京都は、何度も訪れた事がありますが、それでも、訪問できて無い場所があります。
京都を全て見て周る事は無理だと思いますが、
そして、昨年(2024年)10月に訪問したばかりですが、
再度、三泊四日で再訪しました。
三日目は、寂光院、三千院、京大百周年時計台、吉田神社、真如堂を訪問します。
寂光院、三千院、等を訪問した後、
大原から、バスで出町柳駅前まで移動し、
今出川通りを東へ進みます。
今出川通りと東大路通りが交わる交差点、
百万遍の交差点で、東方向を見たところ。
右に京大の吉田キャンパスが見えます。
歩き回る前に、
遅い昼食をとる事にします。
と言う事で、今出川通り沿い、
京大の向かいにある
和洋食堂ハイライトへ向かいます。
お店に着いた時見たhi-liteのロゴが、
たばこのhi-liteと良く似ているなと
思ってしまいました。
注文したカラフルジャンボチキンカツです。
京大の向いと言う事もあり、
学生さんに愛情のこもった食事を
安価で提供したいと言う思いで、
1960年に創業されたお店です。
「味よし 量よし 値段よし」をモットーに
されてますが、正に言葉通りです。
カラフルジャンボチキンカツは、
ケチャップにオニオンの
アメリカンソース、チーズ、
おろしポン酢を大きなチキンに
トッピングされており、
いろんな味が楽しめます。
学生であれば、
食べきれるかもしれませんが、
年寄りには無理。
お持ち帰りしました。
腹ごしらえの後は、
今出川通りを、少し西へ戻ると、
知恩寺があります。
浄土宗を開いた法然上人は、
知恩寺の前身の賀茂の神宮寺にて
「念仏のみ教え」を説きました。
建暦二年(1212)、法然上人の入滅の際、
直弟子の源智上人が、師の恩に報いる為、
「恩」を「知」らなければならないと
知恩寺と名付けました。
知恩寺の総門です。
表札に、「浄土宗堕本山 百万遍 知恩寺」と
あります。
元弘元年(1331)、地震がもとで
都に疾病が蔓延し、
心を痛めた後醍醐天皇の勅命を受けて、
善阿空圓上人が弟子らと共に
七日七夜にわたり、
百万遍の念仏を称えながら
大念珠繰りを行ったところ、
疾病が治まり、「百万遍」の号が
下賜されました。
知恩寺の総門は、広小路に所在した時の総門を移築したものです。
総門をくぐり、正面に御影堂を見たところ。
総門を入って、すぐ左、西側に
赤い鳥居と小さな祠があります。
その隣に、お地蔵様が祀られています。
その北側には、阿弥陀堂があります。
そのお地蔵様です。
右側の建物は、阿弥陀堂です。
その阿弥陀堂です。
東、正面から、阿弥陀堂を見たところ。
阿弥陀堂は、禅宗様を基本とし、
江戸時代末期の流行を取り入れ、
天保三年(1832)に創建されたものです。
阿弥陀如来は西方浄土に住むと
言う事から、
西を背にして建てられています。
その阿弥陀堂の反対側、東側には、
手水舎があります。
左端は、御影堂です。
その手水舎を西から見たところ。
左端は、釈迦堂です。
御影堂を南、正面から見たところ。
御影堂は、寛文二年(1662)に
光警萬霊上人が建立するも、
その94年後の宝暦六年(1756)に
震警知巖上人によって、
現在の総欅造りの大きなものに
改められています。
御影堂に向いながら、右手、東側には、
釈迦堂があります。
釈迦堂は、百万遍知恩寺の本堂にあたり、
建物は、禅宗寺院建築の影響を
受けています。
寛文四年(1664)に建立された物です。
その釈迦堂の手前、右よりには、
屋根に覆われた阿弥陀教石碑が建ってます。
阿弥陀教石碑は、
正徳二年(1712)に建立された物で、
正面に南無阿弥陀仏の名号と阿弥陀如来座像が刻まれ、裏面に阿弥陀教の全文が刻まれています。
この石碑は、福岡県の宗像大社の阿弥陀教石碑の複製と言う事です。
その反対側、西側に、鐘楼堂があります。
吊られている梵鐘は、
珍しい朝鮮様式の物です。
鐘を吊るす部分の竜頭の横に、
筒状の音が抜ける旗指があり、
模様も瑞雲や仏を描き、
和鐘と異なる趣となってます。
鐘楼堂は、元禄十六年(1703)に
建てられたものです。
御影堂の前から、
北東方向を見たところ。
左端は、御影堂です。
釈迦堂を北西から見たところ。
御影堂の前を東へ進んで行くと、
勢至堂があります。
法然上人は、
生前に「知恵第一の法然房」と
言われた事から
勢至菩薩の化身と言う信仰に発展し、
浄土宗では勢至菩薩を本地仏として
祀る事があります。
勢至堂は、寛文14年(1731)に
建てられたものです。
勢至堂の北には、納骨堂があります。
御影堂の西へ歩いて行くと、
加茂明神鎮守堂があります。
明治の神仏分離以前は、
賀茂両社の神宮寺だった名残で、
今でも本地仏です。
寛文二年(1661)に建造され、
虚空蔵菩薩、如意輪観音、
荼枳尼天(だきにてん)が
祀られています。
御影堂の横を北へ進んで行くと、
左手に、百萬辨戝天が祀られています。
御影堂の北に位置する庫裏です。
知恩寺を出て、
今出川通りと東大路通りが交わる交差点、百万遍交差点を南へ渡り、
京都大学百周年時計台記念館へ向います。
百万遍入構口横にあった京都大学本部構内案内です。
東大路通りを南下して行き、
京都大学総合博物館を過ぎたところで、
吉田キャンパスの中へ入って行きます。
そして、途中、南へ向きを変えて進みます。
キャンパス内を南へ進んで行きます。
学生さんの足の自転車が、
たくさん並んでいます。
中央左よりは、法経済学部本館です。
右は、百周年時計台記念館の
北側、西側面を見たところ。
百周年時計台記念館を
南西から見たところ。
時計台は、大正14年(1925)に創建され、
京大のシンボルとして
親しまれてきましたが、
平成15年(2003)に
創立百周年記念事業の一環として
最新の免震構法を取り入れ、
外観や内装の雰囲気はそのままに
改修工事を終えています。
百周年時計台記念館を
南、少し西よりから見たところ。
百周年時計台記念館を
南から見たところ。
南正面には、
大きなクスノキがたってます。
クスノキが大きすぎて、
時計台が隠れてしまいます。
京都大学本部構内正門を出て、
東を見たところ。
吉田神社の一の鳥居が見えます。
吉田神社の一の鳥居です。
吉田神社は、清和天皇の御代、
貞観元年(859)に、中納言の藤原山蔭卿が
京の都の鎮守神として、
藤原氏の氏神である春日大神を
奈良の
春日大社
から
吉田山、別名、神楽岡へ
勧進し創建されました。
吉田山に向け、参道が伸び、
その先に二の鳥居が見えます。
正面、右よりに二の鳥居、
左に手水舎が見えます。
二の鳥居の向こう、左側に、
今宮社の石鳥居が見えます。
今宮社です。
吉田神社の末社にあたり、
祭神は、大己貴神、大雷神、健速須佐之男命です。
古くから木瓜大明神と称され
吉田町の産土神として祀られています。
今宮社の石鳥居をくぐると、
拝殿があり、
その向こうに本殿があります。
吉田神社の参道を東へ、
二の鳥居をくぐった先の
階段を上って行くと、
本宮の前の広場へ到着します。
その広場から、更に上に上って行く階段があります。
この階段を上がると、
吉田神社の摂社の若宮社があります。
祭神は、本宮第三殿の天之子八根命と、
第四殿の比売神の子で、天忍雲根命です。
若宮社への階段の右手に
献酒された菰樽が並んでいます。
その菰樽の横には、
神鹿の像があります。
神鹿の像です。
吉田神社は、
奈良の
春日大社
の四柱を勧進しており、
春日大社同様に
鹿は神の使いとされています。
若宮社への階段のすぐ脇に、さざれ石があります。
この石は、岐阜県春日村の山中にあったものです。
平安時代、文徳天皇の皇子、惟仁親王に仕えた
藤原朝臣石位左衛門は、春日村、京都の往復道中に
渓流に山積みするさざれ石を見て、
わが君は千代に八千代にさざれ石の
巌となりて苔のむすまで
と詠みました。
さざれ石は、学名を石灰質角礫岩と言い、
石灰石が長い年月に雨水で溶融され
粘着力の強い乳状液が小石を凝結し巨岩となり、
苔むしたものです。
若宮社への階段の前から北を向くと
本宮の赤い鳥居があります。
鳥居をくぐると正面に
拝殿があります。
拝殿の後ろに並ぶ白いテントは、
2月の節分祭に向けた準備で
建てられているようです。
その拝殿の向こうに、中門があり、
両側に回廊が続いています。
中門の中に本殿があり、
中門の前から参拝します。
本宮の祭神は、奈良の
春日大社
と同じで
第一殿 健御賀豆知命
第二伝 伊波比主命(=経津主神)
第三殿 天之子八根命
第四殿 比売神
です。
本宮境内の東側にも、急な階段があり、
神楽岡社へ続いてます。
祭神は、大雷神、大山祇神、高龗神で、
本宮創建の頃には、既に鎮座されていたと
伝わります。
本宮の境内の南東隅から、
境内を見たところ。
木の周りに、おみくじが結ばれています。
本宮を出て、献酒の菰樽の前を通って
道なりに、山を上ります。
菰樽の横にあった吉田神社 境内周辺図です。
途中、左手に、
菓祖神社への階段がありますが、
道なりに右へ進みます。
菓祖神社は、果物の祖と言われる橘を
日本へ持ち帰った田道間守命と、
日本で初めて饅頭をつくった林浄因を
菓子の祖神として祀る社です。
道なりに上って行くと
右手に山蔭神社が見えてきます。
山蔭神社です。
祭神は、
春日大社から春日大神を
勧進したと伝わる
藤原山蔭卿です。
藤原山蔭卿は、
日本で初めて食物を
調理、調味したと言われ、
古来より包丁の神、
料理飲食の祖神として信仰されています。
更に上って行くと、
斎場所 大元宮があります。
左は、大元宮の手水舎で、
右に鳥居が見えます。
斎場所 大元宮です。
鳥居の向こうに中門があり、
左右に回廊が伸びています。
普段は、中門から中に入れませんが、
天神地祇八百万神を祀る大元宮を
中心として、
奥の東西に
東神明社 天照皇大神、
西神明社 豊宇氣比売神、
左右に
延喜式内社三千百三十二座が並び、祀られています。
もとは、神職の卜部(吉田)家邸内にあった物を、
文明16年(1484)に吉田神道を創設した吉田兼倶がここに移建し、
吉田神道の根本殿堂としています。
大元宮は、全国のあらゆる神々を祀る為、
大元宮に参詣すると、全国の神社へ詣でる事と同じ効験があるとされています。
大元宮を出て、更に進むと
竹中稲荷社の鳥居があります。
赤い鳥居の扁額に、竹中稲荷大神とあります。
進んで行くと、右手に
宗忠神社の鳥居があります。
その鳥居の前を過ぎて進んで行くと、
左手に竹中稲荷社の鳥居が続く、参道が見えてきます。
鳥居が続く参道を、南から北へ向け進みます。
赤い鳥居が続く中に混じって、石の鳥居があります。
赤い鳥居の向こうに、社殿が見えます。
連続した鳥居の最後の鳥居をくぐると、
拝殿があります。
右が拝殿で、
その向こうに本殿が見えます。
左の赤い鳥居は、天満宮社です。
竹中稲荷社の本殿です。
祭神は、
宇賀御魂神、猿田彦神、天鈿女神です。
古紀に
「在原業平の居を
神楽岡稲荷神社の傍らに卜す云々」とあり、
天長年間には既に社殿があったと
知られます。
また、他の古伝には、
「天保年間に京師幾萬の子女郡参し昼夜の別なく満山に踊躍す是を蝶々踊と云い
其の後数千の鳥居参道に樹立し雨雪為に傘を要せず」などとあります。
現在の地には、天保11年(1840)に信徒の寄付金で造営されています。
右が、竹中稲荷社の本殿で
その左の赤い鳥居と社は、
天満宮社です。
天満宮社の祭神は、菅原道真公で、
嘉永5年(1852)に現在地へ
遷座されています。
竹中稲荷社の西に、吉田山公園があり、
吉田山公園から山の中を北へ進んで行くと
吉田山展望台があります。
吉田山展望台にあった東屋です。
吉田山展望台には、方位盤がありますが、
展望できるのは東側のみです。
東側には、東山如意ヶ嶽、
別名、大門地山が正面に見えます。
お盆に行われる五山送り火に使用される火床が
「大」の字の形に並んでいるのが見えます。
竹中稲荷社の鳥居が続く参道入口から、
吉田山を東へ下り、南へ少し歩くと
宗忠神社の東正面の鳥居と階段があります。
宗忠神社は、
岡山市に本部がある黒住教の教祖、
黒住宗忠を祀る神社です。
安政3年(1856)に黒住宗忠は、
朝廷より「宗忠大明神」の神号を下賜され、
文久2年に神社が創建されました。
鳥居の前、左右に逆立ちをする備前焼の狛犬があります。
宗忠神社から、東へ進んで行くと、
前方に真如堂が見えます。
真如堂へ向け進んで行く途中、左手に
陽成天皇 神楽岡東陵があります。
陽成天皇 神楽岡東陵です。
陽成天皇 神楽岡東陵を
正面から見たところ。
陽成天皇(869-949)は、
父の清和天皇の譲位により、
9歳で即位し、幼少の為、
叔父の藤原基経が摂政として
政治を行います。
そして、17歳で譲位をしています。
陽成天皇の譲位は、
殺生に対する異常行動の執着が原因とも
考えられています。
真如堂へ向かい進みます。
左に真如堂の総門が見え、
その奥、右よりに三重塔が見えます。
総門です。
別名、赤門とも呼ばれています。
元禄8年(1695)の建立です。
神楽岡(吉田神社)の神々が
夜にお参りに来る際に
つまずかないように敷居が無いと
されています。
総門を抜け、
正面の本堂へ向け進みます。
本堂の手前、右側に三重塔が見えます。
その三重塔です。
三重塔の手前の小さなお堂は、鎌倉地蔵堂です。
本堂へ向け進みます。
真如堂は、
正式には鈴聲山真正極楽寺と言い、
比叡山延暦寺を本山とする
天台宗のお寺で、
永観2年(984)に戒算上人が開創しました。
極楽寺を名乗るお寺は多くありますが、
ここが正真正銘の極楽の霊地と言う
意味を込めて名づけられ、
本堂を表す真如堂が通称として
定着しています。
三重塔です。
文化14年(1817)に再建されたもので、
本瓦葺で高さは約30mあり、
多宝塔を祀っています。
本堂です。
享保2年(1717)に再建されたもので、
本瓦葺、総欅の入母屋造りです。
三重塔を北東からふり返ったところ。
本堂の北西に位置する元三大師堂です。
元三大師堂は、元禄9年(1696)の建立です。
元三大師は、
比叡山中興の祖と仰がれる
良源(912-985)と言う高僧で、
正月三日に窮した事から、
元三大師と呼ばれています。
また、おみくじの元祖としても
知られています。
本堂と元三大師堂の間、
本堂のすぐ北西に
池があります。
この池は、昭和9年(1934)に
くろ谷の本堂が焼失した際に
防火用水として池が作られたと
言う事です。
本堂の北側には、
本堂と書院を結ぶ廻廊が伸びています。
本堂の北側から、池を周って進むと、
傳教大師巡錫之像があります。
傳教大師は、比叡山を開き、
天台宗を開宗した
最澄(767-822)の死後に、
清和天皇から与えられた諡です。
池の中洲には、石橋が架かり、
赤崎弁天の祠が見えます。
池を周って、本堂の前に出て、
三重塔を見たところ。
手前は手水舎です。
本堂の南東に鐘楼堂があります。
鐘楼堂の梵鐘は、宝暦9年(1759)に竣工したものです。
第2次世界大戦中に金属供出をしましたが、
無事に戻って来たという事です。
本堂の南には、阿弥陀如来露仏があります。
享保4年(1719)、木倉正禅養阿上人が建立しました。
その阿弥陀如来露仏の隣、東側に
三界萬霊搭があります。
本堂の東側にある萬霊堂です。
三井家によって建立されたお堂で
地蔵菩薩を中心に有縁無縁の精霊が
祀られています。
真如堂から南へ、墓地の中を進んで行くと
金戒光明寺の三重塔が見えてきます。
金戒光明寺の三重塔です。
三重塔は、江戸時代初期、寛永10年(1633)に
徳川秀忠公菩提の為に建立されました。
内部には、中山文殊が安置されていた事もあり、
文殊搭とも呼ばれています。
中山文殊は、元々、中山宝幢寺の本尊でしたが、
応仁の乱で廃寺となり、小堂で祀られていました。
そして、金戒光明寺の三重塔が完成した時、
本尊として祀られました。
現在は、平成20年(2008)に
中山文殊は御影堂に遷座されています。
金戒光明寺の境内から、
三重塔へ向け階段が伸びてきてます。
その階段を、三重塔の前から、
見下ろしたところ。
その階段を下りながら、
三重塔をふり返ったところ。
三重塔の前から、
階段を西へ下りて行きます。
中央、右よりに
金戒光明寺の山門が見えます。
手前の屋根は、
熊谷直実ゆかりの蓮池院です。
中央、右よりの背の高い建物は
山門です。
山門の北に目を移します。
中央は、阿弥陀堂で、
その左は、納骨堂、
右の背の高い屋根は、御影堂です。
三重塔から下って行くと、
正面に蓮池があり、
その蓮池に極楽橋が架かってます。
蓮池越しに、左側に
阿弥陀堂を見上げたところ。
極楽橋を渡り、進んで行くと、
山門があります。
ちょうど、日が暮れました。
明日、もう一度来て見ようと思いながら
帰る事にします。
山門の横を下り、
山門を正面から見上げたところ。
山門の前を西へ進むと、
高麗門があります。
京都市バスへ乗って、京都駅まで帰ります。
京都駅前から、京都タワーを見たところ。
ライトアップカラーは、ティールと言う色でした。
京都タワーと、羅城門10分の1復元模型です。
歩き疲れたので、早くホテルに帰って寝る事にします。