山の辺の道2: 12May2019



奈良・京都旅行の二日目は、山の辺の道を、天理から桜井まで歩きました。
朝早く起きて、 石上神宮、内山永久寺跡、夜都伎神社、竹之内環濠集落、萱生環濠集落、念仏寺、長岳寺、崇神天皇陵、景行天皇陵
を周り、その続きを紹介します。

景行天皇陵の次は、檜原神社へ向かいます。



■ 檜原神社

山の辺の道を進んで行くと、神雛(ひもろぎ)跡があります。












神雛(ひもろぎ)の説明です。

神雛(ひもろぎ)は、神祭りの施設で
神霊の降臨する依代です。










その神雛(ひもろぎ)跡です。












山の辺の道から北東を見たところ。

龍王山が見えます。










常夜灯と、二つの小さな祠です。

この常夜灯には、太神宮の文字が彫られています。

太神宮は伊勢神宮を指し、お伊勢参りをする人々の為に
建てられた常夜灯だと思われます。







越屋根の付いた家がありました。












檜原神社へ着きました。

檜原神社の北側の入口にあった注連柱です。










その注連柱をくぐり、境内へ入ります。

注連縄で囲われた祓所があります。

祓所は、神社の儀式斎行時に御祓いを行う場所です。








その横にあった手水所です。












一度、檜原神社の境内から外に出て、
西側正面の注連柱を見たところ。











西側正面の注連柱から境内へ入り、その注連柱を見たところ。

















檜原神社の全景です。

檜原神社は、大神神社の摂社で、祭神は、天照大神です。

崇神天皇の御代には、疫病が流行りました。
崇神天皇は、天照大神と倭大国魂神を一緒に宮中に祀っており、
畏れ多い事と考え、天照大神は皇女 豊鍬入姫命に託され、
倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)に
磯城神籬(しきひもろぎ)を立てて祀られました。

それが、この檜原の地で、天照大神の伊勢遷幸の後も、
檜原神社として引き続き祀られてきました。

倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)の伝承地であり、元伊勢とも呼ばれています。

正面に、三ツ鳥居が見えます。












三ツ鳥居です。

三ツ鳥居とは、一つの鳥居の両脇に、小規模な二つの鳥居を
組み合わせた物を指します。

拝殿、本殿はありません。







角度を変えて、三ツ鳥居を見たところ。

左に見える社は、豊鍬入姫命宮です。









元伊勢 檜原神社と豊鍬入姫命宮の御由緒の説明です。



















神社南側の注連柱を出て、神社をふり返ったところ。



















■狭井神社

檜原神社を出て、山の辺の道を狭井神社に向けて進みます。

















途中に見た石塔です。












更に進んで行くと、玄賓庵があります。

その玄賓庵の説明です。

平安時代初期、高徳僧で名医でもあった玄賓僧都が
隠棲したと伝えられる庵です。

玄賓庵は、世阿弥の作と伝えられる謡曲「三輪」の
舞台になった場所です。

謡曲「三輪」は、以下です。

玄賓のもとへ、毎日、樒と閼伽の水を持って訪ねる女が
いました。その女は夜寒をしのぐ衣を賜り給えと請います。
玄賓は快く衣を与え、その住居を問うと、
「我が庵は三輪の山本恋しくは訪い来ませ杉立てる門」の古歌をひき、
杉立てる門を目印においでなさいと言い残し姿を消します。
三輪明神へお参りした里の男が、御神木の杉に玄賓の衣が掛かっているのを見つけ、玄賓に知らせます。
男の知らせに玄賓は杉のところへ来ると、衣の裾に一首の歌が縫い付けられているのを見つけます。
それを読んでいると、女姿の三輪明神が現れます。
三輪山の杉にまつわる昔話や、天照大神の岩戸隠れの神話を物語り、神楽を奏しますが、夜明と共に消え行きます。

その玄賓庵の山門です。

山門の手前から、低く重い法螺貝の音が響いていました。
この山門の中から聞こえてきます。

山門の扁額には、三輪山、
左の柱には、三輪山奥之院玄賓庵密寺、
右の柱には、真言宗醍醐派玄賓庵とあります。





中には、重要文化財の木造不動明王座像が伝わっていると言う事で
寄りたいと思いながらも、寄らずに先を急ぐ事にしました。
















山の辺の道を進んで行きます。

















途中、八大竜王弁財天の案内標識があり、
矢印に従って行って見ます。











池の土手の上に赤い鳥居がありました。












その池です。
岩壺池(下の池)と呼ばれてます。

対岸に建物が見え、拝殿等があるのでしょうか?

足が痛くなってきた私は、ここで引き返し、
目的地の狭井神社へ向かいます。






狭井神社に到着です。

北側の入口から境内に入ると、池があります。

鎮女池(しずめいけ)です。








一度、境内を出て、南側の入口から入りなおします。

正面は、狭井神社の鳥居です。

狭井神社は、大神神社の摂社で、
正式には狭井坐大神荒魂(さいにいますおおみわあらみたま)神社
と言います。

また、延喜式神名帳に記されている古社で、
古より華鎮社とも称されています。



鳥居をくぐり、まっすぐ行くと、拝殿に続きます。

















その鳥居をくぐったすぐ横には、赤い鳥居があり、
鎮女池(しずめいけ)の中の小さな社のある島へ続く
赤い橋が架かっています。










その社は、市杵島姫神社です。

市杵島姫は、九州宗像三女神の一柱で、
海の神、水の神で、芸能をつかさどる弁天さんとしても
親しまれています。








市杵島姫神社を出て、狭井神社の拝殿に向け進みながら、
鎮女池(しずめいけ)の中の市杵島姫神社を
ふり返ったところ。










手水舎です。












まっすぐ進んで行くと、階段の上に、拝殿が見えてきます。












拝殿前には多くの参拝客がいます。












その拝殿です。
入母屋造りの檜皮葺です。

祭神は、大神荒魂神を主神とし、大物主神、
媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)、
勢夜多々良姫命(せやたたらひめのみこと)、
事代主神(ことしろぬしのかみ)を配祀しています。






また、拝殿に向かって左側、奥に入って行くと、
狭井の名称の由来となっている御神水の薬井戸があります。
















ここから湧き出る御神水は、薬水とも呼ばれ、
この薬水を飲めば、いろいろな病気が治ると言われてます。
















御神水拝載の方法の説明です。

今は、ボタンを押せば、
御神水を拝載する事ができるように
なっています。













薬井戸の上方、拝殿の奥に位置する本殿が見えます。

















拝殿を正面から見たところ。












鎮女池(しずめいけ)です。

市杵島姫神社が見えます。










参拝客が、鎮女池の鯉にエサをやっており、
たくさんの鯉が集まって飛び跳ねています。
















鎮女池(しずめいけ)の中の市杵島姫神社です。














■大神神社

狭井神社を出て、次は大神神社へ向かいます。

狭井神社を出て、すぐの所に、大美和の杜展望台があり、寄って見ました。

展望台の地面に、地図が描かれたタイルが、埋め込まれていました。


























その展望台から西側、奈良盆地の景色です。

写真中央、右よりに大神神社の大鳥居の一部が見えます。
写真中央、左よりには、大和三山の一つ、耳成山が見えます。









展望台から南西を見たところ。

右側に耳成山、左側にこれも大和三山の一つ、畝傍山が
見えます。









大美和の杜展望台を出て、少し行くと、大神神社への登り坂があり、
その上に注連柱があります。
















その注連柱をくぐり、中に入って行きます。

左が儀式殿、中央が祈祷殿です。
平成9年に竣工した檜の社殿です。









左の儀式殿、中央の祈祷殿を別の角度から見たところ。












拝殿です。

寛文4年(1664)、徳川家綱公により再建された物で、
国の重要文化財に指定されてます。









拝殿を正面から見たところ。

古事記によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が
出雲の大国主神の前に現れ、国造りを成就させる為に、
「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と
三輪山に祀られる事を望んだとあります。

よって、御祭神の大物主大神が三輪山に鎮まる為、
古来、本殿を設けず、拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、
三輪山を拝む原初の神まつりの姿を留めています。

御祭神の大物主大神は、国造りの神様として
農業、工業、商業、治病、交通、縁結びなど、
世の中の幸福を推し進める人間生活の守護神として
尊崇されてます。

また、大己貴神(おおなむちのかみ)、
少彦名神(すくなひこなのかみ)配祀されてます。

拝殿前から西へ、途中まで参道を下ります。

















祓戸神社を過ぎたところから、再度、参道を登ります。

この先に見える鳥居は、祓戸神社です。










祓戸神社です。

体と心を祓い清めてくださる祓戸の神様が
祀られています。









参道を登って行くと、左手に手水舎があります。












そして、拝殿に向け、階段を登って行くと、
注連柱があります。

その注連柱を通して、拝殿を見たところ。









拝殿前に戻り、拝殿の斜め前にある巳の神杉を見たところ。

















巳の神杉の説明です。

大物主大神の化身の白蛇が神杉の洞に棲んでいる
と言われています。

そして、その白蛇は、親しみを込めて白い巳さんと
呼ばれています。


















その白い巳さんの好物として、神杉の前に、卵や神酒が、
参拝者によって供えられています。
















巳の神杉です。

推定樹齢は、400年余りと言う事です。















右端が、勅使殿です。
左端が、巳の神杉です。
その間から、拝殿が見えています。










拝殿前から南へ進んで行くと、成願稲荷神社があります。












その成願稲荷神社です。

稲荷の神様をまつり、商売繁盛、心願成就の霊験あらたかと
言う事です。











■平等寺

大神神社を出て、山の辺の道を進んで行くと、
平等寺があります。

ここを少し入ったところが平等寺です。









道端の掲示板にあった三輪山古図です。

大神神社、平等寺等が載っています。























そして、その説明です。
















平等寺の山門です。
扁額には、三輪山とあります。

右の建物は、鐘楼堂です。









山門を入ると、左手に万葉歌碑、手水舎があります。

万葉歌碑には、柿本人麻呂の以下の歌が刻まれています。

  わが衣 色に染めなむ
   うま酒 三室の山は
    もみぢしにけり

三輪山の木々が美しく紅葉してきており、私の衣も
その美しい色で染めてみようと言うような意味かな。



そして、境内図がありました。






















山門を入った右手には、昭和62年に再建された鐘楼堂があります。

















そして、聖徳太子像です。

平等寺は、581年に、聖徳太子が賊徒を平定する為、
三輪明神に祈願して賊平定後、十一面観音を刻んで寺を建立し、
大三輪寺と称したのに始まります。

よって、聖徳太子は、この寺の開基として祀られています。

ちなみに、聖徳太子開基の大三輪寺は、鎌倉時代初期、
慶円上人を迎え、平等寺と改称し、大伽藍が再建されました。
明治初期には、廃仏毀釈により、廃寺となりましたが、
その後、曹洞宗の寺院として再興され、
昭和52年に平等寺の寺号も復興されました。





稲荷社です。

孫太郎稲荷、伏見稲荷、豊川稲荷の三社が祀られています。










左端に本堂、正面に不動堂、二重塔釈迦堂を見たところ。












本堂です。

昭和62年に再建され、聖徳太子の自作と伝わる
本尊 十一面観音菩薩をはじめ薬師如来、地蔵菩薩、
聖徳太子像が祀られています。








本堂です。












二重塔釈迦堂へ階段を登って行きます。

















池の鯉です。












二重塔釈迦堂です。

平成16年に800年ぶりに再建されました。















二重塔釈迦堂の前にあった仏足石です。

















不動堂です。

弘法大師自作と伝えられる三輪不動尊が祀られています。










不動堂の前から、正面に山門を見たところ。

右端は本堂です。














以下は、平等寺の由緒書きです。

























■磯城瑞籬宮跡(しきみずがきのみやあと)

平等寺を出てしばらく行くと、磯城瑞籬宮跡があります。

志貴御県坐(しきのみあがたいます)神社が、磯城瑞籬宮の伝承地です。

その志貴御県坐神社の鳥居です。

鳥居の扁額には、志貴御縣社とあります。











磯城瑞籬宮跡の説明です。

磯城瑞籬宮跡は、第十代天皇の崇神天皇の
皇居跡です。

この地は、東は長谷寺・伊勢街道、西は大和川を利用して
難波・瀬戸内海へ、南は飛鳥を通じて紀伊方面へ、
北は山辺の道から奈良・京都へ繋がる交通の要衝でした。















階段を登って行くと拝殿があります。












拝殿です。












拝殿です。












拝殿の横には、盤座(いわくら)が祀られていました。












志貴御県坐神社の境内横には、
第十代崇神天皇磯城瑞籬宮跡の標示がありました。


















■金屋の石仏

磯城瑞籬宮跡からしばらく行くと、金屋の石仏があります。

コンクリート造りの小堂に石仏が安置されており、
格子越しに拝観できるようになっています。









金屋の石仏の説明です。

右が釈迦如来で、左が弥勒如来とされています。









右側の釈迦如来像です。

釈迦如来とは、仏教の開祖である釈迦(ゴータマ・シッダルータ)を
仏として敬う呼び名です。














左側の弥勒如来像です。

現在の弥勒は修行者(菩薩)だが、遠い未来の下生の姿を
先取りし弥勒如来と呼ばれる事があります。














右側の釈迦如来像です。

















左側の弥勒如来像です。

















金屋の石仏が安置されている小堂です。

これらの石仏は、もとは平等寺にありましたが
廃仏毀釈で寺一緒に破壊されるところを
村人がここへ移し、守り続けられています。










■仏教伝来の地、海石榴市(つばいち)

金屋の石仏から、しばらく歩くと、初瀬川に出ます。

初瀬川の畔に、佛教傳来之地の碑が立っています。










仏教伝来の地の
説明です。















この説明には、泊瀬川と書かれていますが、初瀬川とも言うようです。
いずれも、大和川の上流部の呼称と言う事です。

初瀬川に架かるうまいでばし(馬井出橋)です。












うまいで橋の上から、初瀬川の上流を見たところ。












うまいで橋の上から、初瀬川の下流を見たところ。

この辺りは、山の辺の道をはじめ、いくつかの古道が交差する
陸の交通の要衝であるだけでなく、
摂津の難波津(なにわつ)から大和川、そして初瀬川を遡行する
船運の終着地でした。
そして、近くに
欽明天皇の磯城嶋金刺宮(しきしまのかなさしのみや)
があったとされています。

日本書記によると、欽明天皇13年(552)に、
百済の生命王の使者が、この地に釈迦仏の金銅像や経典を
献上したとあり、それをもって日本へ仏教が伝来したと
されています。

海石榴市(つばいち)の説明です。

この辺りは、交易の中心地で
海石榴市(つばいち)と
呼ばれる大規模な市が
ありました。

藤原京の玄関口でもあり、
聖徳太子に才能を
見いだされた
遣隋使の小野妹子が
帰国したのもこの地です。
そして、平安時代には、
伊勢詣で、長谷寺詣での
宿場町として栄えました。





そして、初瀬川を後にし、桜井駅に向かいます。

途中、ふり返ると、三輪山が見えました。












■安倍文殊院

山の辺の道を歩き通して、やっと桜井駅へ到着しました。
しかし、日没までには十分な時間があるので、バスへ乗って安倍文殊院へ行って見ました。

安倍文殊院の表山門です。

表山門は江戸時代に造られた物です。


門の前の下馬と言う文字が彫られている石は、
これより先はどんな身分の方でも馬を下りて
参拝するようにと言う意味がありました。





表山門を通して、門の中を見たところ。











表山門を入ったところにあった境内マップです。
























表山門を入り、まっすぐ進むと階段があり、
上がったところを、左に曲がります。
















すると正面に、本堂が見えてきます。

安倍文殊院の御由緒は、以下です。

孝徳天皇の勅願によって大化改新時に、
左大臣となった安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が
安倍一族の氏寺として建立したのが
安倍山崇敬寺(安倍寺)です。
鎌倉時代に現在の安倍文殊院の位置に移転します。
永禄6年(1563)に
松永弾正の兵火を受け火災で焼失しましたが、
約100年後の寛永5年(1665)に本堂が再建されました。
天橋立切戸の文殊、奥州亀岡の文殊と共に、日本三大文殊の
一つとして知られています。

手水舎と本堂です。












手水舎です。












本堂です。

寛永5年(1665)に再建された物で、
七間四面の入母屋造りで、本瓦葺に加え、
礼堂(能楽舞台)が附設しており、
更に本堂奥に昭和48年に完成した文殊菩薩を
安置する大収蔵庫があります。






文殊池北西角から、金閣浮御堂を見たところ。

金閣浮御堂には、
弁財天像、阿倍仲麻呂像、安倍清明像をはじめ、
陰陽道に関する宝物が祀られています。

また、「七まいり」と言う、七難に遭わない為の魔除け、
方位災難除けを祈願する修行場となってます。

ちなみに、阿倍仲麻呂は、奈良時代に遣唐使として
唐に渡り、唐の科挙試験に合格し、唐の皇帝の玄宗に仕え
日本に帰国する事は叶いませんでした。

安倍清明は、平安時代の陰陽師として有名です。

文殊池の北側の道から、稲荷社を見上げたところ。












文殊池の北側の道を東に向け進みます。












文殊池の北東角から、金閣浮御堂を見たところ。












不動堂です。

中には、小さな不動明王が祀られています。










不動堂の隣には、十一面観音像が祀られてます。












東へ向いて進んで行くと、正面に白山堂があります。












白山堂の説明です。

室町時代に建立された物で、流造屋根柿葺の
美しい曲線の唐破風をもった社殿で、
国の重要文化財に指定されてます。

祭神は、全国の白山神社に祀られる
白山比咩神(しらやまひめのかみ)と同一神の
菊理媛神(くくりひめのかみ)です。

白山信仰と陰陽道は古くより深く結びついた為、
白山神社の末社が勧請されました。









そして、白山堂の手前を北側に進むと、東古墳があります。

















東古墳です。












東古墳の説明です。

明日が時代に造られた物で、閼伽井(あかい)の窟とも
呼ばれています。


















そして、白山堂の手前を南側には合格門があります。

その合格門の隣には、弘法大師像が祀られており、
その弘法大師像の後ろには、
四国八十八所、四国三十三所の本尊仏として
祀られていた石仏を一堂に安置した石仏群があります。







合格門をくぐり、階段を登って行くと、
清明堂があります。











清明堂です。

正面にある如意宝珠は、いかなる願望も意のままに成就し、
また悪を払い、災難を防ぐ功徳があると信じられています。














清明堂の説明です。

平安時代の陰陽師、安倍清明をお祀りしています。
平成16年(2004)に、安倍清明千回忌を迎えるにあたり
200年ぶりに清明堂が再建されました。

















清明堂の斜め前には、ウォーナー塔があります。

奈良や京都や鎌倉といった日本の古都の文化財が
守られたのは、ラングドン・ウォーナー博士のお蔭で、
感謝の意を込めて、ウォーナー塔は建てられました。








そして、清明堂やウォーナー塔のある高台から、
境内の西側を見下ろす事ができます。

文殊池の手前の花の広場を見下ろしたところ。

花の広場では、毎年パンジーを使用して干支を描いた
ジャンボ花絵が展示されます。

令和元年(2019)の今年は、亥年の為、イノシシの親子の絵で
しょうか?描かれています。



清明堂から、登って来た道を、合格門へ向け下ります。












そして、金閣浮御堂の前まで戻ってきました。

金閣浮御堂を望む文殊池の縁に
安倍仲麻呂の歌碑が立ってます。

  天の原
  ふりさけ見れば
  春日なる
  三笠の山に
  出でし月かも

この歌は、遣唐使として唐に渡り玄宗皇帝に仕えた
安倍仲麻呂が36年ぶりに帰国を許され、
蘇州の港、帰国する船の上で詠んだ望郷之詩です。

  夜空をふり仰ぎ見える月は、春日の三笠山に
  出ていた月と同じ月だろう。

帰国のメンバーには、帰化僧の鑑真もいました。
途中、嵐に遭い鑑真の乗った船は、日本へたどり着きましたが、仲麻呂の乗った船は遭難し、
ベトナムへ漂着した後、なんとか唐へ戻りますが、日本へ帰国する事は叶いませんでした。

文殊池の北側、本堂の東には、鐘楼があります。












その鐘楼の横から高台に向け、赤い鳥居が連なり
その鳥居の先には、稲荷神社があります。
















その赤い鳥居です。

















稲荷神社へ向け登りながら、金閣浮御堂を
見たところ。











鳥居の上に稲荷神社が見えます。

















その稲荷神社です。

















稲荷神社の説明です。

安倍文殊院にて平安時代の陰陽師、安倍清明公が出生された事に因み、
清明公の母親と伝承される白狐、信太森葛葉稲荷大明神が
祀られています。













稲荷神社から下りて来ると、本堂があります。

正面は、本堂に附設している礼堂(能楽舞台)です。










礼堂(能楽舞台)です。












そして、本堂へお参りしました。

本堂には、鎌倉時代の仏師、快慶作、
国宝の渡海文殊菩薩群像が祀られて
います。

渡海文殊菩薩群像は、
獅子に乗る文殊菩薩を中心に、
向かって右に、獅子の手綱持つ優填王、
先導役の善財童、向かって左に維摩居士
(最勝老人)、須菩提(仏陀波利三蔵)の
脇士を伴ってます。

雲海を渡り、衆生の魔を払い、知恵を
授ける為の説法の旅に出かけている姿
と言う事です。





この後、客殿五台閣にて、お抹茶を頂き、奈良市内のホテルへ帰りました。



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