
伊藤博文の手植えの松と言う事です。
次は多宝塔へ向け登ってみます。
途中、厳島神社から、
千畳閣、五重塔が
見渡せる場所があります。
屋根は、真っ白になっています。
多宝塔です。
1523年に建立されました。
そして、多宝塔より更に少し上に上ると、
多宝塔を含め大鳥居や五重塔が望める
絶景ポイントがあります。
写真は、大鳥居と多宝塔です。
大鳥居と多宝塔です。
多宝塔の右側に五重塔が見えます。
大鳥居、多宝塔、千畳閣です。
大鳥居をズームUPしたところ。
大鳥居と多宝塔です。
民家の屋根も真っ白です。
多宝塔と五重塔です。
多宝塔から下りて、厳島神社の出口から、
再度、五重塔を見たところ。
厳島神社の境内の外の道を、
境内に沿って歩きます。
歩いて行くと、反橋が見えてきます。
厳島神社境内の外から、
天神社、大国神社、本殿の白い屋根越しに
五重塔を見たところ。
天神社、本殿の屋根越しに
五重塔を見たところ。
更に厳島神社境内外側の道路を
歩いて行くと
後白河法皇御行幸松があります。
1174年に後白河法皇が、
御参詣された折、
御手植えされた松の遺木です。
明治初期に切り落とされたものです。
天神社を見たところ。
厳島神社の裏側から、
鳥居方向を見たところ。
左側手前の屋根が本殿、
その向こうが拝殿の屋根です。
五重塔や千畳閣がある塔之岡へ登ってみます。
塔之岡茶屋の前から五重塔を見たところ。
五重塔は、1407年に建立されたと言う事です。
五重塔が建っているとこまで登りながら、
五重塔を見上げたところ。
五重塔まで登りながら、ふり返ったところ。
道の脇には、龍のヒゲに似ている事から名付けられた
龍髯の松(りゅうぜんのまつ)が伸びています。
樹齢は、200余年と言う事です。
200年以上の間、大切に手入れをされてきたのだと
思います。
五重塔の前から南、少し西より、
厳島神社の方向を見たところ。
雪が積もった厳島神社の屋根が見えます。
また、その向こう、山肌に
多宝塔が小さく見えます。
千畳閣です。
正式には、
豊国神社(とよくにじんじゃ)です。
豊臣秀吉が、安国寺恵瓊に命じて建設中に、
秀吉の急死により、
完成まで、あともう少しのところで
建設が中止になりました。
畳857枚分の広さがあり、
千畳閣と呼ばれるようになりました。
塔之岡を、厳島神社と反対側に下って行くと
幸神社(さいわいじんじゃ)があります。
そして、この辺りは幸町と言う事です。
縁起が良い名前です。
そして、幸神社近くの町屋通りから
五重塔を見たところ。
そして、宮島で一番人通りが多い宮島表参道商店街です。
別名、清盛通りです。
普段は、日よけ、雨よけで、開閉式の屋根シートで
覆われています。
しかし、この日は、大雪で、
屋根シートが壊れないようにと言う配慮だと
思いますが、屋根シートが開いています。
宮島表参道商店街から五重塔を見たところ。
宮島表参道商店街を歩き、
宮島フェリー乗り場へ向かいます。
フェリーに乗って帰途につきます。
フェリーから厳島神社方向を見たところ。
宮島です。
宮島口フェリー乗り場を見たところ。
宮島へ向かうフェリーが見えます。
■参考
2012年12月に、宮島を訪問した時の紹介は、
ココ
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