五月連休を利用して、一泊二日で、奈良に行って来ました。
初日は、
興福寺、
東大寺、
春日大社、
新薬師寺
を周り、二日目は、薬師寺、唐招提寺へ行きました。
近鉄橿原線の
近鉄西ノ京で降り、
駅前を東に進みます。
駅を出て、
すぐのところにあった
薬師寺伽藍図です。
東へ進むと、正面に冠木門があります。
この門を入らず、右へ(南へ)進みます。
すると、與樂門(よらくもん)があります。
與樂門です。
この門からは中へは入れません。
拝観受付は左への案内があり、
左に(東に)折れて進みます。
薬師寺は、法相宗の大本山で、
天武天皇が皇后、後の持統天皇の病気平癒を願い、
680年に発願したのが始まりです。
そして、持統天皇により、697年に本尊開眼し、
その後、文武天皇の御代に、
飛鳥の地で堂宇の完成を見ました。
その後、710年の平城遷都に伴い、
718年に現在の地に移されました。
ここが拝観受付です。
拝観料を払い入場します。
拝観受付を入った
ところにあった
薬師寺伽藍図。
です。
今、
入場したのは、
白鳳伽藍の
エリアです。
拝観受付を入り、最初に見えてくる建物は、
東僧坊です。
手前の東僧房の奥に見える建物は、974年に焼失し、
2017年に復興工事を終えた食堂(じきどう)です。
東僧房の南側に、鐘楼があります。
鐘楼の向こうに見えている建物は、大講堂です。
東から見た大講堂です。
大講堂です。
大講堂を正面(南)から見たところ。
正面41m、奥行20m、高さ約17mあり、
伽藍内最大の建物です。
中には重要文化財の弥勒三尊像、
国宝で日本最古の仏足石が
祀られています。
大講堂です。
大講堂です。
南西から見たところ。
金堂です。
北東から見たところ。
1528年に地域の豪族の争いで焼失し、
豊臣家が仮の堂を建てましたが、
豊臣家滅亡により、約400年間、
仮の金堂のまま時が過ぎました。
しかし、百万巻写経勧進による
白鳳伽藍復興が提唱され、
1976年、白鳳時代様式の本格的な金堂が
再建されました。
西塔です。
1528年に焼失し、礎石のみ残されていましたが、
1981年に再建されました。
高さは、約36mの三重塔です。
各層に裳階(もこし)と言う小さい屋根がついており、
一見、六重塔に見えますが違います。
西塔です。
北から見たところ。
鮮やかな色使いは、奈良を代表する色遣いで、
塔の連子窓に使われている色を「青(あお)」、
扉や柱に使用されている色を「丹(に)」と呼んでいます。
万葉集の一節に
あおによし ならのみやこは さくはなの
におうがごとく いまさかりなり
と謡われており、当時の平城京の華やかさが表現されています。
金堂です。
西から見たところ。
金堂の向こうに見える覆屋の中では、
国宝の東塔が修復されています。
左が金堂、右が西塔です。
西塔と回廊です。
西塔です。
北東から見たところ。
西塔です。
東から見たところ。
西塔です。
東から見たところ。
金堂です。
南から見たところ。
中門です。
北から見たところ。
中門から(北から)、南門を見たところ。
北から南門を見たところ。
その南門を出て、南から南門を見たところ。
南から、南門と、その向こうの西塔を見たところ。
南門と、その向こうの西塔です。
南門と道を隔てた反対側に、
世界遺産の石碑がありました。
そして、南門を入り、西塔を見たところ。
手水舎、回廊越しに西塔を見たところ。
南東から、中門と、その向こうの西塔を見たところ。
中門は、1984年に再建されました。
そして、1991年には、
中門の二天王像も復元されました。
その復元された二天王像です。
門の右側に立つのは、阿形の二天王です。
極彩色に彩色されています。
中門再建に伴う発掘調査で、裸形の仁王像ではなく、
武装した二天王像と判明し、
中国西安大雁塔の門垣にある線刻の仁王像や、
法隆寺の橘夫人厨子の扉絵等を参考にしたと言う事です。
阿形の二天王です。
門の左側に立つのは、吽形の二天王です。
吽形の二天王です。
吽形の二天王です。
中門の吽形の二天王と、その向こうに西塔を見たところ。
そして中門を入り、回廊の軒下から、金堂を見たところ。
回廊の軒下から、西塔を見たところ。
西塔の内部には、彫刻家の中村晋也氏の作で、
釈迦八相の内、後半の四相(果相)にあたる諸像が安置されています。
その西塔の内部へ入ります。
西塔に入る前に、中門と回廊をふり返ったところ。
西塔内部を見学し、外に出て、西塔の軒下から、
金堂を見たところ。
金堂の内部を見学します。
金堂内部には、
中央に薬師瑠璃光如来、向かって右に日光菩薩、
左に月光菩薩の薬師三尊像が祀られています。
また、薬師瑠璃光如来の台座は、
一番上の框(かまち)にギリシャの葡萄唐草文様、
その下にはペルシャの蓮華文様、
各面の中央には、インドから伝わった力神(蕃人)の裸像が
浮き彫りされています。
更に、下框には中国の四方四神(東:清龍、南:朱雀、
西:百虎、北:玄武)の彫刻が施されています。
正に、ギリシャ、ペルシャ、インド、中国と世界の文様が
集約されています。
そして、次は大講堂へ向かいます。
大講堂の内部には弥勒三尊像、仏足石が祀られています。
弥勒三尊像は、中央が弥勒如来、向かって左の右脇侍は
大妙相菩薩、向かって右の左脇侍は法苑林菩薩で、
白鳳時代(飛鳥時代)から天平時代(奈良時代)にかけて造立
されたと推定されています。
また、仏足石は、お釈迦様がお亡くなりになって、
約3~400年は仏様を形に表すのはもったいない
と言う考えから、インドに仏像はなく、
仏様の足跡を石に彫り祀られてきました。
薬師寺の仏足石は、753年に刻まれた日本最古の物です。
大講堂の内部を見学し、北側に出ると、食堂があります。
また、大講堂と食堂の間には、蓮の鉢植えが並んでました。
そして、食堂の内部を見学します。
内部は、田淵俊夫画伯により描かれた食堂の御本尊
「阿弥陀三尊浄土図」を中心に、約50mにわたる壁画
「仏教伝来の道と薬師寺」が奉納されています。
食堂のまえから大講堂を見たところ。
食堂のまえから大講堂を見たところ。
食堂です。
南東から見たところ。
白鳳伽藍を一通り見た後、
現在、解体修理中の東塔へ向かい
一文字写経した瓦を寄進する事にします。
東塔一文字写経瓦の寄進の申し込みをすませ、
この建物の中で写経します。
瓦へ、般若心経から一文字を選び写経し、住所と名前を書きます。
この瓦が、国宝 薬師寺東塔に載る事になります。
建物内には、写経した瓦だけでなく、東塔を解体した部材が
保管されてました。
解体された相輪の路盤(左)です。
擦管(左)です。
擦銘が刻まれてます。
東塔の相輪の写真です。
解体された九輪です。
解体された九輪です。
下は、平頭です。
解体された九輪です。
伏鉢です。
水煙です。
塔が火災に合わないようにと願いが込められています。
その水煙には、
24人の飛天が、笛を奏で、花を蒔き、衣を翻し、祈りを捧げる姿で
透かし彫りされています。
写真の一番下には、横笛を奏でている飛天が描かれています。
寄進された東塔一文字写経瓦です。
瓦の寄進をすると、東塔の解体修理現場を見学ができます。
回廊に並べられた見学用ヘルメットです。
このヘルメットをかぶって、
東塔の解体修理の覆屋の中に入ります。
覆屋の中は、写真撮影可だけれど、
SNSでの紹介はNGと言う事で
紹介はできませんが、
間近で東塔を見る事ができた貴重な体験でした。
東塔の解体修理を見学し、覆屋を出て、
回廊に沿って歩きます。
回廊の展示です。
西塔の心礎のレプリカです。
心柱を立てる穴の中心に舎利穴が開いてます。
東塔の心礎には、このような舎利穴は無かったようです。
これは、西塔の心柱の「貝の口継手」の1/5模型です。
紐を引くと心柱の上半分が持ち上がり、紐を引く手を戻すと、
心柱の上下がドッキングします。
西塔に使われた?組み物の模型です。
回廊に並んだ模型です。
中門を再び出て、
回廊の外側を、回廊に沿って東へ行くと
東院堂があります。
回廊の軒下から、東院堂を見たところ。
東院堂は、養老年間(717~724)に
吉備内親王が元明天皇の冥福を祈り、建立されました。
973年の火災で焼失後、1285年に南向きで再建され、
1733年に西向きに変えられました。
堂内には、白鳳物を代表する国宝 聖観世音菩薩が安置され、
四方を鎌倉時代の四天王像が守護しています。
回廊に沿って北に向け歩き、
先ほど、一文字写経瓦を寄進した建物の前から、
回廊の内側へ入ります。
この覆屋の中で、東塔の解体修理が行われており、
この覆屋が外される日が楽しみです。
食堂に隣接する東僧房へ向かいます。
東僧房の中に展示されていた「千年の釘」です。
解体修理が行われている東塔で、
創建当時の奈良時代に使われていたとみられる
古代和釘です。
これは、金堂へ祀られている薬師瑠璃光如来の台座の
レプリカの展示です。
一番上の框(かまち)にギリシャの葡萄唐草文様、
その下にはペルシャの蓮華文様、
各面の中央には、インドから伝わった力神(蕃人)の裸像が
浮き彫りされています。
更に、下框には
中国の四方四神(東:清龍、南:朱雀、西:百虎、北:玄武)の
彫刻が施されています。
正に、ギリシャ、ペルシャ、インド、中国と世界の文様が
集約されています。
台座の下框には、南方を守護する神獣 朱雀が彫られており、
この面は南面にあたります。
台座の下框には、東方を守護する神獣 清龍が彫られており、
この面は東面にあたります。
上框には、葡萄の実と、蔓と葉が描かれた葡萄唐草文様が
はっきり見てとれます。
台座の下框には、北方を守護する神獣 玄武が彫られており、
この面は北面です。
玄武は、蛇と亀が絡む図柄となっています。
東僧房を出て、食堂を北東から見たところ。
食堂の奥、西僧房の更に奥には、不動堂が見えます。
白鳳伽藍を北に出て、向かいの門です。
この門を北に進んで行くと、
玄奘三蔵院伽藍があります。
玄奘三蔵院伽藍に向け進んで行きます。
右手に地蔵院、その向こうに本坊寺務所があります。
正面に、玄奘三蔵院伽藍の礼門が見えてきます。
玄奘三蔵(602~604年)は、
西遊記で有名な唐時代の僧侶で、
17年間にわたりインドでの勉学を終え、
帰国後は1335巻に及ぶ経典の翻訳を行いました。
その玄奘三蔵が極めようとした
瑜伽唯識(ゆがゆいしき)の教えの流れを継承するのが
薬師寺の宗派「法相宗」です。
日中戦争中の1942年に
日本軍が南京の雨花台で、玄奘三蔵の頂骨を発見し、
その一部が分骨され日本にもたらされました。
その霊骨が、埼玉県の慈恩寺に奉安され、
更に玄奘三蔵と縁の深い薬師寺に分骨され、
1991年に玄奘三蔵院伽藍が建立されました。
参考:南京の玄奘寺、三蔵塔
玄奘三蔵院伽藍の礼門です。
礼門から内部を見たところ。
正面に玄奘塔が見えます。
また、玄奘三蔵院伽藍の北側には、
大唐西域壁画殿があり、
平山郁夫画伯のシルクロードをテーマとした
絵画を見る事ができます。
玄奘三蔵院伽藍を後にして、
次は薬師寺の北に位置する
唐招提寺へ向かいます。