岡山城: 28Jan2015



岡山後楽園を見た後に、岡山城へ向かう。


後楽園の南門を出たところ。

南門の近くには、旭川のボート乗り場がある。


























旭川に沿って、岡山城の対岸を、
東へ歩きながら、岡山城を見たところ。




















岡山城は、旭川が大きく蛇行している
角に位置している。

北から岡山城を見たところ。


















北東から岡山城を見たところ。




























北東から岡山城を見たところ。





















旭川沿いをひき返す。

後楽園側から、お城側へ渡る月見橋を
過ぎて、河原からお城を見たところ。


















月見橋を渡りながら、お城と旭川を
見たところ。




















月見橋を渡り、お城へ向かう。





























大きなお城だ。





















入口前にあった説明板。




































説明板に記載されていた
御城内御絵図。

この絵には、江戸時代の本丸の絵が示されている。



































岡山城は、
宇喜多直家が、居城とし、その子、秀家が城郭の拡張整備を行い、岡山に天守閣を築いた。

その天守閣は、3層6階で、外壁の下見板が黒塗りであった為、
「烏城」の別名がある。

昭和20年の市街地空襲により、天守閣は焼失した。

現在の天守閣は、鉄筋コンクリートで復元された物である。





















そして、
岡山城案内図。






































月見櫓を振り返って見たところ。





















廊下門から表向(中の段)へ入る。





















宇喜多秀家時代の石垣。






















月見櫓。





















復元された泉水。

発掘調査で出土した遺構は地下へ
戻されている。

水が漏れないように漆喰が施されていた
ようだ。















表向(中の段)から見た天守閣。





















次に本段へ登る。





















本段の上、南正面から天守閣を見たところ。




















天守閣の礎石。

左端に見える門は、六十一雁木城門。



















 
少し離れて正面から見た天守閣。





















 斜めから見た天守閣。






















天守閣へ登って見た景色。

北を見たところ。

眼下に旭川。
その向こうに後楽園が見える。























後楽園の西側が見える。

旭川のボート乗り場も見える。




















南西方向を見たところ。





















南東方向を見たところ。





















城内にいたジョウビタキの♀。

























不明門(あかずのもん)

本段は、藩主の日常生活の場であり、
この門は、限られた人しか利用できず、
そう呼ばれるようになったらしい。

















不明門の近くで見たコゲラ。

























不明門下の石垣。

良く見ると、石垣の色が上と下で
異なっている。

下部は、宇喜多秀家時代の石垣で、
上部は、それ以降の石垣と言う事だ。















大納戸櫓台下の石垣。

この石垣の上に、大納戸櫓があった。



















内下馬門跡を出て、目安橋を渡る。

ユリカモメがとまっている。



















内堀の中にも、ユリカモメが
いた。























その他、オナガガモの♂。























オナガガモの♀。
























目安橋を渡り、内堀に沿って西へ
向かいながら、お城を見たところ。




















そして、内堀に沿って北へ向かうと、
旭川に出る。

対岸は、後楽園。
右端に、月見橋が見える。

















そして、岡山駅へ向かう。

途中、西川を横切る。
その西川の流れ。
























■参考
お昼に食べた岡山のソウルフードのデミカツ丼。

「かつ丼 野村」の創業者が東京のホテルで修業中に考案し、昭和6年に、「味司 野村」として、提供を
始めた。そして、今では、岡山では、このデミカツ丼を置いている店が多い。

写真は、「かつ丼 野村」のデミカツ丼です。

ごはんの上にキャベツ、、その上に
トンカツ、そして、デミグラスソースをかけ、
グリーンピースがのっている。

 
「かつ丼 野村」では、メニューを見ると、
ドミグラスソースカツ丼と書いてある。

一般的には、デミカツ丼、この店では
ドミカツ丼と呼ばれているのであろう。
















その「かつ丼 野村」のお店。
 





















 

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