春日大社: 01May2018


五月連休を利用して、一泊二日で、奈良に行って来ました。
初日の午前中から昼にかけて、興福寺、東大寺、手向山八幡宮を周り、その後、春日大社へ向かいます。

手向山八幡宮から南へ向かうと、若草山が見えてきます。












若草山です。

右の建物は、入山の南ゲートです。










そして、更に南へ、谷へ向けて階段を下りると、
水谷茶屋があります。

緋毛氈がかけられた縁台が出ています。









水谷茶屋で、ちょっと休憩です。

わらびの根のでん粉に黒砂糖を丹念に練り込み作られた
わらび餅を食べます。









春日大社へ向かって歩いて行くと、駐車場へ出ました。
その駐車場にあった春日大社境内図です。



















その駐車場を南に行くと、春日大社の表参道へ出ます。

表参道前方に、赤い二之鳥居が見えます。

右は、車舎(くるまやどり)です。
古い時代の車庫で、春日祭や御幸、勅使参向の際、
牛車などの乗り物を入れた建物と伝わります。






二之鳥居の前で、観光客が写真を撮っています。

















二之鳥居です。

春日大社は、奈良に都ができた頃、遠く鹿島神宮から、
武甕槌命(たけみかづちのみこと)を
神山、御蓋山山頂浮雲峰にお迎えしました。

そして、768年、称徳天皇の勅命により
左大臣藤原永手により、
中腹の今の地に壮麗な社殿を造営しました。

また、香取神宮から経津主命(ふつぬしのみこと)、
牧岡神社から天児屋根命(あまのこやねのみこと)、
比売神(ひめがみ)をお招きし
あわせてお祀りをしたのが始まりです。

二之鳥居をくぐり、表参道の石灯籠を見たところ。

















石灯籠です。

火袋には、火が消えないように紙が貼られてます。
紙には、社紋の下り藤が描かれています。









二之鳥居を入ると、すぐに祓戸神社があり、
その横に金属製の伏鹿の手水所があります。

口にくわえた巻物から水が出ています。

奈良公園の鹿も含めて、春日大社にも鹿が、
そして手水舎にも、なぜ?

主祭神の武甕槌命を鹿島神宮からお迎えする時、
白い鹿に乗り、他の鹿も一緒に連れて来られたと
伝えられています。

よって、この辺りの鹿は、
神の使いとして大切にされています。

伏鹿の手水所から表参道を進むと分岐があります。

その分岐の道は、人も少なく厳かな雰囲気がありますが、
私は、表参道を進みます。














着到殿の前から、春日大社の回廊南西の階段下あたりを
見たところ。











春日大社の南門の前です。
まっすぐ行くと若宮神社へ続いています。











春日大社の南門へ階段を登って行きます。












春日大社の南門です。

春日大社で最大の楼門で、高さは12mあります。

創建当時は、鳥居でしたが、
1179年に楼門に改められました。







その南門の正面手前、地面に石が埋まっており、柵で囲まれています。

立札の説明によると、以下の3つの説等、諸説がある神石です。
・太古の昔、神様の凴代(よりしろ)として祀られた磐座(いわくら)
・赤童子(春日若宮御祭神)が、このところより現れた出現石
・772年の雷火で落下した社額を埋納した額塚(がくづか)












春日大社の南門を下から、見上げたところ。












南門を入ると正面に祓殿・舞殿があります。

そして、左側に直会殿があります。










直会殿の前には、砂ずりの藤と呼ばれている
藤棚があります。

砂ずりの藤は、花房が1m以上にもなり、
砂にすれると言う事から、そう呼ばれています。








祓殿・舞殿の横から、中門・御廊を見たところ。












正面から中門・御廊を見たところ。

中門の高さは約10mで、正面の唐破風は明治時代に
取り付けられました。
御廊は、左右に13m伸びています。








御廊には、多くの釣灯籠が吊るされています。












左から3番目の三葉葵の紋が入っている釣灯籠は、
徳川綱吉が奉納した物です。

徳川綱吉は、江戸幕府 五代将軍で、
賞罰厳明で「天和の治」と称えられ、
「生類憐みの令」でも知られています。

この灯籠は、徳川綱吉が将軍になる前、
1667年の館林藩主時代に奉納された物です。


また、左から5番目の釣灯籠は、藤堂和泉の銘が有り、
藤堂景虎が奉納したものです。

右から3番目は、
宇喜多秀家が1598年に豊臣家の五大老の
ひとりに任じられた年に奉納された釣灯籠です。

銘文に「灯籠為国家安全(武)運長久也」とありますが、
その後の関ヶ原の合戦で敗北します。

その隣、右から二番目は、直江兼続が奉納した釣灯籠です。

銘文には、「越後国直江山城守息女敬白」とあり、
関ヶ原の合戦のあった1600年に
直江兼続の娘 於松が奉納した事になっていますが、
関ヶ原の合戦で敗北した主家の安泰を願い、
徳川家に遠慮して、兼続本人の名を伏せて奉納された事が
窺われます。

御廊から東回廊へ向かいます。

東回廊の近くの銅灯籠です。















東回廊の近くの銅灯籠です。

この銅灯籠には、三葉葵の紋が見えます。

この銅灯籠は、徳川綱吉の母、桂昌院により、奉納された物です。

桂昌院は、青物屋の娘として生まれましたが、
最終的には、徳川家光の側室となり、徳川綱吉を生みます。
殺生が横行していた時代に、命を大切にするお触れを出し、
親子で世直しをしようとしたのが生類憐みの令でしたが、
世間には受け入れられませんでした。

しかし、桂昌院は、戦乱の時代に荒廃した奈良の文化財に
大きな功績を残しています。
例えば、東大寺の大仏殿は焼失して
100年あまりも放置されていましたが、
その再建の資金調達に貢献したのが桂昌院と言う事です。

釣灯籠の多くは、緑青色に変色してますが、
中には近年に奉納された金色の釣灯籠もあります。

よく見ると、アート引越センターの釣灯籠もありました。









東回廊の釣灯籠です。












南回廊の灯籠です。












そして、回廊の外に出て、
回廊に沿って東廻廊の外側、北端に
鳥居がありました。

武甕槌命(たけみかづちのみこと)をお迎えした時に、
天降られた御蓋山の山頂、浮雲峰の遥拝所です。

768年に御本殿が創建される前に、
鹿島、香取、牧岡の神々様がお鎮まりになる
神奈備として崇められ、現在も禁足地となっています。



回廊の内側に入り、中門の前を通り、西側へ移動します。












御廊の前から見た林檎の庭です。

庭の東南隅に林檎の木がある事から、
こう呼ばれています。

この林檎の木は、
およそ800年前、高倉天皇の御献木で、
現在の木は、1955年に長野県の有志により
寄進された物です。

林檎の庭は、神事が行われる際に、
舞楽や神楽が舞われる場所になってます。

御廊の前、西側から中門の方を見たところ。












岩本神社です。

その後ろの大木は、社頭の大杉です。
樹齢800年から1000年で、
目通り周囲8.7m、高さ25mあります。

700年前の春日権現記には、幼木の姿で描かれており、
その木がこのような大木になりました。


岩本神社の御祭神は、住吉三神で、
中近世には住吉社と称されていましたが、
明治期に、他の末社の住吉社と区別する為に
岩本神社と改められました。
社の横に立っている説明には、受験合格・和歌の神様とあります。



そして、奥(北)へ向かって進みます。












御本殿の真西に位置する
風宮神社(かぜのみやじんじゃ)です。

風を司る神様で、
良い事を運び、悪い事を吹き払います。








後殿御門です。

明治維新以来長く閉ざされたままになっていましたが、
平成27年・28年の第60次式年造替を機に、
140年ぶりに開門される事になりました。

後殿御門から中を窺うと、右手に春日造りと呼ばれる
神社建築様式の御本殿が4棟並んでいます。

第一殿に武甕槌命(たけみかづちのみこと)、
第二殿に経津主命(ふつぬしのみこと)、
第三殿に天児屋根命(あまのこやねのみこと)、
第四殿に比売神(ひめがみ)が祀られています。

そして、左手を見ると、
後殿(うしろどの)が並んでいます。











次は、万灯籠を再現した藤浪之屋へ向かいます。

後殿御門の方をふり返ったところ。










藤浪之屋です。

元々は、江戸時代まで神職の詰所でしたが、
現在は、万灯籠が再現されています。









再現された万灯籠です。












藤浪之屋の西側には、
伊弉諾命(いざなぎのみこと)が祀られた
多賀神社があります。

その昔、重源が、平重衡による南都焼討で焼失した大仏殿の
再建の為、寿命を頂いたと言い伝えがあります。

生命を司る延命長寿の霊験が高いと言う事で、
白地に赤の文字で延命長寿と書かれた
旛(ばん)が多く奉納されています。



多賀神社から、西廻廊に沿って南へ進みます。

途中、社頭の大杉の方へ出て見ると、中門が見えます。

左端は、社頭の大杉です。








また西回廊まで戻り、南へ進みます。

左が直会殿(なおらいでん)、右が西回廊です。
直会殿と西回廊の間には、御手洗川が流れています。

直会殿(なおらいでん)は、春日祭には、
勅使、弁以下の直会の儀式が殿上で行われます。






西回廊を南の端まで行き、ふり返ったところ。

今度は、右が直会殿(なおらいでん)で、左が西回廊です。










回廊内、南西隅には、砂ずりの藤の藤棚があります。

花房が1m以上にもなり、砂にすれると言う事から
砂ずりの藤と呼ばれています。

摂関近衛家からの献木と伝えられ、
「春日権現記」にも書かれている古い藤で、
樹齢700年以上と言われています。

見頃は、4月下旬から5月上旬ですが、
今年は早くピークを過ぎているようです。


西回廊の三つの門の内、一番南側の門、慶賀門から外に出て、
西回廊に沿って北へ、そして、一番北側の門、内侍門から、
回廊内を見たところ。

正面の建物は宝庫です。
春日祭の時に、
御本殿をお飾りする御神宝(鏡、太刀、鉾、弓矢など)
が納められています。

内侍門は、古くは、宮中より、斎女・内侍が出入りした門と
伝えられています。


内侍門の西側には、桂昌殿があります。

将軍 徳川綱吉の母、桂昌院が「天下泰平之御祈祷」の為に
寄進した祈祷所です。









正面の蟇股に三葉葵の紋があります。












そして、回廊沿いに南へ、南西の角を曲がったところに
榎本神社があります。

御祭神は、猿田彦命(さるたひこのみこと)です。

その榎本神社にまつわる面白い伝説があります。

鹿島様が来られて、この地を気に入られ、
ここを三尺貸して欲しいと
榎本様におっしゃたそうです。
榎本様はちょっと耳が遠く、
三尺四方と解釈した榎本様は承諾します。
ところが、鹿島様がおっしゃったのは
この山全部を三尺の深さまで貸してくださいとの
事で話が違いました。
でも約束は約束だからと榎本様は立ち退かれました。
ところが、寂しいと思し召されて春日に戻って来られたのが、
現在の榎本様です。

次は、榎本神社から南門の前を通り、若宮神社へ向かいます。

その南門を仰ぎ見たところ。















若宮神社へ向かいながら、春日大社南門をふり返ったところ。












若宮神社へ向け進んで行くと、
細殿・神楽殿が見えてきます。

手前より三間が細殿(ほそどの)、一軒の御廊を挟んで、
南側六間が神楽殿です。








細殿・神楽殿の手前の階段を登りると、
若宮神社が見えてきます。

右側の建物は、
細殿・神楽殿から突き出すように建っている
拝屋(はいのや)です。

祭典の際には、ここに神職が座ったり、
5月の薪御能(たきぎおのう)の際には、
ここで能が奉納されます。

若宮神社は、天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)を
御祭神とします。

天押雲根命は、春日大社に祀られる天児屋根命と比売神の
御子神様です。

若宮神社の前を更に進むと、夫婦大国社があります。

夫婦大国社は、日本で唯一、
大国主命と須勢理姫命の夫婦神を祀っています。

夫婦円満、家内安全、縁結びに御利益があり、
最近では、ハート絵馬を奉納される方も多い
と言う事です。





夫婦大国社から春日大社前を通って、
萬葉植物園へ向かいます。

途中、榎本神社下から、榎本神社を見上げたところ。









ここは着倒殿(ちゃくとうでん)です。

平安・延喜年間の創建です。

3月の春日祭の折りには、
御本殿での勅使参向之儀に先立って
着倒之儀が、ここで行われます。






萬葉植物園へ到着です。

ここから入園します。










植物園の中です。

萬葉植物園は、
約300種の萬葉植物を植栽しています。









植物園に咲いていたエビネです。

















園内の池には浮舞台があります。

浮舞台を南西から見たところ。

この浮舞台では、5月5日、11月3日と春秋2回、
奈良時代より絶えることなく、
雅楽・舞楽が萬葉雅楽会として奉納されています。






春日大社の社紋が藤の花であることから、
園の南側のエリアに、藤乃園が造られ
20品種、約200本の藤の木が植栽されています。















藤乃園の藤です。

















藤です。

















藤。

















何の花かわかりませんが、可憐に咲いてました。

















藤。

















藤。












藤。












藤。

















藤。

















藤。

















シャガ。

















藤。

















浮舞台を北から見たところ。

園内の池には、中ノ島があり、
その中ノ島には、臥龍のイチイガシと呼ばれる
老巨樹が幹を地に長く臥せて茂ってます。

そして、浮舞台を覆うかの様に、
イチイガシが伸びています。





菖蒲が咲いてます。

















これは、しらんと言う花です。












しらんです。

















だいこんです。

















だいこんの白い花です。












六条オオムギです。












萬葉植物園を出て、下の禰宜道を通り、新薬師寺へ向かいました。

下の禰宜道は、文豪、志賀直哉が好んで散歩した道と言われており、
最近は、ささやきの小径とも呼ばれています。














下の禰宜道は、かつて、高畑の社家町から、
春日の禰宜(神官)たちが春日大社へ通った道で、
高畑町から二之鳥居へ通じています。










新薬師寺を訪問した帰りに見た一之鳥居です。

一之鳥居は平安後期に創建されたと伝わりますが、
現在の鳥居は、1638年に再建された物です。










翌朝、早く起きて、 東大寺転害門 へ、そして、大仏殿前から南大門と散歩しました。

南大門から南へ進むと、春日大社の参道入口があります。

この交差点を西に進むと、奈良国立博物館があります。










奈良国立博物館のなら仏像館を東から見たところ。












そのなら仏像館の南側に
春日大社の東西両塔跡があります。

神社に仏教の塔が建っているのは
神仏習合思想によるものです。

西塔は1116年に藤原忠実により、
東塔は1140年に鳥羽上皇の
本願により造営されました。

よって、西塔は「殿下の御塔」、
東塔は「院の御塔」と称されました。

しかし、1180年に
平重衡の南都焼討で焼失し、
その後、再建されましたが、
雷火で再び焼失し、
再建される事はありませんでした。

両塔の在りし日の威容は、多くの
春日宮曼荼羅に描かれています。



東塔跡です。












西塔跡です。

東西両塔共に、なら仏像館の南、
春日大社 一之鳥居から東に延びる表参道の
北に位置します。









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