薬師寺: 02May2018



五月連休を利用して、一泊二日で、奈良に行って来ました。

初日は、
興福寺東大寺春日大社新薬師寺を周り、二日目は、薬師寺、唐招提寺へ行きました。

 
近鉄橿原線の近鉄西ノ京で
降り、駅前を東に進みます。

駅を出て、すぐのところに
あった薬師寺伽藍図。
























東へ進むと、正面に冠木門があります。

この門を入らず、右へ(南へ)進みます。















すると、與樂門(よらくもん)があります。
 
















與樂門。
 
この門からは中へは入れない。
拝観受付は左へと言う事で、左に(東に)折れて進みます。

薬師寺は、法相宗の大本山で、天武天皇が皇后、後の持統天皇の
病気平癒を願い、680年に発願したのが始まり。
そして、持統天皇により、697年に本尊開眼。
その後、文武天皇の御代に、飛鳥の地で堂宇の完成を見た。

その後、710年の平城遷都に伴い、718年に現在の地に移された。







ここが拝観受付。

拝観料を払い入場します。















拝観受付を入った
ところにあった
薬師寺伽藍図。

今、入場したのは、
白鳳伽藍のエリア
だ。























拝観受付を入り、最初に見えてくる建物は、東僧坊。

















手前の東僧房の奥に見える建物は、974年に焼失し、
2017年に復興工事を終えた食堂(じきどう)。
















東僧房の南側に、鐘楼がある。

鐘楼の向こうに見えている建物は、大講堂。















東から見た大講堂。

















 大講堂。

















大講堂を正面(南)から見たところ。

正面41m、奥行20m、高さ約17mあり、伽藍内最大の建物。

中には重要文化財の弥勒三尊像、国宝で日本最古の仏足石が
祀られている。












大講堂。
 
















大講堂。

南西から見たところ。















金堂。

北東から見たところ。

1528年に地域の豪族の争いで焼失し、豊臣家が仮の堂を建て
たが、豊臣家滅亡により、約400年間、仮の金堂のまま時が過ぎた。
しかし、百万巻写経勧進による白鷗伽藍復興が提唱され、1976年、
白鳳時代様式の本格的な金堂が再建された。










西塔。

1528年に焼失し、礎石のみ残されていたが、1981年に再建された。

高さは、約36mの三重塔です。

各層に裳階(もこし)と言う小さい屋根がついており、一見、六重塔に見えますが
違います。

















西塔。

北から見たところ。

鮮やかな色使いは、奈良を代表する色遣いで、塔の連子窓に使われている色を
「青(あお)」、扉や柱に使用されている色を「丹(に)」と呼んでいる。

万葉集の一節に
「あおによし ならのみやこは さくはなの におうがごとく いまさかりなり」
と謡われており、当時の平城京の華やかさが表現されている。















金堂。

西から見たところ。

金堂の向こうに見える覆屋の中では、国宝の東塔が修復されている。




















左が金堂、右が西塔。
 
















 西塔と回廊。
















 
西塔。

北東から見たところ。






















西塔。

東から見たところ。















西塔。

東から見たところ。
 





















金堂。

南から見たところ。















中門。

北から見たところ。















中門から(北から)、南門を見たところ。
























北から南門を見たところ。

















その南門を出て、南から南門を見たところ。

















 南から、南門と、その向こうの西塔を見たところ。

















南門と、その向こうの西塔。

















南門と道を隔てた反対側に、世界遺産の石碑がありました。

















そして、南門を入り、西塔を見たところ。
























手水舎、回廊越しに西塔を見たところ。
























南東から、中門と、その向こうの西塔を見たところ。

中門は、1984年に再建されました。

そして、1991年には、中門の二天王像も復元されました。













その復元された二天王像。























 
門の右側に立つのは、阿形の二天王。

極彩色に彩色されている。

中門再建に伴う発掘調査で、裸形の仁王像ではなく、武装した二天王像と判明し
中国西安大雁塔の門垣にある線刻の仁王像や、法隆寺の橘夫人厨子の扉絵等を
参考にしたと言う事だ。


















 阿形の二天王。























 
門の左側に立つのは、吽形の二天王。























 
吽形の二天王。
























吽形の二天王。 
 























 中門の吽形の二天王と、その向こうに西塔を見たところ。

























そして中門を入り、回廊の軒下から、金堂を見たところ。


















回廊の軒下から、西塔を見たところ。

西塔の内部には、彫刻家の中村晋也氏の作で、釈迦八相の内、後半の四相(果相)に
あたる諸像が安置されている。










その西塔の内部へ入ります。










西塔に入る前に、中門と回廊をふり返ったところ。

















西塔内部を見学し、外に出て、西塔の軒下から、金堂を見たところ。

















金堂の内部を見学する。

金堂内部には、中央に薬師瑠璃光如来、向かって右に日光菩薩、
左に月光菩薩の薬師三尊像が祀られている。

また、薬師瑠璃光如来の台座は、一番上の框(かまち)に
ギリシャの葡萄唐草文様、その下にはペルシャの蓮華文様、
各面の中央には、インドから伝わった力神(蕃人)の裸像が
浮き彫りされている。
更に、下框には中国の四方四神(東:清龍、南:朱雀、
西:百虎、北:玄武)の彫刻がなされている。

正に、ギリシャ、ペルシャ、インド、中国と世界の文様が集約
されている。




そして、次は大講堂へ。

大講堂の内部には弥勒三尊像、仏足石が祀られている。

弥勒三尊像は、中央が弥勒如来、向かって左の右脇侍は
大妙相菩薩、向かって右の左脇侍は法苑林菩薩で、
白鷗時代(飛鳥時代)から天平時代(奈良時代)にかけて造立
されたと推定されている。

また、仏足石は、お釈迦様がお亡くなりになって、約3〜400年は
仏様を形に表すのはもったいないと言う考えから、インドに仏像は
なく、仏様の足跡を石に彫り祀られてきた。
薬師寺の仏足石は、753年に刻まれた日本最古の物。





大講堂の内部を見学し、北側に出ると、食堂がある。

また、大講堂と食堂の間には、蓮の鉢植えが並んでました。

そして、食堂の内部を見学する。

内部は、田淵俊夫画伯により描かれた食堂の御本尊
「阿弥陀三尊浄土図」を中心に、約50mにわたる壁画
「仏教伝来の道と薬師寺」が奉納されている。









食堂のまえから大講堂を見たところ。
 
















食堂のまえから大講堂を見たところ。
 
















食堂。

南東から見たところ。















白鷗伽藍を一通り見た後、現在、解体修理中の東塔へ
一文字写経した瓦を寄進する事に。

東塔一文字写経瓦の寄進の申し込みをすませ、この建物の中で
写経します。













瓦へ、般若心経から一文字を選び写経し、住所と名前を書きます。

この瓦が、国宝 薬師寺東塔に載る事になります。






















建物内には、写経した瓦だけでなく、東塔を解体した部材が
保管されてました。

解体された相輪の路盤(左)。














擦管(左)。

擦銘が刻まれてます。
















東塔の相輪の写真。
























解体された九輪。

















解体された九輪。
 
下は、平頭。















解体された九輪。
 























伏鉢。























 
水煙。

塔が火災に合わないようにと願いが込められている。






















その水煙には、24人の飛天が笛を奏で、花を蒔き、衣を翻し、祈りを捧げる姿で
透かし彫りされている。

写真の一番下には、横笛を奏でている飛天が描かれている。





















寄進された東塔一文字写経瓦。

 















瓦の寄進をすると、東塔の解体修理現場を見学ができる。

回廊に並べられたヘルメット。






















このヘルメットをかぶって、東塔の解体修理の覆屋の中に入る。

覆屋の中は、写真撮影可だけれど、SNSでの紹介はNGと言う事で紹介は
できないけれど、間近で東塔を見る事ができた貴重な体験でした。



















 

東塔の解体修理を見学し、覆屋を出て、回廊に沿って歩く。

回廊の展示。

西塔の心礎のレプリカ。
心柱を立てる穴の中心に舎利穴が開いてます。

東塔の心礎には、このような舎利穴は無かったようです。










これは、西塔の心柱の「貝の口継手」の1/5模型です。

紐を引くと心柱の上半分が持ち上がり、紐を引く手を戻すと、心柱の上下が
ドッキングします。





















西塔に使われた?組み物の模型。
 
















回廊に並んだ模型。

















中門を再び出て、回廊の外側を、回廊に沿って東へ行くと
東院堂がある。
















回廊の軒下から、東院堂を見たところ。

東院堂は、養老年間(717〜724)に吉備内親王が元明天皇の
冥福を祈り、建立された。
973年の火災で焼失後、1285年に南向きで再建され、1733年に
西向きに変えられた。

堂内には、白鳳物を代表する国宝 聖観世音菩薩が安置され、
四方を鎌倉時代の四天王像が守護している。









回廊に沿って北に向け歩き、先ほど、一文字写経瓦を寄進した
建物の前から、回廊の内側へ入る。
















この覆屋の中で、東塔の解体修理が行われており、
この覆屋が外される日が楽しみだ。 
 






















食堂に隣接する東僧房へ。

東僧房の中に展示されていた「千年の釘」。

解体修理が行われている東塔で、創建当時の奈良時代に
使われていたとみられる古代和釘。












これは、金堂へ祀られている薬師瑠璃光如来の台座のレプリカ
の展示。

一番上の框(かまち)にギリシャの葡萄唐草文様、その下には
ペルシャの蓮華文様、各面の中央には、インドから伝わった
力神(蕃人)の裸像が浮き彫りされている。
更に、下框には中国の四方四神(東:清龍、南:朱雀、
西:百虎、北:玄武)の彫刻がなされている。

正に、ギリシャ、ペルシャ、インド、中国と世界の文様が集約
されている。







台座の下框には、南方を守護する神獣 朱雀が彫られており、
この面は南面にあたる。
















台座の下框には、東方を守護する神獣 清龍が彫られており、
この面は東面。

上框には、葡萄の実と、蔓と葉が描かれた葡萄唐草文様が
はっきり見てとれる。













台座の下框には、北方を守護する神獣 玄武が彫られており、
この面は北面。

玄武は、蛇と亀が絡む図柄となっている。














東僧房を出て、食堂を北東から見たところ。

















食堂の奥、西僧房の更に奥には、不動堂が見える。

















白鷗伽藍を北に出て、向かいの門。

この門を北に進んで行くと、玄奘三蔵院伽藍がある。















玄奘三蔵院伽藍に向け進んで行く。

右手に地蔵院、その向こうに本坊寺務所がある。















正面に、玄奘三蔵院伽藍の礼門が見えてくる。

玄奘三蔵(602〜604年)は、西遊記で有名な唐時代の僧侶で、
17年間にわたりインドでの勉学を終え、帰国後は1335巻に
及ぶ経典の翻訳を行った。
その玄奘三蔵が極めようとした瑜伽唯識(ゆがゆいしき)の教え
の流れを継承するのが薬師寺の宗派「法相宗」です。

日中戦争中の1942年に日本軍が南京の雨花台で、玄奘三蔵の
頂骨を発見し、その一部が分骨され日本にもたらされた。
その霊骨が、埼玉県の慈恩寺に奉安され、更に玄奘三蔵と縁の
深い薬師寺に分骨され、1991年に玄奘三蔵院伽藍が建立され
ました。

参考:南京の玄奘寺、三蔵塔




玄奘三蔵院伽藍の礼門。

















礼門から内部を見たところ。

正面に玄奘塔が見える。

また、玄奘三蔵院伽藍の北側には、大唐西域壁画殿があり、
平山郁夫画伯のシルクロードをテーマとした絵画を見る事が
できる。











玄奘三蔵院伽藍を後にして、次は薬師寺の北に位置する
唐招提寺へ向かう。

















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