東大寺 : 01-02May2018



五月連休を利用して、一泊二日で、奈良に行って来ました。
初日の午前中、興福寺、東大寺の南大門、大仏殿、戒壇堂、正倉院を周り、これから、二月堂、法華堂(三月堂)、手向山八幡宮を
回ります。


正倉院から、南へ、大仏殿へ向け歩いて行くと、東大寺講堂跡が
あります。

場所は、大仏殿の裏、北側に当たり、現在は、礎石のみが残ってます。












大仏殿の北側の道を東に向け進むと、大仏殿の東側に、
南北に細長い長池があります。














大仏殿の北側の道を東に向け進みます。

進んで行くと、二月堂の屋根が見えてきます。













二月堂の屋根。















二月堂へ向け、坂道を登って行きます。





















坂道を登ります。






















二月堂の下の段へ到着です。

左が、二月堂参籠所。













二月堂参籠所。
室町時代の建物で、国の重要文化財に指定されてます。

ここから入って行きます。












入口を入ると、登廊(のぼりろう)があります。















二月堂へ続く登廊。






















登廊から、二月堂を見たところ。

二月堂は、旧暦の2月に、お水取り(修二会(しゅにえ))が行われる
ことから二月堂と呼ばれている。

現在の建物は、1667年のお水取りの最中に失火で焼失し
その2年後に再建された舞台造りのお堂で、国宝に指定されている。

お水取り(修二会(しゅにえ))は、二月堂の本尊、十一面観音に
東大寺の僧侶が、全ての人々の罪過を悔い改め、国家の安泰と
人々の豊楽を祈る法要である。

若狭井(わかさい)と言う井戸から、観音様にお供えするお香水と言う
霊水を汲み上げる儀式が行われる事からお水取りと呼ばれている。


登廊を登りながら、二月堂を見上げたところ。















右が、二月堂。















二月堂。















二月堂の北面、軒下を見たところ。















二月堂の舞台から、西側の景色を見たところ。

右が、今登って来た登廊で、その下が、二月堂参籠所。













二月堂の西面を、北西角から見たところ。

軒下には、釣灯篭がたくさん吊られてます。













二月堂の舞台から、西側の景色を見たところ。

左端が、三昧堂(四月堂)。













二月堂の西面を、南西角から見たところ。















二月堂の南面を、南西角から見たところ。

奥にある建物は、手水舎。













二月堂の南側にある階段の上からの景色。

左側には、法華堂(三月堂)が見える。













その階段を下りて、二月堂を見上げたところ。















二月堂の南側にある階段の下に、閼伽井屋(あかいや)がある。















その閼伽井屋。

そして、閼伽井屋は、お水取りでお香水が汲み上げられる
若狭井(わかさい)と言う井戸の覆屋である。

鎌倉時代に建てられた切妻造りの建物で、国の重要文化財に指定
されています。









閼伽井屋の前から東へ向け進むと、法華堂(三月堂)がある。















その法華堂(三月堂)。















法華堂(三月堂)の前の道を挟んで、西には三昧堂(さんまいどう)。

法華三昧会が、旧暦4月に行われる為、別名、四月堂とも呼ばれて
いる。

平安時代末期の創建ですが、現在の建物は、1681年に
再建された物。

十一面観音が祀られている。







右側に、法華堂(三月堂)。

東大寺建築の中で最も古く、寺伝では東大寺創建以前にあった
金鍾寺(きんしょうじ)の遺構とされる。

756年に作成された東大寺山堺四至図(さんかいしいしず)には
羂索堂として描かれている。

ここ法華堂(三月堂)には、本尊として不空羂索観音菩薩が祀られて
いる。

旧暦3月には法華会(ほっけえ)が行われており、法華堂、または、
三月堂と呼ばれている。



法華堂(三月堂)を、南西から見たところ。

もとは寄棟造りの正堂(しょうどう)と礼堂(らいどう)が軒を接して
建つ配置であったが、鎌倉時代に、礼堂を入母屋造りに改築して、
2棟をつないだ。

正堂は天平時代の建築だが、礼堂は鎌倉時代の建築で、異なる
時代の建築が高い技術で結ばれている。

確かに右と左で異なる建物が結ばれたように見える。
左側が、天平時代の古い建物だ。





法華堂(三月堂)を、南から見たところ。

こちらが、入母屋造りの礼堂に当たる。

正面の入口から中に入ると、本尊の不空羂索観音立像が
祀られている。
像高362cmの脱活乾漆造りで、国宝に指定されている。

額にも縦に目があり、正面で合唱した手のほかに、左右3本
ずつの腕を持つ三目八臂の姿をしている。
そして、正面で合唱する手の間には、水晶が挟まれていたり、
宝冠の化仏は、多くの宝石に囲まれている。

3つの目で世界をくまなく見渡し、左第2手に持つ羂索で、
あらゆる世界の人々を救うと言われている。

また、堂内には、不空羂索観音立像のほか、四天王立像、梵天・帝釈天立像などが安置されており、
天平仏の宝庫として有名である。


法華堂(三月堂)の入口の階段から、南を見たところ。

石灯篭は、宋より帰化した石大工 伊行末(いのゆきすえ)の作で
重要文化財。

そして、正面の建物は、法華堂経庫。

その横の鳥居は、手向山八幡宮の鳥居。








法華堂(三月堂)の南側に小さな丸い池があり、小さな鳥居と祠が
ある。

弁財天神社で、御祭神は、市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)。

市杵島姫命と弁財天の神仏習合が見られる神社である。










手向山八幡宮の鳥居の横にある法華堂経庫を南側から
見たところ。

法華堂経庫は、奈良時代に建てられた校倉造の建物で、
重要文化財に指定されている。

法華堂経庫の南側、手前には御髪塔(十三重石塔)がある。









右側に法華堂経庫、左に法華堂。















手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)の鳥居。

鳥居の奥から雅楽の音が聞こえてきます。













手向山八幡宮では、毎月1日に月次雅楽奉納祭が行われます。

私が訪れた日は、たまたま5月1日で雅楽が奉奏にされていました。
雅楽に使用される大きな釣太鼓が見えます。












拝殿上で雅楽を奉奏する人達と、その演奏を聴く人達。

横笛(おうてき)、小さな縦笛の篳篥(ひちりき)、
長さの異なる竹管を集めた楽器の笙(しょう)が演奏されてます。












手向山八幡宮の拝殿を見たところ。















手向山八幡宮の神門を出たところの石灯籠。

灯篭の火袋の窓には、八幡宮の神使の鳩が描かれてます。













正面、西から神門を見たところ。

手向山八幡宮は、749年に、宇佐八幡宮より東大寺の
守護神として迎えられ、東大寺中門近くの鏡池の畔に
祀られていた。
その後、焼失し、1250年に現在の場所に遷った。










手向山八幡宮神門の南西、すぐにある宝庫。

先ほどの法華堂経庫と同様に、奈良時代の校倉造の建物で
重要文化財に指定されている。












その宝庫に近づいて、校倉造を見たところ。






















手向山八幡宮の拝殿から、境内を南に進む。















手向山八幡宮の境内。














そして、手向山八幡宮の境内を抜け、春日大社へ向かいました。


翌朝、早く起きて、東大寺転害門へ、そして、大仏殿前から南大門、興福寺と散歩した。


近鉄奈良駅前から東へ向け歩いて行くと、奈良県庁がある。
その県庁の敷地内で、鹿が食事をしている。














奈良県庁の角を曲がり、国道369号線を北に進んで行く。

そして、東を見ると大屋根が見える。
地図で見ると、この通りの先には南大門があるが、南大門の大屋根?



















国道369号線を更に北に進んで行く。

右側の背の高い石碑が、東大寺旧境内の石碑。
中央辺りの背の低い石碑が、一里塚。












更に北に進んで行くと、右手に転害門(てがいもん)がある。

西から見たところ。













転害門にあった
奈良観光案内図。




























転害門を南西から見たところ。

転害門は、東大寺境内の北西に位置し、2度の戦火による被害を
免れ、創建当時の姿をとどめる奈良時代の建造物である。
国宝に指定されている。











転害門の軒下から見上げたところ。






















転害門を南東から見たところ。















転害門を、北東から見たところ。















転害門の北、東側に残る古い土壁。















転害門を、東から見たところ。















転害門から大仏殿の方へ進む。

途中、正倉院大池(大仏池)から、大仏殿を見たところ。













正倉院大池(大仏池)越しに、大仏殿を見たところ。















大仏殿西側に位置する指図堂。

1181年の平重衡による南都焼討により、東大寺や興福寺が
壊滅的な被害を受けた時、大仏殿を再建する計画の図面(指図)を
収蔵するお堂として使用された事に由来する。











その指図堂の前から大仏殿を見たところ。

この道を大仏殿に向け進む。




















その途中にある子安神社。















鳥居の中に入ると、小さな祠が祀られている。

東大寺の古図には、神社が描かれ富貴社と記載されており、フキのやしろと
呼ばれていたようだ。

現在は、安産と子孫繁栄を願う社となっている。

















大仏殿の回廊沿いに南に進むと、大仏殿の南西角の入堂口
がある。

昨日は、大仏殿へ入堂する人でごった返していたが、朝早いせいか
誰もいない。











大仏殿の中門。















鏡池。

5月2日は、聖武天皇祭が行われ、鏡池上の舞台で
舞楽が、その後、慶讃能が奉納される。












南大門へ向け進む。

北から南大門を見たところ。













大仏殿から南大門へ向かう途中、左手、東側に天皇殿がある。

天皇殿の入口も、今日は、菊の紋が描かれた門幕が掛けられて
いた。












南大門を北から見たところ。















南大門の北側、下から見上げたところ。















南大門の吽形の仁王像。






















南大門の阿形の仁王像。






















南大門を北から南へ抜け、左手、東側に、世界遺産の石碑が
ある。














近くで寝そべる鹿。






















南大門を抜け南へ進むと、左手、東側に、三社託宣池がある。

三社託宣とは、伊勢神宮の天照大神、石清水八幡宮の
八幡大菩薩、春日大社の春日大明神の宣託(神のおつげ)の事。
鎌倉時代に初めて、この池の水面に現れたと伝えられている。

池の中には島があり、橋がかかっている。









東側には、草原が広がっている。

その橋の上から見た景色。













草原の鹿。















参道脇で寝そべる鹿。






















南大門から南へ進むと、吉城川に架かる橋がある。















その橋の上から、吉城川を見たところ。





















この後、興福寺を通って、ホテルへ帰り、朝の散歩は終わり。

その後、薬師寺・唐招提寺へ。



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