しまなみ海道を、長男と二人で、二日かけて、自転車で走破して来ました。
初日は、今治から大三島まで走破し、「
しまなみ海道自転車走破 今治編
」で紹介してます。
そして、初日の夜は、大三島の宮浦の「旅館 金福」へ宿泊しました。
その宿泊した「旅館 金福」です。
朝食は、鯛釜飯やシラウオ、等を食べ、
デザートは、大三島特産の柑橘の
手づくりジャムを載せたヨーグルトです。
美味しい朝食を食べて、出発です。
旅館から東へ向かうと
宮浦本川の支流 明治川へ出ます。
橋の上から北西を見ると、
鶴姫公園の櫓が見えます。
鶴姫は、大三島を守る戦いで
生涯を終えた瀬戸内のジャンヌダルク
として知られています。
橋を渡って、まっすぐ行くと、
大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)の
前に出ます。
大山祇神社は、海、山、武の神として
祀られている日本総鎮守です。
多くの武将から戦勝祈願や御礼として
武具や甲冑が奉納されている事で
有名です。
その大山祇神社へ寄ってみます。
鳥居を抜け、境内へ入ると斎田が、
右手にあります。
境内案内図です。
由緒の説明です。
総門です。
小さな神社と思って中に入ると、
意外と大きな神社です。
しんとした静寂の中で、
厳かな気持ちになります。
総門です。
門の両脇を守っているは、仁王ではなく武人のようです。
ガラスで、遮られているので、写真の写りが悪い。
門を抜けると正面に、大楠があります。
「天然記念物 平知命御手植の楠」と
説明が有ります。
樹齢2600年、幹囲11mと
言う事です。
神門です。
神門を入った左側には、
今治造船寄贈の
「隼人の舞」と題した
ブロンズ像があります。
神門を入り、
北西隅から拝殿を見たところ。
拝殿の前から、中を見たところ。
拝殿です。
南東隅から神門方向を見たところ。
神門を出て、平知命御手植の楠を見たところ。
大きな楠です。
次は、武具、甲冑が展示されている宝物館へ向かいます。
途中に見た大楠です。
この大山祇神社の境内には、国の天然記念物指定の
38の樹木の他、約200本の楠が群生しています。
これは、河野通有兜掛けの楠です。
弘安4年(1281年)、
蒙古来襲にあたり、
河野通有が参詣祈願した折に、
兜を掛けたと云われています。
今では枯れ死し、倒れています。
時宗の開祖 一遍上人が、
参拝時に奉納した宝篋印塔です。
国の重要文化財です。
宝物館です。
多くの武将により、
戦勝祈願や御礼として奉納された
国宝級の武具や甲冑が
展示されています。
海事博物館です。
大山祇神社を後にして、
大三島を東へ横断し、
多々羅大橋へ向かいます。
東の海岸へ出ると、南東に
多々羅大橋が見えます。
正面が多々羅大橋です。
左端に生口島の観音山が見えます。
多々羅大橋です。
多々羅大橋の下をくぐり、南へ出ます。
多々羅大橋の南には、
多々羅しまなみ公園があり、
その中に道の駅もあります。
道の駅でジュースを買って、
橋を見ながらひと息入れます。
多々羅しまなみ公園からの景色です。
多々羅大橋は、
鳥が羽を広げたように見える
美しい斜張橋です。
多々羅しまなみ公園から
橋へ向け登って行きます。
途中、海上自衛隊のヘリコプターが、
置いてあります。
多々羅大橋へ登りながら、橋を見上げたところ。
橋の袂の山の上にも、公園があり、
多々羅展望台があります。
その公園から北西を見たところ。
大三島の東側の海岸線が見えます。
多々羅展望台です。
多々羅展望台から景色です。
東に向け、多々羅大橋が延びています。
多々羅大橋です。
北西を見たところ。
大三島の東側の海岸線が見えます。
南側の眼下には、先程寄った
多々羅しまなみ公園が見えます。
南側の景色です。
右端が大三島で、中央が、伯方島です。
西を見たところ。
大三島の鷲ヶ頭山が見えます。
東を見たところ。
左端に生口島、右側に伯方島が
見えます。
北東を見たところ。
右は生口島、
中央、左よりの小さな島は、高根島です。
展望台から下りて、生口島へ向かいます。
多々羅大橋は、愛媛県の大三島と、広島県の生口島を
結んでいます。
すなわち、この橋を渡ると、広島県です。
まっすぐ生口島へ向け伸びる多々羅大橋です。
斜めにケーブルを張っている主塔が高くそびえています。
主塔の真下から、見上げたところ。
主塔の真下で、手を叩くと、パーンと乾いた音が響く
鳴き龍と呼ばれる現象が発生します。
確かに、手を叩くと、
反射した音が増幅され耳に響きます。
設置されていた拍子木で叩くと、
もっといい音が鳴り響きます。
主塔から、大三島方向を、
ふり返ったところ。
橋の上から、南を見たところ。
右端が大三島で、左が伯方島です。
伯方島です。
橋を吊っていケーブルが斜めに走っています。
自転車・歩行者道は、自動車道の横に
設けられています。
ケーブルの固定部は、こんな感じになっています。
沖合を行く船が見えます。
向こうの島は、伯方島です。
大三島をふり返ったところ。
もうすぐ生口島です。
生口島の海岸線が、まじかに見えます。
なだらかな斜面に、ソーラーパネルが
設置されています。
生口島に到着です。
多々羅大橋の袂に、小さな展望所があり、
そこから眺めた多々羅大橋です。
多々羅大橋の下を、北へ回り、
多々羅大橋をを見たところ。
大三島です。
左よりの白い建物は、
今治市営多々羅スポーツ公園
運動場です。
多々羅大橋です。
その向こうは大三島です。
多々羅大橋から麓の道へ下りて、
多々羅大橋を見たところ。
多々羅大橋を振り返って見たところ。
西を見たところ。
正面は、大三島の北部にある
青刈山です。
多々羅大橋を、ふり返って見たところ。
生口島の西海岸から北部を回り、
東海岸へ出るルートを進みます。
西海岸を進んで行くと、
瓢箪島があります。
この島は、NHKで、昔、流行った
「ひょっこりひょうたん島」の
モデルとなった島です。
北を見ると、右よりに
高根島が見えます。
高根島の高根山です。
左半分が大三島です。
その大三島へ、
くっつくように見える島が
瓢箪島です。
瓢箪島は、クジラのようにも
見えます。
北を見ると、本州沿岸に、旧幸陽船渠、
現在の今治造船 広島工場が見えます。
正面は、高根島です。
そして、海の中に、現代アートが
見えます。
新宮晋さん制作の「波の翼」と言う
作品です。
海岸沿いを走って行くと、
高根島と生口島を結ぶ橋、
高根大橋が見えます。
目を少し東へ移すと、
潮音山が見えます。
潮音山には、向上寺の国宝 三重塔が
見えます。
この潮音山と、向上寺の三重塔は、
ここ瀬戸田町出身の平山郁夫画伯の
絵のモチーフになっていた事を、
思い出しました。
生口島の北西部の町、瀬戸田で、
昼食をとります。
昼食は、なんと言っても、
名物のタコ料理です。
タコ天丼が美味いと評判の
「蛸処 憩」へ行きました。
注文は、もちろん、タコ天丼です。
ここのタコ天丼のタコは、
プリプリで美味い!
追加で頼んだ一品です。
珍味のタコの子(卵)です。
瀬戸田には、観光スポットとして、
耕三寺や平山郁夫美術館等が
ありますが、
この日は、パスです。
食事が終わると、
生口島の北側の海岸線を
一路、東へ向け走ります。
前方に見える島は、佐木島です。
南から佐木島を見たところ。
左端のクレーンは、
生口島の内海造船 瀬戸田工場です。
その向こうの島は高根島です。
右側の島は、佐木島の割石半島です。
この割石半島は、
かつては、島でしたが、
江戸時代に埋立が行われ、
扇浜塩田が造成されました。
南東から佐木島を見たところ。
因島が見えてきました。
左が佐木島です。
右が因島です。
因島です。
生口橋が見えてきました。
生口橋です。
多々羅大橋と同じ斜張橋です。
因島です。
因島と生口橋です。
生口橋へ登りながら、
因島へ延びる生口橋です。
生口橋の下をくぐって、南へ出る時に、
生口橋の下から生口橋を見上げたところ。
因島へ延びる生口橋です。
生口橋へ登りながら、
南東を見たところ。
左端が因島です。
中央から右にかけて生名島で、
右端が岩城島です。
生口橋の高さまで登ると、
小さな芝生の広場があります。
そこから生口橋と因島を見たところ。
右に岩城島、中央に生名島、
左端が因島です。
生口橋を渡ります。
橋の上から、南東を見たところ。
左端が因島、中央が生名島、
右側、手前が生口島です。
その向こうが、岩城島です。
左が因島、
右端が生名島です。
橋越しに因島を見たところ。
因島に近づきます。
左側に因島、
その向こうに生名島が見えます。
中央が岩城島、
右に生口島です。
橋越しに佐木島を見たところ。
因島に到着しました。
ふり返って生口橋を見たところ。
その向こうは生口島です。
生口橋の主塔の下でも、手を叩くと、
多々羅大橋と同様に泣き龍現象が
あります。
海岸沿いの道へ下りながら、
南を見たところ。
生口橋をふり返って見たところ。
南を見たところ。
左が岩城島で、
右が生口島です。
海岸沿いの道へ下りて、
生口島、生口橋を見たところ。
生口橋の下をくぐって、
海岸沿いを北上します。
海岸沿いの道から、
北西を見たところ。
中央は佐木島で、
左端は生口島、右端は因島です。
佐木島です。
生口橋をふり返ったところ。
途中、内陸の道に入り、
次の橋の因島大橋を目指します。
写真中央の山は、因島の白滝山です。
途中、サイクリストへ
八朔を無料でふるまわれている
農家の方から、
八朔を頂いて元気をつけました。
小さな峠を越えて、下って行きます。
直線の下り道なので、みんな快調に
下って行きます。
みんな快調に下って行きます。
因島の北東の海岸線へ出ました。
左端の島が細島で、
右側の島が岩子島です。
左側の島が、岩子島で、
その隣につながって見える島が
向島です。
岩子島と向島を結ぶ赤い橋が
見えます。
その赤い橋は、向島大橋です。
右より、手前に見える島は、
四十島です。
四十島と、岩小島です。
左が岩子島で、
右が向島です。
岩子島と向島を結ぶ赤い橋は、
向島大橋です。
因島大橋の主塔が見えてきました。
因島大橋へ向け坂を登って行く手前に
因島アメニティー公園があります。
そこに、なぜか恐竜の像があります。
因島アメニティー公園です。
因島大橋を渡る前に、因島大橋を見たところ。
白い大きな塊は、吊り橋のケーブルを固定する
アンカーブロックです。
因島大橋を渡る前に、
北を見たところ。
眼下に見える灯台は
因島の大浜崎灯台です。
その向こうの左側の島が、岩子島で、
右側の島は、向島です。
岩子島と向島を結ぶ赤い橋は、
向島大橋です。
因島大橋の自転車・歩行者道は、
自動車道の下を通る構造になっています。
その自転車・歩行者道です。
自転車・歩行者道から
北を見たところ。
自転車・歩行者道には、
金網がはってあります。
南を見たところ。
北を見たところ。
正面手前は岩子島。
因島大橋を渡ると、
自転車・歩行者道は横へそれて、
海岸の道へ下ります。
自動車道は、まっすぐ向島の内陸部へ
入って行きます。
渡って来た因島大橋を、
ふり返って見たところ。
因島大橋を、南東から見たところ。
対岸の島は、因島です。
向島の海岸沿いの道路へ
下りたところ。
因島です。
向島側から見た因島大橋です。
因島大橋です。
因島大橋。
因島大橋です。
因島大橋の南側から、
橋の下をくぐり、
北側から、因島大橋を見たところ。
因島大橋。
西を見たところ。
正面の島は、細島です。
北西を見たところ。
中央、左よりに見える島は、
岩子島です。
南を見ると因島大橋が見えます。
北西を見たところ。
因島大橋です。
西を見たところ。
中央、右よりの平たい島は、
細島です。
向島の西海岸を北上して行くと、
赤い向島大橋が見えて来ます。
橋の左側が岩子島で、
右側が向島です。
道の横にあった小島です。
でも、陸続きなので
島とは言わないのかも?!
ふり返って見ると、
洞穴があいていました。
その小島と洞穴です。
右半分は、岩子島です。
岩子島と向島を結ぶ向島大橋です。
岩子島と向島の間の水路は、
御幸瀬戸と呼ばれています。
橋の横を通り過ぎて、
ふり返って見たところ。
向島の西海岸を北上しながら、
御幸瀬戸を見たところ。
海岸に舫でいるボートです。
やっと、尾道駅前の桟橋と、
向島の富浜を結ぶ
向島渡船の桟橋が見えてきました。
この向島渡船は、旅客運搬船で、
車を運ぶ事はできません。
でも、
ちっちゃなフェリーのような
構造になっており
自転車を積む事はできます。
桟橋の上で船を待つ私の息子です。
これは、私が借りたママチャリのカゴの中です。
カゴの中は、ヘルメットとジュースと八朔です。
八朔は、因島の農家の方が、サイクリストの為に、
無料で配られていたものです。
これから乗る向島渡船の船がやって来ました。
船に積んだ私が借りたママチャリです。
船の上から尾道駅前の桟橋方向を
見たところ。
細長いビルは、
尾道ウォーターフロントビルです。
この中には、尾道グリーンホテルも
入っています。
尾道駅前の桟橋へ到着です。
前方には、赤い屋根の尾道駅が見えます。
その後方の千光寺山の上に建つのは尾道城です。
尾道城と言っても、
昭和の時代に博物館として建てられたもので
歴史的な価値は無く、現在は廃墟となっています。
手前は、今治から、ここまで走破して来た
ママチャリです。
レンタサイクルなので、もうすぐお別れです。
尾道駅前の海岸から東を見ると、
尾道大橋と新尾道大橋が
並んで見えます。
この新尾道大橋には、残念な事に、
自転車・歩行者道はありません。
古い尾道大橋は、
自転車・歩行者道がありますが、
形ばかりで非常に狭いです。
よって、しまなみ海道の
サイクリングコースとしては、
渡船で向島へ渡る事が
推奨されてます。
一緒に、今治、尾道間を走破して来たママチャリを、レンタサイクルのターミナルへ返却し、
尾道駅から、JRの山陽本線で広島の我が家へ帰り着く事ができました。
お父さんに、つき合ってくれた息子にも感謝です。