出張期間中の休みを利用して、白鷺洲公園、夫子廟へ行って来たので、紹介します。
夫子廟は、儒教の始祖、孔子が祀られている場所で、
かつ、この地区には中国らしい建物が立ち並び、たくさんの中国人観光客が訪れる
観光スポットになっています。
昼の夫子廟だけでなく、夜の夫子廟の華やかさも有名で、
夜の夫子廟を見る為に、夕方に出かけてみました。
建康路に面して、元状楼門があります。
門には、南京夫子廟の文字が見えます。
夫子廟景区歩行街へ入って行きます。
老街への門です。
老街へ寄ってみます。
老街とは、古い町と言う意味のようです。
この銅像は誰?
ちょっと気になります。
老街です。
小さな路地へ入ってみます。
路地に入るには、こんな楼門を入ります。
楼門をくぐり、ふり返ったところ。
門の上には、人民遊楽場と書かれています。
路地のお土産屋さんです。
観光客目当てのお土産屋さんが、路地の左右にあります。
路地の中は観光客でいっぱいです。
小雨の天気でしたが、
それでもおかまい無しで多くの観光客が歩いてます。
中国風の建物のお土産屋さんの間を抜けて行きます。
門をくぐります。
また、お土産屋さんと、たくさんの観光客がいます。
中国の人気観光スポットの雰囲気を満喫できます。
お土産屋さんだらけです。
お土産屋さんの路地を抜け、
秦淮河沿い、夫子廟前の広場へ出ます。
夫子廟です。
夫子廟は、
春秋時代(BC770年-BC403年)の思想家、儒教の創始者である
孔子(BC551-BC471)を祀った霊廟です。
以前、中に入った事があるので、今日は入りません。
秦淮河には、多くの遊覧船が係留されています。
多くの観光客が秦淮河の風景を眺めています。
游客中心です。
日本語で、観光客センターと記載もありました。
秦淮河にかかる文德桥(橋)を渡ります。
文德桥(橋)からの風景です。
秦淮河には遊覧船が行き交っています。
夫子廟の対岸です。
向かい合う竜が描かれています。
文德桥の袂のお土産屋さんの建物です。
文德桥から秦淮河の下流(南西)側を見たところ。
文德桥から秦淮河の北岸を見たところ。
黄色い屋根の遊覧船が、たくさん停泊しています。
文德桥から秦淮河の上流(北東)側を見たところ。
文德桥を渡り、
秦淮河に沿った夫子廟景区歩行街を歩きます。
夫子廟の南東にある白鷺洲公園へ行って見ます。
中に入るには高い入場料を払う必要があり、
どんだけすごい公園かと楽しみに入ってみると、
Tレックスだろうか恐竜の像がありました。
そして、他の恐竜の像もあります。
公園の名前と、恐竜の像がある事のイメージが一致しません。
恐竜の像がある事により、とっても、ちゃちな雰囲気がします。
白鷺洲と言う名前が示すように秦淮河の湿地、池の中に、
いくつかの島(洲)があります。
その洲と洲を結ぶ橋です。
そして、その橋から見た池です。
白鷺塔です。
公園内の水路です。
黄色い屋根の遊覧船です。
夫子廟の前で見た遊覧船が、ここまで来ているようです。
遊覧船の前方には、小さくて見えにくいですが、
翼竜の群れの像があります。
白鷺洲公園内を遊覧船が進んでいます。
公園内には中国風の建物や橋が架かっています。
洲と洲を結ぶ橋が見えます。
そして、その橋の向こうには、南京城の城壁が見えます。
白鷺洲公園を出て、再び、夫子廟へ戻ります。
秦淮河にかかる文德桥から上流(北東)側を見たところ。
夜になり、町の明かりが賑やかに輝きだしています。
秦淮河に遊覧船が進んできます。
文德桥から秦淮河の下流(南西)側を見たところ。
秦淮河を遊覧船が行き交っています。
夫子廟対岸の向き合った竜も美しく輝きだしています。
文德桥を渡りながら、
秦淮河の上流(北東)側の景色を見たところ。
夫子廟対岸の向き合った竜です。
夫子廟の前には、多くの観光客が出ています。
夜の夫子廟は、光であふれています。
次から次へと遊覧船がやって来ます。
游客中心です。
観光客センターも、光であふれています。
夫子廟の前から、対岸の向き合った竜を見たところ。
次から次へと遊覧船が出ていきます。
夫子廟の前の広場を見たところ。
奥が孔子が祀られた夫子廟です。
左端の塔は、魁星閣です。
游客中心です。
夫子廟です。
秦淮河沿いの夫子廟景区歩行街です。
秦淮河沿いの夫子廟景区歩行街を歩いて行くと、
江南貢院があります。
江南貢院とは、宋朝により建築された科挙の試験場です。
でも以前来た時と場所が違うような?!
(以前来た時の記事は、
ココ
。←クリックしてください。)
江南貢院のチケット売り場です。
文德桥から一つ上流の橋が文源橋です。
江南貢院へ入る前に文源橋からの景色を眺めて見ます。
文源橋から下流(南西)を眺めたところ。
遊覧船が頻繁に行き交っています。
文源橋から上流(北東)を眺めたところ。
色鮮やかな遊覧船が行ったり来たりを眺めるのも楽しい。
文源橋の北西の袂にある江南貢院です。
右端に東屋が見えます。
江南貢院の向かいにあった門です。
江南貢院と書かれています。
その向こうは工事中です。
以前、来た時には、この奥の方に江南貢院があったと思います。
今の江南貢院は、工事の為に移設されたのかな?
チケットを買って、先ほどの江南貢院の中へ入ってみます。
中に入って行くと、中庭があります。
中庭の中央には登竜門がありました。
元々、登竜門とは、
竜門山の急流を鯉が登り切ったならば、
竜になると言う言い伝えに由来します。
厳しい科挙試験は、人の立身出世科挙の関門として、
まさに登竜門であったのだと思います。
ところで、門とは下をくぐる物と思っていましたが、
この門はまたぐようになっています。
6回またぐと幸福が得られるとの事です。
登竜門のある中庭を挟んで
東官廨、西官廨と呼ばれる建物が左右に
あります。
写真は、東官廨です。
吉兆の占いに使用された陶片と思います。
その陶片に残された絵で、当時をうかがい知る事ができます。
照壁です。
照壁には、南闈放搒と書かれた壁画が描かれています。
科挙試験の合格発表の場面でしょうか?
多くの人が、名前が貼り出された壁を眺めています。
そして、壁画の手前の植え込みに、
状元の文字が浮かび上がっています。
状元とは、科挙試験の首席合格者を意味します。
その照壁の横には、
背中に荷物を背負い、頭上に赤い布をたらし、
書物を読みながら歩く人の像がありました。
仕事をしながら勉強する学生?
照壁の向こう側、川沿いには、
文源橋から見えていた東屋があります。
状元亭と書かれています。
右端に見える橋は、文源橋です。
江南貢院から秦淮河を見たところ。
中央の橋は、文源橋です。
科挙試験会場の再現です。
一人、一人、仕切られた部屋で試験をしていたようです。
秦淮河に面した廊下です。
秦淮河に沿って長廊が続いています。
写真は、長廊の南西の端からの景色です。
正面に文德桥が見えます。
たくさんの遊覧船が行き交っています。
魁星閣です。
魁星閣の中の像です。
名功 魁星と記載があります。
魁星とは、中国で文章をつかさどる神です。
魁の文字が、鬼と斗からなっており、
その像は、鬼が左足で北斗を
蹴り上げています。
そして、右手に持つ筆は、
科挙の及第者の名前を記すためと言う事です。
魁星点斗の書です。
この書も、右手に筆、左手に墨壺を持っています。
そして鰲と言うウミガメの上に右足で立ち、
左足で北斗を蹴り上げています。
長廊から見た、向き合う二匹の竜です。
長廊に吊り下げられた提灯です。
長廊を江南貢院の入り口へ向け戻ります。
長廊の秦淮河と反対側の壁には、
江南貢院関係の展示がされています。
貢元でよいのか?扁額が展示されています。
秦淮河の川側には、
江南貢院から輩出された官人の像が
展示されています。
呉承恩の像です。
呉承恩(1506-1582年)は、明代の官吏、文人で、
中国では西遊記の著者として認められています。
しかし異説もあり確証はありません。
林則徐の像です。
林則徐(1785-1850年)は、清代の官僚で、
欽差大臣を務めました。
1839年にはイギリス商人が持っていた
アヘンを没収し処分しました。
それが、1840年から2年間の
阿片戦争を引き起こしました。
江南貢院の図です。
長廊へ展示されていた
江南貢院関係の物です。
これは、糕模です。
糕とは、米粉、小麦粉、
豆粉等から作った塊状、
板状の菓子です。
糕模は、お菓子の型の事。
左端の糕模は、
「元状跨馬」の模様の
型です。
科挙の首席合格者が
馬に乗っている
場面です。
糕模(お菓子の型)から作ったお菓子です。
科挙試験に合格した人を称える為に、飾り額や、石碑等で家を飾るお金を提供したりしていたようです。
以下は、その装飾板です。
親族、縁者で科挙試験の合格者が出ると大変栄誉な事でした。
この額は、兄弟で科挙試験に合格した進士がでたのでしょうか?
額には、「兄弟同榜進士」と書かれています。
この額は進士とあります。
進士とは、科挙の六科のひとつで、最も難しく地位が高い科でした。
進士が出た家には、こう言う額が飾られたのかもしれません。
科挙試験会場の再現です。
子供が座っていました。
登竜門のある中庭を挟んで東官廨、西官廨がありますが、
写真は、西官廨です。
江南貢院を出て、地鉄3号線の夫子廟駅方面へ向かいます。
正面に夫子廟の東の門が見えて来ます。
その門を外に出て振り返ったところ。
古秦淮と言う文字が見えます。
夫子廟駅へ下り、地鉄3号線でホテルへ帰ります。
■参考
・2011年8月に夫子廟を訪問した時の記事は、
ココ
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・2016年8月に東水関~夫子廟を訪問した時の記事は、
ココ
(←クリックください。)