五月連休を利用して、一泊二日で、奈良に行って来ました。
初日は、
興福寺、
東大寺、
春日大社、
新薬師寺
を周り、二日目は、
薬師寺、
唐招提寺、
その後、垂仁天皇陵へ行きました。
唐招提寺を出て、西へ近鉄樫原線を越え、線路に沿って
北へ向かいます。
こんもりとした小山が見えてきました。
垂仁天皇陵です。
垂仁天皇陵の環濠に出ました。
遥拝所への入口です。
但し、「みだりに域内へ立ち入らぬこと。」と
注意書きがあります。
入って良い物か迷いましたが、
お参りすると言う理由で入らせて貰いました。
その入口脇にあった石標です。
木の陰になって、垂仁天皇菅原伏…までしか読めません。
後で調べたら、
垂仁天皇菅原伏見東陵が正式な名称のようです。
また、写真の右方に、
環濠の中に浮かぶ小さな小島が見えます。
その小島は、田道間守命塚です。
田道間守命(たじまもりのみこと)は、垂仁天皇より、
常世の国から非時香果(ときじくのかぐのみ)を
持ち帰るよう命を受け、探しに行きます。
そして、持ち帰った時には、垂仁天皇は既に崩御されており、
田道間守命は悲嘆にくれて、そのまま亡くなってしまいました。
その田道間守命が、この小島に祀られています。
非時香果は、時を選ばず(非)香る果実を意味し、橘を指します。
この故事から、御所には、「右近の橘」が植えられるようになったとの事です。
遥拝所への道を進んで行きます。
その道を挟んで、環濠と反対側にも池があり、
その池の中をのぞいて見ると、亀が泳いでいました。
遥拝所です。
垂仁天皇陵は、前方後円墳で、
方墳側(南側)中央に遥拝所があります。
遥拝所を出て、陵を見ながら
環濠に沿って北へ向け歩きます。
陵の手前に浮かぶ小島は、田道間守命塚です。
歩いて行くと、陵の木々が、何かが垂れたように
グレーに染まっている箇所があります。
よく見ると、アオサギをはじめ、
サギ類のコロニーになっているようです。
これは、垂仁天皇陵 飛地ほ号と立札が立ってました。
かつて、
陪冢(ばいちょう)、または、陪塚と呼ばれる主人
の死に従って葬られた近親、従臣の墳墓
のようです
を指していました。
しかし、垂仁天皇は殉死の風習を廃止し、その代わりに
埴輪が使用されるようになったと言う事です。
よって、陪塚とは、大型古墳に近接する小規模古墳で、
必ずしも殉葬者だけでなく、大型古墳の埋葬者の副葬品を
埋納する為に築造されたケースもあるようです。
円墳側に回り込みながら、陵を見たところ。
円墳側(北側)中央辺りから、陵を見たところ。
まだまだ、奈良を歩いて回りたい思いは、やまやまですが雨が強くなり、
この度の一泊二日旅行を終えて帰る事にします。
また来てみたいと思います。