仁和寺: 17May2019


奈良・京都旅行の7日目は、北野天満宮、平野神社、龍安寺、仁和寺、金閣寺、大徳寺、清明神社、京都御所、元離宮 二条城を
周りました。

朝早く起きて、 北野天満宮、平野神社、龍安寺 を周り、
きぬかけの路を仁和寺へ向かいます。

きぬかけの路を進んで行くと、二王門が見えてきます。














二王門を南東から見たところ。












二王門へ近づいて見上げたところ。












二王門です。

二王門の創建は不明ですが、何度も火災で焼失し、
現在の仁王門は、徳川三代将軍家光の寄進によって
1641年から1645年頃に建立された物です。








二王門を、正面から見たところ。

高さは、18.7mで、重層、入母屋造り、本瓦葺です。

南禅寺の三門と、知恩院の三門と共に京都の三大門の一つに
数えられていますが、南禅寺と知恩院の三門は、禅宗の三門で
に対し、仁和寺の二王門は、平安時代の伝統を引く和様で
統一されています。





二王門正面の左右に安置されている金剛力士像を
二王とした事から二王門と呼ばれています。











南西から、二王門を見上げたところ。

二王門の南西角には、総本山 仁和寺(にんなじ)と
刻まれた石標が建ってます。

真言宗御室派の総本山です。







二王門の南東の角には、史蹟 仁和寺御所阯と刻まれた
石標が建ってます。

仁和寺は、仁和二年(886)に光孝天皇の詔勅により
建設が開始されましたが、翌年に崩御され、
その遺志を引き継いだ宇多天皇によって
仁和四年(888)に創建されました。

宇多天皇は、出家後、仁和寺伽藍の南西に御室(おむろ)と
呼ばれる僧坊を建てて住まわれたことから、
御室御所と呼ばれるようになりました。


二王門に向かって右側の阿形の金剛力士像です。

















阿形の金剛力士像です。












阿形の金剛力士像の前から、反対側を見たところ。

















二王門に向かって左側の吽形の金剛力士像です。

















吽形の金剛力士像です。

















吽形の金剛力士像の横から、反対側を見たところ。












金剛力士像の背面、後ろ側には唐獅子像が安置されています。

二王門を抜けふり返って右側の唐獅子像です。
頭に角があります。














二王門を抜けふり返って左側の唐獅子像です。

















その唐獅子です。

こっちの唐獅子には、角はありません。















二王門の後面です。












二王門を抜けて、ふり返って見たところ。












二王門です。












二王門です。












二王門を入って、すぐ左手に、西側に本坊表門があります。

この本坊表門を入ると、
仁和寺の本坊にあたる御殿があります。

仁和寺を創建した宇多天皇が、出家後に、
仁和寺伽藍の南西に御室(おむろ)と呼ばれる僧坊を
建てて住まわれた場所で、
御室御所とも呼ばれていた場所です。




本坊表門を入ると、御殿の入口が見えます。












御殿の入口です。

格式の高い唐破風屋根が用いられています。










御殿の入口に向かいながら、北側を見ると、
南庭につながら門が見えます。











御殿の入口です。












御殿の入口の前から、
入って来た本坊表門をふり返ったところ。

本坊表門の向こうに見えるのは、二王門です。









御殿の入口を入ると、
仁和寺は、古都京都の文化財を構成する
文化財である事を証する額が掲げられます。










御殿の入口のある建物から、
白書院へ向かう渡り廊下へ出て、
西側を見たところ。










白書院へ向かう鍵型に曲がった渡り廊下を歩きながら、
白書院の東側、宸殿の南側に位置する南庭を見たところ。











そして、白書院の広縁です。












白書院の最初の部屋です。

襖には松が描かれ、信楽焼の壺が展示されています。










その隣の部屋には、白書院の説明と、仁和寺略記の
白いボードがあります。

仁和二年(886)に光孝天皇は西山御願寺の建立を発願し、
翌年崩御されましたが、その遺志を継がれた宇多天皇が
仁和四年(888)に創建し仁和寺と命名されました。
宇多天皇は、譲位、出家後、日本で最初の法王となられた以降、
慶応三年(1867)純仁法親王が還俗されるまで、
皇室出身者が住職となる宮門跡が護持されてきました。




そして、この部屋の襖絵も、松が描かれています。

白書院の襖絵は、昭和12年(1937)に福永晴帆画伯による
松を主題とした四季折々の景色が描かれています。









その隣の部屋には、床の間があります。












そして、襖には、松が描かれています。












白書院の広縁から、東側の南庭を見たところ。

南庭は、宸殿の南側に位置する事から南庭と呼ばれてます。

南庭の右側向こうに見える建物は二王門で、左側は勅使門です。

庭の中央へ下りれるように、板が敷かれています。






板敷の上を、南庭の中央へ下りてみます。

目の前に勅使門があり、右側に二王門が見えます。










南庭の中央から、南西を見たところ。
御殿入口の建物が、築山越しに見えます。











南庭の中央から、西側、白書院を見たところ。

応仁の乱の長火により、仁和寺は、全てを焼失し、
仮御所を設け法灯を護持し続けた後、
徳川家光によって、正保三年(1646)に
御所から紫宸殿、清涼殿、常御殿が移築され、
二王門、中門、五重塔、観音堂などが新設され、
再興されました。

しかし、明治二十年(1887)に火災により、
仁和寺御殿を構成する大部分を焼失し、
明治二十三年(1890)に白書院などが建てられ、
明治四十二年(1909)から本格的な再建が開始され
大正三年(1914)に完成しました。

右端には、白書院の北東に位置する宸殿の檜皮葺き替え工事の為の覆いが見えてます。

白書院から、鍵型の渡り廊下を通って、
白書院の北西に位置する黒書院へ向かいます。











黒書院の説明がありました。

黒書院は、明治二十年(1887)の焼失の復旧の為、
京都花園にあった旧安井門跡の寝殿の遺構を
移築し改造したもので
明治四十二年(1909)に黒書院として完成しました。







黒書院の内部です。

昭和十二年(1937)に堂本印象画伯により
襖絵が描かれています。
そして、印象画伯が付けた竹の間、秋草の間などの
画題の名が、そのまま各部屋の名称になっています。







黒書院の内部です。

この部屋は、秋草の間です。










黒書院の南側の庭です。












黒書院の東に位置する宸殿、北庭の方にも行きましたが、
工事の覆いがセットされており、写真撮影はやめて、戻ります。

白書院から、御殿出口へ向かう鍵型の渡り廊下です。









御殿を出て、本坊表門へ向かう途中に、
南庭へ続く門が見えます。

この門の向こうが南庭です。









そして、まっすぐ本坊表門へ向かいます。

本坊表門の向こうに見える建物は、二王門です。










本坊表門を出て、二王門の前から、まっすぐ北を見ると、
参道の先に中門が見えます。











参道の右手にあった仁和寺全景図です。












その反対側、左手に勅使門があります。

勅使門は、檜皮葺屋根の四脚唐門で、前後を唐破風、
左右の屋根は入母屋造りとなってます。

設計は京都府技師の亀岡末吉氏で、鳳凰の尾羽や牡丹唐草、
宝相華唐草文様や、幾何学文様など、
細部にわたる斬新な彫刻装飾が施されています。





勅使門の前を過ぎて、すぐ右に入ると霊宝館があります。

その霊宝館の手前に、金剛界曼陀羅の金剛華菩薩が
祀られています。

仁和寺に伝わる御室流華道の理念の象徴として、
昭和56年(1981)に造立されました

左手に宝相華を盛った器を持ち、
右手で器をはさむような姿をとっています。








霊宝館です。

仁和寺は、創建当時の本尊である阿弥陀三尊像をはじめ
仏画、経典など多くの宝物を所蔵しており、
霊宝館でこれらの所蔵品を展示しています。








再び、参道へ戻り、北へ向かいます。

正面は、中門です。










南をふり返ると、二王門が見えます。












中門です。












中門は、切妻造り、本瓦葺、柱間三間の八脚門です。












中門に向かって右側に、東方天が安置されています。

東方天は、四天王のうち東を守る持国天のことです。















中門に向かって左側には、西方天が安置されています。

西方天は、四天王のうち西を守る広目天のことです。















東方天、いわゆる持国天です。

















持国天の両脇には、眷属が控えています。

持国天に向かって左は、
持国天に従う眷属の乾闥婆(けんだつば)でしょうか?

乾闥婆は、香だけを食し伎楽を奏します。












持国天に向かって右は毘舎遮と思います。

毘舎遮は、人の血肉を喰らう喰屍鬼と言う事で、
二本の角が生え、正に鬼の顔をしています。














西方天、いわゆる広目天の両脇にも、広目天の眷属がいます。

広目天の眷属は、龍王と、毘舎闍ですが、
どちらが、どっちか見分けができません。














広目天に向かって右に立つ眷属は、龍王と、毘舎闍のどちらかです。

















中門を抜け右手、北東を見たところ。

前方の休憩所におみくじ授与所があり、
その向こうに五重塔が見えます。









中門を抜け、まっすぐ参道を進んで行きます。

参道の階段の向こうに見える屋根は、金堂です。










そして、中門を抜けた左手には、
御室桜と呼ばれる遅咲きで有名な桜の林があります。

訪問時は、桜の時期を過ぎており、咲いていませんでした。
残念。








中門を、ふり返って見たところ。












御室桜の林です。












中門から参道を進んで行き、階段を上ると、
令和の文字が書かれた看板があり、五重塔と一緒に
写真が撮れるようになってます。

この令和の文字は、仁和寺が所有する国宝、
空海筆の「三十帖冊子」から令と和の文字を拾い出して
拡大復元した文字という事です。











そして、令和の看板の反対側の路地を入ると、
観音堂があります。

本尊は、千手観音菩薩で、脇侍に不動明王、降三世明王、
その周りに二十八部衆が安置されています。

通常は非公開ですが、6年に及ぶ保全修理後初となる
観音堂春季特別内拝が行われていました。





金堂に向け、まっすぐ参道を進みます。












参道右手には、五重塔が見えます。

















正面は、金堂です。












金堂です。












金堂を正面から見たところ。












金堂の説明です。

現在の金堂は、慶長18年(1613)造営の内裏紫宸殿を、
寛永年間(1624-44)に移築したものです。










本堂です。

堂内には、本尊の阿弥陀三尊像や、四天王像などが
安置されています。









本堂の前を西へ向かうと、鐘楼があります。

入母屋、本瓦葺の建物です。

鐘楼の楼は、元来、二階建ての建物を意味し、
楼上は朱塗りで高欄を周囲に巡らせ、
下部は袴腰式と呼ばれる袴のような板張りの覆いが特徴的です。











鐘楼を、南西から見たところ。

















その鐘楼の西側の道です。












鐘楼の西側の道を北へ向かうと、
水掛不動があります。

近畿三十六不動霊場の第十四番札所です。









不動明王に水を掛けて祈願する事から
水掛不動と呼ばれています。











水掛不動です。

















水掛不動の西側には、御影堂があります。












御影堂です。

現在の御影堂は、慶長年間(1596-1615)造営の
内裏清涼殿の一部を賜り、
寛永年間(1624-44)に再建されたものです。








御影堂です。

堂内には、弘法大師像、宇多法皇像、
仁和寺第2世性信親王像が安置されています。









御影堂を出て、御影堂の前から南東にある
観音堂を見たところ。

手前、左が手水舎で、奥が観音堂です。









御影堂の前を東へ引き返します。

再び、金堂です。










そして、金堂の前を更に東へ進むと、経蔵があります。












経蔵の説明です。

寛永~正保年間の建立で、
内部には釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩などが
安置されており、壁面には菩薩や羅漢などが
描かれています。












経蔵です。












経蔵の前から、金堂方向を見たところ。












経蔵の前を南へ進んで行くと、五重塔があります。

北東から五重塔を見たところ。















南東から五重塔を見たところ。

















南西から五重塔を見たところ。

















西から五重塔を見たところ。

寛永21年(1644)の建立で、高さは36.18mあります。
また、上層から下層にかけて、
各層の幅に、あまり差が無いのが特徴です。













西から五重塔を見たところ。

塔の中央に、心柱が立ち、その心柱を囲むように天柱が
塔を支えています。














初重正面には、大日如来を意味する梵字の扁額が
掲げられています。

塔の内部に、大日如来、その四方にも仏が安置され、
柱や壁面には、仏や真言八祖などが描かれています。








五重塔の北東には、九所明神が祀られています。

右の建物が拝殿で、その奥に本殿、左右殿があります。















九所明神の本殿、左右殿の説明です。

















中央が九所明神の本殿で、本殿の両側に左殿、右殿と
三棟にわかれ、八幡三神をはじめとし、九座の明神が
祀られています。










本殿の前にある拝殿です。












中央が本殿、向かって右側が左殿、その反対側が右殿です。

現在の建物は、寛永18年(1641)から正保元年(1641)にかけて
建立されたものです。

また、各殿の前には、寛永21年(1644)建立の織部形石灯籠が
建てられています。






祀られている九所明神です。

















境内の東側にあった小さな祠です。












境内の南西、五重塔の方向を見たところ。

















拝殿の南側に回り、拝殿をふり返ったところ。












拝殿から南へ進み、九所明神の鳥居を出て、
鳥居をふり返って見たところ。











そして、仁和寺の東門を出て、東門をふり返って見たところ。











仁和寺を出て、次はきぬかけの路を 金閣寺 へ向け歩きます。



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