2日9日から4泊5日で、名古屋城、松本城、犬山城、岐阜城、彦根城と5つのお城を周って来ました。
まず、初日は、
名古屋城
を訪問し、その後、
熱田神宮
を周り、
二日目は、松本市へ移動し、
松本城
を訪問し、
三日目は、愛知県犬山市へ移動し、
犬山城
を訪問し、
その後、岐阜市へ移動し、
四日目に
岐阜城
を訪問しました。
その後、四日目の夕方、彦根城のある彦根市へ移動し、彦根城の夕景を見て周ります。
■岐阜から彦根へ
岐阜城
を訪問した後、
JR岐阜駅へ向かいます。
JR岐阜駅から、東海道本線で、
JR彦根駅へ向かいます。
彦根へ向かう途中、
蛇行する東海道本線の車窓から見た
伊吹山です。
車窓から見た伊吹山です。
伊吹山です。
JR彦根駅へ着きました。
改札を出て、
中央通路を東口へ向け進んで行くと
国宝「彦根屏風」のジャンボ複製があります。
彦根藩主井伊家に伝えられた為、
「彦根屏風」と呼ばれていますが、
正式名は、「紙本金地著色風俗図」です。
江戸時代初期、寛永年間(1624-44)に
京の遊里の様子を描いたとされる風俗画です。
彦根駅東口を出て、
彦根駅をふり返って見たところ。
宿泊予定のホテルへチェックインする為、
ホテルへ向かいます。
■彦根城 夕景
ホテルへチェックインし、休憩をとった後、
彦根城の周りを歩きに出かけます。
駅前お城通りを、道なりに北西へ進みながら、
正面に彦根城の天守を見たところ。
駅前お城通りを進んで行くと
彦根市役所があり、その前に
彦根市ガイドマップがあります。
彦根市役所の前を過ぎて進んで行くと
正面に滋賀縣護国神社の鳥居が見えてきます。
滋賀縣護国神社の鳥居へ向け進みます。
滋賀縣護国神社の鳥居を正面から見たところ。
鳥居の手前には、外堀跡に橋が架かってます。
その橋の上から、外堀跡を見たところ。
滋賀縣護国神社の前を走る道路を含めて、
広い外堀があったようです。
その橋を渡って正面に、
鳥居があります。
滋賀縣護国神社には、
明治戊辰の役以来、西南の役、日清戦争、
日露戦争から大東亜戦争に至る
幾多の戦役、国事、国難に殉じた
滋賀県出身の英霊が祀られています。
その鳥居をくぐった正面に
「父の像」があります。
その「父の像」に向かって左側、隣に
「母の像」が建っています。
参道を道なりに進むと、
正面に拝殿があります。
拝殿の奥には、見えませんが、
本殿があります。
参拝し、
拝殿の前から、南西に伸びる南参道を進むと
中堀端に出ます。
南参道の鳥居をふり返って見たところ。
佐和口に向かう中堀の沿道は、
「いろは松」と呼ばれる松並木があります。
この松並木は、現在は34本(捕植12本)ですが、
当時は47本であった事から、
いろは47文字の頭三文字をとって
「いろは松」と呼ばれています。
「いろは松」の間から、
南西に伸びる中堀を見たところ。
「いろは松」です。
「いろは松」の並木に沿って、
北西、佐和口へ向かって進んで行くと
右手に「井伊直弼大老歌碑」があります。
あふみの海
磯うつ波の いく度か
御世にこころを くださぬるかな
安政7年正月、井伊直弼は
正装姿の自画像を狩野永岳に描かせ、
この自詠の和歌を書き添えて、
井伊家菩提寺へ納めたと伝えられます。
ちなみに、井伊直弼は、安政7年3月に桜田門外で水戸藩浪士らの襲撃を受け、暗殺されています。
その「井伊直弼大老歌碑」の横にあった「彦根城下町マップ」です。
少し進むと、佐和口へ渡る土橋の手前に周辺案内図があります。
「いろは松」の並木に沿って進むと、
土橋が架かっており、佐和口に向かいます。
右端が佐和口です。
佐和口の桝形を囲み、かつ、
佐和口を中心に両翼に佐和口多聞櫓が
伸びています。
左側の佐和口へ向かうと、
かつては、中堀に面して高麗門があり、
その奥は鈎の手に曲がって、櫓門が築かれ
桝形が形成されていました。
佐和口から右に伸びる多聞櫓は、
昭和35年に開国百年を記念して復元された
コンクリート造りの建物になっています。
佐和口から右へ、北東へ、
中堀に沿って伸びる多聞櫓を見たところ。
中堀に沿って、北東へ中堀端を進みながら、
佐和口多聞櫓をふり返って見たところ。
多聞櫓の北東の端の櫓です。
中堀に沿って北東へ進んで行くと、
右手に彦根藩主で江戸幕府大老を務めた
井伊直弼が、17歳から32歳を過ごした
屋敷「埋木舎」があります。
その「埋木舎」の門です。
「埋木舎」の前を過ぎて、
中堀の北東の角から、
多聞櫓の北東の端の櫓を見たところ。
中堀は折れ曲がり、城を囲みながら続きます。
中堀端にいたカモメです。
中堀端を進みます。
先ほどの多聞櫓の北東の端の櫓を、
ふり返って見たところ。
対岸は、二の丸です。
中堀に沿って進みます。
中堀は、折れ曲がりながら、
お城を囲んでいます。
折れ曲りながら続く中堀です。
中央、彦根山の頂上に、天守の屋根が見えます。
また、左よりに天秤櫓が見えます。
その天秤櫓です。
高い石垣の上に、
天秤櫓の東側の櫓が見えています。
中堀に沿って歩きます。
中堀に沿って、北東に進むと、
中堀は終わります。
中堀の北東の端から、
中堀をふり返って見たところ。
中堀の北東の端には、金亀公園があり、
金亀公園を反対側に横切った先は、
彦根旧港湾があります。
金亀公園のある場所も、かつては、彦根旧港湾で、
埋め立てられて公園になっているようです。
その彦根旧港湾の向こう、中央に
「平和堂HATOスタジアム」が見えます。
彦根旧港湾に沿って、北西へ進みます。
進んで行くと、
金亀公園の運動施設の一つ、
「レイラックフィールド彦根」があり、
その向こう、南西に、西の丸 三重櫓が見えます。
「レイラックフィールド彦根」の横を
進んで行き、南を見ると、
彦根城の天守が見えます。
金亀公園の中から、
西の丸 三重櫓を見上げたところ。
左側は、彦根城の天守で、
右側は、西の丸 三重櫓です。
金亀公園の中を北西に向け歩いて行くと、
御蔵橋が架かってます。
その御蔵橋の南東の袂から、西を見ると
内堀があり、その向こうに
山崎郭跡の石垣が見えます。
御蔵橋を北西に渡り、
北西の袂から、南を見たところ。
右端が、山崎郭跡で、
石垣に沿って目を移していくと、
中央辺りに、西の丸 三重櫓が、
左よりに、天守が見えます。
天守をズームUPして見たところ。
御蔵橋を渡り、掘り沿いに西へ進みながら、
天守を見たところ。
南に天守を見たところ。
内堀の左側は、金亀公園です。
天守を見ながら、西へ進みます。
右端の石垣は、山崎郭跡の石垣です。
内堀を隔てた向こう側に、
山崎郭跡の石垣を見ながら、西へ進みます。
山崎郭跡の石垣です。
山崎郭跡の石垣の北西の角を過ぎると、
内堀と中堀に分かれており、
中堀が南西に続いているのが見えます。
彦根城の北側を、西へ周って行くと、
西の丸 三重櫓が見えます。
彦根城の西側へ周り、南東へ進んで行くと
滋賀大学講堂があります。
その講堂の屋根越しに、
彦根城の天守を見たところ。
滋賀大学講堂の屋根越しに、
彦根城の天守を見たところ。
滋賀大学講堂は、
旧彦根高等商業学校講堂として、
大正13年に竣工しています。
外観は、暗くて見えにくいですが、
正面に三角形の妻面を持ち、
八幡瓦の屋根には、換気用ドームの小塔と
3個の半円形換気窓が並んでいます。
西から見た西の丸 三重櫓です。
滋賀大学講堂の前の道を南東へ進むと、
中堀に出ます。
中堀に沿って南東へ進みながら、
西の丸 三重櫓と、天守を見たところ。
中堀に沿って、南東へ進みながら、
天守を見たところ。
中堀に沿って、南東へ進みながら、
西の丸 三重櫓と、天守を見たところ。
中堀沿いから見た天守です。
天守を見ながら、
中堀に沿って南東へ進みます。
天守です。
長く続く中堀と、その石垣です。
中堀沿いから見た天守です。
中堀に沿って南東へ進みます。
右よりに、中堀に架かる京橋が見えます。
写りが悪いですが、
中堀に架かる京橋を見たところ。
京橋の西の袂から、中堀を越えて
城内へ向かう橋を見たところ。
暗くなったので、
京橋から南西に伸びる通り
「夢京橋キャッスルロード」にある
「比内地鶏ほっこりや夢京橋店」で
夕食をとります。
その「ほっこりや」の提灯です。
注文した親子丼です。
この親子丼には、
日本三大地鶏の一つ「秋田比内地鶏」が
使用されており、
弾力のある食感、噛むほどに広がる旨味、
炭火の香ばしさ、ふわふわトロトロ、
スプーンで食す日本一の親子丼と言う事です。
その親子丼です。
食事を終え、中堀に架かる京橋へ戻ります。
中堀に沿って、南の端まで歩きました。
明日、五日目は、国宝 彦根城を訪ねます。