学問・至誠・厄除けの神様、天神様として
菅原道真公を祀る
太宰府天満宮へお参りに行って来ました。
西鉄福岡(天神)駅から大牟田線で西鉄二日市駅へ行き
そして、太宰府線へ乗り換えて、
終点の太宰府駅へ到着です。
その太宰府駅です。
太宰府駅から、参道を東へ、大宰府天満宮へ向け歩きます。
参道を進みながら前を見ると、大きな鳥居が、3つ見えます。
最初の鳥居です。
二番目の鳥居です。
そして、三番目の鳥居です。
参道沿いにスターバックスコーヒーがありました。
木組み構造の斬新なデザインは、
2020年東京オリンピック・パラリンピックの
新国立競技場の設計を担当する隅研吾氏
によるものです。
ふり返って、二番目の鳥居を見たところ。
更に参道を進んで行くと、三番目の鳥居があります。
三番目の鳥居です。
三番目の鳥居の横からも境内へ入る事ができます。
そして、境内には、大きな樟が見えます。
その樟です。
境内には、国指定の2本を含む
県指定天然記念物51本の
大樟があります。
三番目の鳥居の横から境内に入ると池があり、
赤い欄干の橋が架かっているのが見えます。
この池は、心の文字がかたどられており、
心字池(しんじいけ)と呼ばれています。
地図で池の形を見てみましたが、
どのように見たら心の字に
見えるのかは不明です。
三番目の鳥居の前に戻ります。鳥居の前にあった境内図です。
三番目の鳥居をくぐり、突き当たると、
延寿王院があります。
写真は、その山門です。
幕末に、朝廷を追われた三条実美ら尊王攘夷派の五卿が
この延寿王院に滞在し、その間、高杉晋作、坂本龍馬、
西郷隆盛ら大勢の勤王の志士達が訪れました。
維新回天のゆかりの地です。
山門の中には入れませんが、中をのぞくと、
五卿遺跡と書かれた石碑が建っています。
その延寿王院の山門の前にある御神牛です。
太宰府天満宮の御祭神、菅原道真公が丑年生まれで
ある事や、菅原道真公の亡骸を乗せた牛車が止まった
場所が太宰府天満宮の御本殿の場所である事から
関係が深い。
境内には、11体の御神牛があるそうです。
訪れた参拝者や観光客が、みんなで写真撮影を
しています。
延寿王院の山門の前を南に進むと、浮殿があります。
浮殿は、水面に、その姿が映る事から、
浮殿と呼ばれています。
鎌倉時代の境内図にも見え、戦前までは心字池の辺りに
あったと言う事です。
浮殿の近くの大きな樟です。
次は、延寿王院の山門の前から、
参道を北に向かって進みます。
北に向かって最初の鳥居です。
この鳥居は、およそ700年前、
南北朝時代に建立されたと推定され、
九州で最古の鳥居と言われております。
筑後国有坂城主新田大炊介寄進と記されています。
参道を進んで行くと、心字池にかかる橋があります。
心字池には、3つの橋、太鼓橋、平橋、太鼓橋がかかり、
手前から、それぞれ、過去、現在、未来を渡る橋と
言われています。
その最初の太鼓橋です。
後ろ(過去を)をふり返らず、渡ります。
多くの参拝者が太鼓橋を渡って行きます。
太鼓橋の上から見た心字池です。
池の中の魚です。鯉がいるようです。
投げ込まれた魚のエサに、たくさんの魚が集まってます。
渡ったところには、天満宮の末社のひとつ、今王社があります。
藩主の代参者達が、参詣の途中に汚れに遭ったりすると、
ここへ供え物を供えて帰るのが通例だったと言う事です。
今王社です。
池の中に噴水が見えます。
その向こうの建物は、絵馬堂です。
次は平橋です。
(現在を)立ち止まる事無く渡り切ります。
渡ると、天満宮の末社のひとつ、志賀社があります。
祭神は海神(綿津見三柱神)です。
社は、入母屋造で、長禄2年(1458年)の再建と伝えられており、
重要文化財に指定されています。
対岸の絵馬堂です。
三つ目の橋は、太鼓橋です。
(未来を)つまずかぬよう渡り切ります。
太鼓橋の上から、参道前方を見たところ。
太鼓橋の上から、平橋をふり返ったところ。
太鼓橋の上から、心字池の噴水を見たところ。
太鼓橋を渡り終え、ふり返ったところ。
前方に鳥居が見えます。
その鳥居の両側には、明治35年に行われた
大宰府天満宮菅原道真公御神忌一千年大祭を祈念して建てられた
大きな石灯籠が立っています。
鳥居に向かって左側の石灯籠には、東京大相撲協会の刻銘があります。
これは、道真公の先祖、野見宿祢が垂仁天皇の前で相撲をとり、
力士の始祖と伝えられる由縁によります。
参道から西側を見ると、絵馬堂があります。
その絵馬堂です。
文化10年(1813)、「筑前名所図絵」の著者として
知られる奥村源之丞(玉蘭)一族により、寄進されたと
伝えられます。
絵馬堂の絵馬です。
絵馬です。
絵馬です。
絵馬です。
絵馬です。
絵馬堂の南西にあった奉納された御神牛です。
絵馬堂のある広場から、楼門を見たところ。
参道に戻り、鳥居、その向こうに楼門を見たところ。
鳥居に向かって右側の石灯籠は、東京歌舞伎座俳優の
刻銘があります。
歌舞伎の演目に、「菅原伝授手習鑑」があり、
それに由来するものだと思います。
鳥居、その向こうに楼門を見たところ。
石灯籠と楼門です。
楼門です。
大正3年に再建された物。
本殿に向かう時は、二重屋根構造に見えますが、
反対に出る時は一重屋根と、
形態が異なる珍しい楼門です。
楼門の横にある手水舎です。
手水の作法が掲げられています。
手水舎の横の御神牛です。
楼門を見上げたところ。
注連縄が飾られた楼門です。
蟇股には、梅の彫刻が施されています。
大きな御神燈の提灯です。
楼門から回廊内へ入ると、正面に御本殿が見えます。
楼門を抜けると橋があり、その橋を渡り御本殿へ向かいます。
先ほど抜けてきた楼門をふり返ります。
確かに、表から見た時は、二重屋根構造でしたが、
内側から見ると、一重屋根になっています。
御本殿です。
御祭神の菅原道真公が亡くなられた時、
亡骸を乗せた牛車が止まった場所が、
現在の太宰府天満宮の御本殿がある場所です。
その場所に延喜5年(905)に、
門弟の味酒安行が祠廟を建て、
延喜19年(919)に左大臣、藤原仲平が
後醍醐天皇の勅令を受け、御社殿が造営されました。
その後、兵火などにより、数度消失しましたが、
天正19年(1591)に、筑前国主、小早川隆景によって、
造営されたのが、現在の御本殿です。
五間社流造で、檜皮葺の屋根を供え、
今でも桃山時代の豪壮華麗な様式を伝えています。
絵馬掛け所や、おみくじ結び所があります。
御本殿へ向かって右側、御本殿から見て左側には、
有名な飛梅があります。
樹齢1000年を超えると言われ、
極早の八重咲きで薄紅の蕾が開花すると白になる
移白の色玉垣と言う品種です。
その飛梅です。
菅原道真公は、幼少の頃から学問に秀でた人で、
醍醐天皇の治世に右大臣に任ぜられます。
しかし、左大臣の藤原時平に疎まれ、
無実の罪で大宰府に左遷されてしまいます。
突然の左遷で、京を離れる時、
自宅の梅の木に別れを告げる歌を詠みました。
「東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて
春なわすれそ」
主と共にありたいと願った梅の花は、
一晩にして、菅原道真公が住む大宰府の屋敷の庭へ
飛んで行き根を下ろしたとの事です。
そして、本殿に向かって左側には、
皇后梅(きさいのうめ)があります。
大正11年、貞明皇后(大正天皇后)が御参拝の折、
葉山御用邸よりご持参の梅をお手植えされた
継承木です。
白の飛梅に対し、紅の華麗な八重中輪の花をつけます。
神苑には約200種、約6000本の
白梅、紅梅、早咲き、遅咲き、一重、八重があり、
季節になると、それぞれに咲き競います。
絵馬掛け所です。
合格祈願の絵馬も、たくさん掛かってました。
御本殿です。
御本殿です。
梅の花をモチーフとした意匠が多く見られます。
御本殿です。
御本殿です。
御本殿前から、楼門をふり返ったところ。
楼門です。
絵馬掛け所です。
回廊南西角の大樟。
樟をよけて回廊が作られています。
回廊西側の門から外に出ます。
回廊横に駐車している車を見ると、
RKB RADIOとあります。
九州のラジオ局が来ているのかもしれません。
回廊西側の門を出たところにあった大樟です。
回廊に沿って、御本殿の裏手に回って見ます。
御本殿の裏手にも絵馬がびっしりあります。
その絵馬掛け所の反対側には、摂社が並んでいます。
手前から
福部社…祭神は、道真公の恩師の島田忠臣。
老松社…祭神は、道真公の父 是善卿と、母 伴氏。
そして、
道真公の四子が祀られる御子社…四基
摂社です。
厄晴れひょうたん掛け所です。
立札の「厄晴れひょうたん」の説明によると、
古来より不思議な霊力がこもるとされる
「ひょうたん」の中に
「厄除」や「願い事」を記入した用紙を入れ、
除災招福を祈念するものと言う事です。
その厄晴れひょうたんです。
右端は、荻原井泉水の句碑です。
「くすの木千年 さらに今年の若葉なり」とあります。
太宰府天満宮の樹齢千年を超す大樟を見て
千年経った今でも更に瑞々しく若葉を茂らす様に
感動し詠まれた歌と思います。
その隣には、包丁塚があります。
その包丁塚です。
調理で使用した包丁や、食材となった動植物を供養しています。
その包丁塚の隣には、野見宿祢碑(右側)、
更にその隣には、筆塚(左側)があります。
野見宿祢公は、菅原道真公の先祖で、
垂仁天皇の前で相撲をとり、
力士の始祖と伝えられる人物です。
筆塚は、書道三聖と崇められ
書道の神様として信仰されている
菅原道真公に由来し、
使い終えた自分の筆に感謝し供養をしています。
先ほど見た摂社の裏には、
国の天然記念物に指定されている
夫婦樟があります。
次は、太宰府天満宮の北東に位置する天開稲荷社へ
向かいます。
天開稲荷社への参道です。
赤い鳥居が出迎えてくれます。
天開稲荷社への参道です。
天開稲荷社へ続く赤い鳥居です。
天へ向け赤い鳥居が続いていると錯覚してしまいそうです。
登って来た道をふり返ったところ。
天開稲荷社です。
鎌倉時代末期に京都の伏見稲荷大社から勧進され
宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)がお祀り
されています。
名前が示す通り、
天に道が開け、運気がぐんぐん上昇する
神様と信じられてます。
九州最古のお稲荷さんです。
天開稲荷社です。
御由緒について説明する立札が立っています。
御祭神は、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)です。
社の前には、
12本の鈴を鳴らす紐がぶら下がっており、
自分の干支の鈴を清らかにかき鳴らし、
その後、中央の大鈴を鳴らします。
そして、願いを込めて、お参りします。
お参りした後は、奥の院へ向かいます。
天開稲荷社の社の隣に、奥の院へ続く赤い鳥居が並んだ
階段があります。
その階段を登って行くと、鳥居があり、奥の院があります。
一見、横穴式石室の古墳を利用して、
奥の院として祀っているのかと思いましたが、
そうではないようです。
石室の内部です。
天開稲荷社の奥の院です。
天開稲荷社の奥の院です。
天開稲荷社の奥の院から、登って来た階段を下り、
再度、太宰府天満宮へ戻ります。
太宰府天満宮の御本殿の裏に、菅公歴史館があり、
寄って見ました。
菅公歴史館の中です。
菅原道真公の生涯が、博多人形でパノラマ式に紹介
されています。
菅公歴史館に展示されていた
「応永年間社頭之図」です。
菅原道真公に関連する人形、玩具、絵馬等も
展示されています。
菅公歴史館を出て、
太宰府天満宮の御本殿裏を
見たところ。
御本殿の真裏に当たる門です。
御本殿の東側に、いくつかの末社が並んでいます。
相輪橖(そうりんとう)です。
仏教の搭の新しい形式で伝教大師によって伝えられました。
心柱が通り、下から路盤、覆鉢、請花、九輪、水煙、竜舎、宝珠の各部から成り
享和2年(1802)に建立し、弘化4年(1847)に再建されました。
日本に、8基あり、九州に現存するのは、この一基のみと、貴重な建造物です。
中島神社です。
御祭神は、田道間守命(たじまもりのみこと)です。
田道間守命は、垂仁天皇の命により、
常世の国へ非時香菓(ときじくのかぐのみ)を探しに行き、
探すこと10年、やっと見つけて帰った時、
垂仁天皇は既に崩御しておられ、嘆き悲しみ
垂仁天皇の御陵
の前で殉死されました。
田道間守命の御陵は、
垂仁天皇の御陵の堀の中にある小島で、
田道間守命を祀る神社を、中島神社と呼ぶように
なったと言う事です。
そして、田道間守命は菓祖神として、
各地に祀られるようになりました。
兵庫県豊岡市の中嶋神社が総本社で、
大宰府天満宮の中島神社は、九州分社となります。
時打堂です。
これは何でしょうか?
時打堂の近くにありました。
宝物殿横へ出ました。
でも、この日は月曜日で、宝物殿は休館で、
中には入れませんでした。
ここには、菅原道真公の
御真筆とされる五言絶句双幅をはじめ、
御神前にささげられた約5万点の宝物が、
展示室と収蔵庫に収められてます。
宝物館の前、手水舎の隣に、
麒麟と鷽(うそ)の像があります。
麒麟像、鷽像は、鋳工の山鹿平十郎、山鹿儀平、両氏の作で、
嘉永5年(1852年)に博多の豪商によって
奉納されました。
麒麟は、中国の瑞獣思想上の動物で、
聖人が現れて王道が行われる時に出現すると伝えられ、
菅原道真公の御聖徳をたたえるものです。
また、鷽は、1月7日、1年中の嘘を
天神様の誠と取替えていただく鷽替神事ゆかりの鳥で、
幸運を運ぶ天満宮の
守り鳥です。
楓社です。
道真公の奥様で詩作の師である島田忠臣公の娘、
宣来子命(のぶきこのみこと)を祀る摂社です。
保食社です。
御祭神は、保食神(うけもちのかみ)です。
そして、菖蒲池です。
菖蒲池の外周路を回りながら、心字池を見たところ。
左よりに見える社は、志賀社です。
夢塚の碑です。
天保14年(1843)10月12日、菊屋平兵衛が、
松尾芭蕉の150年忌にあたり、
旅に病んで夢は枯野をかけめぐる
の辞世より、
芭蕉は、若い頃に大宰府へ本詣した事を記し、
再度参拝の夢を持っていたとして建碑しました。
心字池です。
社は、今王社です。
心字池です。
社は、今王社です。
菖蒲池です。
宝物館の東側に、如水の井戸があります。
如水とは、戦国武将であり、茶人でもある黒田官兵衛の事です。
黒田官兵衛(如水)は福岡城内の居館が完成するまでの間、
大宰府天満宮境内に仮住まいしていました。
その時、如水が茶の湯などで使った井戸が残っています。
如水が仮住まいとして大宰府を選んだ理由は、和歌・連歌の神として
知られている天神様を崇敬していたからと言われています。
また、長年の戦乱で荒廃した天満宮の復興に尽力したと伝わっています。
菖蒲池の東には、九州国立博物館への入口があります。
残念ながら、この日は月曜日で休館日のようです。
でも、中に入れないにしても九州国立博物館に行ってみます。
入口を入ると、
九州国立博物館がある山の上に続く
長いエスカレーターがあります。
エスカレーターを登ると長いトンネルがあり、
動く歩道がついています。
トンネルを抜けると九州国立博物館がありました。
とにかくでかい!
そして、緩やかな曲線を描く博物館の壁面は、
ガラスに覆われて、
青い空や雲、山の木々が映り込み
自然と一体感あふれる建物になっています。
博物館の軒下を通って、反対側へ回って見ます。
反対側も、山や空が映り込み美しい。
設計したのは、菊竹清訓氏で、
コンセプトは、「生きている博物館」です。
屋根は周囲の山並みに調和するよう
曲線形になっています。
長いトンネルを抜け、
下りのエスカレーターを下りて
戻ります。
心字池のほとりを戻りながら、太鼓橋を見たところ。
来た時に見た御神牛です。
最後になりましたが、太宰府天満宮の由緒です。
お腹が減ったので、
大宰府名物の梅ヶ枝餅と宰府うどんを
食べて帰る事にします。
総業が大正11年の「かさの家」さんへ寄りました。
お店の中に入って、
さっそく梅ヶ枝餅と宰府うどんを頼みました。
宰府うどんです。
そして、梅ヶ枝餅です。
梅ヶ枝餅は、店先で焼かれてます。
参道を、太宰府駅へ向かいます。
西鉄 太宰府駅です。
プラットホームの駅名の横にも
梅の絵が添えてありました。