奈良・京都旅行の6日目は、朝早く起きて、
上賀茂神社、下鴨神社
を周った後、
銀閣寺へ、そして、哲学の道を通って大宝神社、熊野若王子神社へ寄って、
その後、南禅寺、青蓮院門跡、知恩院、八坂神社を周りました。
上賀茂神社、下鴨神社
を周った後、
鴨川デルタへ出て、今出川通りを東へ、
銀閣寺へ向かいます。
途中、右手に京都大学の校舎が
見えてきます。
京都大学 百万遍門から構内を見たところ。
今出川通りを東へ進みます。
京都大学 本部構内への北門です。
今出川通りを東へ進んで行くと、
左手に後二条天皇 北白河陵があります。
後嵯峨天皇の死後、皇位をめぐる紛争から
朝廷は、持明院統と大覚寺統に分裂し、
交互に皇統を継ぐ両統迭立が始まります。
後二条天皇(1285-1308)は、
大覚寺統の後宇多天皇の第一皇子です。
また、建武の新政を始めましたが、
足利尊氏の離反で、吉野に移り南朝を始めた
後醍醐天皇の兄でもあります。
更に、今出川通りを東へ進んで行くと、
右手に吉田山があり、その吉田山の北端に
吉田神社の標石と、赤い鳥居がありました。
ちなみに、徒然草で有名な吉田兼好は、
吉田神社の神職の子として生まれています。
更に、今出川通りを東へ進むと、
左手に哲学の道の看板があります。
その横を流れる川は、琵琶湖疏水の
分流です。
蹴上から、南禅寺 水路閣を経由して、
哲学の道に沿って流れ、高野川、賀茂川を横切り、
堀川に至ります。
東に向け進んで行くと、
正面に大文字山が見えます。
お盆の時期に行われる五山送り火では、
松明の火で、大と言う文字が浮き上がります。
琵琶湖疏水の分流です。
琵琶湖疏水の分流を渡る銀閣寺橋です。
この橋を渡り、まっすぐ進むと銀閣寺です。
哲学の道は右へ、琵琶湖疏水の分流に沿って
続きます。
銀閣寺へ向け、参道を東へ進みます。
途中、国旗掲揚台があります。
昭和十二年、銀閣寺青年団の文字が入っています。
銀閣寺へ到着です。
参道をふり返ったところ。
入口にあった銀閣寺境内図。
銀閣寺は、正式名称を
東山慈照寺といい、
相国寺の塔頭寺院の
一つです。
足利義政が文明14年(1482)に
東山山麓に造営し、義政の没後、
臨済宗の寺院に改め、
義政の法号、慈照院にちなみ、
慈照寺と名付けられました。
銀閣は、長享3年(1489)に
建てられた二層の楼閣で
下層は和洋の書院風、
上層は禅宗様の仏堂風
につくられています。
正面に総門が見えます。
総門です。
総門から中門までの約50mの間は、銀閣寺垣と呼ばれる
竹垣で囲まれた細長い参道があります。
この銀閣寺垣は、防御を目的として、設けれたと考えられています。
その銀閣寺垣を抜けると、中門があります。
中門を入ったところ。
中央右よりに宝処関と呼ばれる入口がありますが、
閉まっており、
一般観光客は、くぐり戸を抜けて中へ入ります。
中に入ると、目の前に円錐台形の向月台があります。
東山に昇る月を、この上に座って待ったと言う俗説が
あるようです。
向月台の右手に観音殿 銀閣があります。
観音殿 銀閣です。
義政公は、自らの宗教観を託し、
一層を心空殿、二層を潮音閣と命名しました。
心空殿は書院造りで、潮音閣は禅宗様で
観音菩薩を安置する仏堂です。
観音殿 銀閣です。
唯一現存する室町期の楼閣庭園建築の
代表的建造物です。
観音殿 銀閣の横には、八幡社があります。
観音殿 銀閣です。
観音殿 銀閣の前には錦鏡池と呼ばれる
池があります。
左端に向月台、右端に分界橋が見えます。
分界橋は、観音殿 銀閣と向月台の間を、
架け渡しています。
観音殿 銀閣です。
向月台です。
向月台の横には銀沙灘(ぎんしゃだん)が
あります。
宝処関です。
宝処関の中に入り、花頭窓から
外を見たところ。
宝処関の花頭窓です。
宝処関を出ると、正面に
絵が描かれた本堂(方丈)の戸板があります。
宝処関を出たところから見た銀沙灘です。
本堂(方丈)です。
江戸中期に建造された物で、
本尊として釈迦牟尼仏が安置されています。
内部には普段は見ることはできませんが、
江戸期の南宋画家の巨匠、与謝蕪村、池大雅の襖絵が
所蔵されています。
本堂(方丈)の前から見た銀沙灘です。
銀沙灘の向こうに向月台、
その向こうに観音殿 銀閣が見えます。
銀沙灘、向月台と、観音殿 銀閣です。
向月台と、観音殿 銀閣です。
観音殿 銀閣の屋根の上の鳳凰です。
観音殿 銀閣です。
本堂(方丈)の前を東へ進むと、
東求堂があります。
東求堂です。
東求堂は、本来、持仏堂、
すなわち、阿弥陀仏を祀る阿弥陀堂でした。
東求堂の前から見た銀沙灘、
その向こうの観音殿 銀閣です。
向月台と、観音殿 銀閣です。
東求堂と錦鏡池です。
東求堂と錦鏡池です。
右端には、錦鏡池の中島の一つ、
白鶴島へ渡る石橋の仙袖橋が見えます。
そして、反対側には、向月台、木の陰に銀閣が
見えます。
錦鏡池の中の石の横にに大内石と
書かれた立札が立ってます。
大内石は、諸大名によって献上された
諸侯石と呼ばれる石の一つで、
守護大名の大内政弘によって献上された石と
言われてます。
庭園は池泉回遊式庭園で、
錦鏡池を中心に周囲を巡る園路が
配されています。
錦鏡池の中島の一つ、仙人洲と、迎仙橋が見えます。
左端に仙人洲、中央に迎仙橋です。
その向こう、木の陰に銀閣が見えます。
中央に仙人洲、右端に迎仙橋が見えます。
錦鏡池に架かる橋、龍背橋を対岸へ渡りながら、
西側を見たところ。
錦鏡池に架かる橋、龍背橋を対岸へ渡りながら、
東側を見たところ。
錦鏡池の中には、先ほど見た大内石が
あります。
龍背橋を渡って、振り返ったところ。
龍背橋を渡り、錦鏡池畔を西へ向かいます。
正面に仙人洲、その向こうに銀閣が見えます。
錦鏡池畔を西へ向かいながら、
銀閣を見たところ。
錦鏡池の中島は、仙人洲です。
銀閣と、その手前の仙人洲です。
錦鏡池越しに見る観音殿 銀閣です。
錦鏡池越しに見る観音殿 銀閣です。
錦鏡池越しに見る観音殿 銀閣です。
銀閣の右側に見える石橋は、分界橋です。
錦鏡池畔を東へ戻りながら、
北側を見たところ。
正面の木の陰に見える建物は、
本堂(方丈)です。
正面に本堂(方丈)です。
右端には、龍背橋が見えます。
錦鏡池越しに東求堂を見たところ。
東求堂の手前には、
錦鏡池の中島の一つ、白鶴島が見えます。
また、先ほどと別の角度から見た大内石も
見えます。
錦鏡池の南東部には、洗月泉があります。
山から湧き出る水が細い滝となって流れ落ち、
錦鏡池へ流れ込んでいます。
月が泉に映る時、さざ波が月を洗っているように見える事から
洗月泉と呼ばれるようになったと言う事です。
錦鏡池の南東、洗月泉からの流れが
錦鏡池へ入り込む入り江から
東求堂を見たところ。
中央には、錦鏡池の中島の一つ、
白鶴島が見えます。
錦鏡池越しに東求堂、その向こうに本堂を
見たところ。
左端が龍背橋です。
大内石も見えます。
中央左寄りに白鶴島です。
白鶴島に架かる橋は、仙桂橋です。
錦鏡池畔を周り、仙桂橋を過ぎて、山側に向かうと
左手に辨財天があります。
辨財天を過ぎ、高台へ向け登って行きます。
高台へ向け登って行きながら見た
観音殿 銀閣です。
この階段を上ると漱蘚亭跡があります。
階段を上ったところにあった供養塔です。
また、お茶の井もありました。
そのお茶の井の説明です。
足利義政公に愛用されたとの事です。
漱蘚亭跡から更に高台へ上って行きます。
高台へ向け上りながら、
上ってきた階段、そして、漱蘚亭跡を見下ろしたところ。
高台から銀閣寺庭園を見下ろしたところ。
観音殿 銀閣です。
銀閣寺庭園を見下ろしたところ。
銀閣寺庭園を見下ろしたところ。
観音殿 銀閣です。
高台から西、少し北よりに、
大北山の左大文字の大の文字が見えます。
観音殿 銀閣です。
銀閣寺庭園を見下ろしたところ。
観音殿 銀閣です。
銀閣寺の西方には、
吉田神社のある吉田山が見えます。
高台の散策路を周り、下って行きます。
観音殿 銀閣です。
観音殿 銀閣。
苔むす庭園です。
庭園の南側に下りてきました。
そして、観音殿 銀閣を見たところ。
目の前には錦鏡池があります。
観音殿 銀閣の南側へ出ました。
観音殿 銀閣を南から見たところ。
観音殿 銀閣を南から見たところ。
観音殿 銀閣を南から見上げたところ。
観音殿 銀閣の西面です。
観音殿 銀閣の西面。
銀閣の柿葺きの屋根の展示が
ありました。
観音殿 銀閣を北西から見たところ。
観音殿 銀閣の二層目を
北西から見たところ。
境内を一周し、中門前に出たところ。
中門から総門に向け、銀閣寺垣が続いています。
総門を、内側から見たところ。
総門を出て、外から総門を見たところ。
銀閣寺の総門を出たところへあった
まつばやで銀閣寺しゅーの看板が
目に留まりました。
ちょうど、お腹も減ってきたところで、
銀閣寺しゅーの抹茶を頼みました。
その銀閣寺しゅーです。
中には抹茶のクリームが入ってます。
ひんやり冷たく、歩き疲れた身体に
程よい甘さです。
参道を哲学の道へ出るまで西へ向かいます。
琵琶湖疎水の分流です。
この琵琶湖疎水の分流に沿って
哲学の道があります。
この哲学の道は、
疎水の管理道路として造られましたが、
哲学者の西田幾太郎氏が思索にふけりながら散策された事から、
哲学の道と呼ばれるようになりました。
その哲学の道を南へ、
熊野若王子神社へ向け歩きます。
途中、疎水の中を覗くと魚がいます。
流れに光が反射し、どこに魚がいるか
わかりにくいですが…。
なんて言う魚でしょう?
鰭が赤味をおび、鱗の堺が
はっきりしています。
気持ちよさそうに泳いでいます。
こちらは鯉でしょうか?
鯉です。
哲学の道を進んでいきます。
哲学の道を進んでいくと、
左手に冷泉天皇 櫻本陵があります。
冷泉天皇は、第63代天皇で、病弱で
藤原実頼を関白に任じ、安和の変以降、藤原氏の摂関政治が
始まりました。
哲学の道を進んでいくと、
右手に大豊神社の御旅所があります。
そして、少し進んで、
左手の大豊神社へ向かう大豊橋を渡り
進みます。
大宝神社へ向かう参道です。
大豊神社の鳥居が見えてきました。
鳥居の手前には、宇多天皇御惱平癒勅願社と
書かれた石標が立ってます。
平安時代初期(887年)に
宇多天皇の病気平癒を願って
藤原淑子が医薬祖神である少彦名命を
椿ヶ峰に祀って創建したと伝えられています。
鳥居の手前にあった手水舎です。
椿ヶ峰の御神水と表示がありました。
鳥居を通して舞殿が見えます。
舞殿です。
絵馬堂です。
中には、献酒の樽酒が
並べられていました。
階段を上り、本殿に向かいます。
本殿です。
医薬祖神である少彦名命、応神天皇、菅原道真公が
祀られています。
本殿です。
本殿の隣には、大豊神社の末社の稲荷社が
あります。
その稲荷社の隣には、大豊神社の
末社の大国社があります。
大国主命が祀られています。
ある時、素戔嗚尊が
大国主命の力を試そうと広い野原で火を放ちます。
その時、一匹のネズミが大国主命の前に現れ、
地下の穴を教え助けます。
よって、大国主命の神使は、ネズミです。
大国社です。
大国社の前の左右には、狛ネズミが
います。
左の吽形狛ネズミが抱えているのは、
水玉で長寿を表します。
右の阿形狛ネズミが抱えているのは、
学問を意味する巻物です。
大国社の前の階段を下り、
ふり返ったところ。
大豊神社の参道を戻り、哲学の道を横切った先に
一の鳥居があります。
哲学の道に戻り、琵琶湖疎水の分流を
覗き込みます。
魚が泳いでいます。
哲学の道を南の端まで歩き、東に入ると
熊野若王子神社があります。
石橋の手前横には、上部が無くなってますが、
梛(なぎ)の神木があります。
梛の木は、禊の木として用いられたと
言う事です。
石橋を渡り、熊野若王子神社へ入ります。
この石橋は、
明暦2年(1656)に吉良家より寄進されたものです。
橋を渡り、鳥居をくぐった正面に、
熊野若王子神社の末社、夷川社の
恵比寿殿があります。
恵比寿殿には、恵比寿神像が祀られています。
恵比寿殿の隣には、
熊野若王子神社の本殿があります。
永歴元年(1160)に
後白河上皇が熊野権現を勧進したのが始まりで、
京都三熊野の一つです。
祭神は、国常立神、伊邪那岐神、
伊邪那美神、天照皇大神の4柱です。
天照大神の別号「若一皇子(にゃくいちおうじ)」にちなみ
社名を「若王子(にゃくおうじ)」と呼ばれています。
本殿の正面の石橋から、外へ出ます。
この後、南禅寺、青蓮院門跡、知恩院、八坂神社を周りました。